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3.赦されるもの

 彼方から聞こえてくるのは、祭を盛り上げる楽しげな音楽である。
 だがその場を支配するのは、祭を楽しもうとするような空気ではなく……緊の一文字。
「ザルツの長が、今日はどうした?」
 問いかけるコウも、それを見守るフィーヱも、硬い表情は崩さないまま。それは、軽快な祭り囃子でさえ和らげることが出来ないものだ。
 けれど、相対するルード……北のルードの集落の指導者たる幼子だけは、彼女達の緊張とは無縁な表情で首を傾げてみせるだけ。
「このあいだルービィさんから、お祭りのお話を聞いたので……面白そうだな、って」
「…………は?」
 言われ、フィーヱは思い出す。
 先日ビークの交換に赴いた時、ルービィも彼女に同行して北の集落に赴いていたことを。その時も確かに、長とルービィは仲良くしていたが……。
「アリスを倒したあたしを、処罰しに来たんじゃ……」
 同族殺しは、当然ながらルードの掟に反するものだ。人間を貴晶石化したルードと同様、その掟を破ったルードは、壊れルードとして追われる身となる。
「琥珀さんの意思を継いでくださったんですね」
 けれど、アリスを殺めたコウに長が向けたのは、穏やかな微笑みだ。
「…………あ、あたしは……」
「よい。そういうことにしておけ」
「ディス姉……」
 片手で制したディスの頷きに、コウはそれ以上の言葉を紡げない。
「じゃあ、シヲの事は……」
「はい。お話は聞いてます」
 シヲの再起動が行われてから、既に幾ばくかの時が過ぎている。街に出入りする旅のルードや工連たちから、報告は受けていたのだろう。
「ルードの再起動は……掟で禁じられているわけでは、ないよな」
 活動を停止したルードをそのままの状態で再起動させることを禁止する掟は、ルードの中にはない。だが、だからといって禁止されていない全てのことをして良いというわけでもないはずだが……。
「はい」
 だが、長は軽く頷いただけ。それ以上、フィーヱを問い詰める様子もない。
「じゃあ、シヲを連れに来たわけじゃないんだな」
 それでフィーヱの不安を理解したのだろう。しがみついてくる小柄な相棒を優しく抱き寄せながら、フィーヱが長達へと向ける視線に警戒の色は消えぬまま。
「別にそういうことは……。あ、ですが、再起動したルードは不安定になる事も多いですから。しばらくは里で様子を見た方が良いかもしれません」
 ザルツは決して大きな集落ではないが、そういった事態に対処できる設備くらいはある。いまだ本調子でないシヲのリハビリを手伝うことも出来るだろう。
「再起動したルードだからって、処分したりは……」
「そんな酷いこと、しませんよ」
 いまだ警戒の視線を解かないフィーヱに、長は困ったように微笑んでみせる。
「じゃあ、俺も行ってもいいんだな」
「え? 来ないんですか?」
 それでようやくフィーヱの肩から力が抜けて。
「あーっ!」
 場の緊張を完璧に吹き飛ばしたのは、地上から聞こえてきた大声だった。
「あ、ルービィさん! お久しぶりです!」
 声の主に長も外見相応の幼い微笑みを見せ、元気よく地上へと飛び降りていく。
「久しぶりー! ねえねえ、今日はどうしたの?」
「ルービィさんから、お祭りのお話を聞いたので……」
「じゃあ一緒にお祭り、見て回ろうよ!」
「はい!」
 そしてザルツの長は呆然と見送るフィーヱ達を後に、ルービィと共に祭の喧噪の中へと消えていった。
 残されたのはコウ達と、長の警護役として同行したらしき、武人のルードだけ。
「はっはっは」
 そんな途切れた空気に吹き出すのは、今まで黙っていた黒いルードである。
「ディ、ディス姉!?」
「いやはや。お主ら、警戒しすぎじゃ。殺気のあるなしくらい、いつものお主らなら感じられようて」
 彼女が一連の会話にほとんど口を挟まなかったのは、供の二人が警戒心丸出しで相対していたのが面白くて仕方なかったからだ。
 無論、悪びれる所など何もない彼女は、集落からの客達がこちらに用などなかった事はお見通しであった。
「ああ。貴公らが何を警戒しているのかは知らんが、長は今日は本当に遊びに来ただけだ」
 ちらりと地上に視線を向ければ、そこには彼女達を街まで連れて来たらしき男達と、白衣の青年の姿が見える。
 こちらも馬車の上に陣取って、祭の料理を食べながら何やら楽しげに談笑を繰り広げていた。もちろんそこには、掟を破った同族を捕まえに来たような緊張感など欠片も感じられない。
「色々貴公らの行動に関する情報は入っているが、今のところ我々は貴公らに敵対する意思はないよ」
 彼女も穏やかに微笑むと、主を追って祭の喧噪の中へと消えていくのだった。


「じゃあ、泰山竜の肝はちゃんと効果あったんだ」
 屋台の前に陣取って串焼きを食べているのは、青い髪の女性である。
「今のところは。どのくらい効果が続くかは、まだ良く分かりませんが……」
 アギたち兄弟の『病』を抑える秘薬に用いられるのは、竜の肝だ。今回の件で手に入った泰山竜の肝から作られたそれは、今までの薬よりも遙かに強く長い効力を発揮していた。
「まあ、効果があったのなら良かったわよ。今度はそっちちょうだい」
「はい。ありがとうございます!」
 ちょうど焼き上がった串を適当に指し、ミスティは次々と屋台の料理を平らげていく。
「これ美味しいわね……。イクマレーセンなんて初めて食べたけど」
 ぽつりと呟いたその言葉に表情を変えたのは、串を焼いていたターニャのほうだった。
「ミスティ、知ってるの?」
「そりゃ知ってるわよ。結構いけるのね」
 十分な資料があったとは言え、竜の内臓を使った秘薬も作れるミスティだ。そちら方面の知識があっても不思議ではない。
「やー。終わった終わった」
 そんな話をしている一同の所にやってきたのは、浴衣姿の娘と、細身の男の二人組だ。
「あ、カイルさん、忍さん。お疲れ様です」
 アギに手を振る浴衣姿の忍は、嬉しそうに巨大なハリセンを抱えている。
「ああ。漫才ショーってもうやってるんだっけ」
 串焼きを口に放り込みながら、メインの舞台の式次第を思い出す。飛び入り自由の漫才大会は、確かにかなり序盤から始まるイベントだった。
「何だよ、見てなかったのかよ。せっかく俺と忍ちゃんが」
「なんでやねーん!」
 言いかけたカイルの頭に響くのは、振り抜かれたハリセンの快音だ。
「…………忍ちゃん。だから早いって」
「なんでやねん!」
 次の振り抜きはコンパクトに。
 掛け声も伸ばすことなく、ぴしりと決めてみせる。
「いやキレを上げるんじゃなくて、タイミン……」
「なんでや!」
 叩き付けられたハリセンを頭に乗せ、カイルは何とも言えない表情をしたままだ。
「それ、まだボケてないよね」
 あまりそういうことに詳しくないターニャも、ボケた後に突っ込むという基本くらいは分かる。
「はい。ボケより先にツッコミが来る画期的な……」
「……画期的すぎない?」
 満足そうな忍の様子に、その場にいた全員が「なんでやねんって言いたいだけだろう」と思ったが、さすがに口には出せないままだ。
「まあいいんだよ。それで忍ちゃんが満足してくれてるんなら、俺は十分……」
「なん!」
「いや忍ちゃんそこは突っ込む所じゃなくて……」
 もちろんカイルのその言葉を封じたのも、忍の容赦ないツッコミなのだった。


 お好み焼きを食べ終わったネイヴァンと入れ替わりに来たのは、幼子を連れた娘である。
「こんにちわ」
「ええっと……こっちは、姫さんか」
 浴衣姿のノアは、その言葉に穏やかに微笑んでみせる。
 同行すると言っていた同じ顔をした娘は、少し離れた所で何やら死んだ魚の目をしていた。
「あら、リントさんもナナトと同じ格好なのですね」
 そんな事を気にする様子もなく。ノアが抱き上げたのは、うちわ片手のぬこたまである。
「むむむ……」
 今日の彼が着ていたのは、背中に律の店のマークの入った半被だった。律の店の手伝いに引きずり込まれた時、ユニフォームだといって半ば無理矢理に着せられたのだ。
「えへへー。おそろいー」
 そしてノアと手を繋いでいたナナトが着ているのも、サイズこそ違うがリントと同じデザインの半被。
「材料がちゃんと確保できたからな。ま、このくらいの役得はあってもいいやな」
 浴衣や半被の作成の中心となったのは、律である。さすがに着付けは忍やカナンに任せるしかなかったが、作業の合間にリント用の半被も作ってもらっていたのだ。
「で、あの二人は何であんな目になってるんで?」
 そんな律が気にしたのは、死んだ魚のような目をしているアルジェントとマハエのこと。
 どちらも遠目で見ても分かるほど憔悴しきっている。彼らがこの街でくぐり抜けてきた激闘の最中でも……あの泰山竜との戦いの中でさえ……ここまでの姿を見たことはなかった。
「はい。ナナトと三人で、漫才大会に……」
「…………あー」
 そういえば、売り言葉に買い言葉で漫才大会に出ることになっていたのを思い出す。
 ナナトは元気いっぱいのあたり、彼は十分にそれを満喫したのだろうが……。
「りっつぁんさん。これは、何という食べ物なのですか?」
「お好み焼きっていう、俺の国の伝統料理でさあ。姫様は箸は使えますか?」
「はい。海の国に行った時に何度か」
 相手は王族である以前に女性である。大きめのお好み焼きを一口大に切り分けて、皿に盛って渡してやる。
「だったら箸で大丈夫ですね。はい、どうぞ。ナナトも熱いから、気をつけて食べろよ」
「わかった!」
 ナナトもノアの皿から取り分けてもらい、小さな口でふうふうと息を吹きかけ始める。
「りっつぁん、そんなもの使うよりフォークの方が食べやすいのだ!」
「そんなことないだろ。ねえ姫様」
「そうですね。普通に食べられていますけれど……」
 海の国で非礼に当たらないよう、練習したのだろう。ノアの箸の使い方は、律から見てもきちんとしたものだ。
「おいしー!」
 そしてナナトも、握り箸とはいえそれなりに使いこなしている。
「ナ、ナナトまで……!」
 呆然とするリントだが、驚いている暇はない。
 やってきたのは、新たな客である。
「すみません、律さん。お好み焼きというの、三人前ください」
「おう、ヒューゴ。おめぇがこんな所に来るなんて珍しいな」
 祭の準備の時から、さして興味はないような事を聞いていた。てっきり喧噪から離れ、『月の大樹』の自分の部屋で本でも読んでるのかと思ったが……。
「ちょっと知り合いが来ていましてね。情報交換を円滑に進めるには、こういうものも必要なのですよ」
 ルードの里からやってきた工連の男達の話は、いずれも興味深いものだった。酔いつぶれられては話にならないから、酒を買う気にはならなかったが……こういう時の食料は、情報料と考えれば安いものだ。
「なるほどな。そいやヒューゴは……」
 焼き上がったばかりのお好み焼きを手早く包みながら、付けようとしたのは箸である。
「フォークをつかうのだ!」
「いえ、別に箸で構いませんが……」
 既に包装も終えていたからだろう。リントから力一杯に差し出されたフォークを丁寧に断り、箸の入った包みを受け取ってみせる。
「うぅ、ヒューゴまで……。みんなきらいなのだー!」
「……どうしたんですか? リントさん」
 泣きながら喧噪の中に消えていくリントを見送り、ノアは呆然と呟くしかない。
「あいつほら、箸使えねえんで」
「ああ……」
 確かにぬこたまの手の構造では、箸を使いこなすのは難しいだろう。箸が使えないで涙目になっているリントの姿を想像し、ノアは思わずくすりと微笑んでしまう。
「ナナト。ついでにあっちの二人にもこれ、持ってってやんな」
「むぐむぐ……はーい」
 ナナトが一人分のお好み焼きと箸を持っていったのを見送って。
「姫様。今のうちに、ちょいとお耳を拝借」
「なんでしょう?」
 律は、美味しそうにお好み焼きを頬張っている草原の国の姫君に手招きをしてみせる。


続劇

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