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12.ごめん

 士官用の個室に響き渡ったのは、布団を跳ね上げる軽い音。
 それに続くのは、はぁはぁという荒い呼吸の音だ。
「何……この、夢………」
 長い長い夢だった。
 少女達のこれからと、鷲の翼を持った知らない娘の辿る数奇な定め。そして……仲良くなった良く笑う姫君の、あまりに無惨な最期の姿。
 少女は慌ててベッドを抜け出し、乱れた寝間着を整える事ももどかしく机へと向かう。抽斗の中から取りだしたのは、精緻な文字の綴られた便箋の束である。
 それは、彼女の姉の最後の手紙。
 このメガリ・エクリシアの戦いで命を落とした、愛しい姉が彼女に最後に宛てた手紙であった。
「姉さんは、魔物が本当は魔物なんかじゃないって言ってたけど……まさか……?」
 彼女の見た夢は驚くほどに生々しく、まるで現実かと見まごうばかりのものだった。ソフィアの棺の前で泣き崩れる悲しみも、あの森での戦いを前に翼の少女と共に飛び出してきた悲壮な姿も、そして……。
「…………っ」
 ぶるりと身を震わせ、自らの身を抱きしめる。
 その時だ。
「ジュリアー。起きてるー?」
 軽いノックの音と共に掛けられたのは、数日前から毎日のように耳にしている、少女の声。
「ソフィ……ア………?」
 生きている。
 生きているのだ。
 この世界の彼女は、まだ。
「ソフィア……っ!」
「わ、ちょっと、ジュリア……っ!?」
 ジュリアは慌てて部屋を飛び出すと、そこで待っていた友人に力一杯抱きついて泣き出してしまうのだった。


「ったくもう。怖い夢見たからって泣かないの」
「うぅ……そんな事言わないでよー」
 抱きついて泣き出してしまった事を少々後悔しながらも、ジュリアは少しだけ落ち着く事が出来ていた。
 さすがに夢の内容をソフィアに語る気にはなれなかったが……少なくとも、目の前の彼女はこうして生きているのだ。姉の手紙との関連など気になる事は数多くあるが、夢は夢だし、あの結末までにはかなりの期間がある。今すぐに何とかなるわけではない。
「どうしたんです? プレセア様」
 軽く茶化される事に言い返しながら宿舎の食堂まで降りてくれば。そこでは数名のアームコート乗りが集まって、何やら話をしているようだった。
「ああ。アーデルベルト君が、後でスミルナ・エクリシアの調査に行くそうですわよ」
 スミルナとは、誰も立ち入る事の出来ない滅びの原野に僅かに点在する、人類の住める領域の事だ。一面の死の世界である滅びの原野における、砂漠のオアシスにあたる存在と言える。
「こっちのスミルナってどんな所なの?」
「イサイアスのスミルナ跡は、確か山の上の礫砂漠でしたわね」
 スミルナの形は、その土地土地によって大きく異なる。既に土地の清浄化によって独立性を失ったイサイアス付近の清浄の地は、一面を砂と瓦礫に覆われた荒れ地であった。
 いまだイサイアスの地が薄紫の大気に覆われていた頃は、アームコート乗り達の休息所になってはいたが……それ以外には、戦略的にもそれほど重要な場所という認識はされていない。
「スミルナ・エクリシアは、とても大きな森だそうだよ」
「あ、行ってみたい!」
 そんなセタの言葉にソフィアは顔を輝かせるが……。
「姫様はダメだよ。この間の魔物戦が終わったばかりだから、ハギア・ソピアーは調整中だろう?」
 特に輸送部隊のアームコートは、魔物との戦いは初めてだったのだ。不具合や必要な調整を行うため、普段よりも念入りなメンテナンスが行われていた。
「でもそれなら、アーデルベルトも!」
 けれど、それは同じ便でメガリに来たアーデルベルト達も同じはずだ。それとも無調整で調査に向かう気なのだろうか。
「申し訳ありません、ソフィア姫。我が隊の機体は、既に調整を終えておりまして……」
 アーデルベルト隊のアームコートはソフィア達の機体と違い、量産機を中心とした編成だ。ハギア・ソピアーやガルバインのように希少な専用機に比べ、メンテナンス性には一日の長がある。
「それに、隊には後詰めも必要ですよ。アーデルベルト隊の護衛にはアーレス隊が付くそうですし、整備が終わり次第、ソフィア隊は待機です」
「だったら……私も、同行したらダメですか?」
 アーデルベルトやコトナの言葉にしょんぼりとしているソフィアに代わって同行を申し出たのは、彼女の傍らにいたジュリアだった。
「シャトー・ラトゥールは整備を終えていますし、スミルナは偵察で何度か行った事があります。……ソフィア、行っていい?」
「それはいいけど……帰ったらお話、聞かせてね?」
 小さく頷くジュリアの様子に、アーデルベルトはどうしようか考えていたが……どこか必死な少女の視線に、やがて首を縦に振ってみせる。
「案内はヴァルキュリアがしてくれる事になってはいたが、上官の了解があるなら許可しよう。頼むぞ」


 出撃前の喧噪に包まれたハンガーで、隅の席を陣取っていた少年に掛けられたのは、赤髪の少年の乱暴な言葉だった。
「ククロ、ちょっと手ぇ貸せ。出撃だ」
「ごめんよ。今は手が離せないんだ」
 そう答えながら、ククロが机から顔を上げる様子はない。
 先日の戦いでヴァルが回収してきた異形の怪鳥は、もうすぐ中央へ運ばれる事になっていた。その時までに、少しでも調査を行い、魔物の様々な秘密を一つでも解き明かしておきたかったのだ。
「スミルナ偵察部隊の護衛なんだよ。こういう時こそ修理部隊の出番だろうが」
 いまだ誰も足を踏み入れた事のない、未開の地である。いつも何かしらの目新しい物に興味を示す少年にとっては、格好の興味の対象ではないのか。
「スミルナは別になぁ……」
 だが、そんなアーレスの期待空しく、ククロの反応は鈍いもの。
 彼の地に珍しい魔物でもいるならまだしも、そんな報告は一度も聞いた事がない。それにスミルナは逃げないが、目の前の魔物のサンプルはもうすぐいなくなってしまうのだ。優先順位がどちらにあるかなど、火を見るよりも明らかであった。
「ンだとぅ!」
「何揉めてんだよ。ケンカならアタシが代わりに買ってやるぜ!」
 一触即発……ではない。一方的にヒートアップしているアーレスに掛けられたのは、そんな声だ。
「……別にケンカじゃねーよ。スミルナ見に来いって言っただけだ」
「何だぁ? 弱そうなヤツにはケンカ売れて、アタシには売れないってのかい? おこちゃまだねぇ、何とか隊の隊長さんも」
「ンだと! 上等じゃねえか! 蘭衆の男を馬鹿にすんじゃねえ!」
 いきなり飛んできた拳をするりと躱し、すり抜けざまにエレは尻をひと撫で。
「どわぁっ!?」
「お、意外とウブな反応じゃないの。こりゃ、蘭州生まれも大した事ないかね……?」
「こんな所でケンカしないでよ、二人とも」
 逆鱗に触れそうなひと言のせいで本当に一触即発と化した場に掛けられたのは、穏やかな人工の声だった。
「修理部隊が必要なら、わたしが行くよ」
 そもそもの発端は、修理部隊の出撃をククロが面倒がった事なのだ。そこを引けば、アーレスが怒る理由はなくなるはず。場を引っかき回したいだけだったエレに関しては、とりあえず放って置いてもいいだろう。
「……いいよね、ククロ」
「もちろん。それでいいよね? アーレスも」
「……ああ、修理機が来るなら何でもいいぜ。ならお前もさっさと準備しろ。すぐ出るぞ」
 アーレスの言葉に穏やかに頷き……。
 シャトワールは口の中で、小さくごめんと呟くのだった。

 それから一刻ほどの後。
 ほぼ二中隊ぶんのアームコートの一団が、ゆっくりと薄紫の荒野を進んでいた。
「リフィリアとエレも一緒か……」
 そんな列の先頭集団に加わっているのは、背中に小さな安定翼を備えた細身のアームコート……ジュリアの機体である。
 ふとした思いからアーデルベルトに同行を申し出た彼女だったが、ソフィア隊から同行する事になったのは彼女だけではなかったのだ。
「お前一人で中佐に迷惑を掛けては、ソフィア隊の名誉に関わるからな」
 同行するのは構わないが、イマイチ理由に納得がいかない。愛機の中で頬をぷぅっと膨らませるジュリアだったが……。
「おいおい。頬なんか膨らませてちゃ、可愛い顔が台無しだぜぇ?」
「…………」
 絶妙なタイミングで通信機から飛んできたエレの声に、ジュリアは思わず辺りを見回した。
 アームコートの通信機の画像通信はオフにしてある。その表情は、間違いなくエレからは見えないはずだ。
「こないだの夜みたいにまた可愛がってやろうか? 子猫ちゃん」
「そ………そもそも何でエレがいるのよ!」
 歓迎会での大騒ぎを思い出して顔を赤らめさせながら、ジュリアは誤魔化すような大声で話題を変える。
 補充部隊のソフィアやセタ、コトナの機体は、機体の調整が終わっていないためメガリで待機のはずだった。そんな専用機の多いソフィア隊の中でも、エレの異形の機体は特別に調整が難しいような事をシャトワールから聞いていたのだが……。
「お姉さんがちょっとサービスしてやるって耳元で囁いたら、あの修理部隊の坊主が随分と張り切ってくれちゃってさ」
 実際にサービスをククロから求められる事はついぞなかったが、少なくとも言ったことは間違いではない。さらに言えば、調整は微に入り細に入り、彼女からしても上々の仕上がりと言えた。
「……不潔」
 やがて一同は先頭を進む漆黒のアームコートの指示で、その進行を停止する。
「何度見ても、凄いな……」
 ジュリアだけではない。リフィリアでさえも、そこに広がる光景には息を呑まざるをえない。
 薄紫の世界の中。全ての生物を拒むその地においてなお、緑に包まれた世界がそこにあった。その姿は、まさしく砂漠におけるオアシスの如く。
「では、我々はスミルナ内部の調査に向かう。ヴァルキュリア達は予定通り、ここで周囲の警戒を頼む」
 今回の調査に向かうのは、アーデルベルトを含む数名の兵だけだ。残るリフィリアやアーレス達は、魔物に対する周辺警護に当たる手はずになっていた。
「了解した」
 アーデルベルトからの通信が終わると同時、残されたアームコート達は適度に散開し、周囲の警戒を始めるのだった。

 それから、少しの時が流れ。
「アーレスさん」
 赤い獅子の頭部を持つアームコートの中。あくびを噛み殺していたアーレスのもとに届いたのは、穏やかな声である。
「……何だハゲ」
 相変わらず乱暴なアーレスの物言いに腹を立てる様子もない。
 通信機を通して聞こえる人工の声は、生で聞くよりもよりアーレスの近くで話しているようにさえ感じられた。
「わたしを連れてきたのは、偵察部隊の護衛だからじゃ……ないよね?」
 周辺警戒は、基本的に戦闘を前提としない作戦だ。せいぜい魔物の動きを感知し、本隊が撤退するまでの時間稼ぎをするだけだ。
 今回であれば、アーデルベルト達に非常時を伝え、彼らがアームコートに戻ってくるまでの時間さえ稼げれば良いのである。無論そんな時に、悠長に機体の修理などしている暇はない。
 ならば……ククロ隊が同行を求められた理由は、別にある。
「へ……っ。ただヘラヘラしてるだけのハゲかと思ってたが、意外と悪りィ事考えてんじゃねえか」
 その言葉と同時、アイドリング状態に保っていた機体を起動状態へ移行。自分の部下達にいつもの専用周波数で、行動開始の合図を送る。
「動く……? おい待て、ファーレンハイト!」
「オレ達はここから独自行動に移らせてもらうぜ!」
 通信機からリフィリアの声が届くが、ニヤリと笑って乱暴にその通信を打ち切った。
「ちっ。……ヴァルキュリア!」
 彼らの向かう先は南。
 スミルナよりも南にあるものなど、たった一つしかない。
 ……魔物の巣と目される、琥珀色の奇妙な霧の塊である。
「知るか。先走る馬鹿など勝手に死ねば良い」
 だが、今回の先導役を務めた漆黒の闘士からの答えは冷めたもの。予想通りと言えば予想通りの返答に、小さく舌打ちを一つして……。
「そういうワケにもいかんだろう! 行くぞ、ジュリア、エレ!」
「あ、うんっ!」
「へぇへぇ」
 残ったアーデルベルト隊のアームコートにアーデルベルトへの繋ぎを頼み、リフィリア達もアーレスを追って南下を開始する。
「…………」
 そんな一同を冷ややかに見つめていたヴァルだったが……。
 その視界に割り込むのは、僅かなノイズ。
 思考に直結させた通信回線からのものではない。それは誰かの声にも、想いにも似たもので……。
「…………環? いや、違う……」
 やがて薄紫の風の向こうに見えるのは、小柄な少女の幻だ。かつて夢で見た、翼を持つ少女ではない。もっと幼い、白い獣の耳を持つ娘。
 無言で手を伸ばした少女の指差す先は……南である。
「私にも、行けというのか……?」
 その問いに、少女は答えない。
 けれどその導きに従うかのように、漆黒の機体も南への移動を開始する。

続劇

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