-Back-

嵐の日の過ごし方  −六畳一間のOverTec.−
『台風18号は依然勢力の衰えぬまま紀伊半島を過ぎ、このままの進路を辿れば帝都 に……』  つけっぱなしにしてあるテレビから、そんなニュースが流れてくる。  俺は掻き込んだご飯を即席のみそ汁でずずっと飲み込むと、ほぅ…と一息を吐く。 「こんな日に予備校に行く気もしねえし……何しよっかな……」  今年最大級とか言う台風が来るような日に、わざわざ予備校なんかに行く気にもな らない。まあ、どっちにしても環状線以下の帝都電鉄網は台風が来た時点で速攻で止 まってしまうハズだから、例えやる気があったとしても予備校に行く事は出来ないの だが。 「雨戸も閉めたし、自転車も倉庫に放り込んどいたし…今日は一日寝るとするか…」  アパートには珍しく、俺の住んでいる巴荘には何と『雨戸』がある。しかも、今時 のアルミサッシのやつじゃなくって、木製のやたらに分厚いヤツだ。出すには重かっ たがその分たしかに丈夫そうで、少々の看板なんかがぶつかってもビクともしないよ うに……見えた。 「……いい若いモンが、この良き日に寝ておってどうする」  ? 「ジイ様の言う通りだ。こんな時こそ、ご近所の平和を護らないとイカン!」  ??  がばりと起きあがると、そこには見慣れたくない二つの影が…… 「だぁぁぁっ! あんたら、また人んちに勝手に上がり込みやがって!」  そこにいたのは、黒ずくめの怪しげな爺さんと、黒いTシャツに白いパンタロンと いう異様な格好をした俺と同じくらいの男。 「いいじゃねえか。ケチケチすんない」 「そうじゃそうじゃ。最近の若いモンは度量が狭いのう……」 「っつーか、人んちの飯食うなぁぁぁっ!」  わざわざご飯茶碗まで持参でウチの炊飯ジャーからご飯をよそおうとしている二人 に、俺はいつも通りの叫び声を上げる。  これが、俺がこの超格安アパート『巴荘』に越してきてからの、朝の日常だった。 「で、今日は何しに……」  露骨にイヤそうな口調で、俺は目の前の二人組に声を掛ける。しかし、聞くからに イヤさ加減の分かる俺の声にも、派手男とジイ様が気を悪くする気配はない。  毎日毎日のことだから、どうせ慣れているのだろう。 「そうそう。何せ、こんな日だからな。ヒマしてるだろうと思って……な」  3杯目のご飯をよそいつつ、派手男はご飯粒のくっついたしゃもじをくるくると回 す。どうやっているのか知らないが、シャモジにくっついた固めのご飯粒が辺りに飛 び散らないのだけがせめてもの救いだ。 「いや、別に暇なワケじゃないっスけど……」 「それは、嘘ぢゃな」  フリーズドライから復活したばかりの小さな豆腐を挟んだままの箸でびっ! っと こちらを指差し(箸差し?)、ジイ様が一瞬にして俺の言葉を否定する。って、この ジジイ、わざわざ湯まで沸かして俺のインスタントみそ汁飲んでやがる……。 「さっきお主、『こんな日に予備校に行く気もしねえし……何しよっかな……』とか 何とか言っておったぢゃろう? そんな台詞が素で出るような輩が、暇ぢゃないワケ がなかろうて……」  くくくく……と、特撮ドラマなんかに出てくる悪の大幹部みたいな含み笑いをし て、ジイ様は何かを悟ったような口調で呟く。  だが、俺だっていつもいつもいつもいつも押し掛けられた上に、タダ飯食われて ばっかりじゃあたまらない。 「……で、お二方も暇なんですか? 用があるんだったら、早くそっちに行ったほう がいいんじゃないです?」  今度は露骨さ……というか、あからさま過ぎて言う方が逆に気分が悪くなるくらい の口調で、俺は二人に声を掛けてみた。 「暇じゃない。出動前の腹ごしらえをしている所だ」  ……4杯目食ってやがる。『居候、三杯目にはそっと出し』っつー格言を知らんの か、この男は……。  そして、 「ワシも暇ではないぞ。それどころか、ワシはお主に用があって来たのぢゃ……」  どこから見付けてきたのか食後の緑茶をずずずっとすすりながら。そう言うジイ様 のサングラスの奥の瞳が、一瞬鋭い光を放ったように見えた。 「で……これは?」  ウチのアパート……巴荘の前にででんと置かれた巨大な物体を指差し、俺はぽつり と呟いてみた。 「何じゃ。知らんのか? 全く、最近の若いモンは……」  オールバックにした白髪を振り振り嘆かわしそうに答えるジイ様と、俺の方を見て 苦笑する派手男。 「ああ、俺は知ってるぞ。最近の若いモンだけどな」  いや、知らないことはない。長方形に組んだ竹製のフレームの一面に和紙を張り付 け、高度制御用のタコ糸と姿勢安定用の長く細い紙をバランス良く取り付けた物体。  あの正月なんかに上げて遊ぶヤツ。  いわゆる、凧だ。  ただ普通の正月に上げる凧と違っているのは、それが4〜5m四方はあろうかとい う、あまりにも巨大な凧だった……という事。 「……で? この凧は?」  六畳一間の巴荘で、どうやってこの巨大な物体を組み立てたのだろう……という疑 問はどっかその辺にうっちゃっておいて。俺は、隣の15号室に住んでいるジイ様の 様子を見遣る。 「お前さん、白影は知っておるか?」 「はぁ?」 「激動のカワラザキでもよいぞ?」 「はぁ?」 「あ、俺知ってるぜ」  はいはいっ…っとばかりに元気良く手を上げてみせる派手男。外出だからと首に巻 いてある真っ赤なマフラーが風になびいて鬱陶しい事この上ない。 「……って事は……」  と、何を思ったのか、派手男は元気良く上げていた手を下ろし、やたらと芝居じみ た動作でその手を顎へと持っていく。いわゆる、『考えるポース』というヤツだ。 「白影……激動の爺様……そしてこの凧。……爺さん……『アレ』をやる気だな?」  何を思いついたのか、男はニヤリ、と笑う。 「ククク……ようやく分かったか……」  それだけで通じたのか、爺さんの方も、ニヤリ。 『というわけで……』  俺は全く分からない。影がどうだとかカワラザキとかいう爺さんがどうしようが、 俺には全然関係のない話……の、ハズだ。  頼む。俺には関係のない話だと言ってくれ。 『頼むぞ、白影!』  ジイ様と派手男。  二人の右手と左手が、俺の両肩にポンと置かれる。 「はぁ?」  そろそろ強くなり始めた風に、どっかのラーメン屋の看板ががらんがらんと不吉な 音を立てて転がされていった。  まるで、俺のこれからの運命を暗示するように…………。
「なぁ、ジイ様」  荒れ狂った空と好対照の妙に晴れ晴れとした口調で、青年は隣の老爺に声を掛け た。 「何じゃ? 若いの」  こちらも妙にスッキリとした口調で、青年の言葉に応じる老爺。 「今年の18号は、雨台風だったんだな」 「そうぢゃな。風台風では、なかったのぢゃな」  豪雨といっても良いほどの激しい雨が、広いグラウンドにぽつねんと立つ二人をず ぶぬれの姿へと変えていく。  何せ、日本全国に大雨警報が出ているのだ。バケツをひっくり返したような雨が降 ろうと、滝のような雨が降ろうと、一向に不思議ではない。 「…………」  沈黙。  激しい雨の音と、青年の赤いマフラーと老爺の黒いコートの裾が激しい風になぶら れて立てる音だけが、辺りに空しく響き渡る。 「なぁ。ジイ様」  低く垂れ込めた空と好対照の妙に遠い目をして、青年は隣の老爺に声を掛けた。 「何じゃ? 若いの」  こちらも妙に遠い目をして、青年の言葉に応じる老爺。 「考えたら、白影も激動のジイ様も雨の日には凧で飛んでなかったよな」 「そうぢゃな。白影も激動のカワラザキも、雨の日には凧で飛んでおらんかったな」  そして、沈黙。 「ジイ様、風邪ひいちまうし、帰るか」 「そうぢゃな。帰るか」  どんどん下がっていく気圧に反比例するかのような妙に軽々とした足取りで、二人 はその場から立ち去って行く。  荒れ狂う黒い空を背景に、骨だけになった大凧とそれにくくりつけられた青年が ひゅるひゅると落下していくのが……豆粒のように小さく見えた。
 ぶるるるるん……  死ぬ思いで巴荘に戻ってきた俺の隣を、宅配便のトラックが元気良く走っていく。 今は台風の目に掛かっているだけの一時の静けさでしかないというのに、お仕事ご苦 労様……ってなトコだ。 「あ、づみちゃんさん。づみちゃんさんトコに宅急便届いてたから、受け取っといた よ」  と、俺の頭上から元気のいい声が降ってきた。まるで台風の目の中の青空のよう な、晴れやかな声。 「あ−、助かる」  俺と同じ2階に住んでいる、麻生ミユキという娘だ。齢16にしてどこかの国の大 学を卒業してそのまま日本の超大企業に就職、結局男を追いかけて会社を辞めてし まったという、物凄い経歴の持ち主……と聞くが、奇人変人揃いのこの巴荘の事、ど こからどこまでが本当かはよく分からない。  まあ、元気はいいし、細かいところによく気がつくし、時々作り過ぎた料理を差し 入れしてくれる、可愛いご近所さんなのは確かだ。別に大学を卒業していようと、高 校中退だろうと、そんな事はそう大した問題ではない。 「それじゃ、あたしは今のうちに買い物に行って来るから」 「二丁目のスーパーは停電で閉まってたぜ。三丁目の商店街の方行ってみな、あっち の方はアナログだから何とか動いてるだろ」  とんとんとんっと軽快に階段を下りてくるミユキちゃんを避けつつ、俺は彼女にそ んな事を言ってやる。折角『空の上から見た』情報だ。意地でも何らかの役に立てな ければ、俺の決死の行動は全くの徒労に終わってしまう。  っつーか、ヤツらにやらされただけでは、余りにも悔しいではないか。 「ありがと。お礼に、またカズマ君のと一緒に差し入れしてあげるね」  彼女の隣に住んでいる『彼』の名を口にしつつ、ミユキちゃんはにっこりと笑う。 彼氏持ちでも何でも、美味しい手料理を届けてくれると言うのならば何の文句もな い。 「楽しみにしとく」  住人達の自転車やら何やらが放り込んであるハズの倉庫の方にぱたぱたと駈けてい くミユキちゃんの後ろ姿を見遣り、俺は軽く手を振っていた。
 次の日。 「……ん?」  ふと気がついた俺は、倒れ込んでいた玄関先からゆっくりと身を起こした。  どうやら、昨日帰ってきた後、自分の部屋に戻ってきた時点で完璧に意識を失って しまったらしい。 「しまった……ミユキちゃんの料理、食い損ねた………」  掛かっていた毛布を悔しさ半分に放り投げ、俺は天を仰いだ。何が悔しいって、他 人の作った折角の手料理をみすみす食い損ねたというのが悔しい。  ん? 「毛……布?」  ミユキちゃんではない。付き合っている武井さんの部屋ならともかく、赤の他人で ある俺の部屋に勝手に入ってくるはずがないからだ。  隣の派手男やジイ様なら押入に開けた穴から勝手に入ってくるだろうが、あの連中 が倒れてる奴に毛布を掛けてくれるような殊勝な事をするなどとは到底思えなかっ た。どっちかと言えば、ヤツらは勝手にその辺を漁って、適当に食えるモノを食い散 らかしてそのまま去るような連中だ。 「誰……だろ?」  玄関に座り込んだまま、その事について考え始める俺。  ようやく考えることをやめた俺が、部屋の隅っこに申し訳程度に(しかし、思いっ きし堂々と)置いてある巨大な『カンオケ』の存在に気付くのは、もう少し後の事 だった。 登場人物紹介 一乃字ヒヅミ(俺) 予備校生の青年。被害者(笑)。通称づみちゃん。 正義ヒイロ(派手男) 赤いマフラーに白いパンタロンをまとった怪しい男。 阿久津シュウスイ(ジイ様) 黒尽くめの怪しい老爺。 麻生ミユキ 16歳にして米大卒という天才少女。 カンオケ 青年の家に宅急便で送られた、謎のカンオケ。

< 単発小説 >

-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai