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狂気-insanity-
第1話



 「貴様ぁ! どけと言っているのが分からないのか!」
 そんな攻撃的な声を出したのは、一人の男。あと少しで妖魔の暴れている区画に
辿り着けるはずだったのに邪魔されてしまったのだ。語気が荒いのも無理はない。
 「……………………………」
 だが、その問い掛けにも目の前の青年が口を開くことはなかった。
 夜の街に吹く冷たい風に漆黒のコートをなびかせ、冷徹な瞳でこちらをじっと見
据えている。
 「く…実力行使で行く。怪我しても悪く思うなよ!」
 とうとうしびれを切らしたらしい男は大声でそう叫ぶと、右手を天に向かって振
り上げた。
 ぎゅるぅぅぅぅぅぅぅっ!!!
 刹那、大気が渦を巻き、男の腕に絡み付く。うなる旋風は霊力を伴った嵐へと変
わり、そのまま密度を増して何かの形を作り上げていく。
 「アーム…ですか……」
 それの光景を見て、青年が一言だけ口を開いた。
 人間の深層意識から生み出されると言われる霊的攻撃兵器……アーム。その力は、
そこらの人間などとは比べものにならない。
 現に、目の前の青年もこのアームによってあっさりと退けられてしまうだろう。
 だが…
 青年は無造作に自分のコートをひるがえした。
 そこに立っていたのは、一人の小柄な少女。
 迫り来る巨大なアームに怯える風もなく、青年によく似た醒めた瞳でじっと見つ
めている。
 「リンカ……行けますか?」
 「イエス、マスター」
 リンカと呼ばれた少女は一つうなずくと、芸術作品のように細く整った左腕をゆっ
くりと前に差し出した。

 ぎぃん!!
 「な……!! バカな!!」
 男が目を見開き、驚愕の声を上げる。
 無理もない。
 たった一人の少女が、自分に数倍する屈強なアームを受け止めているのだから。
 ギ…ィィ……
 いや、言葉には語弊があった。
 少女は自分に数倍する屈強なアームを止めているのではない。
 押し戻しているのだ。
 片手で。
 「く……押し返………せ……っ!!!」
 男は霊力を振り絞り、自分の腕から生み出された巨人へとそれを送り込む。
 ギィ……ィィィイィィ…
 しばらくすると、巨大なアームの体が異様な音を立て始めた。限界を超えて注ぎ
込まれる霊力と、外部から加わる凄まじい力のせめぎあいにアーム自身が悲鳴を上
げているのだ。
 「リンカ。そろそろいいでしょう」
 「イエス、マスター」
 それを合図にリンカがふっと姿を消した。
 外部からのプレッシャーを失ったアームの巨大な拳が青年に容赦なく襲いかかる。
束縛を解かれた瞬間のその動きは、先ほどの数倍は速い。
 だが、それは最後まで青年に届くことはなかった。
 「ぐ…ぅぅ…」
 リンカの当て身を受けたアーム使いの男が気を失っていたからでもある。そして…
……………
 「マスター。終わりました」
 「そうですか。怪我はさせていませんね?」
 青年は再びリンカをコートの内側に包み込み、壊れ物を扱うようにそっとその肩
を抱く。
 「はい。精神力の過剰な消耗と併せても、回復には数日程度かと」
 「よくやりました」
 その報告を聞いた青年は優しく微笑むと、リンカの頬へそっと自分の頬を寄せた。
リンカの無機的な瞳に、その一瞬だけ恍惚とした表情が浮かぶ。
 「さて、事後処理をして、現場へ急ぎましょうか……」
 青年はそう呟くと、携帯電話を取り出し、何処かへと電話をかけようとした。そ
の電話を持つ手にそっと添えられる、リンカの手。そこには先程のアームを押さえ
つけた凄まじい力はなく、見掛け通りの繊細な力が加えられるのみ。そんな健気な
心配りを見せたリンカに、青年は嬉しそうに目を細める。
 と、その間の数秒で電話は繋がった。青年はリンカのサポートを受けたままで、
話を始める。
 「…はい。そうです。怪我人が一人。では、よろしくお願いします」
 青年がかけた先は、どこあろう近くの消防署であった。


 「雑魚の足止めをしていたら意外に時間を食ってしまいましたね……」
 あれからほぼ十分が経過している。目標地点の高位妖魔に返り討ちにならないよ
う、力不足の能力者を無差別に戦域離脱させていたら意外に時間が掛かってしまっ
たのだ。
 だが、もう雑魚を離脱させることもない。
 目の前にいる、異形の姿。
 それこそが、高位妖魔の姿。
 「何ダ? 貴様モ殺サレタイト言ウノカ……」
 あまり知能のある妖魔ではないようだ。しかし、実力があるのは間違いない。
 妖魔の足元に無造作に転がっている、返り討ちにあった能力者の姿を見つめなが
ら、青年が口を開く。
 「リンカ。手早く済ませましょう」
 「イエス、マスター」
 そして、リンカが動いた。

 ガッ! ガガガガガガッ!
 妖魔のまわりに一瞬にして無数の穴が穿たれる。さながら小さなクレーターのよ
うなその穴は、リンカの放った拳でつけられたもの。
 「オ前ハ戦ワナイノカ?」
 「戦うのは嫌いではないのですが、あまり戦いたくないのですよ」
 攻める一方だが、決定的な一打を与えることが出来ないリンカの戦いを見つめな
がら、青年は妖魔の問いに不可解な答えを返す。
 ギィン!
 妖魔がリンカの拳を正面から受け止めた。これが先程の男のアームであれば、一
瞬にして砕かれていたところだろう。受け側はおろか、攻め側であったとしても。
 「ソンナ甘イ事デハ俺ニハ…」
 リンカと妖魔との間には、いくらかの隙間があった。そこにあるのは強力な霊気
のフィールド。リンカの武器である、サイ・プレートと呼ばれる不可視の楯だ。破
壊力を秘めたこの霊力の楯は、ある時は全ての攻撃を弾き返す壁となり、またある
時は全ての物を打ち砕く恐るべき武器となる。
 「勝テン!」
 次の瞬間、リンカは妖魔の拳を食らって弾き飛ばされていた。

 「リンカ、大丈夫ですか?」
 跳ねとばされたリンカに青年が歩み寄り、そう声をかける。殴られた瞬間にリン
カが一瞬にしてサイ・プレートを防御に回したのを知っているから、さほど慌てて
はいない。
 「ダメージ軽微。ですが、勝てる可能性は高くありません……」
 さしてダメージを受けた風もなく立ち上がるリンカ。腕に傷が走っているのを除
けば、外傷らしき物はない。しかし、その表情は辛そうに見える。
 青年の役に立てないのが辛いのだろう。
 「そうですか…。いえ、あなたが勝てないのはひとえに僕の力量不足ですよ。気
にしなくても構いません」
 半身を起こした少女をそっと抱き、青年はそんな声をかけた。自らも辛そうな表
情で、リンカの腕に付けられた痛々しい傷にそっと唇を寄せる。
 しかし、そこに見えるのは赤い血と肉ではなく、鈍く光る鋼鉄の部品。
 「痛いでしょう…。すぐに…直してあげますからね…」
 そう。リンカは人でなかったのだ。

 「……観念シタヨウダナ。ナラバ、セメテ仲良ク葬ッテヤロウ…」
 妖魔は月並みなセリフを吐くと、巨大な両の拳を組み合わせ、それを天高く振り
上げる。
 観念したのか、その場にうずくまったまま動かない二人の人間に向かって。
 せめてもの抵抗のつもりか、少女を庇う位置にしゃがみこんでいる青年の無駄な
努力が妖魔にはおかしくてたまらない。
 (無駄ナ事ヲ……………)
 ぎりぎりと分厚い筋肉が唸りを上げ、数人の人間どころか、その場の地形すら変
えてしまいそうな破壊の力を存分に溜め込んでいく。
 絶望を感じる暇すらなく、全てを打ち砕く拳。
 「死ネ」
 それが、振り下ろされた。
 だが、届かなかった。
 先程の力を遥かに凌ぐ霊力の楯に阻まれて。
 「戦いは好きだけれど、戦いたくない理由……教えていませんでしたね」
 その楯を生み出したのは、一本の左腕。
 先程の、リンカが男のアームを止めた時の状況と全く同じ。
 一つ違っていたのは、その腕がリンカの物ではなく、青年の物だということ。
 青年の腕からも、鋼鉄の部品が顔を覗かせている。青年も、半分は人間ではない
のだ。
 「僕の体を造ったのが、僕ではないからですよ」
 膨大な霊力から生み出された破壊の楯が、妖魔の体を一瞬にして粉々に打ち砕い
ていた。
第2話に続く
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