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−Prologue−
 少女は泣いていた。父と呼ぶべき存在…アスカーリによってあてがわれた、自らの 部屋で。  マスターとなる青年…アヴィサルとのこの一ヵ月間は、とても楽しかった。いや、 マスターという意味を抜きにしても、素敵な一ヵ月だったのだ。  瞳を閉じれば、アヴィサルとの思い出が次々と浮かんでくる。  大切な、思い出…そして、大切な人。  その彼を、裏切ってしまった。  彼女の考えうる、最悪の形で。  「マスター」  そう呼んだ時の、アヴィサルの顔を思い出す。  信じられない物を…そして、何か恐ろしいものを見るような、青年の瞳。  「父様……私……こんな苦しい思いをするのならば、感情など欲しくありませんで した……」  セミダブルの、一人にはやけに大きなベッドに伏せたまま、感情を与えられたアー ティの娘は涙を流す。  「アヴィサル様………ごめんなさい…」  アスカーリに与えられたその感情で、ルータは悲しみの涙を流し続けた。



龍の血を受け継ぐもの
その2



#4 アスカーリ・フランキング

『…私がアスカーリの家に行かなくなってから、半月が過ぎた。張り合いのない生活
……』
『…不思議な事が起こった。反乱分子鎮圧に向かったサマイトの部隊が全滅したの
だ。サマイトは油断するような愚か者ではないし、彼のミスト『ヒッパリオン』も整
備は万全…』
(アヴィサルの日記より抜粋)


 「『ミストブレイカーズ』? それがサマイト卿のミスト隊を壊滅させた者の正体
だと?」
 初めて聞く名前に、アヴィサルは不審げな表情を浮かべた。
 「うむ。情報が少ない故、それが何者かまではまだ分からぬが……」
 アヴィサル直属の上司である、王宮騎士団長も苦々しい表情を浮かべたまま、そう
答える。
 「しかし、サマイト卿の『ヒッパリオン』は私の『シャッター』と同クラス…。そ
れを倒すとは、一体……?」
 さらに言えば、サマイト自身もアヴィサルに匹敵する実力を持つ騎士だ。冷静な判
断力と行動力を併せ持つ彼が、滅多な事で敗れるとは思えない。
 「『ミストブレイカーズ』……。…ミストを滅ぼす者……か」


 「くそ………ミストブレイカーズめ………」
 地下工房への階段を下りながら、アスカーリは忌々しいその名を口にしていた。
 「ミストを自力で殲滅できるようになったから俺のイレイザーは不要だと? 馬鹿
にしおって………くそっ」
 ミストの事といい、最近寄りつかなくなったアヴィサルの事といい、この半月は不
愉快な事ばかりだ。その不愉快さを反映してか、乱暴な動作で扉を開け放つアスカー
リ。
 「父様………」
 工房にいたルータが、泣きはらした顔で彼を迎える。アヴィサルが来なくなってか
らの全く覇気のない彼女の事も、アスカーリを苛つかせる原因の一つ。
 アスカーリは無言でルータの隣を過ぎ、奥の壁に設えられたレバーへと歩み寄っ
た。
 「父……様?」
 幾重にも封印の掛けられた、一本のレバー。
 それは、調整中のミストイレイザー『龍喰いのルタ』へのエネルギー供給を断つた
めのレバーだ。このレバーをオフにする事で、『龍喰いのルタ』へのエネルギーを止
める……即ち、『龍喰いのルタ』の命を絶つ事が出来る。
 その封印を、アスカーリは荒々しく剥がしていく。
 「父様! 何を!? 『龍喰いのルタ』を殺すおつもりですか?」
 ただならぬアスカーリの雰囲気を察知し、叫び声を上げるルータ。
 「分かっておるではないか……。ククク……」
 アスカーリは封印を引き剥がしながら、暗い笑い声を上げる。その声はまるで狂っ
ているかのように、ルータには聞こえた。
 「既にこのミストイレイザーは不要なのだと…………。ミストブレイカーズとかい
う連中のせいでな!」
 全ての封印を解き放ち、レバーをオフ方向に叩き付けるアスカーリ。
 鈍い音が響き、ミストイレイザーへ流れ込んでいたエネルギー供給が断たれる。そ
れと共に、ルータがもたれ掛かっていた『龍喰いのルタ』の内部から伝わってくる振
動も聞こえなくなってしまった。
 (あなたも私を置いて行っちゃうのね……)
 後数時間で、『龍喰いのルタ』は死を迎えるだろう。アヴィサルと共に駆る筈だっ
たミストの死を予感し、ルータは小さな頭を垂れたまま、そっと瞳を閉じる。
 「即ち、『龍喰いのルタ』の部品である、お前もな………ルータ……」
 (そう……。アヴィサル様を裏切り、『龍喰いのルタ』も死んだ今、私も生きる意
味なんてない…………)
 そして、アスカーリの痩せた指がルータの肩を掴む。アーティの娘の細い首へとア
スカーリの短剣が迫り……………
 貫かれた。
 アスカーリの、躯が。
 突然現れた、アヴィサルの剣によって。


#5 アヴィサル・スペクター(3)

 「アヴィサル様!」
 突如として現れた青年の腕の中で、ルータは歓喜の声を上げた。
 「『ミストブレイカーズ』…ミストを滅ぼす者の噂を聞いて心配になってな。間に
合って良かった」
 ルータを抱いていない方の手で大剣を構えたまま、アヴィサルは答える。その鋭い
視線は目の前に倒れている男……アスカーリに注がれたままだ。
 「ルータ。『龍喰いのルタ』はまだ復活が可能か? 出来れば、やってみてくれ」
 抱えていたルータの華奢な躯をそっと床へと降ろし、その耳元へ優しく囁きかけ
る。
 「あ……はい!」
 ルータが部屋の奥へ向かったのを確認し、アヴィサルはアスカーリに言葉を放っ
た。必殺の斬撃のような激しさと、意志を込めて。
 「アスカーリ。これはどういう事だ? 説明願おうか!」
 アヴィサルの声に、アスカーリは再び笑う。
 「……せ…説明? ミストブレイカーズの事を知っている貴様に、説明する事など
既にあるまい? 貴様の考えたとおりだよ。そして貴様は裏切り者として殺されるの
だ……。ククク……………」
 訳の分からない事を叫びつつ嘲笑するアスカーリを見据え、アヴィサルは小さな声
で呟いた。
 「何を言っている……死ぬ前に狂ったか? アスカーリ…………」


 「成る程。そう言うわけ………か」
 天井の小さな窓から外の風景を見やり、アヴィサルは呟く。
 そこから見えるのは、アスカーリの屋敷の周りを取り囲んでいる、何機ものミスト
の姿。多分、アスカーリの家の執事か誰かが呼んだのだろう。
 「はめられたか。参ったな…………」
 そのアスカーリからの返事はない。突然アヴィサルの胸から現われた大剣で、心臓
を貫かれたのだ。既に事切れているのだろう。
 ただ、狙いは正確だったはずなのに血の一滴も流れていないのがアヴィサルには不
思議だったが……今はそんな事を気にしている暇はなかった。
 「さて、と。これからどうするか………」
 「あ……あの………」
 と、難しい顔をしているアヴィサルに掛けられた、遠慮がちな声。
 「ん? どうした? ルータ」
 「アヴィサル様。『龍喰いのルタ』の応急処置、完了しましたが……」
 ルータはアヴィサルから離れた所に立ったまま、そう答える。妙に他人行儀なその
態度に、アヴィサルは眉をひそめた。
 「ルータ。どうかしたのか? 普段のお前らしくないぞ……?」
 「それは………その……」
 助けて貰った時は、普段通り接する事が出来た。だが、 『龍喰いのルタ』を整備
するうちに思い出した……彼を最悪の形で裏切った事。その事が心の枷となり、ルー
タは自然に振る舞うことが出来なくなっていた。
 「まあいい。ルータ、『龍喰いのルタ』は既に起動できるのだったな?」
 悩んでいるルータの事を知ってか知らずか。アヴィサルは話題を再び胎動を始めた
目の前のミストの事へと変える。
 「通常の戦闘は可能ですが………。アヴィサル様?」
 「『龍喰いのルタ』に賭ける。賭事は嫌いだが、この際仕方ないだろう」
 慣れた手つきで開閉釦を操り、アヴィサルは『龍喰いのルタ』の着装の準備を始め
た。
 「アヴィサル様……それじゃあ?」
 期待に満ちた、ルータの声。
 「今回だけだぞ? 俺はアーティって奴が大嫌いなんだからな……ふふっ…」
 アヴィサルは短くそう言い、悪戯っぽく苦笑を浮かべた。
 「はいっ!」


#6 『龍喰いのルタ』(1)

『…ミストイレイザーの威力は凄まじかった。「これ一機でミストを絶滅させる」と
言ったアスカーリの言葉を私はあまり信じていなかったが、確かにこれなら…』
『…先刻まで仲間であった者達に剣を向ける事はさすがに気が引けたが…』
(アヴィサルの日記より抜粋)


 「ミストイレイザー『龍喰いのルタ』、起動確認。システムチェック…問題なし。
マテリアル充足率80%……足りない20%分は出力が低下しますが…どうされます
か?」
 「例のシステムは使えるのだろう? それが使えるのなら、どこかで適当に摂取す
れば大丈夫だろう」
 「了解です、マスター」
 冷静な男の声と、無機的な少女の声。立て板に水の調子で、指示のやりとりが続
く。
 「それから、イレイザーの対象をミストだけに限定出来るか?」
 「基本設定を変更すれば可能ですが…」
 「アーティには罪はない。悪いのはこんなミストを造った人間だからな」
 「了解です、マスター」
 と、流れるようなやりとりが途切れた。
 「出来れば…その呼称は止めて欲しいんだが…」
 「では、どうお呼びすれば?」
 冷静な男の声が、小さくくすりと笑う。
 「いつも通りで。出来れば、口調もね。構わないかい? ルータ」
 「はい、アヴィサル様っ!」
 そして、無機的だった少女の声から、冷たさが消えた。
 「最終設定終了。それでは、『血に飢えた霧』、起動します!」


 「霧……? この季節に珍しいな」
 アスカーリの屋敷を囲んでいた若い騎士がふと、そう呟く。
 それが、発端だった。
 「た、隊長! ミストが動きませんっ!」
 「第3小隊、ミスト全機稼働不能っ! いや、ミストが崩れていきますっ! どう
なってんだっ!」
 「み、ミスト消滅!!! 第2小隊の全ミストが煙みたいに消えちまいました! 
団員は全員無傷ですが…何かの魔法か手品かよ!? これは!」
 激しいノイズに交じって、通信機からそんな声が次々と飛び出してくる。
 「う、動ける奴は全機離脱! 何かの罠かもしれん!」
 悲鳴に近い声を上げる隊長機のミストも既に動けないようだ。いや、濃くなりつつ
ある霧の中で、水を掛けられた泥人形のようにボロボロと崩れ去っていく光景すら見
えた。
 「わ……わぁぁっ!」
 絶叫。
 人間の本能的な感情…『未知の物に対する恐怖』に襲われた若い騎士は、まだ動く
自らのミストを一気に浮上させ、戦場を離脱しようとする。
 その瞬間。
 立ち篭める霧の中から現われた、蒼く、巨大な影。
 「あ、悪魔……!?」
 影が、迫る。
 「いや、ミストかぁっ!」
 どがぁっ!
 一撃で両腕、そして翼を打ち砕かれた若い騎士のミストは、束の間離れた大地へと
一瞬で打ち落とされていた。


 「一体…何だったんだ? 今のは…」
 隊長騎士は、呆然と呟く。
 霧が晴れたとき、自分の指揮していたミストは一機も残っていなかった。しかし、
怪我人はたったの一人。
 「隊長、邸内のアスカーリ卿を保護しました。『ミストブレイカーズめ…』とか何
とかうわごとを言っていますが、とりあえず無傷です」
 その怪我をした張本人…謎の蒼いミストに斬られた若い騎士が報告に来た。地面に
叩きつけられてしたたか打った腰が痛いのか、歩き方が妙にぎこちない。
 「そうか。まあ、この現象は魔術師にでも調査させるとするか…。撤収するぞ!」


『…当時の王宮はミストブレイカーズに対する情報が全くと言っていいほどに無かっ
た。『血に飢えた霧』の一件はミストブレイカーズの仕業として判断されたようだ
…』
『…後で知った事だが、私の大剣こそがミストブレイカーだったそうだ。だからアス
カーリは死ななかったのだろう…』
(アヴィサルの日記より抜粋)


#7 ルータ(2)

 「私を……封印するのですか? どうして?」
 ルータは『龍喰いのルタ』から降りるなり、目の前の青年へと抗議の声を上げた。
 「私がアヴィサル様の嫌いなアーティだか……ら…」
 長い、沈黙。
 ルータの唇から名残惜しそうに自らの唇を離し、アヴィサルは口を開く。
 「お前の手を血に染めたくないんだ。だが、お前と『龍喰いのルタ』があれば、絶
対に俺はお前達の力を借りるだろう。だから、お前達を封印しようと思う」
 「アヴィサル様と一緒なら、私の手なんか血だらけになったって構わない! ア
ヴィサル様と居られるのなら、私………そんな事……」
 瞳に浮かぶ、涙。細い両手で俯いた顔を覆い、ルータは嗚咽を始めてしまった。そ
のルータを、アヴィサルは優しく抱き寄せる。
 「俺は君を愛している。この戦いが終わったら…ミストがこの世から無くなった
ら、必ず君を迎えに来る。約束するから……」
 一人よがりな馬鹿な考えというのは、アヴィサルが一番よく分かっていた。だが、
馬鹿でも何でも、自分の愛する者に殺戮の片棒を担がせる事は、アヴィサルには耐え
られなかったのだ。
 自らの体に覚え込ませるように、アヴィサルはルータをさらに強く抱きしめ、彼女
へと囁いた。
 「このエル・ロークで待っていてくれ。ここなら追っ手も来ないだろうから……」
続劇
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