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10.泰山竜狂騒曲

 盛り上がった瘤を掴み、力任せに甲冑に覆われた身体を引き上げれば、そこが巨山の頂であった。
「おおーっ! 見晴らしエエなぁ!」
 巨竜の背後に広がるのは、食い散らかされた森だったもの。彼方まで……それこそ出現した山まで続くそれは、整備途中の街道と言っても違和感は無いだろう。
「見晴らしじゃねえよバカ! 上から攻めるんだろ!」
 そして巨竜の前にあるのは、二つの街道とそれらが交差する宿場町。街中でキラキラと光を弾く物が慌ただしく行き交っているのは、甲冑姿の騎士達だろう。
 それすら見える距離なのだ。
 竜が気絶しているおかげで時間こそ稼げているが、ガディアまでもうさして距離は無い。
「忘れとった!」
「忘れるなよ……」
 そもそも竜の背中から攻撃するために、わざわざ竜の背中に登ったのだ。ここで絶景を楽しんだだけで終わっては、それこそ本末転倒である。
 だが。
「こういうバカでかい魔物の背中やと、いきなり鱗とか背甲がはぎ取れるんやで!」
 全然関係ないことを元気いっぱいに叫び出すネイヴァンに、コウは速攻キレた。
「そんな事どうでも良いだろ! 倒してから考えろよ!」
 まずは竜を倒すこと。
 そうしなければ、彼女たちのホームたるガディアが巨竜との戦場になってしまうのだ。
「登ってきたか、お前達!」
 そんなやり取りをしていると、上空から声が飛んできた。
 黒い竜の翼を広げた彼は……。
「アシュヴィン……じゃない、グリフォンか。反対側の調子はどうだ?」
「苦戦している。なるほど……上から攻めるという手は使えるな」
 竜が気絶した原因は良く分からないが、動きを止めた今なら上から攻めるという手は十分に有効だろう。これで爆弾でもあれば言うことはなかったのだが、ミスティの店に残っていた爆弾は、最初の攻撃で全て使い切っていた。
「お、なんかキラキラした鱗があるで。なんやこれ」
 二人のやり取りなど、気付いても居ないのか。ネイヴァンがどこからともなく取り出したのは、頑丈そうなピッケルだ。
「……どっからそんなもん出したんだよ」
「え? 昨日ホニャララの所でふんどしが買うとってん」
「ホニャ……? ふん……?」
 ネイヴァンは名前を覚えられないから、周りの者を見たままの印象で呼ぶ。それは知っているのだが、あまり彼との付き合いの無いコウは、その略称が誰のことなのかさっぱり分からない。
 ホニャララは冒険者向けの店を営むマハエの実家か、ミスティの事なのだろうが……予想が付けられるのはそこまでだ。
 ふんどしに至ってはもはや何かすらも分からない。
「ともかくいくで!」
「む! ネイヴァン、それは拙い!」
 グリフォンの制止も聞くことは無く。
「ヒャッホォォォォォォイ!」
 ネイヴァンは泰山竜の背中、逆向きに生えるキラキラした鱗に向けて、力一杯ピッケルを振り下ろした。


 森を振わせるのは、今までに聞いたことも無い巨竜の咆哮……いや、衝撃であった。
「うわ……なんですか、この大声」
 気絶していた竜が身じろぎをしたからと、咆哮対策にはめた耳栓も用を成さない。ジョージの全身を震わせる震撃は、もはや殴られるに等しい重みさえ持つものだ。
「目覚めのひと声にしては不機嫌じゃの。おおい、グリフォン!」
 上空を旋回していた黒い翼に声を掛ければ、モモの呼びかけに気付いたのだろう。細身の青年はゆっくりと少女の元へと降りてくる。
「何があったのじゃ」
「背中のネイヴァンが……」
 普段なら静かな表情で本来の感情を覆い隠す青年の顔が、珍しく暗い。続けるべき言葉をどうするべきか一瞬迷い……。
「…………逆鱗をはぎ取った」
 ぼそりとひと言呟けば、モモも見て分かるほどに表情をしかめてみせる。
「あの、逆鱗って……」
「……ドラゴンの急所じゃよ」
 大概の逆鱗は喉元にあると言われているが、実際の位置は種によって様々だ。泰山竜のそれは、どうやら背中にあったらしい。
「あまり、考えたくないデスネ……」
 見ている人間としては、それがどの程度のものかは想像もつかないが……龍族からしてみれば、あのグリフォンですら変装する前の口調が思わず出てしまうほどの事態ということなのだろう。
「とりあえず怒り狂う理由はよう分かった。頭のほうで銃撃をしておる連中は大丈夫かの」
 しばらくはこの狂乱状態が続くだろう。
 歩速を早めた脚の動きを確かめながら、モモも苦々しげな表情を崩せないまま。


 上空から降り注ぐのは、今までに聞いたことも無い巨竜の咆哮……いや、衝撃であった。
「な……何だよ今の!」
 耳栓の上から両手で耳を押さえても、全身をビリビリと震わせてくる。そんな状態で弓の狙いなど付けられようはずも無い。
「こんなにおっきい声、初めてなのだ……」
「竜の声に怒りが混じってます」
 誰か、竜を怒らせるようなことでもしたのだろうか。
 もっとも、今までの攻撃でも気付かないような相手だ。何をどうすればここまで怒らせる事が出来るのかなど、アギにも見当は付かなかったが。
「こんなでかい竜を怒らせるって、何やったんだ? もうヒューゴ達が仕事したのか?」
「それはちょっと早すぎると思いますけど……」
 まだ喉の辺りを腹に向けて移動していた頃だろう。そこから暴れている可能性も否定は出来ないが、それにしても竜の反応が早すぎる。
「とはいえ……来たよっ!」
 ターニャの声に、一同は慌てて回避行動。
 頭上を抜けていく巨大な竜頭は、今までの旋回速度から比べても段違いに早い。
「今の……」
「だな」
 そして、明らかに彼らを狙ってきた動きだった。
 地面に竜頭をハンマーの如く叩き付けてこなかったのは、それが竜自身にとってもダメージとなるからだろう。
「我々を敵として認識した、という事でしょう」
「それって良いことなのか?」
 過ぎ去っていく竜の頭に炎の弾丸を放ちながら、リントは首を傾げてみせる。
「今まで無視されていたのよりは、戦いやすくなったと……思う、けど…………」
 竜がこちらに気を取られれば、ガディアまでの到着時間もそれだけ長くなる。時間稼ぎという意味では、ありがたいはずだ。
「ホントにか!?」
「……た……たぶん」
 再び襲いかかってきた竜頭を避けながらの律の問いに、ターニャも思わず言葉を濁すしか無いのであった。


 彼方から響いてきた竜の咆哮は、今までのそれとは明らかに異質なものだった。
「……何だったんですの。今の大きな音」
 材木ギルドの魔術師や塩田騎士達の手によって組み上がりつつある巨大な防柵の上。炊き出しの昼食を持ってきていた忍は、思わず森の彼方を向いていた。
 さすがに、それまで口ずさんでいた鼻歌も止まっている。
「竜に何かやらかしたんだろ」
 今までの攻撃の蓄積が効いてきたのか、それとも何か大技を使ったのか。いずれにせよ、成果があったことには違いない。
「とにかく、効果が出てるって事だ」
 竜は少しずつ近くなっているが、それでもすぐ目の前、というわけではない。
「みたいねぇ」
 炊き出しの弁当を開けたマハエに声を掛けてきたのは、忍ではなく、街の道具屋の主であった。
「ミスティは逃げないのか?」
 ミスティは冒険者ではない。冒険者向けの道具屋にとって、この事態は稼ぎ時と言えば稼ぎ時なのだろうが……そうであれば、なおさらこんな最前線の防柵にいても仕方ないはずだ。
「あんた達が何とかしてくれるんでしょ? ……まあ、持ち出すのが面倒な物もたくさんあるしね」
 信用しているのか、いないのか。
「それより、炊き出しがあるって聞いたんだけど」
 そう言って忍から炊き出しの弁当を受け取るミスティの真意は、付き合いの長いマハエですらも分からないまま。


続劇

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