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 灰色の煤煙に煙る街。
「同盟……? 魔物と!?」
 その空を望める執務室に漏れたのは、驚きの声。
「魔物じゃないよ。神揚のみんなだよ」
 そんな青年の声を大きすぎる執務机について受け止めたのは、金髪の少女である。
「あたしの、メガリ・エクリシアの長としての最初の仕事」
 ソフィアから告げられた魔物の正体……アレクや多くの兵達を殺した相手の正体は、まさに驚くべきものだった。
「話せば分かる相手だったんだよ。もう兄様みたいな犠牲者は出さないで、ちゃんと話し合うんだ」
 そして少女は、その相手と不可侵の同盟を結ぶという。
「けど、アレクの仇は……!」
 既に報復の総攻撃の用意は整っているのだ。
 その振り上げた拳を、殴られて殴り返すために構えた拳を……何もせずに下ろせと言うのか、この少女は。
「協力して、くれるよね? 環」
 だが。
 呟く少女の拳も、固く握られたまま震えていた。
 同じなのだ。
 振り上げた拳の下ろす先を探せずにいるのは。
「……アレク兄様も……万里と戦いたくなんてなかったはずだよ。兄様なら……っ」
 親友が目指した場所は、青年も理解していた。
 だから、その遺志を……妹姫がしっかりと受け継いでいる事を内心嬉しく思いながらも……青年は執務机の前で静かに拳を握りしめたまま。
「…………」
 やがて。
 環は、小さく長いため息を吐き。
「…………ああ。そうだったな」


 琥珀色の霧に包まれた街。
「巨人と同盟ですか」
 清浄の地から戻ってきた少女に告げられた言葉に、黒豹の脚を持つ青年は静かに息を吐く。
「巨人ではありませんよ。キングアーツの皆さんです」
 厩舎へと収められた九尾の白狐を静かに見上げ、凜と言葉を放つのは狐耳の姫君である。
「古の巨人などいませんでした。かつての遺恨はありますが……。例え敵対関係にあったとしても、必要とあらば同盟を結ぶのは、神揚皇家の伝統のはず」
 それは、神揚の事を少しでも知っていれば幾らでも出てくる前例だ。分厚い歴史書を紐解く必要も、皇室の記録を辿る必要すらないほどに、ありふれた前例。
「協力してくれますね、ロッセ。神揚の為に」
 主の言葉に、青年が一瞬視線を向けるのは……白狐の収められた厩から少し離れた、大きめの厩。
 そこで静かに翼を休めるのは、瑠璃色の翼を持つ巨大な神獣である。
 テルクシエペイア。
 青年の視線を向けられた神獣は、それに気付く様子もない。
「ロッセ。頼みます」
 やがて。
 重なる万里の言葉に、ロッセはようやく主へと視線を戻し……。
「……御意」
 小さく、拱手をしてみせるのだった。





第5回 前編




 灰色の石造りの建物。
 分厚い木の扉を開ければ、吹き込んでくるのは喧噪だ。
「小母さん。こんにちわ」
 辺りの喧噪を気にする様子もなく、入ってきた少女は彼女の背からすれば少々高めのカウンターにひょいと腰を下ろす。
「あら姫様。久しぶり! いつものでいい?」
 カウンターの向こう側にいた年かさの女将は、久方ぶりの客人に皺だらけの顔を綻ばせてみせた。
「聞いたわよ。辺りに出てるっていう魔物の群れ、人間だったんだって?」
 公式の発表があるまでは箝口令が敷かれているはずだったが……人の口に戸は立てられない。内緒だからという前置きの後に続けられるその噂で、既にエクリシアの市街地は持ちきりである。
 そしてその噂は、自然と一つの期待に繋がるものだ。
「姫さん。戦いも終わるって聞いたんだが……ホントかよ?」
 それを証拠に、少女の隣で昼食を食べていた赤ら顔の男もその話に混じってくる。
 魔物は実は人間だった。
 だから話し合いをすることで、この戦いもおしまいになる……と。
「うん。今までは色々誤解があったけど、交渉のきっかけが掴めたからね。この間から、アームコートの大きな出動もないでしょ?」
 スミルナ・エクリシアでの万里との話から、既に半月。
 その間、スミルナよりも北に、偵察レベル以上の魔物の群れが入り込んでくる事は一度としてなかった。もちろん偵察の魔物も偵察以上の挙動は取らなかったし、用事が済めば全て大人しく巣へと引き上げていくものばかり。
 魔物の巣へ補給部隊が到着しているという報告も受けていたが、それに対しても、ソフィアは一度たりとも軍を動かそうとはしなかった。
 そして、その逆も同じ。ソフィアの出した偵察兵も、スミルナより南へ向かっても一度として魔物達の迎撃を受ける事はなかった。
 ……故にこの半月、一度として魔物との戦いも起きておらず、当然ながらそれによる死者も出ていない。
「良かったわ。小母さんの息子も軍に入ってるけど、これでもう戦いに出ないで済むのよね?」
「うん。もう戦いはないから……」
 先日の王族間の通信会議でも、キングアーツの神揚に対する方針は和平路線を取ることに決まっていた。
 単に和平を結ぶというだけなら、和平路線など到底無理だっただろう。多くの貴重なアームコートと騎士達だけでなく、第二王子のアレクサンドまで失ったのだ。そこまでされた相手に一矢も報いる事もなく休戦するなど、キングアーツとしては到底受け入れられるわけがない。
 だが、それでも戦いを止めなければならない。
 必死で語りかけるソフィアの前に、最初は徹底抗戦を唱えていた王や兄王子達も、最終的には「ソフィアに任せる」と言ってくれたのだ。
「その割には浮かない顔じゃないか。姫さん」
 けれど、そんな大事を成し遂げたソフィアの顔は、どこか浮かないもの。
「平和になるんだからいいじゃない」
 不本意であっても、重要なのは結果である。目指す所はソフィアの望み通りになったのだから、途中の望まぬ展開は、少々目を瞑る所だろう。
「それはまあ、そうなんだけど……」
 悩んでいるのはそこではない。
「……ファロス将軍たちは、納得してないみたいで」
 それが、ソフィアの悩みだった。
 多くの兵は、休戦を安堵してくれている。南へ向かう偵察兵も、そんな信頼の置ける兵達の中から選んだものだ。
 けれど……。
 先日の戦いで命を落とした、メガリ・エクリシアの前司令官。アレクサンド王子の復讐戦に息巻く兵達は、ソフィアと万里の結ぼうとしている同盟や今の出撃停止状態に対して、強い不満を抱いているようなのだ。
 その気持ちは、もともと復讐派の筆頭でもあったソフィアにも痛いほどよく分かるものだったが……。
「あいつら、戦うのが仕事だからなぁ。アレク様へのご恩もあるだろうし、基地じゃピリピリしてるかもしれんが……ホントの所は魔物と戦って死なずに済んだとか思ってるんじゃねえのか?」
 そうであって欲しいと、ソフィアも思う。
 けれど軍議でも、将達の多くはアレクの仇討ちを望んでいた。この束の間の休戦期間もいつまで保つかなど分からない、今の間に十分な戦力を整えるべきだ、と。
 アレクが生きていたなら、もっと穏やかに事は進んでいたのだろう。けれどメガリ・エクリシアの指導者たる第二王子はもういない。今はもう、指導者はソフィアである。
 いかに年若く頼りない指導者でも……彼女が力を振り絞らなければ、この戦いを終わらせる事は出来ないのだ。
「ほら、たくさん食べて頑張ってね。あたしらみんな、姫様を応援してるんだから!」
 差し出された大皿と湯気の立つ料理に、ソフィアは弱々しくも微笑みを浮かべてみせる。
「ありがと、小母さん!」


 八達嶺の市場に響くのは、穏やかな祝福の声。
「姫様。おめでとうございます!」
 向けられたのは、久々に市場に顔を出した八達嶺の姫君へ。
「ありがとうございます。ようやく、ここまで来られました」
 八達嶺の市街地でも、巨人達の正体についての話は既に誰もが知る所となっていた。
「この戦も、やっと終わるんですねぇ」
 服屋の店頭に立つ老婆は万里の手を取り、嬉しそうに微笑んでいる。
「これで、補給物資が足りなくなる事もないんですよね?」
「ええ。もう巨人達の襲撃はありませんから。……皆にも、苦労を掛けました」
 黒金の巨人が現われてからは配給すら始まっていた食料の流通も、停戦となり、襲撃が無くなった今は既に本来の豊かな様を取り戻していた。戦闘に直接関わっているわけではない八達嶺の住人にとっては、それだけでも停戦は喜ぶべき所である。
「あたしらの苦労なんて、姫様に比べたら大した事じゃありませんよ」
 万里が市場に姿を見せたのは、もうどれだけぶりになるだろう。
 狭い八達嶺のこと。領内を巡る噂は、流通の集積点となる市場には黙っていても流れ込んでくる。そこに住まう彼女達だから、市場に顔を見せる暇もない万里がどんな立場に立ち、どれだけの苦労を背負い込んでいるかは……手に取るように分かっていた。
「そうそう。気に入った服があったら、遠慮なく持っていってください! ほら! この帽子とかいかがですか?」
 故に、その成果がもうすぐ実を結ぶ事を知った今、若き主を祝福せずにはいられないのだ。
「お気持ちだけ。その代わり、平和になったらこの市ももっと慌ただしくなりますから。神揚のために、力を尽くしてくださいね」
 そうだ。
 平和になれば、開拓は進む。
 交渉が順調に進めば、キングアーツとの交易も始まるだろう。そうなれば、この八達嶺の役割は……殊にこの商業地域が果たすべき役割は、さらに重要なものとなる。
「皇帝様ってのはよく分かんないけど、姫様のためには頑張りますよ。あたしら」
「そうそう。ウチらに任せといてください」
 力強く答えてくれた母子の様子を嬉しく思いながら、万里は服屋を後にする。
「万里」
 そんな万里に声を掛けてきたのは、沙灯だ。
「うん……。これで、みんな平和になるよ」
 服屋の母子だけではない。道を歩けば、終戦を喜び、万里に感謝の声を投げかけてくる者達が数多くいる。
 そんな彼らに小さく手を振り返し、あるいは言葉を返しながら……。
 万里の心は、ここにはない。
「万里……」
「うん。後は、将軍達だけだね」
 憂うのは、いまだ徹底抗戦を唱える将達の事だ。
 もともとキングアーツの巨人達に辛酸を舐めさせられていた八達嶺である。先日のキングアーツとの一大決戦の直後という事もあり、居並ぶ将達は以前にも増して武に長けた……悪く言えば、好戦的な……将達が揃えられていた。
 敵の頭領を倒した勢いに任せて攻めるべし、という意見は、今の八達嶺の主流派の意見なのである。
「……でも、もうアレクの時みたいな想いは、したくないよ」
 狐姫の首から下がる細い鎖を目にし、沙灯は小さく主の名を口にする。
「万里……」
 鎖の先に下がるのは、銀色の小さな指輪だ。
 本当は、その指にはめたいのだろう。だが、神揚の風習が示す指輪の役割を考えれば……それは決して沙灯以外の前ではしてはならないことだった。
「大丈夫よ、沙灯。この指輪が……アレクが、私とソフィアをちゃんと守ってくれるから」
 その視線に気付いたのだろう。
 いまだその笑みにかつての元気が戻らない万里に、沙灯はそれ以上何も言うことが出来ずにいる。


 喧噪に包まれた、メガリ・エクリシアの工廠。
「将軍。整備?」
 大柄な生首の傍らに腰を下ろしたのは、両手両足を鋼で覆った少女だった。
「はっ。今のうちに済ませておけば、存分に戦えますからな」
「もう戦いはないわよ」
 慣れた手つきで肩の付け根から片腕を外し、受け取りに来た整備兵に預けながら……不機嫌そうな表情を浮かべたのは、今度はソフィアのほうだった。
 そんな簡潔なひと言に、将軍は生首のまましばらく黙っていたが……。
「……キングアーツの武人たる姫様のお言葉とは思えませんな」
 やがて呟いたのは、そんなひと言だ。
「姫様は、殿下の仇討ちをお考えでないと、そうおっしゃるか」
「……あたしだってあの『九本尻尾』は許せないわよ」
 それは、紛れもない事実だった。
 だが、万里という少女の事は大好きなのだ。
 大切な友人という気持ちだって、変わらずにある。
 けれど、そんな彼女がアレクを殺したという事もまた事実。
「だけど……それでまた敵を倒したら、今度は向こうが仕返しに来る」
 そしてソフィアが倒されれば、今度はこちらが報復に動くだろう。
 万里の次は沙灯かもしれない。他の有能な将かもしれない。
「それじゃ……ずっと戦いは終わらないよ。それでそのうち、あたしや将軍だって死んじゃうかもしれないんだよ」
「戦場で果てるのは、キングアーツ武門の誇りであります」
 武人として。そして、軍人として。強敵との戦いや、困難な任務の礎となって死ぬ覚悟は、軍に身を置いた時からとうに出来ている。
 問題はそんなものではなく、忠誠を誓うべき主が、人であろうが魔物であろうが、討たれた事に意味があるのだ。
 整備を終えた体に生首を載せてもらい、将軍は静かに立ち上がる。
「姫様はまだお若い。理想を追うのも結構ですが、もう少し将の気持ちも慮って頂きたいものですな」
 まだ片腕を失ったままの少女の頭を軽く撫で、巨漢の将軍はそれきり無言で工廠を去って行く。
「将軍……」
 そんな背中を見送りながら。かつてアレクと三人で話した時にはもっと豪快で快活な男のように思っていたが……あの時の彼と今の彼は別人だったのだろうか、などと思ってしまう。
「お気になさいませんよう、姫様。整備の連中はみんな姫様のこと、応援してますから!」
 合わせて戻ってきたソフィアの片腕を付けるのを手伝ってくれた整備兵の言葉に、ソフィアは弱々しく笑みを浮かべてみせる。
「ありがと、みんな」
「親方達も機嫌が良いんですよ。みんな最近アームコート壊さないから」
「そっか。なら良かった」
 整備兵なりのジョークなのだろう。アームコートを戦場に出る度に壊しては怒られていたソフィアからすれば正直面白いよりも身につまされる話ではあったが、その気持ちだけはありがたく頂いておくことにする。
「俺達で何か力になれる事があればいいんですけど……。将軍達の噂話くらいかなぁ」
 義体やアームコートの整備で、それなりに将達とも接点のある彼らである。先程のソフィアと将軍の雑談のように、内々の話を耳にする事も少なくない。
「ファロス将軍も、環さまも、もっと姫様の力になってさしあげれば良いのに……」
「環?」
 そんな彼の呟きに、ソフィアは思わず耳を疑った。
「抗戦派の方々が、環さまも協力してくれる事になったって……」
「環は平気よ。あたしに力を貸してくれるって、約束してくれたもの」
 彼女がメガリ・エクリシアの司令官となってからも、しっかりと活動の補佐をしてくれている。父王や兄王子の説得に使った策の幾つかも、彼の助言があってこそのもの。
 そんな環がソフィアの敵に回るなど、彼女としては考えられない事だった。
「……だといいんですけど」
「環は大丈夫。それじゃ、良い話があったら、こっそり教えてね」
 不安顔の整備兵に小さく微笑み返してみせて、ソフィアは整備場を後にするのだった。

続劇

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