-Back-

3.アヤソフィア・カセドリコス

 キングアーツ王国は、アルファベットのTに似た形をしている。
 二本の線の交差点に当たる場所にあるのが王都。そして下へと向かう線の先に、キングアーツ最大の湖であるイサイアス湖と、南方最大の軍事都市……メガリ・イサイアスがある。
 滅びの原野中央部の開拓拠点となるメガリ・エクリシアは、下方に伸びる線のさらに先だ。
「あれが、新型の輸送用アームコート?」
 テラスの上。イサイアスの城門をくぐる鋼の異形の群れを、興味津々といった面持ちで見下ろしているのは、金の髪を伸ばした小柄な少女だ。
 見慣れた百足型の輸送専用機にエスコートされるかの如く歩みを進める大きな姿は、先日王都を出立した、あの蜘蛛型アームコートであった。
「そうらしいよ、姫様」
 そんな彼女の傍らで頷くのは、穏やかな笑みを浮かべた青年……セタである。
「……ちょっと出迎えに行ってくるね!」
 やがて眺めているだけでは我慢出来なくなったのだろう。精緻な彫刻の施された椅子からひょいと飛び降りて、ソフィアは階下のハンガーへと走り出す。
「お茶はもう良いのかい?」
「残りはセタが飲んどいてー!」
 すぐに聞こえなくなったぱたぱたという足音に小さく微笑み、セタも残りのお茶を静かに飲み干した。
「そうだね。……今度はもっと上手にやらないとね」
 かちゃりと僅かに食器の音を立て、セタも静かにその場を立ち上がる。


 駐機された大蜘蛛の顎門からゆっくりと姿を見せたのは、車椅子に腰掛けた仮面の美女であった。仮面の中央に備えられた一つ目のカメラアイがわずかなモーター音を立ててピントを合わせれば、仮面から覗く美女の口元が破顔する。
「お懐かしゅうございます。姫様」
「プレセア、久しぶり!」
 車椅子ごと抱きしめる勢いで飛びついてきた小さな影を受け止めながら、プレセアは車椅子に繋がっていた蜘蛛型アームコートの制御ケーブルのリンクをひとつひとつ解除していく。
「イクス准将。ニーバッシャー隊、駐機完了しました。後の指示はシュミットバウアー中佐と、出迎えのウィンズ大尉にお任せしています」
「向こうは、今日はもう解散させるってよ……っと」
 輸送機隊の報告に来たコトナとエレだったが、プレセアと話をしている少女の姿を目にしてさすがに僅かに身を正す。新聞や報告書の写真でその姿は何度も目にしていたものの、さすがに本物を前にするのは初めてだったからだ。
「コトナ、エレ、ご挨拶を。姫様の御前ですわよ」
「はい。自分は、王都第三戦技教導隊所属、コトナ・日明曹長です。メガリ・エクリシアでは、姫様の隊で部隊補佐を務めさせて頂きます」
 コトナの挨拶を受け、プレセアにしがみついていたソフィアも立ち上がり、すいと姿勢を伸ばす。
「アヤソフィア・カセドリコス少佐と申します。まだ経験も浅い若輩者ですが、以後、お引き立ての程よろしくお願いいたします」  軍務経験も長いのだろう。コトナに敬礼を返す様も慣れたものである。
 先程まではごく普通の女の子にしか見えなかった彼女だが、今の顔は間違いなく、キングアーツ第一王女の……そして軍人としてのそれであった。
「エレオノーラ・ソイニンヴァーラだ。王都でテストパイロットをやってた。ま、宜しく頼まぁ」
「エレ。流石にその物言いは失礼ですよ」
 目上の相手に挨拶が遅れた上に、これである。
 けれどソフィアはそんなエレの様子を咎めるでもなく、人なつっこい微笑みを浮かべるだけだ。
「堅苦しいのは苦手だから気にしないで。あたしの事もソフィアでいいからね。エレオノーラも、エレって呼んでいい?」
「おう。アタシもソフィア隊に配属になるみてぇだから、今後とも宜しく、だな」
「まあ、私もその方が楽ですので……ソフィア姫様」
 とはいえ、流石に呼び捨ては不敬に過ぎるだろう。そんなコトナの気持ちを知ってか知らずか、ソフィアはにこにこと微笑んでいるだけだ。
「では、今日はひとまずここで解散にしましょう。コトナはカイトベイ殿下に到着のご挨拶をするから、車椅子を押してもらえますか?」
 プレセアの車椅子は自走式で、本来なら押し手は必要ないはず。そこをあえて押し手を求めるというのは、何らかの意図があっての事だろう。
 いくらフランクとはいえ案内役で王族のソフィアに押させるわけにはいかないし、エレでは作法に問題がありすぎる。消去法でコトナという事も、理解できないでもない。
「待っている間、車椅子に寄りかかっていて良いのでしたら」
 頷くプレセアの後ろに寄りかかれば、頑強な車椅子はコトナの小さな身体をそっと受け止めてくれるのだった。

 技術大国であるキングアーツの空は、暗い。それは技術の発展に比べて環境問題という点に思考が及んでいないからでもあるが……それが人体に及ぼす影響を全く別の手段で解決した彼らにとっては、煤煙混じりの空は懐かしいとさえ言えるものだ。
「そうか……。やはり、偶然の一致とは思えんな」
 そんな空を見上げながら、アーデルベルトは酒杯を僅かに傾け、小さく唸り声を上げてみせる。
 翼を持った少女の夢。
 それはセタに笑われるどころか、同じ夢を見たとさえ伝えられていた。自身の視点での箇所はともかくとして、少女の視点による記憶にはほとんど違いはなかったのだ。
「他には何か分からんか? セタ」
 だが、さらに問いを求めたアーデルベルトに、やはり酒杯を傾けていたセタは穏やかに微笑んでみせるだけ。
「僕だって何でも知っているわけではないよ。人より……ほんの少しだけ、色々なものを見知っているだけさ」
「ならば聞き方を変えよう。……この先、どうするべきだと思う」
 あの夢の通り、アーデルベルトとセタはメガリ・イサイアスで合流した。このままメガリ・エクリシアに向かい、同じ歴史を繰り返して良い物か否か。
「風は吹くままに流れるだけさ」
 山岳の清浄な空気の中に暮らし、風を読む事に長けていた部族出身の彼である。流れに身を任せるというその考えは、アーデルベルトにとっては理解は出来ても……今の話題でのそれは、飲み込む事にはいささか難しい言葉でもあった。
「けれど、僕達という新しい風が入った意味は……必ずあるはずだよ」
 そんな話をしていた男達に元に現われたのは、あまりにも軽装過ぎる眼帯の女である。服よりも明らかに肌色の面積が多い彼女は……。
「おう、こんな所にいた!」
 エレであった。
「ソイニンヴァーラ軍曹! ここは下士官は立ち入り禁止だぞ」
 いくら夢とは言え、王族が死んだり、戦が起こったりとキナ臭い話題の続く話である。誰が何処で聞き耳を立てているか分からない酒場で話すのは論外だからと、あえて人の少ないこの士官専用の休憩室……それもあえて固有名詞は差し挟まずに、話をしていたのだが……。
「プレセアがいねぇんだから仕方ねえだろ。外出許可もらったらすぐに出るっつの」
 どうやらプレセアはまだメガリ・イサイアスの責任者との会談が続いているらしい。イサイアスを治める第三王子は、他の王族と同じく、そう気難しい人物ではなかったはずだが……。
「分かった。イクス准将には伝えておく」
「ありがとよ。……そうだ、色男さん」
 待望の許可も降り、居心地の悪い広間を颯爽と後にしようとしたエレだが……突如くるりと振り向いて呼び止めたのは、二人のやり取りを見守っていたセタであった。
「この辺で、イイ店知らねえか? コレの」
 小指を上げて下卑た笑みを浮かべるエレに、アーデルベルトは思わず声を上げそうになるが、それを押し留めたのは先に開かれた青年の口である。
「そうだな……二十三番街に『月の大樹』という店がある。フェムトという女の子に僕の名前を出せば、良くしてくれると思うよ」
「おまえ………!」
 セタとて男で、木石というわけではない。アーデルベルトと違って独り身の身軽な身分でもある。
「……別に僕が行って悪いわけではないだろう?」
 ……けれどそれでもアーデルベルトが思わず息を呑んだのは、今までの長い付き合いで、そんな店に出入りしている話など一度も聞いた事がなかったからだ。
 もちろんそれが悪いというわけではない……むしろ、男としては健全だとは思うのだが……。
「フェムトだな、ありがとよ。……あんたらも行くか?」
「俺は妻子持ちだ!」
 ニヤリと笑いながら問いかけるエレに、アーデルベルトは思わず左手の薬指に組み込まれた指輪を突き出して見せるのだった。


 メガリ・イサイアスの執務室に続く長い廊下を歩くのは、車椅子を押す少女達である。
「やっと終わった……」
「申し訳ありません、姫様。家業の事になるとつい……」
 プレセア達の到着の挨拶そのものは、ものの十分ほどで終わっていた。しかしここまで長引いたのは、このメガリで新たに発注を考えている備品について……即ち、プレセアの家業に関わる話……をプレセアが話題にしたためだった。
「それはいいけど、コトナは大丈夫?」
 車椅子を押すコトナの足は、左右で歩幅が僅かに違う。それは左右の足の一部……それも全く違う場所のみを義体化しているため、全身のバランスが崩れているからなのだという。
「車椅子にもたれていましたので、何とか」
 今も半ば自走する車椅子に重心を掛けているため、普通に歩くよりはいくらかマシだったが、それでも不自由な事には変わりない。
「だったら全部義体にすれば良いのに」
 ソフィア自身もそうだが、全身を義体化する事はキングアーツにおいてさして珍しいものではない。それは軍人だけでなく、民間の間でも同じ事だ。
「ちょっとしたこだわり、というやつですよ」
「ちょっとした……?」
 傍らの姫君と、車椅子と。
 身体の大半を義体に置き換えた二人の視線を向けられて、コトナは僅かに口をつぐんでいたが……やがて、ぽつりと言葉を紡ぐ。
「……自分の子供くらい、だっこしてみたいじゃないですか」
「別に子供なら、全身義体でも……」
 全身義体といえど、身体の全てを完全に義体に置き換えられるわけではない。いまだ複製技術のない脳を筆頭に、消化器系や生殖器などは、全身を義体化した場合もそのまま義体の内に納められる事がほとんどだ。
 故に全身義体となったソフィアも、いずれは自身の子を産み、育てる事は出来るはずだった。
「私の場合、駄目なんだそうです」
 だが、キングアーツの義体技術も万能ではない。体質的な問題や他の様々な理由で、それが出来ない事もごく希にある。
「後で後悔するよりは、ギリギリまでは粘ってみようかと。……別に格好良いものではありませんし、予定も未定ではありますが」
「ううん。素敵だと思う。私だって自分の赤ちゃん、欲しいもの」
 自嘲気味に呟かれたその言葉を笑われるどころか、あっさりと受け入れられた事に僅かな驚きを感じながら、コトナは小さく頭を下げてみせる。
(ソフィア姫様にも、いずれはご自身の赤ちゃんを抱かせてあげたいですね……)
 そんな彼女の脳裏に浮かぶのは、先日見た夢のことだ。
 彼女達のこれから先の物語が紡がれたその夢の中で、ソフィアはそんな多くの夢を半ばにして、想いを断たれる事になる。
 今の流れは、ほぼその時と同じ流れ。このまま進んでしまえば、彼女はやはり同じ道を選んでしまうのだろうか。
「あーあ。もっと時間があれば、コトナを湖や街の色んな所に連れて行けるのに」
 コトナの思いを知るよしもなく、ソフィアが考えているのは別のこと。
 メガリ・イサイアスの周辺は王都にはない自然も多く、一部は観光地として解放されてもいる。案内したい気持ちは山々だが、出発が明日の朝ではそういうわけにもいかない。
「姫様。でしたら、『月の大樹』などはいかがですの?」
「そっか。二十三番街ならそんなに遠くないし……」
「……どちらですか?」
 コトナが前線に立っていたのは東部戦線だったから、南部のイサイアスの地理には明るくない。
「セタとよく行くカフェなんだよ。プレセアは前に行った事あるよね?」
「ええ。あそこのスコーン、絶品でしたもの」
 夢の中でソフィア達がコトナを連れていった店は、初めて入るもっと近い店だった。しかしパサパサのパイと熱すぎる紅茶で嫌な思いをするよりは、そこより少し遠くても、美味しい物が食べたいのが人情だ。
 心の中でそう言い訳して、プレセアは仮面の下に覗いた口で、穏やかに微笑んでみせるのだった。

続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai