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5.第一次エクリシア北部遭遇戦

 辺りを包むのは、薄紫の異様な空気。
 滅びの原野。
 人の肺腑……義体で強化された肺さえも例外なく壊す薄紫の大気に覆われたそここそが、彼女たちの目指す場所であった。
 無論、そんな所で徒歩行軍など出来るはずもない。人員は全て輸送機であるニーバッシャーの中にあり、周囲を警戒する護衛の兵も全てアームコートであった。
「アーデルベルト君。何か変わった事はありまして?」
「何もないな。平和そのものだ。……油断は出来んが」
 車椅子ごと乗り込んだ操縦席。通信回線を開いて先頭のアームコートに問いかければ、プレセアの予想した通りの答えが返ってきた。
「プレセアは何度も通った道だろう。襲撃があった事はあるか?」
「私の知る限りは一度も。けれど、心配性ですのね。……夢のお告げでもありましたの?」
「まあ……そんな所だ」
 適当に言葉尻を誤魔化して、通信はそのまま切れた。
 機体の駆動音だけになった狭い操縦席で、プレセアはしばし黙考。
(あの時よりも警戒の人員は多い……だとすれば、襲撃は起こらないかもしれませんわね)
 滅びの原野の中でも、メガリ・エクリシアよりも北の領域はそもそもキングアーツの安全圏内とされていた。魔物の襲撃も少なく、それなりに安全なのだと。事実、プレセアが何度かメガリ・エクリシアに行った際にも、魔物達の襲撃が起きた事は一度もない。
 そして今回は、その時や夢の中で見た光景よりも護衛の数はさらに多いのだ。
(……なるほど。夢のお告げ……ね)
 恐らくは、そういう事なのだろう。
 けれど。
 そのプレセアの予想を裏切るかのように、通信機から新たに響き渡ったのは……。

 敵襲を告げる警告音であった。

「……うぅ、変な夢見ちまったな」
 煤煙に薄汚れた空の下、ばりばりとボサボサの毛をかきむしる。
 寝直す事で夢の続きを見られる……とは笑い話でよく言ったものだが、まさか現実になるとは思わなかった。
 ハンガーで見た夢の続き。
 それは、アーレスのこれからの物語と……よく知らない国の、翼を持った少女の物語。次々と襲いかかる苦難に必死で挑み、覆そうとして……ついにはその定めの前に命を落とした少女の物語。
 戦いに敗れた、負け犬の物語だ。
「くだらねぇ……」
 吐き捨てるように呟き、布団がわりにくるまっていたコートを羽織り直す。
 だが。
「…………待てよ」
 その夢のシナリオ通りに進むなら、今頃、キングアーツの輸送部隊は荒野で魔物達の襲撃を受けているはずだ。そしてその中には、アレクを破った九尾の白狐も混じっているはずだった。
「面白れぇ」
 夢を信じる気などない。しかしアレクを破った魔物を打ち倒すチャンスがあるならば、乗ってみない手もまた……ない。
「クリムゾン・クロウ隊、偵察に出るぞ! 出られる奴らから付いてこい!」
 ハンガーに舞い戻ったアーレスは高らかにそう宣言すると、自らのアームコートへと飛び乗った。
 輸送ルートは最短距離よりも走破性を重視して、大きく曲がりくねっている。最短ルートを強引にショートカットすれば、合流までそれほど時間は掛からないはずだった。

 警告音が響き渡るのは、アームコートの操縦席だけではない。輸送機のコンテナ内部に設えられた兵員用の席にも、その音は同じように響き渡っていた。
「敵襲!? 起きて、コトナ!」
 そんな中でも我関せずで、ソフィアにもたれかかって寝息を立てている小柄な教導官を、ソフィアは必死で揺り起こす。
 長旅で疲れが溜まっていたのだろう。起きる気配のないコトナをどうしようかと思った瞬間、脇から大きな腕がひょいと伸びてくる。
「姫さん。そいつはそんなんじゃ起きねぇんだよ」
 そのまま何の遠慮もなく、エレの大きな手はコトナの胸元に辿り着き……。
「……ですから、揉むほどありませんってば」
 エレの唐突な凶行に茫然としているソフィアを尻目に、ようやく目を覚ましたコトナはエレの事など気にも留めない様子で、辺りを見回しているだけだ。
「……敵襲ですか」
 そして警報の真意を悟っても、眉一つ動かす気配もない。
「そういう事だ! 出っぞ!」


 隊の先頭を進んでいるのは、山羊角を備えた赤いアームコート。その隊長機に滑るように機体を寄せてきたのは、長槍を提げた青いアームコートである。
「セタ。周囲の状況は」
「あまり良い風の流れじゃないね。南東から回り込むように来てる。予定通りかな」
 ガルバインの操縦席に身を沈め、セタは静かに瞳を閉じたまま。
 外部に展開された多くのセンサーで風の流れを掴み、その動きや周囲の物を感知する事がセタの力の一つ。けれど滅びの原野の風は奇妙なところで渦巻き、予想出来ない流れを作っている。ここでは彼が全ての力を振るう事は難しいだろう。
「そうか……。アテが外れたな……」
 戦闘のあった荒野の地形や敵方の進行ルートは、夢の中の情報を元に組み立ててあった。これにセタの感知を加えれば完璧なはずだったのだが……なかなか期待通りにはいかないらしい。
「プレセア!」
「戦闘指揮はお任せしますわ。総員、状況を戦闘に移します。指揮回線をスレイプニルからアーデルベルト君のシュタール・ツイーゲに!」
「スレイプニルとニーバッシャー隊は後退! 本隊はニーバッシャーの補充物資と、スレイプニルのアームコート用部品の護衛を最優先! それと、メガリ・エクリシアに援軍を再度要請しろ!」
 視界の隅に通信の繋がる様子が次々と示されていくのを確かめて、アーデルベルトは部隊全機に鋭く指示を飛ばす。


 輸送用アームコートの背中。
 展開したコンテナの中から薄紫の世界に姿を見せたのは、三体のアームコートである。
 最初にその背から立ち上がったのは、黒地に金のラインをまとう黒金の騎士。
「あれが、ハギア・ソピアーですか……」
 キングアーツのアームコートでもかなり初期に建造されたという歴戦の古強者だ。そのぶん動作が鈍く、クセの強い機体だと言われているが……それを乗りこなせる事が、ソフィアがこうして増援部隊の一員として選ばれた理由なのだろう。
「それと……それがエレの新型機ですか?」
 そして赤銅色の背甲を背負った機体の中でコトナが呟いたのは、ハギア・ソピアーの隣で立ち上がる見慣れないアームコートに向けて。
 申し訳程度の腕と、上半身の装甲群。
 そんな華奢とも言える上半身とは対照的に、脚ばかりが異常に大きい。
「新型機っつーか、ガルバインタイプのテスト機のそのまたテスト機の応急武装版……って感じだな」
 眼帯の奥にあるコネクタに制御用のケーブルを接続しながら、エレは嬉しそうにその身を震わせる。
 センサー類に直結されて、視界が極端に広げられていく感覚。新しい機体を動かす高揚感。そして……。
 命の遣り取りを控えた、緊張感。
 そのいずれも、彼女を支え、奮い立たせる要素の一つとなる。
「……まともに動くんですか、それは」
 出自を聞けば、動かないよりはマシ、といった程度の物体にしか聞こえない。エレの父親を含む、アームコートの開発陣が出撃を許可したのだから、さすがにそこまで酷いものではないだろうが……。
 そんな事を呟きながら、コトナの赤銅色のアームコートは、半歩踏み出した所で猫背の背中をさらに曲げるようにして重心を崩す。
「コトナ!?」
 倒れそうになるコトナの機体は、ソフィアの心配そのままに前へと倒れ……はしない。背中の装甲を展開し、流れるような動きで球体状に変形したのだ。
「姫様。そいつ転がしといた方がいいぜぇ。コトナ専用機だから事無き、っつってな。生還率が上がるんだとよ」
 つまらない語呂合わせだ。とはいえ、コトナの方も転がされれば移動の手間も省けるし、味方の生還率が上がるというなら……しておいて損はないだろう。
「そ、そうなんだ……」
「特にエレは念入りに転がしておいてくださいね」
 戦い慣れたソフィアはまあ、大丈夫なはずだ。ハギア・ソピアーの装甲も厚いし、何より古参の機体がずっと現役でいることそのものが、機体の生還率の高さを示している。
「ヒィヒィ言うまで転がしていいならな」
 だが、エレの機体は見るからに脆そうだ。
「転がせるほど動いてくれればいいのですが」
 コトナは「自分が乗るわけでなくて良かった」と半ば本気で考えながら、苦笑いするしかない。
「動かねぇモンを調教して動かすのも、テストパイロットの仕事だっつの。任せろ」
 自信満々の言葉と共に。エレの紺色の異形も、輸送機の背中から力一杯飛び降りた。

 薄紫の空の下。荒野をただ一機で駆けるのは、漆黒の重装をまとった大型のアームコートだ。
 娘は、たった一機で偵察を続けていた。
 つい、先程までは。
「……どうして貴様がこんな所にいる」
 機体の一部を触れる事で成立する接触回線を使い、平板な口調で呟いたのはそんな言葉。
「偵察だよ、偵察。何か文句でもあンのかよ、環の腰巾着が」
 その言葉に応じるのは、黒いアームコート用の外套をまとった大柄な機体だ。数機の僚機を引き連れたそいつは……つい先ほど偵察に出立したアーレスであった。
「邪魔だ」
 ヴァルから返ってきた言葉は、たったひと言である。
「へいへい。……もう少し回ったら、言われなくても帰ってやるよ」
 アーレスとて、本来は偵察に出る気などなかった。ただ、あの夢がもし一部でも正夢の要素を含んでいるのなら……そして九本尻尾の魔物と相対する機会があるのなら、乗ってみるのも面白いと思っただけだ。
 いわば、暇潰しである。
「アーレス! 探知に反応が!」
 だがそんな軽い気持ちを裏切るかのように響くのは、隊専用の通信帯域に合わせていた僚機からの報告である。
「奴らか!」
 本来ならその通信は、隊の中だけにしか聞こえないはずだった。
 しかしその言葉は、いまだ接触回線を繋いだままだったアームコートを通じてヴァルにも届く。
(……奴ら?)
 普通なら、『何だ』だろう。
 アーレスのその言葉は、彼らの目指す先に何者かが待ち受けているのをあらかじめ理解しているように聞こえる。
(このルートは確かに、戦闘区域までの最短ルートではあるが……)
 キングアーツの輸送部隊はもう少し北側にいるはずだ。それにこの時刻だと、既に戦闘が始まっている可能性も高い。だとすれば、この先に『いる』のは……。
「…………何だありゃ」
 接触回線から、クリムゾン・クロウ用の周波数に切り替えた方が都合が良いかもしれない。そう思って回線を開いたヴァルの耳に最初に届いたのは、アーレスの茫然としたひと言だった。
「何だよ……アイツ……」
 そこにいたのは、アーレスとも、ヴァルの記憶とも違う存在だ。
 九尾を備えた白狐ではない。
「黄金の……ドラゴン……」
 それは、そうとしか言いようのない存在であった。
 黄金の鱗に覆われた巨大な体躯。長く伸びた尻尾と、大地を踏みしめる四本の脚。広がる翼に……長く伸びた牙の間から時折漏れる紫電の光と、ぱしりという破裂音。
 周囲に僕の如き数体の魔物を引き連れる様は、まさに書物の中のみに伝えられる伝説の怪物そのままだ。
(あんなバカでかいの、夢の中にいたか……!?)
 どうやら夢など、アテにはならないらしい。
 けれど、夢の中よりももっと歯応えの有りそうな相手に巡り会う事が出来た。そういう意味でのみ……アーレスはその夢に、感謝してみせる。
「フン。怖じ気づいたか」
「誰が! 蘭衆の男舐めンじゃねえぞ!」
 通信に割り込んできたヴァルに力一杯そう返し、アーレスは背に備えられている大太刀を引き抜いた。
 それを敵対の意思と取ったのだろう。
 黄金のドラゴンもこちらに鋭い瞳を向けて……。

 丘の上に姿を見せたのは、人に似たもの、獣に似たもの、その中間の姿を模したもの。
 そしてそれら異形の群れを率いるようにこちらを見下ろす、九本の尾を持つ白狐。
「あれが……魔物」
 魔物。
 それが、そいつらの名。
 キングアーツの開拓を阻み、人間を喰らうという、異形の敵。
「……行けるかい? 姫様」
 滑るように肩を並べるのは、既に出撃していたセタの駆る青い機体だ。
「もちろん。コトナ、エレ。大丈夫?」
「応」
 ソフィアの言葉に、愉しげに答えるもの。
「ソフィア姫様。今回の戦闘の目的は、准将と積み荷を守り切る事にあります。無理な突出はなさいませんよう」
 ソフィアを案じ、冷静に戦況を分析するもの。
「分かってるわ。あたし達はここで、敵の攻撃を受け止めればいいのよね?」
 一人で突撃するような愚は犯さない。キングアーツの王族は前線に立つよう武人として育てられるが、同時に軍を統べるものとしての心得も生まれながらにして叩き込まれるのだ。
「左様です。幸い敵も少数のようですから、不利と悟れば撤退するでしょう」
 コトナの言葉に操縦席の中で頷いて、ソフィアは背中の剣を引き抜いた。

 薄紫の大気を引き裂き降り注ぐ雷光の中。
 力強い雄叫びを上げるのは、アームコート用の黒い外套をまとうアーレスの機体だ。雷光の衝撃と熱量に装甲外套が焼け、千切れ……。
「おおおおおおおおおおっ!」
 黒く焼け焦げ千切れたその中から抜け出したのは、目も覚めるような血の色に染め上げられた、獅子の貌。パージされた装甲外套を吹き飛ばすかのように背中のスラスターが猛然と炎を吐き出して、重装の機体は荒野を一直線に加速する。
 幾度となく営倉に入れられ、反抗的どころか不敬な態度を取ってもなお、アーレスが戦場に立ち続けられるのは……ひとえにその勇猛さがあるが故。
「クリムゾン・クロウ隊、総員突撃! あの趣味悪ィ金ぴかと取り巻きどもをぶっ潰す!」
 蘭州出身者達で占められたならず者部隊の専用回線を、力任せの咆哮が満たし……。
 もう一つの戦いは、始まった。

続劇

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