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 薄紫の世界に閃くのは、銀の輝き。
 その源は、九尾の白狐の噛み構えた、白刃の放つ煌めきだ。
 四本の脚で薄紫の大地を踏み、鋭く光る金の瞳が見据えるのは……正面に立つ、隻腕の騎士。
 最初からの隻腕ではない。
 灰色の騎士が隻腕となったのは、今この瞬間だ。
 故に、轟くのは音。
 薄紫の大地を揺らし、辺りに衝撃を響かせたのは……斬り飛ばされたばかりの巨大な腕の落下音である。そしてその轟音こそが、怪物と騎士、それ以外に一切の比較物のないこの薄紫の荒野で、この二つが人の大きさをはるかに凌ぐ巨大な存在である事を示していた。
 けれど、左腕を切り飛ばされてなお、灰色の巨人騎士は揺るがない。切断面から血の一滴も流さず、痛みさえ感じていないかのように、残された右手で剣を構え、九尾の白狐を見据えたままだ。

 そこは、戦場であった。

 片腕を飛ばされた灰色の巨人騎士だけではない。
 白鞘の刃を噛み構えた、九尾の白狐だけでもない。

 全身鎧の青い騎士、巨大な腕を持つ赤い歩兵、斧を構えた鉄色のもの、弓を掲げた鈍色のもの。
 人を押し潰し太らせたような怪物、大金槌を提げた獣の頭を持つ異形、蜘蛛に似たもの、鳥に似たもの。

 巨人と異形が刃を交える、薄紫の荒野。

 やがて灰色の騎士の危機を察したのだろう。数体の巨人が隻腕の巨人と九尾の白狐の間に割り込み、灰色の騎士を北へと撤退させていく。
 その状況に自身の優勢が揺らいだ事を察したのだろう。九尾の白狐も巨人達の包囲が完成するより早く、その優雅な尻尾を揺らし、南へと走り出した。





第0回 dal segno → segno




 辺りを深く覆うのは、琥珀色の霧。
 薄紫の空気を遮る防壁の役割を持つ霧の中を駆けるのは、九尾の白狐である。既に噛み構えていた白鞘の刃は背中のハーネスに結わえ付けられていた鞘に収められており、走る邪魔になってはいない。
 やがて深い霧の中、幾つもの木々が見えてくる。
 四つ足で駆ける白狐はそれら無数の障害など存在もしていないかのように悠々と避け、そのスピードを緩めない。
 そして。
 琥珀色の霧を抜けた先に広がっているのは、幾つもの巨大な木々と、その隙を埋めるようにして建てられた集落であった。
 集落に延びる道を駆け抜け、白狐は集落の直前でようやくスピードを落とす。木で作られた家々に比べれば桁外れに大きな白狐だ。森の間を抜けていた時のままの勢いで集落を駆け抜ければ、その風圧だけで家々は木の葉のように飛び散ってしまっただろう。
 手を振る子供達に金の瞳をちらりと向けながら、九尾の白狐が辿り着いたのは、巨大な白狐よりもはるかに大きな御殿であった。
 小走りほどのスピードで開け放たれた城門を抜け、迷う気配もなく屋敷の脇に設えられた巨大な厩舎へと。
「お帰りなさいませ、姫様」
 そんな厩の一角。
 定位置らしき場所に辿り着き、ゆったりと身をうずくまらせた九尾の白狐に掛けられたのは、一人の青年の声であった。
「報告は既に届いています。灰色の巨人を撃退なされたとか」
 黒豹の脚を持つ青年に応えるように、九尾の白狐の首筋から姿を見せたのは、一人の少女である。
 首辺りでまっすぐに切り揃えられた黒い髪と、頭の上に生えた狐の耳。そして後ろに優雅に伸びた、狐の尻尾。
「……仕留めきれませんでした、ロッセ」
 眠りに就いたらしき九尾の白狐の背中から身軽に飛び降りながら、姫と呼ばれた少女は申し訳なさそうに青年へと声を投げかける。
「巨人どもに痛手を与えた事に違いはありません。苦戦続きの我らとしては、ひとまずは朗報でしょう」
 けれど少女は、ロッセのその言葉にも表情を晴らす事はない。
「そう……ですね」
 人の住む事を拒む紫の荒野……滅びの原野の開拓部隊としてやってきた彼女達の前に突如として現われた謎の敵『巨人』。古代より伝えられた負の遺産とも目されるそいつらを前に、少女達は苦戦を強いられていた。
「ですが、もうすぐ本国から増援も来ます。私の神獣も、同じ便で来ると連絡がありました」
 彼女達が巨人達に抗うための術は、たったひとつ。
 彼女の駆る、九尾の白狐。
 そして、白狐に遅れてようやく厩舎へと戻ってきた、人や獣、蟲や鳥に似た巨大な異形の群れ……神獣達だ。
「ズルワーンはまだ当分掛かると聞いていましたが……完成したのですか?」
「主機以外は完成していましたから、さしむき主機は封印状態で使います。……今はとにかく、戦力が欲しい」
 一足先に戻ってきた九尾の白狐と同じように、異形の群れ達も各々の定位置に腰を据え、その内から駆り手たる兵士達を吐き出している。
「そうですね……。私が不甲斐ないばかりに、苦労を掛けます」
 そんな少女の視線の先にあるのは、戻ってきた神獣達ではなく……厩の中に最初からいた、鳥に似た二体の異形達だ。
「増援の中に、ヒメロパとテルクシエペイアを駆れる駆り手も、いればいいのですが……」
 鷲の翼を持つものと、瑠璃色の翼を持つそいつら。
 この前線基地が出来て以来、一度も主を得た事のない二頭の鳥形神獣を眺めながら、狐耳の姫君は小さくため息をひとつ。
「そうですね……」
 そのため息に応じる青年も、二頭の異形を見据えたまま、それ以上の言葉を紡ぐことはない。

 灰色の空の下。
「……ライラプスは暫くは使えないね、アレク」
 石造りの城塞のバルコニーで呟くのは、銀色の髪の青年である。
 彼らの眼下、巨大な工廠の隅に立つのは、先日の戦いで片腕を失った灰色の騎士・ライラプス。
 九尾の白狐に斬り飛ばされた左腕も回収されてはいたが、内部構造にまで大きなダメージを受けていたそれは、補修用の部品が届くまで応急修理も出来ずにそのままにされていた。
「補修部品、次の定期便で来るの?」
 その言葉に応えるのは、アレクと呼ばれた黒髪の青年だ。
「ああ。それまでの辛抱とはいえ……。くそっ、『九本尻尾』め」
「しばらくは魔物どもの動きが大人しい事を祈るのみか……」
 人の住む事を拒む紫の荒野……滅びの原野の開拓部隊としてやってきた彼らの前に突如として現われた謎の敵『魔物』。正体不明の異形のそいつらを前に、青年達は苦戦を強いられていた。
「その便で増援も来るんだっけ?」
 この大陸で初めての、人ならざる存在との戦いである。
 先日行われた王族だけが参加出来る会議で、各地から応援となる戦力が来る算段にはなっていたが……。
「どこまで使えるか分からんがな。各地の主力に新兵が何人かと……イサイアスからは、ソフィアが来るそうだ。環も覚えているだろう?」
 アレクの言葉に、環はわずかに眉をひそめ……。やがて思い至ったのだろう。ひそめた眉を元へと戻す。
「アレクの妹殿下……そうか、もう軍に入る歳だったんだな。メイドの募集も掛けておいた方がいいかい?」
「あれも軍に入った以上、王族ではないよ。そこまで甘やかさなくていいぞ」
 彼らの王国は、鉄と油に彩られた軍事国家である。アレク達王族といえど……いや、王族だからこそ、軍の先頭に立って指揮を取る事が求められる。
 故にアレクも灰色の騎士を駆り、魔物達との戦いの最前線へと赴いているのだ。
「それでも王族だろう。……こっちにも色々あるんだよ。元老院もうるさいし」
「そうか……。まあ、そこは任せる」
 そしてそれから数日の後、彼らの暮す前線基地の市街地に、王女付きメイド募集の張り紙が掲示される事になる。

 青い空の下に広がるのは、長く伸ばされた金の髪。
「あたしが、メガリ・エクリシアに?」
 大理石で作られた広いバルコニー。差し出されたお茶をひと口だけ口にして、少女は小さく首を傾げてみせた。
 メガリ・エクリシアはこの開拓基地のはるか南、滅びの原野の奥にある最前線の開拓基地だ。彼女達の王国の中でも最も新しく建てられたそこは、今は彼女の兄である第二王子が指揮を執っているはずだった。
「はい。ソフィアも噂くらいは聞いているでしょう? エクリシアが、巨大な魔物どもを相手に苦戦していると」
 眼鏡を掛けた青年に、ソフィアは小さくうなりを上げてみせる。
「報告書は読んだけど……そんな魔物なんて、ホントにいるの? カイト兄様」
 彼女達の操る鋼の騎士と同じほどの大きさを持つ、人や獣に似た姿をした異形の群れ。
 軍の正式な報告書でなければ、酒飲みの与太話にしか出てこないようなそれが……最前線の開拓基地の、目下最大の障害なのだという。
「少なくない被害が出ているらしいですよ。先日、アレク兄さんのライラプスも手傷を負わされたとか」
「アレク兄様が?」
 第二王子は最前線の開拓基地の指揮を任されるだけあり、武術の腕前も相当なものだったはず。異形の群れ達は、そのアレクでさえ及ばぬ相手だというのか。
「ソフィアの実力なら大丈夫だと思って推薦しましたが、どうしますか?」
 だが、金髪の少女もこの王国最大級の開拓基地では屈指の実力者。アームコートと呼ばれる鋼の騎士を駆る腕前に限って言えば、兄王子であるアレクにも決して劣るものではない。
「ええ。任せて!」
 呟き、バルコニーから見下ろすのははるか下の工廠だ。
 その中央で整備を受けているのは、鋼の騎士……アームコート。
 黒い鎧に、縁を彩る鈍い金の輝き。大型の盾と、片手で扱うには大きく、両手で持つには少し小ぶりな大きさを持つ長剣を備えている。
「ハギア・ソピアーもきっと戦いたいと思ってるもの。あたし……行くわ!」
 頼もしい自分の相棒の名を呼び、ソフィアは兄王子の言葉に元気よくそう答えてみせるのだった。

続劇

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