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 黒逸ハルキ。
 数々の難事件を解決してきた、日本の誇る私立探偵だ。
 彼の事を知る者達は、彼の名をこう呼ぶだろう。
 『名探偵ハルキ』
 ……と。

冤罪探偵ハルキ2 〜梓の手紙〜 解決編
「で、私を呼んだのはどうしてだね? 黒逸ハルキ君」  恰幅の良い体をツグヒコの書斎のソファーにどっしりと沈めつつ、男……沙塔イ チヤは目の前の青年に向かってそう声をかけた。その風格は流石に鉄道業界にその 名を轟かせる日本の大財閥・沙塔財閥の当主だけはある。堂々としたものだ。 「いえ、ご足労願ったのは他でもありません。弟君の……沙塔ツグヒコ氏を殺害し た、犯人についてです」 「おお。弟を殺した犯人がようやく分かったのかね。それは結構な事だ。私に報告 ししてくれるのは後で良いから、さっさとそいつを捕まえに行ってくれんか?」  だが、イチヤのその言葉にも、ハルキはおろか、彼の隣に腰掛けているサナエす らも動こうとはしない。 「……それとも、もうとっくに捕まえているのかね? ならば、さっさと教えてく れても良いだろう?」  はぁ……  放たれたため息が、応接間に響き渡る。 「どうしたね? 女刑事さん」  訳も分からず、イチヤはため息をついたサナエに声をかけた。 「そろそろ茶番はお終いにして頂けますか? 沙塔イチヤさん」  ゆっくりと立ち上がる、ハルキ。 「いえ……沙塔ツグヒコ氏殺害の犯人、沙塔イチヤさん」 「何……?」  青年から放たれた言葉に、イチヤは唖然とした口調で返答を返していた。 「刑事さん。どう言う事ですかな? 私が犯人など、何を冗談を……」 「弟さんとは、仲が悪かったそうですね。それに、先日亡くなられた沙塔財閥の先 代当主……梓さんでしたか? 彼女の遺産でも、いくらか揉めていたとか」  フローリングの書斎をゆるゆると巡りながら、言葉を紡いでいく。 「……違いますか?」  そうぽつりと付け加えておいて、ハルキは懐から一通の茶封筒を取り出した。 「ああ。確かに仲がよいとは言えなかったし、遺産争いでも揉めていた事も否定は しまい。だが、それだけで私が殺人犯にされてしまうのは気分……」  不機嫌そうなイチヤの言葉に耳を傾ける気配もなく、茶封筒から愛想も何にもな い簡素な便箋を取り出し、その文面を読み始めるハルキ。 「『これは、不幸の手紙です。この文章と同じ文面で二回ずつ14人、計28人の 人に手紙を出さないと、死ぬより不幸になります。昔この手紙を止めたさ……』」  バシッ! 「おや? どうしました? 沙塔イチヤさん……」  突然に払われた腕を服の上から静かにさすりつつ、床の上に落ちてしまった手紙 を拾う。  一方の払った本人であるイチヤは、ハルキとは正反対に荒い息を吐いているのみ だ。そこから吐き捨てるように、激高した言葉を叩き付ける。 「き……貴様、何故その手紙を!!!」 「これはただの不幸の手紙ですよ。こんなナンセンスな物を、信じているのですか?  ああ、残り27通もありますので、錠井さんも後学のために一通どうぞ。何でした ら、『棒の手紙』ではなく、こちらの『梓の手紙』でも構いませんが?」 「『梓の手紙』?」  怪訝そうに問い返すサナエに、ハルキはその手紙を渡しつつ説明を添えてやる。 「不幸の『不』と『幸』の文字を一緒にして読んでしまったのですよ。悪筆な方が 書いた不幸の手紙を読んで写すと、時々そうなってしまうそうで。例えば……」  机の上に置いていた27通の封筒の束をそっと取り、ぽつりと呟く。 「沙塔ツグヒコさんのような悪筆の手紙はね……」  27通の封筒の全ての宛先は、判別できるか出来ないかの悪筆で沙塔イチヤの家 の住所が描かれていた。 −これは、不幸の手紙です。この文章と同じ文面で二回ずつ14人、計28人の人 に手紙を出さないと、死ぬより不幸になります。僕は3549人目らしいので、手 紙を止めたら僕を含めた3549人分の死ぬより不幸があなたに襲いかかるでしょ う。  10年前にこの手紙を止めたさとうあずささんは、老後になってから、面倒を見 てくれるはずの息子に会社を奪われ、いびり殺されてしまいました。そうなりたく なければ、この文章と同じ文面で二回ずつ14人、計28人の人に手紙を出してく ださい。  これは命令ではありません。  これは警告です。− (沙塔ツグヒコの不幸の手紙より抜粋) 「……確かに、ツグヒコから大量の不幸の手紙が届いた。宛名は無かったが、あい つの下手くそな字は見てすぐに分かるからな。お袋の面倒など見もしないあいつの 書いた醜聞に殺意を覚えた事も、思わず不安になってその不幸の手紙を書いてしま った事も否定はしまい」  自らの高ぶった感情を押さえ付けるように、どさりとソファーに腰を落とすイチ ヤ。 「だが、私はあいつを殺してはいないぞ。第一、私にはアリバイがあるではないか!  私は我が社のビルで仕事をしていたというな」 「……ふむ。昼休みも仕事でしたか」  その言葉に、勝ち誇るかのようなイチヤの表情が止まった。 「錠井さん。イチヤさんの会社から、ツグヒコさんの自宅まで、どのくらい時間が 掛かりますか?」 「……最短ルートを使っても片道で45分。1時間以内に犯行に及ぶような時間は 絶対に取れんぞ」  錠井とてその辺りの抜かりはない。しかし、あらゆる交通手段を考慮したとして も、その時間よりも短縮させることは出来なかった。いくら短いルートを選び、若 い刑事を全速力で走らせたとしても……だ。 「そうですか? 私の計算では、25分で着けるはずなのですが? 例えば……」  ポケットに手を入れると、ハルキは一枚の小さな紙切れを取り出した。  高速印刷機の使用に特化されたそのロール紙の切れ端の名は……  切符。 「先日開通した、帝都縦貫鉄道を使うとか」 「馬鹿な……。帝都縦貫鉄道が開通したのはツグヒコ氏が殺害された次の日の事だ。 確かに使えれば犯行も可能かもしれんが……まさか!」  何かに気が付いたらしいサナエを片手で制し、イチヤへと声を掛ける。 「沙塔さん。帝都縦貫鉄道は、貴方の会社で建設していたものですよね? 会社の 方にもお聞きしましたが、帝都の一大プロジェクトと言う事でかなり熱心に打ち込 んでおられたとか?」  帝都縦貫鉄道計画は社の最重要プロジェクトだ。その為、社長自らが抜き打ちで 視察を行うことも先代の頃からザラだったという。 「……確かに、私は縦貫鉄道の建設に心血を注いでいた。何せ、我が社の一大プロ ジェクトだからな」  しかし、ハルキのその言葉を聞いたとしてもイチヤの表情にそれ以上の驚きはな い。否、それどころか、先ほどの激昂も幾分か落ち着いてきたようにすら見える。 「だが、いくら縦貫鉄道を使ったとしてもあれだけではツグヒコの家にまで辿り着 けまい。あいつの家に最も近い都営西園寺線に乗り継いだとしても、乗り換えその 他で32分はかかる計算になる」 「……お詳しいですね」 「無論だ。伊達に我が社の時刻表を私一人で作っているわけではないぞ」  既に先ほどまでの余裕と自信を取り戻したイチヤ。  その男を静かな瞳で軽く見遣ると、ハルキは声を掛けようとしてきたサナエを軽 く制し、さらなる言葉を紡いだ。 「では、時刻表作成の得意なイチヤさんにお願いしましょう。以下の路線の移動は 可能ですかな?」  沙塔財閥本部ビル12:00発  都営鉄道国路線  北國立駅12:05発(急行)乗車  北大路駅12:08着  帝都縦貫鉄道   北大路駅12:09発 乗車     南一堂駅12:19着  都営鉄道西園寺線 南一堂駅12:20発(快速)乗車  円駅12:22着  沙塔ツグヒコ邸12:25着  (黒逸ハルキの時刻予定表より抜粋) 「無理だ」  答えは即答だった。 「おや、無理ですか」  ハルキのいささか間の抜けた返事に、イチヤは呆れたような答えを返す。 「乗り換え時間が短すぎる。帝都縦貫鉄道と国路・西園寺の各線は別のホームだ。 どんなに足の速い客でも、この乗り換え時間が一分以内というのは……」  だが、そのイチヤの言葉が終わるのをハルキが待つことはなかった。 「直線ルートを通っても……ですか?」 「……何?」  イチヤの言葉が、止まる。 「駅のホームには車掌さん達が最短時間で移動できるようにスタッフ専用の抜け道 があるそうですね。それだけじゃない。物資搬入のスタッフ用エレベータや事務所 の中を抜ける『道』を使えば三次元的な直線移動も可能だ。限界までそれらの通路 を駆使すれば、この速度での移動も可能かと思ったのですが……」  その時、サナエの携帯電話がちりりと鳴った。電子音が嫌いなハルキは少しだけ 眉をひそめたが、サナエの方は素知らぬ顔で携帯の受信ボタンを押す。 「沙塔さん。社長室の机の中から、護身用の伸縮電磁警棒が見つかったそうだ。今 鑑識にかけているそうだが、一足先に来るかね?」 「そんな……馬鹿な………………」 「それにしても、帝都縦貫鉄道に抜け道とはな……。意表を突かれたよ」  警察車両に押し込まれた沙塔イチヤの傍らに腰掛けつつ、サナエは見送りのハル キにそう呟いた。 「確かに、両駅の抜け道を駆使すればあの移動時間も叩き出せる。が、ツグヒコを 殺したのは…………」 「あそこまで緻密極まりない時刻表を作れる人など、帝都には貴方しかいませんよ。 沙塔イチヤさん」  完璧過ぎたが故の、綻び。  それが、事件の明暗を分けた。 「遺産相続に、不幸の手紙…。しかも身内同士で骨肉の争いを繰り広げるなど…。 全く、世の中には『魔』が棲んでいると言われても不思議はありませんね……」 「全くだ」  サナエのその言葉を残し、警察へと去っていく警察車両。  そして。 「お疲れ様」  見送ると、どこから現れたのか、ハルキの腕に一人の少女がしがみついている。 「カナンですか……」  どこかほっとしたような雰囲気で、ハルキは少女の名を呼んでいた。
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