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氷剣の娘
-Icily Sword Daughter-
前編



「そう……。アイフがやられたの……」
 馬から下りるなりのその報告に、少女は静かに答えた。
「は。部隊撤退の誘導に気を取られ、その一瞬の隙を突かれました」
 言葉を返す男の声は、重い。
 無理もないだろう。無能な本隊指揮官の尻拭いで仲間が死んだのだ。いくら「死ね
ばおしまい」が傭兵社会の不文律とは言え、仲間の死に涙を流さない傭兵など……い
ない。
「アイフは確か奥さんが居たわね。あと、子供も産まれたんだったかしら?」
「ええ。まだ18だそうで……。10以上も離れた若奥様だって自慢してましたから
ね」
 散々自慢した挙げ句にそれをやっかんだ仲間からボコボコにされていた男の姿が思
い出される。
 だが、そのお調子者ももう帰っては来ない。
 既に撤退兵の馬蹄の下になっているか、これから次の朝までに野犬か魔物の餌に
なっているか……どうなったにせよ、死んだ今となっては無数の死体の内の一つでし
かない。その姿を見る事すら叶わないのだ。
「今の状態だと遺髪の回収も無理でしょうね。何か……そうね、彼の荷物から形見に
なりそうな物を奥さんに送ってあげて。残った荷物は使える物だけ皆で分配して、後
は処分しておくように」
 淡々と指示を与える少女。アイフの『躯』の末路など予測できていように、その柳
眉を僅かとして歪める事すらしない。
 とは言え、戦場における生活物資は何より貴重な品という事もまた確かなのだ。生
命維持に不可欠な食料ならまだしも、重要度が食料や水ほど高くない生活物資は前線
にはほとんど運ばれてこないのだから。殊に場末の傭兵部隊ともなると、本隊からの
支給など絶対に期待できない。
「了解です。まあ、連中の間じゃもう分配が始まってるでしょうが……」
 自分よりも二周り以上も年上に見える男に指示を送っている少女というのはなかな
か滑稽な気がしたが、これでも少女は男の上官である。決して芝居などではなく、ま
ごう事なき本物の。
「見舞金の額は副長に任せるわ。私は奥さん宛の手紙書いてくるから」
 最後にそれだけ付け加えると、少女は男に馬を預け、奥の自分の天幕へと歩き始め
る。
 その顔には一寸の悲しみすらも見えず、それどころか何の感情も浮かんでいないよ
うにすら見えた。

「……副長。俺、やっぱあの団長の下で働くの、ヤです」  預かった馬を草場に穿たれた杭へとくくりつけている男に、そんな声が掛けられ た。  声の主はまだ年若い青年の傭兵だ。革鎧を着る事にまだ慣れていないのか、そこか しこに擦り傷防止の包帯が巻かれているのが初々しい。 「ん? 何か不都合でも? 女だてらのあの歳で、よくやってると思うが?」  『副長』と呼ばれた男は小さくそう返しながら、杭に巻き付けた縄を強めに結ん だ。特に気性の荒い馬というわけではないが、用心に越した事はない。男はその慎重 な性格で、今の『副団長』という地位を築いてきたのだから。 「不都合じゃありませんよ。アイフさんが死んだってのに『物品は分けて、親族には 見舞金出してね』だけって……。部下の死にあんな冷淡な団長だと、こっちだって戦 う気になりませんて。俺らだって命掛けてるんスから」 「冷淡……ねぇ」  よっこらしょ、といった雰囲気で立ち上がると、『副長』は軽く身を伸ばした。青 年傭兵とさして変わらない程度の若さに見えるが、実際は結構な歳なのである。長く 座ったりしていると、腰にも負担が来る。  ……尤も、本人がそう言っているだけで、誰も彼の正確な歳など知らないのだが。 「ツヴィルク君……でしたね。貴方は戦友が死んだ時、どうします?」 「……そりゃ、泣きますよ。泣くに決まってるじゃないですか」  青年……ツヴィルクは、副長の問いにさも当然といった風に答える。生と死の境を 仕事場とする傭兵とて、仲間の死が悲くないわけがない。それが死線を共にした同じ 傭兵団の同僚であれば、なおさらの事だ。  だが、副長はツヴィルクの言葉にさしたる関心を持った様子もなく、さらなる質問 を加えるのみ。 「……戦ってる最中にでも、ですか?」 「…………?」 「目の前に相手が居て、自分に向かって剣を振り上げていたとしても、貴方は死んだ 戦友のために泣き崩れていられますか?」 「それは…………。けど、あの報告を受けた時にはもう戦いは終わってたじゃないで すか。魔物も追い払った後だったし……」  そう。魔物は既に去った後だった。あの少女がアイフ戦死の報告を受けたのは、魔 物の攻撃で潰走寸前だった味方の本隊を何とか立て直し、魔物を這々の体で追いやっ た後だったのだから。  いつもそうだ。青年がこの傭兵団に加わって数カ月が経つが、彼女が人の心配をし ている所などただの一度も見たことがなかった。戦闘中もだが、戦闘が終わった後に 仲間がどんな怪我……それこそ、生死に関わるような怪我……を負っていたとして も、あの少女は絶対に慌てない。年若い女の子に似合わぬ冷静さで淡々と指示を与 え、さっさと自分の天幕へ戻ってしまうだけなのだ。 「ツヴィルク君。団長の天幕に行って、手紙を受け取ってきて貰えますか? もう書 き終わってる頃でしょうから。その間に私は見舞金の準備をしてきます」  馬の背を軽く撫で、機嫌を確かめる副長。馬の方は既にそんな副長の事など気にも していないのだろう。つまらない男達の会話よりも足下に生えている草にその興味を 移し、旺盛な食欲を一心に傾けている。 「副長! あんたもか……」 「我々傭兵は、戦いが終わってから泣くのですよ。戦っている間はそんな人間的な事 をしている余裕など有りませんから……ね」  副長はその一言だけを言い残し、激昂する青年を無視するかのように何処かへと姿 を消した。
「団長。副長の言いつけで、手紙を受け取りに来たんですが」  小さな天幕の前で声を掛けるツヴィルク青年の口調は、お世辞にも上官に向けた礼 節をわきまえたものではなかった。まあ、今の精神状態を考えれば無理もないだろう が。  ちなみに、小さくても個人用の天幕を持っているのは団長だけだ。残りのメンバー は携行性を考えた中型の天幕を数人で使っている。ただ、彼女の場合は団長という地 位でというよりも、団で唯一の女性という点で個人用の天幕が与えられているのだ が。 「……そう。はい、これ」  少しすると、いつもの冷静な声と共に天幕の扉代わりの厚手の布の端からひょいと 手が突き出されてきた。その白く細い指の先には素っ気ない紙製の包みが挟まれてい る。戦場では生活物資よりも遙かに高い価値を持つとすら言われる、紙製の封筒だ。 「……どうも」  青年がその封筒を口調と同じくらいの無愛想さでひったくると、細い少女の手は用 が済んだとばかりにさっさと天幕の中に引っ込んでしまった。  だが、まだ人の気配は扉布の向こうにある。 「……ヴァネッサ団長」  ツヴィルクは、口を開いた。 「……何かしら? 用事があるなら、早く済ませて貰えると嬉しいんだけど」  対する少女……ヴァネッサは、短くではあるが応じてくる。 「団長は、アイフさんの事……どう思ってたんです?」  静かに紡いだ、その言葉。今の青年の心の中に渦巻く百万の想いを一言に託した、 そんな言葉だ。  しかし。  薄い布一枚の向こうから帰ってきたのも、たった一言。 「……信頼できる部下」  その一言、のみ。 「それだけ……?」 「そうね……」  一時の間を置き、ヴァネッサは言葉を続ける。 「今回の事は私の作戦ミスだわ。戦場に「もしかも」は禁句だけど、もう少し敵の動 きに気を配るよう指示しておけば彼を失うような事は無かったかもしれない。彼の奥 さん達には済まないと思ってる」  いつも通りの、冷静な……いや、冷酷とも取れる、感情のない声で。 「それだけか……」  ツヴィルクは静かにそう言うと、天幕の入り口に掛かっている布の端を掴み…… 「それだけかって言ってんだ!」  激情と共に、一気に引き下ろした!  分厚い木綿布の引き裂かれる音と共に、ヴァネッサの姿が露わになり……  傭兵の青年は、それきり言葉を失っていた。
第2話に続く
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