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#0 (プロローグ)ハールーン・アイケイシア(1)
 「ハールーン様。それは…?」  ふと掛けられた声。その声に、真紅の美女…ハールーン・アイケイシアは書物へと 落としていた瞳を上げる。  「ああ。私の『真紅のマンティコア』の着装者艚に紛れ込んでいたのだ。全く、一 体いつ紛れ込んだものやら…」  そう言いつつ、ハールーンは小さく苦笑を浮かべた。  その表情を少しだけ真剣な表情に戻し、パタン…と簡易綴じされた本を閉じる。  ハイマジックランチャー攻防戦から数日が過ぎた。この間、ファーレン軍、教団、 そして元・黒薔薇騎士団筆頭アイロスの結成した正統ローク教団のどれにも、目立っ た軍事行動はない。  しかし、軍の内部では色々と動きがあったはずだ。教団では六花公も再編されたと いうし、ハールーン自身も赤薔薇騎士団の団長の任を解かれたと聞く。そして、その 後任に入った新団長とは……  「まさに天帝ロークのお導き…とでも言うのかもな。この『アヴィサルの日記』を 持ち出した事が、少しでもあいつへの嫌がらせになればいいのだけれど……」  『真紅のマンティコア』の着装者艚に身を沈め、ハールーンは青く澄み渡った空を 見上げた。



龍の血を受け継ぐもの
その1



#1 アヴィサル・スペクター(1)

『…魔術師どもの反抗も分かる。だが、民衆の虐殺は行き過ぎではないのだろうか
…』
『…午後から盟友アスカーリの家へと赴く。彼はミストメーカーながら、レジスタン
スの為にとミストを殲滅する兵器を開発している。だが…』
(アヴィサルの日記より抜粋)


 大きな扉の前に立つ、一人の青年。
 緑青の浮いたドアノッカーを軽く取り、数回叩きつける。
 響く、重い音。
 「はい……?」
 暫らく待っていると、中から誰かが現われた。
 「おや? 君は……?」
 取り次ぎに出て来たのは、顔馴染みのいつもの老執事ではない。上等の服をまとっ
た、16歳位の少女。初めて見るその小柄な少女に、青年は首を傾げる。
 「はい。先日よりこのお屋敷でお世話になっているのですが……『ルータ』と、言
います」
 そう言った後に小さく礼をする少女。よく手入れされているらしい蒼く長い髪が、
なめらかに肩からこぼれ落ちる。
 「ルータ……ね」
 名前しかないという事は、あまり良い身分の者ではないのだろうか? その割によ
く躾けられた丁寧な動作に、青年は好感を覚えた。
 「それではルータ。君の主人のアスカーリ殿にお伝え願えるかな? 汝の盟友、ア
ヴィサル・スペクターが参りました、とね」


 「それで、その新型ミストの開発状況はどうなんだ?」
 応接間のソファーに腰掛け、アヴィサルは目の前の男へと簡潔な質問を浴びせた。
 「ああ、なかなか快調だよ。今までの私の最高傑作と言っても良いだろうな。イレ
イザーやアーティを載せていない今の段階でも、そこらのミストならば軽く倒せると
思うぞ」
 自信満々に答える青年…アスカーリ。
 しかし、応じるアヴィサルはアスカーリの言葉に、あまり乗り気ではない表情を浮
かべる。
 「なあ、アスカーリ」
 「何だ?」
 そのアヴィサルの表情に気付いたのだろう。アスカーリは短く相槌を打つ。
 「あの新型機…本当にアーティを載せるのか? どうせ俺の専用機なんだ。MAI
でも構わないと思うのだが…」
 アーティとMAI。それは、戦闘用兵器であるミストを制御するために作られたオ
ペレーションシステムの名称だ。このOSを搭載する事により、ミストはより高い性
能を発揮する事が出来るようになる。
 ちなみにこの二つの大まかな相違は、アーティは人の姿を模して創られた『人造人
間』であり、MAIはただの優れた部品…『ミストの一部』であるという一点のみで
しかない。
 「MAI…か。いくらお前に適性があるとは言え…『ルキフィータ』を見ろ。あれ
とて一体何人の人間を廃人にしたことやら……。そんな物騒な代物、俺のミストには
載せられんよ」
 アスカーリはそう言うと紅茶の注がれたカップを取り、小さく苦笑を浮かべた。
 一般に、MAIの方がアーティ制御よりも高い性能を引き出す事が出来る。しか
し、アーティ程に柔軟性のないMAIには、着装する者を選ぶという致命的な欠点が
あった。
 相性の悪いMAIを駆る事で精神を破壊され、廃人になった者は決して少なくはな
いのだ。
 「あんな人形の制御するミストを着装する位なら……」
 ルータの運んできた紅茶を一口すすると…
 「俺はMAIに精神を破壊される方を選ぶね」
 アヴィサルは、吐き捨てるようにそう呟いた。


『…全く、アーティというのは何なのだ。確かに人に見えはするが、感情も何も全く
見せる気配が無い…』
『…人形やミストでももうちょっと感情があるように思う。あんな薄気味悪い物は見
た事が無い…』
(アヴィサルの日記より抜粋)


 「おや?」
 アヴィサルは、市場の向こうから歩いてくる少女を見付け、足を止めた。
 「確かあの娘は…」
 ルータ。アスカーリの家で雇われているらしい娘だ。雇われているであろうハズな
のに、使用人の服ではなく上等の服を着ている所が多少気に掛かったが……そこまで
他人の事に口出しをする程、アヴィサルは神経質ではない。
 ルータは沢山の荷物を抱えたまま、ふらふらと歩いている。その様子はいかにも危
なっかしい。
 「ルータ。お使いかい?」
 その山のような荷物の一部をひょいと取り上げ、アヴィサルはルータへと声を掛け
た。
 「アヴィサル様……」
 ルータは青年の顔を見て一瞬だけ嬉しそうな表情を浮かべるが、すぐに表情を困っ
たようなものへと変える。
 「あの……。私の荷物ですから……。アヴィサル様にそんな事をさせたら…」
 「秘密にしておけば大丈夫だよ。アスカーリに何か言われたら、俺が勝手にやった
事と言えば良いから」
 優しく微笑み掛けるアヴィサルに、ルータもつられて思わず笑みを浮かべ、小さな
声で答えた。
 「はい」


 「アヴィサル。うちのルータにだいぶ入れ込んでいるようだな。俺の留守の間に日
参りだそうじゃないか?」
 王宮のバルコニーの石柵に背中を預け、アスカーリはくすくすと笑いながら隣のア
ヴィサルにそう囁く。
 「何だ。ルータめ、秘密にしとけって言ったのに…」
 とぼける事もせず、アヴィサルは苦笑を浮かべるのみだ。王宮の騎士と侍女の内緒
の恋など宮廷ではよくある事だから、特に悪びれた様子もない。
 「まあ、別にいいがな。お前ならば遊びではなかろうし……せいぜい大事にして
やってくれ」
 アスカーリも盟友のアヴィサルの事を信用しているのだろう。特に文句を言う訳で
もないようだったが……。
 「だが、そっちには堅物のお前までそういう事を始めるとはな……。この国もいよ
いよ終わりかもしれん」
 王宮の人間としてあるまじき言葉を、アスカーリは唐突に放つ。二人の周りにはア
スカーリの防音の結界が張ってあるからいいようなものの、そうでもなければ今の言
葉一つで大変な事になっているだろう。
 史上最強の魔法兵器…ミストが誕生してから、彼らの王国も随分と様変わりしてい
た。若い、野心的な王が王位に即いたこともあり、力と恐怖での支配を平気で行なう
ようになっていたのだ。
 「王宮騎士の前で言うことじゃないぞ、それ…」
 そう言うアヴィサルも、自分の王国の在り方にはかなり疑問を抱いていた。
 先程も反乱分子を殲滅する為にミストを駆っていたのだ。内通者が居たらしく反乱
分子は既に逃亡した後だったが、力無いものを圧倒的な力で駆逐するというのは…い
くら仕事とは言え気分の良いものではなかった。
 「フ……。お前だから言うのだ。その為に新型機とて、レジスタンスの金で造って
いるのだろう?」
 そう。反乱分子に内通する者こそ、アヴィサルとアスカーリなのだ。アヴィサルが
制圧しにいった反乱分子が事前に逃走できたのも、彼が情報を流したせいなのだか
ら。
 「新型機の完成ももうすぐだ。その時は…」
 「ああ…。この腐った王国を去り、戦いの元凶であるミストを全て…滅ぼす」
 若き騎士と技術者は、お互いに小さく首肯き返した。



#2 アヴィサル・スペクター(2)

『…アスカーリの指摘する通り、私とルータの仲はこの一月で急速に親密なものに
なっていった。しかしこの恋は私にとって遊びなどでは決してなかった…』
『…今日はアスカーリの新型機を試験的に着装する日だ。人形が制御するミストなど
着装したくもない。やはり後でアスカーリに山ほど文句を言って、MAIに変えさせ
てやろう…』
(アヴィサルの日記より抜粋)


 アヴィサルはアスカーリ邸の玄関の前に立ち、小さくため息を吐いた。
 「せめてMAIならば気も楽なのだがな……」
 扉に掛かっているノッカーも、妙に重い。
 アヴィサルは相変わらずアーティが苦手だった。あの妙に主人に従順な機械のよう
な態度と、見るからに『造られた』存在感。それらの放つ特異な感覚に、どうしても
馴染めないのだ。
 暫らくそんな事を考えつつ待っていると、出迎えの者が出てきた。
 「アヴィサル様!」
 「やあ、ルータ。今日はアスカーリに呼ばれたのだが?」
 飛び付かんばかりの声で迎えるルータに、アヴィサルは小さく笑みを浮かべる。彼
女の満面の笑顔のおかげで、アヴィサルの暗い気分は少しだけ晴れた。
 「はい。地下工房でお待ちです。どうぞ」


 「随分と遅かったな、アヴィサル……」
 暗い工房の中。一つだけ付けられた魔法の明かりの中に、アスカーリは立ってい
た。
 「どうしたんだ? こんなに照明を落として…」
 対するアヴィサルの明かりは、傍らのルータの持っている燭台のみだ。地下工房を
ゆらゆらとたゆたう換気の魔法の風で、燭台に立てられたロウソクの焔がゆらゆらと
揺れる。
 「新型機の初めての紹介だぞ? 少しは派手にやらせろ」
 そう言いつつ笑う、アスカーリ。
 笑いながら手を小さく振り、どこかへ合図を送る。
 それに反応していたのだろう。魔法の明かりが幾つか燈され、巨大な工房の真ん中
に鎮座する巨大な機械甲冑の姿を一斉に照らし出す。
 「ほぅ………」
 その甲冑…ミストを見、アヴィサルは思わず感嘆の声を洩らした。
 大きい。5mはゆうに越えているだろう。見方によってはミストというより、重機
動兵器であるミストアーマーに見えないこともない。
 「イレイザーの調整はまだ三割しか済んでいない。まあ、自己進化機能はほぼ完成
しているからな。後はシステムの構成に必要な素材を注入しつつ待つだけ…と言った
所だ」
 嬉しそうに語るアスカーリ。
 「凄いな……。これならば確かに、ミストを絶滅出来るかも知れん……」
 目の前の甲冑を見つめ、アヴィサルは真剣な口調で呟く。
 「さすが王国有数のミストランナー、アヴィサル・スペクターと言った所だな。見
ただけでこいつの力が分かると見える…。このミストイレイザー……」
 アスカーリは一瞬だけ間を置くと、言葉を続けた。
 「『龍喰いのルタ』の実力をな…」


『…まさかあんな結末があるとは思わなかった。私とルータ、そしてあのミストイレ
イザーの…』
『…私は唯一の盟友をこの時ほど恨んだ事はなかった…』
(アヴィサルの日記より抜粋)


 アヴィサルは短い芝生の繁る河原の土手に、力無く腰を落とした。
 全力疾走した後で乱れた呼吸を、精一杯整える。
 「馬鹿……な……」
 頭はすっかり混乱していた。
 「龍喰いの……『ルタ』…だと?」
 先程の事を、思い出す。
 「そうだ。まだ名前を言っていなかったかな?」
 手を軽く上げ、再びどこかへ合図を送るアスカーリ。
 「それでは……まさか……」
 その合図に残された全ての照明が燈され、工房の一角に立っていた娘の姿を照らし
出す。
 「そんな……」
 青年の傍らにぽつんと立っていた小さな少女の姿を、アヴィサルは一生忘れないだ
ろう。
 「ルータ……嘘…だろう…?」
 そして、少女が可愛らしい…しかし奇妙に無機的な声で放った言葉も、アヴィサル
は一生忘れないに違いない。
 「畜生…恨むぞ……アスカーリ……」
 アヴィサルは小さな声で、そう呟く。
 いや、恨むのは自分自身だろうか? ルータを『アーティ』という目で見た、自分
自身を。大きめの瞳に涙を一杯に溜めたルータの顔が、アヴィサルの脳裏から離れな
い。
 「…ルータ………ちきしょうっ!」
 そして、この日からアヴィサルがアスカーリの家に向かう事は無くなった。
続劇
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