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起風
-Okoru Kaze-
(その2)



 「よかったの? 本当は物凄く寂しいんじゃないの?」
 ユイカと座長を見送った後、エミィは部屋で荷物の整理をしながら傍らの男にそ
う声を掛ける。
 「フ………。君にしては愚問をするのだな……美しくないぞ?」
 男はそう言うと、そのエミィを背中からゆっくりと抱き竦めた。
 「珍しい……わね…?」
 回された太い腕にそっと頬を寄せ、男と長年連れ添ってきた女性はそう返す。こ
ういう珍しい出来事が、今までに何度あっただろうか? だが、こういう時はどう
いう時か、彼女もよく分かっていた。
 「大丈夫、ユイカなら上手くやるよ。何しろ、僕と君の娘なのだからな」
 「ありがと……」
 彼女が人に見せたくない顔……『泣き顔』を見ないように寄り添っていてくれる
のだ。素直じゃない男の精一杯の心遣いを嬉しく思いながら、エミィは男の腕を涙
で少しずつ濡らしていった。



 「そんなものを掛けた所で…如何にする?」
 ザエルを回頭させつつ、老爺はユイカへと声を掛ける。
 「こうするのよ!」
 それに応じ、ユイカはショートパンツのポケットに入っていた小石をいくつか天
井へと向かって撃ち放った。彼女の知っている数少ない射撃技『打礫(だれき)』
だ。
 ピ…シ………
 焔に焼かれて崩れやすくなっていた天井は、そんなかすかな打撃を受けただけで
……
 「うそ……」
 さすがに崩れなかった。火の回りがユイカが想像していたよりも遅かったらしい。
 「なるほど……。繊剣を油と灰で固め、封じようと思ったか……。よく考えたも
の…だが!」
 老爺はユイカが天井に打礫を放った一瞬を突き、ザエルを近接させていたのだ。
 繰り出されるザエルの拳。
 絶体絶命!
 だが、その瞬間。
 辺りは凄まじい震撃に包まれた。
 そう。
 浮遊大陸エスタンシアが、降下を始めたのだ。



 「やれやれ……仕切り直しとはな…」
 突然の烈震に半ば焼け落ちた家の跡に立ち、老爺は呟く。既に繊剣は灰と油にま
みれ、刃としての機能を失っていた。だが無論、ザエルを操る事に関しては何ら問
題はない。
 からからから………
 軽い音を立て、瓦礫の中から立ち上がるザエル。
 「何とか…命拾いってトコか……ふぅ」
 炎に囲まれているユイカも立ち上がりながら、体に付いた埃を軽くはたいた。
 「髪は洗わないと、きれいになんないか……はぁ」
 後にまとめた三つ編みを一別し、そう愚痴る。ユイカも女の子だ。いつまでも埃
まみれで気分のいいはずが無い。
 しかし、余裕のある態度を見せているとは言え、既に体力の方は限界に近付いて
いた。放てるのはあと、一撃……程度だろう。
 「糸は封じたし、後はあたし次第……か」
 小さくそう呟くと、ユイカはまとっていたマントを外し、そのまま両腕に軽く巻
き付けた。防御力はある程度減るだろうが、ユイカのマントはもともと相手に動き
を悟られないために着ていた物なのだ。防具としての意味合いは軽い。
 「さて……決着を付けようか!」
 構える老爺とザエル。
 構えるユイカ。
 そして、最後の家が焼け落ちた瞬間。
 二人と一体は、動いた。

 少女が跳ぶ。その後を追従するは、しなやかな三つ編み。
 迎撃せんと拳と叩きつける巨人。その軌跡をたどり、鋼鉄の糸が宙を走る。
 飛来した屈強な拳に軽く手を触れ、少女は華麗な宙返りを行なった。舞う体。少
女はしなやかに体を丸め、次なる蹴打への力を蓄める。
 狙うは、操者の老爺。
 その無防備な少女の体に向け、人形の拳の軌跡…刃の糸が襲いかかる。しかし、
その糸に切り裂く力は既にない。鋼線の幾らかは少女の体に触れるが、まとう服の
繊維の欠片をいくらか飛ばす程度にしか過ぎない。
 だが…
 「甘いわ………」
 老爺が懐から取り出したのは、予備の鋼線。ほんの一本のワイヤーだが、無防備
な飛翔をしている相手を倒す事などは造作もない。
 「くっ………」
 容赦なく放たれる鋼線。
 少女もそれを何とか制すべく、マントに覆われた拳を繰り出す。鋼線にたやすく
切り裂かれるであろう、絶望的な…そしてあまりに非力な一撃。
 (諦める……もんかぁっ!)
 しかし。
 奇跡は、起きた。
 マントに宿された紅い光という姿を取って!
 「気……鎧?」
 頭に強く響いた声を、少女は小さな声で反芻した。その間に光の羽衣は迫り来る
鋼鉄の刃をたやすく受けとめ、あっさりと弾き返す。
 だが。
 「や………やり過ぎじゃぞ、ユイカぁっ!」
 「って、あたしにも制御が………!」
 老爺は慌ててユイカと自分の間にザエルを割り込ませる。その動きが今までとは
ケタ外れに迅い事に、ユイカは気付いたのだろうか。
 …どどぉん
 辺りに、もう一度爆音が響き渡った。


 「で、その始末がコレ…なのですか……?」
 少女は、半ば呆れたようなため息を一つついた。
 顔はユイカにそっくりだが、腰まである銀色の髪はユイカのように編まれておら
ず、幾分か長い。それに何より、ユイカには赤く燃え上がる翼など生えてはいない
だろう。
 彼女の名は『朱鳥』。さる事情で誕生した、ユイカの分身のような存在である。
 なお、事情は割愛。
 「『村焼き祭り』っていう珍しい祭りがあったんじゃ……。村一つ丸ごと燃やす
んじゃぞ? 面白そうとは思わんか?」
 老爺の表情は普段の温和な顔つきに戻っている。いたずらが見つかった時の子供
のような表情では…あるが。
 「まあ、それは面白そうね…」
 無感動に返す朱鳥。よっぽど機嫌が悪いのだろう。ちらりと見遣った先には、ユ
イカの最後の一撃で開いた大穴が見える。
 「それにそういうの見たら、『師匠に裏切られた弟子! 真意を問いただす為の
命を懸けた決闘』みたいなシチュエーションが、燃えるぅ! とか、思わない?
朱鳥は…」
 なんて事を言っているのはユイカだ。ちなみにユイカは既に『気鎧』を仕舞って
いる。マントの色も、真紅からもとの薄いパステルイエローに戻っていた。
 「そうかしらぁ? そうは思わないけど…ねぇ」
 朱鳥の声は限りなく冷たい。最初の大地震で『村焼き祭り』どころの騒ぎではな
くなったから不問になっているとは言え、ユイカと老爺のはためーわくなバトルは
村のイベントを十分に台無しにする程度のものだったのだ。
 「儂は面白い思い付きじゃったと思うんじゃがなぁ…」
 もともと芸人畑の老爺の事。きっと嬉々としてユイカの提案に乗ったに違いない。
 「思い付きはまあいいとしましょう……。それで怒っているんじゃないもの」
 そこまで言って居住まいを正す朱鳥。
 「けれど、師弟のじゃれあいで真剣を使うというのは…どうかしらねぇ………。
私はそれで怒っているの。お爺様もあんな暗殺者のような武器まで持ち出さなくて
も…」
 朱鳥は他の二人と違っていくつか魔法を使う事が出来る。だが、治癒の魔法を使
う事は出来ない。怪我人が出てもどうする事も出来ないのだ。
 「戦うからには本気でいかんと……なぁ…ユイカぁ…」
 朱鳥の冷たい視線に、老爺の声もさすがに小さくなっていく。老爺は小さくため
息を吐くと、大穴の方を見遣って口を開いた。
 「ユイカも『覚醒』したし、やる価値はあったと思うんじゃが……。ザエルには
悪かったが…」
 気鎧をまとったユイカの一撃で粉砕されて防火の結界を失ったザエルは、焼け落
ちる家々と共に炎の洗礼を浴び、既に灰となっていたのだ。老爺の手には、『彼』
を操っていた繊剣の切れ端しか残っていなかった。
 「ごめんね……ザエル…。お爺様も…ごめんなさい…」
 ユイカの声も暗い。もともと焼け落ちる運命にあった家屋はともかくとして、流
石にこれは堪えていたのだ。
 「まあ、形あるものはいつか壊れるんじゃ。戦の中で最後が迎えられたんじゃか
らな。戦人形としては悪い最後ではないと思うぞ?」
 それだけ言うと、老爺はユイカの頭をやさしく撫でてやる。普段は子供扱いされ
ると機嫌を悪くするユイカも、今日だけは逆らわなかった。小柄な老人の胸に顔を
埋め、小さく嗚咽を始める。
 「過ぎた力はよう気を付けて使わんとならん。それさえ忘れなければ、ザエルの
奴も浮かばれるよ、きっと」



 『村焼き祭り』から半月。
 老爺とユイカ、そして朱鳥は、広い街道の真ん中に立っていた。
 道は三方向へと続いている。一本は三人が来た道、一本はエスタンシアの中央へ
と続く道、最後の一本は…
 エスタンシアを、降りる道だ。
 「エミィ達ももう降りたって言ってたし、あたし達も早く行かないとね。朱鳥」
 「まあ、そんなに急ぐ必要もないとは思うけれど…ユイカがそう言うのなら急ぐ
のもいいかもね」
 二人が向かうのは、エスタンシアを降りる道。
 だが……
 「それじゃあ、これでお別れじゃの。体に気を付けてな」
 老爺が向かうのは、エスタンシアの中央へと続く道だ。
 「ええ。お爺様も気をつけて」
 「戻った時には遊びに参りますわ」
 二人は老爺と挨拶を交わすと、自分達の選んだ道を進んでいった。
 新しい冒険の旅へと。


 「ふむ……。これで、肩の荷もようやく降りたのう」
 ユイカと朱鳥を見送った後。
 「済まぬな。エミィの事といい今回の事といい、お主には本当に迷惑をかける…」
 それとほぼ同時、老爺の後にわだかまる、『気配』。強大な魔力を持った、強い
存在の気配だ。
 ただ、わだかまる気配のみで姿はない。
 「いえ。ユイカ様は私の孫も同然。久しぶりに楽しい旅をさせてもらい……っ
と、言葉が過ぎましたわい」
 老爺はその現象をさして気にもしていないのか、ごく自然に会話を続ける。
 白日の下に姿を現せない声の主の事はよく知っているので、慣れているのだ。
 「だが、ザエルの件だけは済まなかったな」
 「いえ。暗殺者の駆る人形として何百何千という人間の命を断ってきたのです。
あ奴には相応の…いや、過ぎた最後かも知れませぬ」
 腹話術師の老爺のかつての生業は、暗殺者だ。それも、かなりの腕を持った。
シュミハザ一座を始めたのは引退してからの話である。
 「では、ライの暗殺技もユイカに?」
 「はぁ。基本はともかく、奥義までは伝えるつもりは無かったのですが……」
 老爺がザエルを操っていた技も、ザエルの繰り出した技も、ある一流派の格闘技
だったのだ。
 名を、ライ傀儡殺術。
 全く予備動作を必要としない技や、強力な一撃必殺性を持った技が大量に存在す
る極めて強力な格闘流派である……いや、あった。しかし、いかに強い流派と言え
ど暗殺者の使う流派など、さびれていく運命にしかない。事実この流派を操れる者
は、既に老爺を入れてもこの世界に数人と居ないのだ。
 「あの子達ならば、新しい道を開いてくれるやもしれん……と思いましてな。な
に、年寄の気まぐれですよ」
 老爺は空を仰ぎ、そう呟く。
 「そうだな……。楽しみにしていよう」
 『気配』も、見えぬ空を見上げるようにして、そう呟いた。
 見上げた空は少女達の行く末を示すかのように、どこまでも蒼かった。
第3話に続く
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