11.Goth x Goth
アーデルベルトが退室し、ヴァルも席を外している。
執務室に残っているのは、メガリ・エクリシアの司令官と、その副官の二人だけ。
「……ヒメロパは無人だったのか」
早々にまとめ上げられた、ヴァルの仕留めた魔物の報告書を眺めながらアレクが呟いたのは……キングアーツでは誰も知らないはずの、怪鳥の本当の名前であった。
「ククロ達の調査だと、機体内にそれらしき痕跡はなかったらしい。初期調査は終わったから、もう少し調査させて、近いうちにソイニンヴァーラ技研に送る」
魔物の身体は限りなく生物に近い。キングアーツには食物を冷却して運ぶ技術もあるにはあるが、あれだけ巨大な魔物をそのまま冷やして動かせる設備は残念ながら辺境のメガリには存在しない。
調査担当を任されたククロは渋っていたが、出来るだけ早く中央に送る必要があるのだった。
「それにしても、スミルナとはな……。あの日までは、手を出したくはなかったが」
アレクがぼんやりと呟き、目を向けるのは、自身の左手の薬指。金と銀の二つのリングが絡み合ったその意匠は、来たるべき日のために……そしてそれまでに想いを忘れずにいるために作らせた、特注の品だ。
「沙灯がいないなら、瑠璃の時以上に向こうの様子も分からないな。僕達の知らない別の流れも起きていると考える方が自然だよ。……それが誰かは分からないけど」
雨だれの雫一つも、集まれば川となり、やがて大河や大海へと至るのだ。小さな変化一つでも、その先がどうなるかはいかにアレクの副官とはいえ、予想しきれるものではない。
あまりにも大きすぎるのだ。不確定要素が。
「私たちは、また違えたのか……」
そして次は、沙灯がその力を使ってしまった。
「……だろうね。なら、僕達が上手くやるしかないよ」
けれど、それも予想でしかない。
どのようにして道を誤ったのか……それとも、誤らなくとも、そうすべき原因があったのか。
「アレクももう寝なよ。後は僕がやっておくから」
「……すまん。そうさせてもらう」
小さなため息を一つ吐き、メガリ・エクリシアの司令官も静かに執務室を後にするのだった。
「お、遅くなりました…………」
結局リフィリアが選んだ服装は、軍服のブラウスとズボンだけというあまりといえばあまりに無難なものだった。
だが、待ち合わせ場所に指示されたロビーで彼女を待っていたのは……。
「……ジュリア。その格好は?」
ふんわりとした黒いビロードにたっぷりとしたフリルとレースをあしらった可愛らしい衣装に身を包む、ジュリアの姿である。
「ソフィアが私服でいいって言ったから、私服なんだけど……ダメだった?」
「いや、平時だから構わんが……」
いわゆるゴシックロリータと呼ばれる類のその衣装は、小柄なジュリアには確かによく似合うものだった。それを内心羨ましいと思いながら、茫然としていると……。
「あ、リファ。早かったねー」
「ソフィアまで……」
どこからか戻ってきたソフィアも、ジュリアとほとんど同じ格好をしていた。
「だってジュリアの服、すっごく可愛かったし。サイズ聞いたら、私でも大丈夫そうだったからさ」
「左様ですか……」
金色の髪のソフィアと、銀色の髪のジュリア。髪型もその格好に合わせたのだろう、鏡合わせの結び方にされたその様は、確かに額に納めても良いほどに愛らしいものだ。
「そうだ。リファも着ようよ! ジュリア、サイズ間違えて買っちゃった、少し大きめのがあったじゃない。あれならリファにもちょうど良いんじゃないかな?」
そのリフィリアをリフィリアとも思わないソフィアの唐突かつ大胆な発言に、ジュリアは流石にリフィリアの顔を見て……。
「い、いえっ!? じ、自分はさすがに………!」
そんなジュリアよりさらに慌てて否定したのは、リフィリアだった。
青くなったジュリアと、つまらなそうな顔をしているソフィア。そして本当はどう答えるのがベストだったのか分からないリフィリアの間に漂うのは、言いようもない沈黙である。
「……え、ええと……。それで、他の者は?」
そんな微妙な空気を破ったのは、少しばかり後悔の念の残っているリフィリアであった。
「エレはセタ樣と一緒に、教官……じゃなかった、コトナさんを呼びに行ってる」
「で、今日はどこに行くの?」
今回の歓迎パーティの発案者はジュリアである。
本当は自作のケーキや料理などで歓迎の宴を開きたかったようなのだが、残念ながら彼女は料理というものが出来なかったのだ。だから、外に食べに行こうという事になったのだが……。
ソフィアに問われたジュリアは、途端に首を傾げてみせた。
「私はメガリ・エクリシアは来たばっかりだからあんまり……。リフィリア、良いお店って知らない?」
「…………え?」
「美味しいご飯とか、お酒を出してくれるお店。リフィリアはもうメガリ・エクリシアも長いんでしょ?」
「あ、ああ……まあな」
リフィリアがメガリ・エクリシアに赴任してきて、既に一年以上が経つ。
しかしもともと厳しい軍人の家系に生まれたリフィリアのこと。パーティと言えば誰かが準備した集まりに顔出し程度に参加するくらいで、自身で主催した事はおろか……外食に出た事も数えるほどしかなかったのだ。
もちろんエクリシア市街地の料理屋の知識などあるはずもなかった。
「どうしたの? リファ」
だが、まさか分からないとも言えない。
ある意味先ほどに続く絶体絶命の危機を突き付けられて、リフィリアが何も答えられずにいると……。
「あら。どうしたんですの? みんなしておめかしして」
そこを通り掛かったのは、車椅子の女性と、それを押していた青年将校の二人であった。
「これから隊の結成記念パーティするんだけど、良かったらプレセアとアーデルベルトも一緒に行かない?」
「まあ。私達も構いませんの?」
こういった場の場合、一人だけ突出して地位の高い者がいると、途端に場の空気が変わってしまう。
「いいわよね? セタも来るし」
しかしよくよく考えれば、トータル的な地位に関してはプレセアの『准将』よりもはるかに格上の存在が目の前でニコニコと笑っている。
「はい。お二人のご都合が宜しければ」
「ふふっ。准将と言ってもお金で買ったような地位ですもの。そう固くならなくても構いませんわ」
ソフィアに加えてセタもいるなら、周りもプレセアに気を使わずに済むだろう。ならば、顔を出さない理由はない。
「俺は今からもうひと仕事だ。皆で楽しんでくると良い」
だが、そんな中でアーデルベルトだけがその誘いを辞してみせる。
「あら、アーデルベルト君は行きませんの?」
アレクも言っていたではないか。そこまで急ぐ必要は無いと。
「早めに済ませておきたいからな。……今日は助かった。後は俺一人で大丈夫だ」
「ふふっ。でしたら、今日ので貸し一つですわよ?」
穏やかに微笑むプレセアに小さく頷き、アーデルベルトは自分の部屋へと戻っていく。
「じゃあプレセアは一緒ね。後はお店か……」
そこが問題だった。リフィリアは候補を選んでいる最中なのか、難しい顔をしたまま黙っているだけだ。
「でしたら、近くに魚料理のいいお店があるんですの。以前物資の運搬で来た時に、とても美味しかったのだけれど……だめかしら?」
「だったらそこにしましょうか。リファも考えてもらってるのに悪いけど……」
「はい。イクス准将のお勧めのお店という事であれば、是非」
異論などない。あるわけがない。
むしろ今のリフィリアにとって、車椅子の仮面の美女は文字通りの救世主にさえ見えた。
「お待たせー。お、綺麗どころが二人も増えてるじゃねぇか!」
そしてコトナを抱えたエレ達が合流し、一同は街へと繰り出していく。
明かりの消えた執務室にふらりと姿を見せたのは、白い髪の娘である。
「……環」
アレクの執務机の脇に置かれた、ひと回り小さな机。
そこにうつぶせになって寝息を立てているのは、メガリ・エクリシアの司令官を支える副官だった。
「風邪をひくぞ」
メガリ・エクリシアの夜は、それなりに冷える。その上、ただでさえ広い執務室だ。暖房もなければ、いくら義体の身体とは言え、朝になれば凍えてしまうだろう。
娘は少し考え……自身が羽織っていた軍服を脱ぐと、そっと青年の背に掛けてやる。
「……どうしたのだろうな、私は」
彼女の中にある、不可解な感覚。
全ては、あの日から……あの奇妙な夢を見た時から生まれた感覚だ。
「……んぅ………」
机から聞こえてきた声に、一瞬その身をびくりと震わせるが……それが寝息と理解して、小さく息を一つ。
眼下の青年はその奇妙な夢の中で、親友を殺され、その仇の娘を殺し、果ては自身が救おうとしたはずの……親友の妹さえ、その手に掛けてしまった。
そうなっては、欲しくない。
常に平板だったヴァルの意識の中に生まれたのは、そんな感情である。
どこか壊れてしまったのだろうか。しかし、如何に発達したキングアーツの義体技術でも、いまだ脳の機能は解明されていなかったはず。
「本当に……どうしてしまったのだろうな、私は」
自嘲気味にそう呟いて。
ヴァルは執務室を出る事はせず、副官の机の脇に腰を下ろし、そっと瞳を閉じる。
部屋に戻るだけの気力も体力も、十分に残っていた。
けれど……なぜかそう、したかったのだ。
続劇
|