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 薄紫の荒野に振り下ろされたのは、分厚い作りの片刃の刃。それと交差するのは、固く握られた鋼の拳だ。
 袈裟懸けに打ち込まれたそれは分厚い装甲の中程までを切り裂いていたが、致命傷というわけではない。痛覚遮断時特有の奇妙な違和感を肩口に感じながらも、構わず打ち込んだ拳を捻り上げる。
 無理な駆動に漆黒の装甲へさらに刃が食い込み、内部機構が悲鳴を上げるが、女はそれを厭う事すらもない。
 感覚の残る右半身から、ぎり、と伝わるのは、目の前の異形……人と虎を掛け合わせたような魔物……の臓腑を抉る拳の感触だ。
 手応えは、あった。
 如何にそいつが人ならぬ魔の存在といえど、この一撃で倒れぬはずがない。紅く染まった拳をずるりと引き抜けば、そいつはゆっくりと崩れ落ち…………。
「…………な」
 ……は、しなかった。
 魔物達の撤退を助けるかの如く、まるで殿を務めるかのようにその場に残った人虎の魔物は、黒鉄の拳に胴の中央を打ち抜かれ、今なおその場に立ち続けていた。
 ぎろりと見開かれた瞳は、未だ強い意志の炎を燃やし続けているかのように。
 大振りの刀を握る両拳は、譲れなかったものを護るかのように。
「生き残ったのは………。生き残ったのは、私……だ」
 白い人虎と対峙した黒い機体の中。生き残った側から漏れるのは、そんな呟き。
 そうだ。これは正々堂々の勝負などではないし、ましてや競技場でもないのだ。
 戦場。
 力が全てを支配する、殺し合いの庭だ。たった一つのシンプルなルールは、生き残った者が勝者で、死んだ者が敗者ということ。
 それが唯一絶対のルールである……はずなのに。
 既に動く事のない死したる人虎は、未だその場に堂々と立ち……人ならぬその表情は、勝者であるはずの黒鉄の闘士に自らの勝利を告げているかのようですらあった。
「あ……ああ……………っ」
 そこに見える表情と……そこから伝わる感情は、黒鉄の闘士の駆り手には丸々欠落したもので。
 既に息絶えたはずの人虎の瞳は、その全てを見透かしているかのようで。
「ああああああああああああああああああああああっ!」
 悲鳴とも咆哮ともつかぬ絶叫と共に、黒鉄の闘士は……その本来の得物である大鎌を、動かない人虎に向けて力任せに振りかざした。


「はぁ、はぁ、はぁ…………」
 目を覚ましたのは、まだ夜明け前の世界である。
「夢……か」
 辺りには、滅びの原野の薄紫の風は存在しない。備え付けのカーテンの向こうには、いつもの煤煙に包まれた薄暗い空があるはずだった。
「嫌な……夢だ」
 もう何度見ただろう。
 既にひと月以上前になるだろうか。あの、魔物どもを一気呵成に追い散らした戦いで……唯一残った魔物と拳を交えた事を思い出す夢は。
「まるで……あの時の夢、みたいな…………」
 彼女が思い出すのは、もう一つの夢。
 この世界の行く末と、不幸な結末を描いた……一笑に付すにしか値しないはずの、夢。
 けれどそれを笑う事が出来ずにいるのは……。

 彼女の持つほんの僅か、アームコートの中で目覚めてからの数年分しかない記憶の中に、夢を見たという記憶がその二つしかなかったからだ。





第1話 『巻き戻った世界』
−キングアーツ編−




1.王都にて見る夢

 薄い紗のカーテンから差し込むのは、淡くぼやけた王都特有の陽の光。その中でゆっくりと身を起こすのは、美しく長い黒髪を広いベッドに散らした美女である。
「おはようございます、プレセアお嬢さま」
 傍らから掛けられた声に、美女は何の反応も示さない。
 老執事はおお、と呟き、傍らに置いてあった仮面をそっと取り上げた。
「おはようございます、お嬢さま」
 頭から目元までを覆う仮面を身に付けられたプレセアは、仮面の中央……瞳の位置にある単眼のカメラアイを執事に向け、ようやく穏やかに微笑んでみせる。
「おはよう。今日はあの日ですわね?」
 幼い頃から共に過ごしてきた老執事だ。半裸に近い姿を晒していても、何の感慨を抱く事もない。
 それに、今日はそれよりも大事な事がある。
「西部にて、大規模な蝗害が発生いたしました。……お嬢さまの予想通りに」
 そう。
 予想通り、なのだ。
 あの日見た夢では今日この日、蝗害による穀物相場の暴落で、プレセアの属する商会は大幅な損害を強いられた。
 ……けれど。
「被害は?」
「ご指示通り、王都で開発されていた新型の殺虫剤を大量に持ち込んでいます。我がイクス商会の損害は最小限。いえ、同時に立ち上げた殺虫剤の独占販売事業で大幅な利益と新たな販路が………」
 そう言いかけて、白髪の老執事は言葉を止める。
「何か不手際でもございましたか?」
 仮面の下の美女の口元は、その報告を喜んではいないように見えたからだ。
「いいえ。それより、着替えるのを手伝って頂戴」
 女性一人には持て余すほどに大きなベッドから身を下ろし、脇に置かれた車椅子にその身を預ける。
「いよいよ今日からですな。イクス准将閣下」
「ええ。これからが本番ですわ」
 今までは、夢で見た通りに物事を進めてきた。
 けれどここからは違う。
 先の展開の分かる、退屈なゲームではない。
 本当の戦いは、これからなのだ。


 周囲を囲むのは、鉄色の防壁。
 分厚い防音設備を兼ねた王都の一室は、ある意味監獄のようにさえ見える。しかしその本質は、全てを閉じ込める監獄とは最も対極に位置する施設である。
「そうか。いよいよ今日が出立か」
 ガラス製の画面に映し出されているのは、穏やかな表情を浮かべた青年だ。王都からはるか離れた南方の地、メガリ・イサイアスにいるはずの彼の画像情報が、古より復元された技術を使ってこの通信室に再現されているのである。
「ああ。またしばらく、子供達には会えずじまいだ。インバネッサからようやく戻って来られたと思ったら……すぐこれだ」
 そしてそんな画面を見て苦笑いを浮かべるのは、軍人という言葉をそのまま体現したかのような、精悍な青年将校だった。
「アーデルベルト君達がこちらに着くまで……だいたい三日ほどかな」
 画面の向こうの青年がちらりと余所見をしているのは、壁に張り出された地図でも確かめているからだろう。
「ああ。それまでにセタも出立の支度を済ませておいてくれ。それと……」
 話すべきか、話さざるべきか。
 セタは長い付き合い……それこそ士官学校にいた頃からの旧友ではあるが、果たしてこんな突拍子もない話を受け入れてくれるのだろうか。
 アーデルベルトはそれを一瞬、迷い……。
「プレセアさんに階級を抜かれた事を気にしているのかい?」
「同期の昇進はちゃんと喜ぶさ」
 本人は金で買った地位と笑っていたが、アーデルベルトが見る限り、能力的にけっして釣り合っていないわけではない。羨む気持ちもあるにはあるが、それを表に出すほど男は子供でもない。
「そうか。翼の少女のおとぎ話なら、いつでも聞かせてもらいたいね」
 だが、セタのさらりと続けた言葉に、思わず息を飲んだ。
「……どうしてそれを」
 男の問いに、セタはいつもと変わらぬ……それこそ、士官学校で初めて会った時から何一つ変わらぬ笑みを浮かべるだけ。
「とはいえ、詳しい話は会った時に酒でも呑みながらしたいかな。これから姫様の荷物の片付けを手伝う約束をしているんだ」
 その笑みを映したまま……。
 通信装置の主画面はその役割を終え、静かな闇に覆われるのだった。


 キングアーツは、古代より連綿と受け継がれた超技術を主幹と成す、軍事工業国家である。何人をも拒む薄紫の世界を突き進む巨大歩兵も、人体の一部を人工物に置き換える術も、全てはこの国に残された古代の遺産をもとに発展させたものだ。
 それが故に巨大工廠や研究機関の類は、王都のどこででも目にする事が出来た。
「これがエレの乗る新型機ですか?」
 そんな巨大工廠の一つで少女が見上げていたのは、巨大な蜘蛛である。
 大きさは十メートルほどもあるだろうか。駆動ブロックから直接突き出た四対の脚と、そこから後方へと伸びる巨大な貨物室。さすがにアームコート輸送用の多足型アームコートに比べれば積載量は知れたものだが、それでもペイロードを合わせたサイズは並のアームコートよりははるかに大きい。
 その鋼鉄の蜘蛛が、出発直前の荷物の搬入を受けているのだ。
「ちげぇよ、コトナ」
 そしてその問いを否定したのは、コトナよりもはるかに大柄な、眼帯の女だった。
「コイツは何とかって商人持ち込みの輸送機だ。アタシの機体はもうとっくに向こうに積み込んじまったって」
 彼女たちがこれから向かうのは、薄紫の空気に覆われた禁断の地。故に輸送用アームコートのカーゴスペースにも外気を防ぐ装甲が厳重に施されており、外からどんな機体が載っているかを確かめる事は出来ない。
「ですが、何に乗るのです? 私はガーディアンをそのまま持って行きますが……ガルバインタイプの新型は、設計段階から見直しになったと聞きましたよ?」
 コトナの所属していた教導隊は戦技教導隊ではあるものの、その性質上試験機のテストパイロットを任される事も少なくない。故に、各種の機体開発の状況や、エレ達専任テストパイロットとの交流もそれなりにあるのだが……。
「ああ、赤山羊ですか?」
 そういえば、つい先日ロールアウトしたばかりの新型機があった事を思い出す。普段は通称ばかりで呼んでいたから、正式名称は咄嗟には出てこなかったけれど。 
「赤山羊はもう乗り手が決まってんだよ」
 エレの豊かな腰にもたれかかるコトナを満足そうに抱き寄せながら、女はお世辞にも品が有るとは言えない笑みを浮かべてみせる。
「知りてぇなら、ベッドの中でゆっくり聞かせてやってもいいけど……?」
「……ベッドは話すところではなく、寝る所だと思っていましたが?」
 だが、そんなエレの誘いをするりと抜け出し、コトナは隣のハンガーへと歩き出す。ひょこひょこという左右の歩幅が均等でない歩き方は、左右の足のバランスが取れていない事を暗に示すものだ。
「メガリ・エクリシアでは同じ隊になるでしょうから、教練の時にでも見せてもらいますよ」
 そう。
 彼女たちもまた、メガリ・エクリシアへの増援として選抜されたアームコート着用者の一員だったのだ。

続劇

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