穏やかな朝の陽光を浴びながら。
ガディアの屋根をゆっくりと歩むのは、十五センチの姿が……二つ。
「ああ。そこ、段差があるから気をつけてな」
先を歩く黒いルードの言葉に、続く小柄なルードは神妙な表情で頷いてみせる。
ゆっくりと歩きながら……。
「ああもう、しょうがないなあ」
黒いルードの予想通り。小柄なルードは、段差に上げた足先を引っかけてバランスを崩し。
「まだ本調子じゃないんだから。ほら、手、出して」
小さなその身体をふわりと抱き留めながら、黒いルードは呟いてみせる。けれどその言葉は、今までのような棘などない、優しさと喜びに満ちあふれたものだ。
遠慮がちに伸ばされた手をそっと取り、穏やかに微笑んでみせる。
ボクらは世界を救わない
第7話 『もう少しだけ』後の話
1.祭、始まる
『月の大樹』の朝は早い。
だが今日の客層は、いつもと違う。
早朝ではあるが、朝のひと仕事を終えた塩田の男達も、漁から帰った海の男達も、姿が見当たらない。
代わりに店にいるのは……。
「やれやれ……」
目の下の隈を擦りつつ、マハエは出されたコーヒーを一気飲み。普段なら苦みで覚めるはずの眠気も、今日ばかりはどこにも行きそうにない。
「お疲れ様デス、マハエ様。もう一杯、飲みまスカ?」
軽く頷き、マハエはちらりとカウンターに視線を向ける。
「そういえば、お前がカウンターにいるなんて珍しいな。グリフォン……いや、ここじゃアシュヴィンでいいのか?」
「この格好の時ハ、アシュヴィンでお願いしマス」
久方ぶりにカウンターに立つのは、龍族の青年である。ジャバウォックが『月の大樹』に来てからは、名と姿を変えて冒険者として活動していたはずだが……一体どういう風の吹き回しなのか。
「カナン様も忍様も、上デスし……」
テーブル席で注文を取って回っている十五センチの店主補佐では、当然ながら実作業を伴う料理やコーヒーを淹れることは出来ない。
「あー。フェムトじゃカウンター仕事は無理だわな……」
『月の大樹』の魔法使いも、料理だけならともかく、カウンターでの仕事や給仕までさせるのは難しい。
故に、久方ぶりの復活となったのだろう。
「無理なのか? たまに市場で会うけど、普通に良い子だろあの子。おーいアシュヴィン、こっちにももう一杯くれ」
「承知いたしマシタ、律様」
「気立ては良いけど、ちょっとばかりシャイなんだよ。フェムトちゃんは」
首を傾げる律に、やはりカウンターにいたカイルは苦笑い。
「人見知りねぇ。市場で話した時は、そうは思わなかったけどな」
律に限っては、自分から話しかけていくから相手が人見知りかどうかは自分では判別できないんじゃないか……カイルとアシュヴィンはそう思ったが、さすがに口には出さないでおく。
そんな事を話していると、階上から誰かが降りてきた。
「お待たせしましたわ!」
テンション高く声を上げる先頭の忍の姿に、マハエは小さく口笛を一つ吹き、律は嬉しそうに手を叩いてみせる。
「おおーっ! よく似合ってるじゃねえか!」
「なんだその格好」
続いて降りてきた娘達も、忍と同じ意匠の装いをしていた。いつも律が着ているような海の国風の格好に近いが……。
「ユカタっていう、古代の祭礼衣装よ。前に文献で読んで面白そうだと思ってたんだけど……」
律の普段着に似ているからと試しに聞いてみれば、それはアルジェントの予想通り、律や忍の故郷の装いであった。
「それで、忍とカナンもか」
その説明に、マハエは店員不在の理由をようやく納得する。
着方もおそらくいつもマハエ達が着ている服とは違うのだろう。だからその着用を手伝うために、忍やカナンたち『月の大樹』の女性陣が駆り出されたのだ。
「忍ちゃん。浴衣姿、すげえ似合ってるぜ!」
「……カイル。あんた、自分の子供の前で……」
手を叩いて喜ぶカイルのむこう。一行のしんがりで降りてきたのはジョージである。
その様子を眺めながら、やはり浴衣姿のカナンはため息を一つ。
「いえ、自分そういうの、気にしませんから」
いつもの格好とは随分と勝手が違うのだろう。歩きにくそうにしているジョージは、軽く微笑むだけだ。
明らかになったカイルとの関係だが、しばらく経った今でも父娘という実感はない。故に、カイルが今までどおり忍にちょっかいを出していても、特に気になるものではないのだった。
「ん? なんだ、妬いてるのか? カナン」
「ジョージ。こいつ殴っていい?」
無論、カナンのその言葉にもいつも通りに頷くだけだ。
「…………なあ、ディス姉。あれ、ホントにフィーヱ姉か?」
仲むつまじく歩く二人から、少し離れた屋根の頂。
何か恐ろしいものでも見るかのような声で呟いたのは、赤い武装をまとったルードである。
「あれが本来のあやつなのであろ」
そしてその隣でニヤニヤと微笑んでいるのは、軽装の黒いルード。
「なんだよわるいかよ!」
屋根の頂からこちらを生暖かく見守っている二人に向けたフィーヱの声は、割と今まで通りだった。
けれどそんな冷やかしを受けても、再起動を果たしたパートナーと繋いだ手が離れることはない。
「別にー」
「微笑ましくて良いの、と思うての」
「もうお前ら漫才大会とか見に行けよ」
街の彼方から聞こえてきたのは、祭の始まりを告げる花火の音だ。
その中のイベントの一つとして開催される漫才大会には、『月の大樹』の常連達も何組か出場するはずだった。
「ふむ。ならばそうしようか。ゆくぞ、コウ」
「はいはい。……けど、シヲ姉が無事に蘇生できて良かったな。フィーヱ姉」
肩を小さくすくめるコウだったが……向ける視線は、先ほどまでとは全く違う、穏やかなもの。
「…………ああ」
揃った三つの貴晶石と、ハートの女王から手に入れた再起動コード。
かつて一度機能を停止したディスをそのままの彼女として目覚めさせた魔法の言葉は、フィーヱの部屋で眠り続けるシヲにも同様の結果をもたらしていた。
もちろん、長く長く眠っていた彼女は、ディスと違って目覚めてすぐに本調子とはいかなかったが……フィーヱにとっては、そのリハビリすらも楽しい苦労なのだった。
「あ、こんなところにいたのですね」
そんな彼女達に掛けられたのは、小さな声。
そこに立つのは、二人のルード。
十五センチよりもいくらか小柄な幼子と。
彼女を護るように、従うように。槍を携える、武人の装いをまとうルードの二人組だ。
「おぬしら……」
無論、それが誰かは分かっていた。
ディスとコウは、かつてアリスの追跡者の亡骸を届けた時に。
フィーヱは、壊れた自身のビークを交換に赴いた時に。
それが誰だか分からないからだろう。小さく首を傾げるシヲを、フィーヱは来訪者達の視線から隠すよう、そっと抱き寄せて。
「…………何用だ、ザルツの長」
警戒心むき出しの声で、そう呟くのだった。
続劇
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