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 黒逸ハルキ。
 数々の難事件を解決してきた、日本の誇る私立探偵だ。
 彼の事を知る者達は、彼の名をこう呼ぶだろう。
 『名探偵ハルキ』
 ……と。


・沙塔梓さん(さとう・あずさ=沙塔財閥先代当主・近代日本の鉄道王・沙塔忠通
氏の妻)29日午前8時、老衰のため死去。79歳。告別式は2日午後2時から大
帝都北地区の沙塔財閥本部ビル別館で。喪主は長男の沙塔イチヤ氏。忠通氏の死後
は沙塔財閥の二代目当主都市として活動。最近では帝都初の磁力浮遊式高速鉄道機
関『帝都縦貫鉄道』の敷設に尽力した。
(ある日の新聞の死亡欄より抜粋)

 ちりりん……ちりりりりりん……
 狭いオフィスに、黒電話の古めかしいベルの音が響き渡る。
「……カナン……電話ですよ」
 ちりりん……ちりりりりりん……
 だが、答えが返ってくるのは黒電話から響いてくる催促の声のみ。
「やれやれ……」
 がさり、広げていた新聞の端から億劫そうに手を伸ばすと、男は相変わらずの催
促の声を上げ続けている黒電話の受話器を軽く取った。
「はい。黒逸探偵事務所」
 理知的な声ではあるが、あまり機嫌が良さそうな声ではない。何かしている時に
邪魔をされるのは、大嫌いなのだ。
 まあ、邪魔されるのが好きという人間も、そうはいないだろうが。
「機嫌が悪そうだな。黒逸ハルキ……」
「錠井さんですか。僕は今新聞を読んでいるので、切りますよ」
 知り合いと言う事で、遠慮していた分の機嫌の悪さも加わったらしい。一応、黒
逸ハルキほどの傍若無人を絵に描いたような男でも、遠慮するという概念はあるの
だ。
「そう言うな。ちょっとワケ有りの事件でな。お前の力が借りたい」
 錠井サナエは冷静な状況判断能力を持った、本庁でも指折りに優秀な女刑事であ
る。そこらのボンクラ刑事とはワケが違う。
「ワケ有り……ですか。分かりました。必要な情報は適当に転送……おや、迎えが
来るのですか? 珍しい……」
 錠井ほどのやり手が困る事態だ。なるほど、捜査班全体としても随分と切迫して
いるのだろう。
「ただいま〜。何かねぇ、アパートの方に変な手紙来てたよ」
 そんな事を話していると、部屋に一人の少女が入ってきた。
「ああ、カナンが戻ってきましたので切りますよ。仕事の件は了解しました」
「あ、おい、場所は外縁北区の……」
 がちゃん。
 そのまま、ハルキは受話器をもとに戻してしまった。
「お客さんだったの?」
「いえ。錠井さんでした」
「そっか……」
 カナンと呼ばれた少女も、その名に聞き覚えがあるらしい。
「それじゃ、ハルキ。お仕事開始……だね?」
 にっこりと可愛らしい笑みを浮かべると、持ってきていた変な手紙とダイレクト
メールの束をぽいとその辺に放り投げた。


冤罪探偵ハルキ2 〜梓の手紙〜 事件編
「被害者は沙塔ツグヒコ、38歳独身。職業は画家。画家と言っても絵画だけでな く、本の挿し絵から水墨画まで手広くやっていたようだ。死因は頭部への背後から の一撃による撲殺。金品関係は盗られた形跡が全くないから、物取りの犯行という 可能性は低い。それから、第一発見者はこの家のメイド……」  そこまで調書を読み上げ、錠井サナエは小さくため息をついた。 「まあ、典型的な、殺人事件というヤツだな」  到着するなり、ハルキは現場の観察を始めているのだ。サナエに挨拶をするわけ でもなく、それどころか見向きもしない。無論、サナエが調書を読み始めてもだ。  一字一句逃さずに聞いているのは分かっているのだが、あまり読み聞かせるに嬉 しい態度ではない。 「で、候補者は?」  机の上に置かれた書きかけの手紙の束をぱらぱらとめくりながら、ハルキは呟 く。サナエの言葉をちゃぁんと聞いている証拠だ。  これで仕事の腕が確かでなかったら、絶対に呼んだりしないぞ……などと思いな がら、サナエは調書の続きを読み始める。 「沙塔ツグヒコの今日の面会予定は画商の天ヶ谷ツムギ氏、兄の沙塔イチヤ氏の順 に全部で15件。3件目の会見予定だった雑誌編集者の壬生スナガ氏が来訪する五 分ほど前に、掃除にやってきたメイドによって死亡が確認された」  天ヶ谷ツムギと沙塔イチヤ、壬生スナガの三名に関しては、ちゃんとアリバイが 取れていた。死亡推定時刻には、いずれも帝都の別の場所に居たのだから。 「沙塔ツグヒコには後ろ暗い背後関係はないな。芸術家ではあるから多少気難しい ところはあったようだが、普段はそう気になるほどのものでもなかったそうだ」  だからこそ、分からない。  これで、金品が盗られていれば物取りの犯行であったろう。だが、付近で怪しい 人影は見られなかったというし、何よりも金品には全く手が付けられていないの だ。 「ふむ……」 「どうした? 何か気になることでもあったか?」  女刑事の問いに振り向き、書きかけだったらしい手紙を彼女の方へ見せながら、 ハルキは呟く。 「いえ、汚い字だな……と思いましてね。この手紙」  サナエが嫌そうな顔をするのを気にする雰囲気すらなく。とんとん…っと手紙の 束を元の状況に戻すと、ハルキはドアの向こうへと歩き始めた。 「とりあえず、色々と当たってみましょう。今日は戻らせてもらいますよ」 「天ヶ谷ツムギは白……でしたね」  電車に揺られながら、ハルキは開いた手帳に軽快に文字を書き込んでいく。揺ら れている……とは言え、この帝都縦貫鉄道は揺れという物が驚くほど少なかった。 おかげでハルキが手帳に書き込む文字は、ゆがみが一切ない普段の彼の文字そのま まである。 「その前に行った、沙塔イチヤってオジさんも白っぽかったよね」  探偵にとって地味な情報収集は基本中の基本だ。ドラマや漫画のように、事件解 決後のほんの数時間で解決することなど滅多にない。先日の結婚式場のように事件 が起こる前から『偶然』居合わせているならば……話は別だが。  そういうわけで、ハルキはカナンを連れて画商の天ヶ谷ツムギと沙塔財閥の沙塔 イチヤの元へ話を聞きに行っていたのである。  だが、結果は白。  犯行の時間には天ヶ谷ツムギは誰ぞの個展を開くための商談に出席しており、沙 塔イチヤは自らの会社のビルで仕事をしていたのだ。  残るは、雑誌編集者である壬生スナガただ一人。 「しかし、この帝都縦貫鉄道……ですか? 揺れがないのは結構ですが、やけに客 が多いですね。まだ昼間でしょうに」  少しくたびれたスーツの内ポケットに手帳を放り込みつつ、ハルキは疲れ気味に 呟く。  ハルキの言うとおり、辺りには乗客がやけに多かった。少なくとも、普段の昼間 の乗客数とは明らかに違う。更に言えば、ハルキが苦手な小さな子供が多い。 「今日開通したばっかしだから。そりゃ、しょうがないでしょ」 「…………なるほど」  珍しいから、子供にせがまれた親が連れてきているのだろう。  と、ハルキは閉じかけていた瞳をすぅっと細めた。 「? 今日……ですか?」  帝都の最も外れである外縁北地区から中枢部の中央執政地区、そしてハルキ達の 住む外縁南地区を一直線に繋ぐ新交通システム『帝都縦貫鉄道』。環状線とそれを 取り巻く私鉄その他の唯一通っていなかったルートを補完する、帝都最後の鉄道機 関にして、帝都初の浮遊鉄道機関……リニアトレイン……だ。  鉄道自体の敷設工事が完成したのは随分と前の話になるから、とっくに開通した と思っていたのだが……。 「この僕とした事が……。まさか、そんな単純なミスを犯すとは……。錠井さんが 優秀だからといって、あまり信じすぎるのも考え物ですね」  何やら自嘲気味に苦笑を浮かべ、ハルキは再び懐から手帳を取り出した。 「不幸の手紙の担当、ですか?」 「ええ。ウチの雑誌では、その不幸の手紙の処分も行っているんですよ。ツグヒコ 氏には、その原稿用の挿し絵をお願いしていたのですが……」  壬生スナガは、残念そうな表情を浮かべてそう言った。  彼は、若い女性向けのファッション雑誌の編集者である。不幸の手紙など華やか なファッション雑誌とは全く縁がなさそうに見える……が、そういう不幸の手紙を 受け取って心配するのは彼等の雑誌の対象読者層に多いらしいのだ。 「まだそんな物を書く暇人がいるとはね……」  もともとそんなナンセンスな物を信じていないハルキは、苦笑するのみ。 「けど、意外とああいう手紙を研究するのも面白い物ですよ。例えば、これ」  そんなハルキに気分を悪くする気配も見せず、段ボールの中から二通の不幸の手 紙を取り出し、スナガはある一点の箇所を指差してみせる。 「『ちなみに私は198人目です。この手紙を無視すると、198人分の呪いがか かります』と、『ちなみに私は199人目です。この手紙を無視すると、199人 分の呪いがかかります』。ちゃんと、カウントが増えてるんですよ。大抵はキリの 悪い突拍子もない数値だから、文面とカウントで意外と整理できちゃうんですよ ね」  さらに一通の手紙を取り出し、スナガは中に入っていた可愛らしい便箋を広げつ つ呟く。 「後、これは棒の手紙です」 「棒? あの振り回す、棒っきれですか?」  無愛想なハルキとは反対に、驚いてみせるカナン。それに気をよくしたのか、ス ナガはもう何通かの手紙を取り出す。見てみると、全て横書きの便箋だ。 「不幸って書いたつもりなのに、字が汚かったんでしょう。読んだ相手は、不と幸 を一つの文字と思って、棒って読んじゃったんですね。後、面白そうなのといえ ば、こないだから届き始めた、取っておきの……」 「とっておき? それはもしかして……」  ようやく口を開いたハルキは、不思議そうな顔をしてこちらを見ているスナガに 向かって一言だけ言葉を続けた。
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