-Back-

疾風
-Toki Kaze-



 「へぇ………」
 少女は眼下に広がる光景に、小さな感嘆の声を上げた。
 まだ15にはなっていないだろう。頭に付けた大きめのリボンがよく似合う、美
少女というよりは、可愛い女の子と言った風体の娘だ。しかし、その口調はその年
頃にあまり似付かわしくない、大人びたもの。
 「これが、メリーディエスの都か……」
 呟く少女の耳元を強い風が吹き抜けていく。
 吹き付ける風は、強い。後の方でまとめた一本の三つ編みと肩に大雑把に巻かれ
たマントを風の好きなように遊ばせたまま、少女は小さな笑みをもらす。
 渦巻く風の流れに、何かの予感でも感じ取ったのであろうか。
 「ふふっ……。何か面白い事ありそうね、朱鳥。こんなにいい風が吹いてる」
 肩へと舞い降りてきた小さな紅い…少女の瞳と同じ色の…小鳥にも笑顔を見せる
少女。その屈託のない笑顔は、年相応の随分と可愛らしいものだ。
 「さて、と。とりあえず街の見物にでも行こっか…」
 少女は風に舞っていたマントを軽くひるがえすと、自らの立っていた場所からひょ
いと飛び降りた。
 街で一番高い場所にある、巨大な尖塔の上から。


 「へぇ…。さすが芸術の都。めぼしい所だけでも結構あるわね……」
 数時間後。少女は軽く背筋を伸ばし、そんな事を呟いていた。メリーディエスは
かなりの大都市だから、一日で見物し切れるほどの大きさなわけはない。しかし、
少女は常人の倍程度のペースで街を回っていた。
 別に全力で走ったワケではない。いや、どちらかと言えば、普通の人よりものん
びりと歩いていたかもしれない。
 「そろそろ宿を探さないと、夜になっちゃうかぁ…」
 目の前一杯に広がる夕日に気持ち良さげに目を細めながら、少女は屋根の上で言
う。
 そう。
 『屋根』、である。
 少女はメリーディエスの整備された道ではなく、屋根の上を移動していたのだ。
屋根の上だから人通りは当然ないし、目的地まで完全な直線で移動できる。多少段
差や道の切れ目はあるが、身軽な少女の事、それほどの問題にはならない。実に効
果的な移動方法だと言えるだろう。
 少女は、これを自分の父親から教わっていた。


 「ん?」
 少女は、ふと足を止めた。
 「今…何か…聞こえた?」
 耳を澄ます。
 「また!」
 聞こえてきたのは、小さな悲鳴。
 場所は、ごく近い。
 少女は悲鳴の聞こえた方へ移動すると、屋根と屋根の間からそっと下を覗き込ん
だ。
 いた。
 一人の女の子を、10人ほどの男が取り囲んでいる。男達は女の子からお金を取
ろうとしているらしい。いわゆる、恐喝というヤツだ。
 「ったく……。美しくないわね……」
 少女は忌ま忌ましげにそう呟くと、マントをばさりとひるがえす。
 そして、屋根から無造作に飛び降りた。


 「そんな……困ります…」
 「困るのと痛い目見るの、どっちがいいのかぁ?」
 女の子の瞳には、すでに大粒の涙が溜まっている。彼女を取り囲んでいる男達は、
その光景を見てへらへらと笑っているだけ。
 そこに…
 屋根の上から少女が降ってきた。
 薄暗がりの上、男達は泣きそうな娘に気を取られている。その上さらに、上方と
いう完全な死角からの攻撃とくれば……
 奇襲は完璧だった。
 着地した少女は銀髪の三つ編みと肩に巻かれたマントが今だひるがえっている一
瞬の間のうちに、男の一人に痛烈な一撃を見舞い、ダメ押しとばかりに裏拳での一
撃を叩き込む。
 しかし、少女の攻撃はそこまでだった。
 無論、相手に捕まったとか、足を捻ったとか言う愚かな失敗ではない。
 少女は泣いている女の子の手を取って呆気に取られている男達の包囲を抜いた所
で、行動するのを止めたのだ。それどころか、その場に立ち止まったまま不敵に相
手を見据えているではないか。
 「あの…。逃げなくていいんですか?」
 「ああいう美学のない相手には、ちょっとくらいキツく言っとかないと分かんな
いからね」
 少女はにっこりと笑うと、女の子に白い小さな布切れを手渡す。
 「とりあえず、そのハンカチで涙拭いてて。その位には終わると思うから……ね」


 「なめたマネ…してくれんじゃねえか! バカにしやがって!」
 リーダー格らしい男が、怒りも露に吠える。しかし、少女は別に気にした風もな
い。
 「別にあたしだって好きでバカにしてんじゃないわよ。けど、キミ達みたいなの
を野放しにしとくってのも、あたしの美学が許さないのよね」
 「ちっ…。このガキが……なめた口ききやがって!」
 その言葉を聞いた瞬間、少女の真紅の目がすぅっと細くなった。子供扱いされた
のがよっぽど癇にさわったらしい。
 「あのね、あたしにはユイカっていう立派な名前があるの。ガキでも子供でもな
くてね。キミ達みたいな連中に覚えてて欲しいワケでもないけど、一応、覚えてお
いて…」
 「ケッ…。胸もねえ癖…」
 男の一人が少女…ユイカのセリフを差し置いてそう言おうとした瞬間。
 男はユイカの掌底によって、壁へと叩きつけられた。その瞬発力の鋭さと勢いは、
想像を絶する程に迅い。ウェイトの軽さという、小柄な彼女の弱点を補って余りあ
る程のスピードを持った一撃。
 どうやら、その一言は少女に向かっての一番の禁句だったらしい。
 「…ね」
 ぐったりと崩れたままの男に殺気すらこもった視線を容赦無く突き刺しつつ、ユ
イカはセリフを結んだ。

 「さて、と。キミ達はどうする? この際だから、まとめて相手するけど?」
 ユイカは相変らず不敵な笑みを浮かべたまま、辺りを見回す。
 「そう言えるような立場か? よく見てみろよ」
 一方の男達の方も一時はユイカのペースに飲み込まれたものの、既に自分達のペ
ースを取り戻していた。ユイカの背後…女の子の隠れている所以外を完全に囲んで
いるのだ。まあ、自信を持って当然と言えるだろう。
 「それで?」
 ユイカの笑みは全く崩れない。その笑みは、泣きそうだった女の子に向けた可愛
らしい表情とは明らかに異なる笑みだ。強いて言えば、戦いの中に生きる戦士のそ
れに近い。
 それは父親から受け継がれたヴァストークの武人としての血がその笑みをもたら
すのだろうか。それとも、ヴァンパイアハーフの母親から受け継がれた魔性の血故
なのか。あるいは、その両方……。
 「いつまでその癪に触る笑顔が保てるかな! やっちまえっ!」
 そして、男が動いた。

 「何よ。本当に袋叩きにする気だったの!?」
 同時にかかってきた男達を見て、ユイカは小さな非難の声を上げた。しかし、そ
んな声を上げただけで別段困った様子はない。
 「ったく、美学が無いってのはコレだから……」
 ユイカは苦笑すら浮かべながら、肩に巻いていたマントをむしり取った。
 刹那。
 「があっ!!!」
 男達は、ユイカの一撃によって弾き飛ばされていた。

 「痛ぅ……。あのガキ、一体何のマネしやがった…」
 飛び掛かった瞬間、ユイカの放った紅い一撃によって弾き飛ばされたのは覚えて
いる。だが、あの一撃は何だったのか…。
 男は首をさすりながら顔を起こす。
 そして、見た。
 「大丈夫だった?」
 真紅の炎をまとった少女を。
 いや、少女がまとっているのは炎ではなかった。
 「は、はい……」
 まるでお伽話に出てくる天女の羽衣のような薄いヴェールをゆらゆらとなびかせ
ながら、少女は女の子に向かって話し掛けている。
 (ま…まさか…『鎧』…。いや、あんなひらひらした『鎧』なんか見た事ねえぞ
!)
 グラップラーと呼ばれる異能者の操る力『気鎧』。しかし、男が知っている『気
鎧』は、皆頑丈な甲冑のような外見ばかり。いかにも頼りなさげな布切れにしか見
えないユイカの『気鎧』などを見るのは初めてだった。
 「ああ、これ? あたしの秘密兵器よ。別に熱かったりしないから、安心して」
 戦っていた時の口調とは、少女の口調は全く異なっている。それどころか、戦闘
態勢まで解いているらしく、こちらへ見せている背中など隙だらけだ。
 (今ならやれる…)
 こちらの仲間は全員倒されてしまったが、別に少女を殺す気などはない。だが、
このまま負けっぱなしというのも許せるはずがなかった。多少痛め付けて仕返し出
来れば、それで十分。
 男は腰に佩いていた剣を、鞘ごと引き抜いた。

 「あ……」
 最初に気付いたのは、女の子の方だった。
 一挙動で剣を構え、ユイカへ襲いかかろうとしている男の姿に。
 「はぁぁぁぁっ!」
 羽衣の見当らない足元からの、すくい上げるような絶妙の一撃。どう動こうと、
この距離でユイカに避ける術はない。
 しかし。
 男は最後まで知る事はなかった。
 ユイカの足が、すぐにでも振り返る事の出来る体勢にあった事に。
 ユイカの『気鎧』は、ほんの一挙動で変幻自在の動きをする事が出来るという事
に。
 「それじゃ、あたしから一本は取れないわよ」
 ほんの少しだけ動いた羽衣に会心の一撃を軽く受け流され、振り向きざまのユイ
カの一撃を叩き込まれたその瞬間までも。



 「殺人事件? それは穏やかじゃないわね…」
 ユイカは出された料理を食べながら、そう呟く。
 「ええ。それでもう、恐くって……」
 ここは女の子…ルニアと名乗った…の家。ルニアを家まで送っていったユイカは、
そのまま彼女の家に泊めてもらう事になったのだ。
 「そっか……」
 何か事件があるような気はしたが、ここまで物騒な事件が起きているとは思わな
かった。そういえば、何とか言う劇場の前では随分多くの人だかりが出来ていた気
もする。
 「けど、ユイカさん。本当にお礼…いいんですか?」
 ルニアの言葉に、ユイカはくすくすと笑った。先程の戦いの時の不敵な笑みとは
全く違う、年相応の可愛らしい笑い顔だ。
 「別にお礼欲しさに助けたわけじゃないしね。今日泊めてもらえるだけで十分だっ
て。けど……」
 ユイカは部屋の隅に置かれているハープにちらりと目を遣ると、言葉を続ける。
 「一曲聴かせてくれると嬉しいかな」
 「それじゃ、どんな曲がいいですか?」
 「えっと………」
 ハープをそっと取り、ルニアはゆっくりと曲を奏で始めた。
 ユイカのリクエストした、英雄伝承の詩を。
第2話に続く
< First Story / Next Story >



-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai