4.円環、巡る
お好み焼き屋の店主と何やらこそこそと内緒話をしているのは、草原の国の姫君だ。
その様子を、少し離れた樹上から眺めながら。
「セリカ、あれ……何の話をしてるか、分かる?」
遠眼鏡を片手に難しい表情をしているのは、草原の国の姫君に仕える侍従長である。
「むぐむぐ……わかんない」
そして彼女の傍らにいるのは、細身のエルフの娘。
「……ちょっとセリカ。あなた何食べてるのよ」
いつの間に買ってきたのか、相棒は湯気の立つ串焼きを黙々と頬張っているではないか。
「食べる?」
「いらないわよ」
侍従長の役割は、姫の護衛である。その任務の最中に、呑気に串焼きを食べているなどあってはならないことだった。
「はい、あーん」
「…………」
故に、差し出されたひと口分からぷいと顔を背けてみせる。
「あーん」
しっかりと焼けた香ばしい匂いを漂わせる串焼きは、セリカの言葉と共にさらに突き出されて。
「…………あーん」
仕方なく、シャーロットは口を開く。
「美味しい?」
「まあ、美味しいけど。……じゃなくて」
今必要なのは串焼きを食べることではなくて、任務なのだ。
「りっつぁんの事だから、たいした事じゃないと思う。気になるなら、後で聞いとく」
どうやら向こうの内緒話も終わったらしい。
動き出した姫君を追って、セリカ達も追跡を再開する。
正面に構えられたのは、細い針金を曲げて作られた、細い取っ手の付いた円環の物体。
そして円環にぴしりと張られているのは、陽光が透けて見えるような薄紙だ。
「む……これは……」
水の滴る円環の中央。
大きく穴の開いた薄紙から覗くのは、草原の国の若き天候魔術師の困り顔だ。
「うぅ、タイキでもダメかあ……。ダイチは……」
ルービィが見た時には、最後の砦かと思われたダイチも穴の開いた円環を呆然と見つめているだけ。
十五センチの幼い長は針金細工を持ちきれないから……どうやら、一行は全滅らしい。
「さあ、誰かすくえる奴はいるか!」
そう言い放つ店主は、言うまでも無くミスティである。
これでお好み焼きを食べながらでなければもっと様になっているハズだったが、残念ながら彼女にとっての食はカッコイイ見切りよりもはるかに優先される物なのだった。
「ここにいるぞ!」
そんなミスティの問いに応じるのは、高らかな声。
「モモ!」
分かたれた観衆の間を悠然と歩いてくるのは、薄桃の髪の娘である。
これで串焼きを食べながらでなければもっと様になっていたハズだったが、残念ながら彼女にとっての食もカッコイイ見切りよりもはるかに優先される物なのだった。
「敵討ちは任せておけ。ワシも今年こそはリベンジといこうかの」
対価を払い、代わりに薄紙の貼られた針金細工を受け取る。
「去年と同じと思ったら大間違いよ。モモ」
不敵な微笑みに答えるのは、やはり不敵な微笑みだ。
その様子を見守るダイチ達は……彼女達の背後に、睨み合う龍と虎の幻影を見た気がした。
二人に渡されたのは、一枚の皿と、一組の箸。
「これ……どうしろってんだ」
乗っているのは、律特製のお好み焼きだ。
「二人で食べろってことじゃないの?」
「俺ぁいいや。お前食えよ」
「私もこんなに食べられないわよ。マハエ、半分食べてよ」
幸いにも、お好み焼きは一口大の大きさに切り分けられている。分けて食べるのに何の不都合もない。
「……俺、箸使えねえんだよ」
仕事の都合で海の国にも何度か行ったことはあるが、あくまでも仕事である。現地の美味しい物を食べ歩く事などあるはずもなく、もちろん箸を使う機会もなかった。
お好み焼きにはソースがたっぷり掛かっているし、湯気が立つほどに熱い。手づかみで食べるのも難しいだろう。
「なら食べさせてあげるわよ。はい、あーん」
対するアルジェントは箸の使い方も慣れたもの。ひと口分を器用につまみ上げ、ひょいと差し出してみせる。
「……勘弁してくれ」
死んだ魚のような目でそう呟き、大きく欠伸をひとつ。
「マハエ、眠いの?」
とはいえ、白髪交じりの頭を掻きながらの男に声を掛ける娘の表情にも、疲労の色は濃い。
「まあなー。でもまあ、大丈夫だ」
「大丈夫じゃないでしょ。そんなフラフラで……何日寝てないの。よく考えたら、ご飯もあんまりまともに食べてないでしょ」
ここ数日のマハエは、祭の準備であちこちを走り回っていたはずだ。見ている限りでも、食事や休憩をまともに取っていたとは言いがたい。
「カナンの所で食ったし、徹夜なんざ二日も三日も変わんねえよ」
「変わるわよ。ちょっと休んで……って、あら?」
そこで、アルジェントは気がついた。
「どした」
「ノアと、ナナトは……?」
律の店の前でお好み焼きを食べていたはずの二人の姿が、忽然と消えているではないか。
「…………おいおい」
アルジェントの差し出していたお好み焼きをひと口で放り込むと、マハエは雑踏の中へと走り出す。
「おーい」
串焼き屋台にふらりと顔を見せたのは、アギの見知った顔だった。
「あれ。ネイヴァンさん、いらっしゃい」
「腹減ったからなんかくれ。これでええわ」
特に詳しい説明を確かめる様子もなく指さしたのは、アギの用意した食材だ。何か言いかけるアギに構わずターニャはそれをひょいと取り、何事もなかったかのようにグリルの上で焼き始める。
「なあ。お前ら、殴られ屋って知らん?」
「さあ……。ターニャさん、知ってます?」
「知らないけど。ホントにやってるの?」
ターニャは屋台や出店のリストを確認してはいたが、そんな店は見た覚えがはない。もちろんモグリの店や飛び込みの大道芸もあるから、彼女の知らないものが本当にないとは限らないが……。
「大通りの方にもなかったぜ」
そんな会話に混じってくるのは、屋台の隅からだ。
「あれ。何でちっこいのがおるん。お前ら飯とか食わへんやろ」
黒衣のルードと、白い上着をまとった小柄なルードの二人組である。
「シヲが人通りを見たいって言うから、休憩させてもらってるんだよ」
最初は屋根の上から見ようとも思ったが、あまり高さがあっても臨場感に欠ける。かといって通りにそのまま降り立つのも危険と言う事で、こうして知り合いの屋台に席をもらっていたのだ。
「ふーん。せや。お前ら、殴られ屋ってどこにあるか知らへん?」
「だから、大通りの方にはなかったって言ってるだろ」
相変わらず人の話を聞かない男にため息をもらしつつ、フィーヱはもう一度答え直すのだった。
続劇
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