-Back-

3.草原姫の帰還

 旅立ちは、停車場だけで行われるわけではない。
「それでは……お世話になりました」
 街の外れ、小高い丘の上。
 出立の準備を終えたのは、草原の国の王族達だ。
「こちらこそ、草原の国をよろしくね」
 差し出されたノアの手をそっと握り返すのは、本物のノア・エイン・ゼーランディア……アルジェント。
「ですが……本当に良いのですか? アルジェント様」
 ノアは、オリジナルであるアルジェントから二人目のクローンである。初代のクローンからの記憶は受け継いでいるが、それでもまがい物である事には変わりない。
 その彼女に、アルジェントはノアとしての存在を託すというのか。
「もちろんよ。今のノア・エイン・ゼーランディアは、間違いなく貴女だもの。殿下」
 繋いだその手に重ね合わされるのは、少女の手よりもっと小さな幼子の手。
「ノア! ノアがこまってたら、いってね! いつでもたすけにいくからね!」
「ええ。遠慮なく連絡ちょうだいね。……いいわよね、マハエ」
 少し離れた所でタイキ達と話をしていたマハエも、軽く頷いてみせる。
「アルジェント様。そういえば、あれは……?」
 主語を抜き、ノアが声を落とした問いかけの意味は、無論アルジェントは理解していた。
「あの戦いの時も、出てこようとしなかったの。存在はしているみたいだけど……」
 彼女の内に宿る力を使えば、泰山竜との戦いはもっと有利に進める事が出来たはず。だが彼女の中の名も知らぬそいつは、アルジェントの呼びかけに答える事はなく……せいぜい、彼女の魔法に僅かな力を貸しただけ。
「そうですか……。こうなる事が分かっていたから、でしょうかね?」
 圧倒的な力を振えば、確かに事態の解決は容易だったろう。
 けれどその後、周囲の彼女を見る目がどう変わるかは……いかに世間知らずの姫君といえど、容易に想像は付くものだ。
「さあ。神様の考える事は、分からないわ」
 ともあれそれも、既に過ぎた事。
 呼びかけに答えない以上、そいつの真意を知る術はどこにもありはしない。
「殿下。もう出発するとシャーロットさんが」
「忍さん、モモ様も、本当にありがとうございました」
「そんな……光栄です」
 ノアを呼びに来た忍は小さく頷き、差し出された手をそっと握り返す。
「大した事はしておらんよ」
 続いてモモも、そう言いながらも優しくノアの手を握り返した。
「また酒を酌み交わせる日、楽しみにしておるぞ。この街の綺麗処は、酒に弱いのが多くて困る」
「な、何よ……」
 ちらりと視線を寄越されて声を上げるアルジェントに、ノアは思わず吹き出してしまう。
「ふふっ。モモ様も、近くまで来たらぜひ遊びにいらしてください」
 そして草原の国の王女も、自らの馬に飛び乗ってみせる。


 姫君と同じく馬上の人となったタイキも、足元の兄に最後の挨拶をする所だった。
「じゃあ、兄さんも気をつけて」
「おう。タイキも頑張ってな!」
 王都に戻れば、再び忙しい日々が待っているのだろう。ノアの周囲には味方も少ないと聞くし、ガディアに居た頃のような訳にはいかないはずだ。
「けど、ホントに修行、大丈夫? お師匠様ももうどこか行っちゃったんでしょ?」
 ダイチも弟を見送った後、天候魔術師の修行の旅に出ることになっていた。
 彼の槍の師匠であるマーチヘアも既にどこかに行ってしまったと言うし、修行の助けになるのはタイキが置いていくことにした指南書一冊だけになる。
「あの本一冊だけで十分だって。ありがとな!」
 既に貴重な指南書を譲ってもらったのだ。これ以上弟に頼っては、兄の威厳にも関わってくる。
「ダイチ。行きますよ」
「あ、はいっ! それじゃ、たまにはウチにも帰ってきてね、兄さん!」
 シャーロットの言葉に馬の腹を軽く蹴り、草原の国の若き天候魔術師も隊列の中に加わっていく。


 持ち運ぶ荷物は最低限。行軍速度は最速に。
 それが、草原の国の流儀である。
 故に、見送っていた隊列は、あっという間に視界の向こうへと消えてしまう。
「行っちゃったわね」
「……だな」
 アルジェントはノアの称号を彼女に譲ると言ったが、裏返せばそれは姫という役割を彼女に押しつけることでもある。
 小さく唇を噛む娘の肩をおっかなびっくり抱いたのは、ぎこちなく伸ばされた男の太い腕。
「お互いが納得してるんだ。それで……いいんだと思うぜ」
 男の言葉に、答えはない。
 ただ、無骨な手のひらに寄せられた柔らかな頬だけが、無言の答えとなってくれる。
「セリカ。シャーロットに同行するとか言うておったが……良いのか? 安請け合いして」
 モモの問いに、セリカは小さく頷いてみせる。
「どうせ、五十年くらいだろうから……」
 一度自分の住んでいた森に戻り、それから草原の国に向かうのだという。
「だったら、好きな人と一緒にいたほうがいい」
「違いない」
 セリカの言葉に、龍族たるモモは穏やかに微笑んでみせる。
 人間ならばいざしらず、それは長命種にとってさしたる時間ではないのだから。


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai