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5.あの子の想い、この子の想い

 裏庭の木にもたれ、ぼんやりと空を見上げていた少女の傍らに降り立つのは、赤い影。
 まとう武装の立てる金属質な音は微かな物だが、酒場の喧噪も少し遠い裏庭でなら、それは少女が気付くためには十分すぎる大きさとなる。
「どしたの? コウ」
 少女の声は、いつもの調子と変わりない。
 それをわずかに鼻白んだように、コウは小さくため息を吐き。
「いや……フィーヱの事、気にしてるんじゃないかって思ってさ……」
 あの滝の前での出来事だ。
 純粋なルービィが、目の前でハートの女王に付いたフィーヱの事を気にしているかと思ったのだが……。当のルービィは、わずかに首を傾げただけで、再び空を見上げている。
「たぶん、何か考えがあるんだと思うよ。……あたしにはよく分かんないけど」
 分からない事だけが、分かる。
 悔しくないと言えば嘘になるだろうが、駆け出し冒険者のルービィには想いも付かない経験や冒険をくぐり抜けてきたフィーヱなのだから、ルービィの思考の範疇を超える事をしても何ら不思議ではない。
 この道をずっと歩んでいけば、いずれはフィーヱの気持ちも推し量る事が出来るのだろうが……。
「フィーヱは壊れてないの……かな」
「分かんないけど……もしフィーヱが本気だったら、たぶんあそこであたし達、やられてたと思うんだよね」
 フィーヱの戦い方は、相手の懐に飛び込んでの超近接戦だ。大型武器を扱うコウにとっては相性の悪い相手だし、大盾での防御を基本とするルービィに至っては、防御の隙をかいくぐるフィーヱの攻撃に対してはほぼ無力と言っても良い。
 そのうえフィーヱは、二人に奇襲を掛けられる立ち位置にいたのだ。
 何か考えがあったのは間違いないが、少なくともそれが二人に害を及ぼす事ではなかったのだろう。
「フィーヱは敵じゃない……か」
 その判断が正しいのか、間違っているのか。
 ルービィよりもはるかに冒険者としての経験を積んできたコウにとっても、フィーヱの想いを推し量る事は未だ出来そうにない。


 夕方の喧噪もわずかに届かぬ街の片隅。
 ゆっくりと流れるのは、穏やかな声だ。
「なるほど……。それは、マハエさんが悪いですわねー」
「そうでしょ。剣の腕が未熟なのは認めるけど……魔法の腕でリントに負けてるって思われてるなんて……」
 最後のひと口を口の中に放り込み、アルジェントは不機嫌そうに呟いてみせる。
 だが、そんな彼女に見せた忍の表情は……。
「ふふっ」
「な、何がおかしいのよ!?」
 同意か、拒絶か、たしなめか。
 来ると思っていた反応はどれも来ず、やってきたのは……微笑みである。
「いえ。可愛いなぁって」
「か……っ!?」
「ほら、動かないで。変な所に付いちゃいますわ」
 少し強い忍の言葉に、アルジェントは梨の最後のひとかけらを呑み込んで、すっと姿勢を正し直す。
「私、そんなに頼りないかなぁ……」
 治癒術士としての経験は、幼い頃から積んできた。独学や我流の面もあるにはあるが、それでもそこらの術士に引けを取るものではないはずだ。
「うーん。恥ずかしかったんじゃありませんの?」
「治癒術士に治癒を頼むのが? どうして?」
 優しく手を伸ばしてくる忍の言葉が、アルジェントにはさっぱり分からない。
「じゃあ、アルジェントさんは……マハエさんに『守って欲しい』って言えます?」
 忍の問いに返ってきたのは……沈黙だ。
 答えを忍が急かす事はない。ただ穏やかな微笑みと自分の役割を果たす、この二つをもって、彼女の答えを待つだけだ。
「…………別に、守ってもらう必要なんてないし」
 やがて居心地悪そうにぽつりと漏れたのは、そんなひと言だけ。
「ホントに?」
 重ねての問いには、今度こそ沈黙しか返ってこなかった。
 それを肯定と取り、忍は自らの役割を果たしながら続けて口を開く。
「それと同じですわよ。殿方は、気になる女の子にはカッコ悪い所を見せたくないものですから」
「そう……なの、かな」
「終わりましたわ。これで、泣いた跡はキレイに消えてます。あとは一晩寝れば、大丈夫ですわ」
 そう言って化粧道具を片付ける忍に向けるアルジェントの頬が、僅かに明るい色を帯びていたのは……彼女の施した化粧による物だったのか。
 それとも……。
「……ねえ、忍」
「何ですの?」
「マハエ……来るかな」
「たぶん、何を言っていいか分からないから、来ないと思いますわ」
 そしてそれを思わず口にして、周囲から総スカンを喰らっているだろう。
「そんなものなんだ……」
「ええ。男のかたっていうのは、だいだい……」
 明らかな落胆の色が窺えるアルジェントの様子に、忍は再び優しく微笑んで。
「忍ちゃーん! 帰り遅いから、迎えにきたぜー!」
「……たまに、例外もいますけど」
 街路の向こうから現れた見慣れた姿に、小さく困った様な表情を浮かべるのだった。


 ヒューゴが『月の大樹』に再び姿を見せたのは、日が沈んでからの事。
「……すみません。遅くなりました」
「もう始めてるわよ、ヒューゴ」
 大きな地図を広げている隅の席では、既に事前情報の確認が行われているらしい。地図に書き込まれた幾つかの矢印で、ヒューゴはどの程度まで話が進んでいるのかを大まかに確かめる。
「それで、その伝説の竜はどこに向かってるの?」
「あれからセリカと見張っておったが……鉱山跡を出発地点として、ここから……」
 卓の上にいたディスは、自身の身ほどもある人間用の絵筆を軽快に取り上げると、地図の上に大きなラインを勢いよく引いていく。
 鉱山を出発点として、一気に南下していくそれが至るのは……。
「……ガディアに一直線か」
 泰山竜はマナを食らう竜だと言われる。
 故に、強いマナを持つ魔術師や、死してなお貴晶石として生成できる人間を求めてガディアに進路を取る事は、この場にいた誰もが予想していた事だった。
 無論、それが外れれば良いと誰もが思ってはいたが。
「防ぐ手段は?」
「追い払うのは不可能であろう。説得は通じなかったのであろ? グリフォン」
 モモの言葉に、浅黒い肌の青年は小さく頷いてみせる。
「所詮は竜種といった所だろうな。……暗殺竜でも、我々の言葉はほとんど通じなかったのだしな」
 断末魔の声に秘められたニュアンス程度は感じ取る事が出来た。
 しかし、龍族の彼らでも、分かったのはそこまでだ。
「今思えば、暗殺竜が探していたのも、あれの卵だったのやもしれんな……」
 泰山竜が育てられていたのは、あの廃鉱だった。ハートの女王がどこからか手に入れてきた竜の卵を追って来たのだとすれば、暗殺竜達の動きにもある程度の説明が付く。
「かもねぇ……」
 だが、暗殺竜を倒してしまった今では、それを確かめる術はどこにも残されていない。
 そして今大切なのは、竜がどこから来たかよりも、目の前の竜をどうするか……なのだ。
「……で、実際どうすんだ?」
 マハエが戦った事があるのは、ツナミマネキや、二十メートル程度の大型竜がせいぜいだ。百メートルを超える巨竜と戦った経験は、さすがにない。
「力技?」
「力技って、あんな大物をどうやって追い払うのよ。スズメやイノシシを追い払うのとはワケが違うのよ?」
 二十メートルクラスの大型竜との戦いでも、落とし穴や罠の準備は欠かせない。相手によっては毒矢を使う事だってある。
 しかし、泰山竜ほど巨大な相手に効く毒や罠となると……。さらに言えば、今回は相手を追い払う事が第一義であって、怒らせて暴走させるわけにはいかないのだ。
「…………」
「…………」
 ミスティの言葉に、誰もが答えを返せない。
 やがて。
「……倒すしか、ないでしょう」
 呟いたのは、誰であったか。
「……どうやって」
 数十メートルの竜でも、この場に集った冒険者達が総力を挙げてぶつかる必要があるはずだ。それを、さらに数倍した相手と戦うなど……この場にいた誰もが、経験した事のない戦いである事は間違いない。
「さしずめ王都の騎士団にゃ、塩田騎士団経由で応援を頼んである。こっちの予想が正しけりゃ……」
 木立の国もそうだが、この世界の騎士達は他国の侵略からの防衛戦力というよりは、警護や、対巨大魔物の迎撃戦力として考えられる事が多い。特に王都の主力騎士団であれば、大型魔物との戦闘経験もあるだろう。
「それ、期待しない方がいいと思う」
 そんなマハエの言葉を遮ったのは、小さな声。
「どういう事だ? セリカ」
「…………」
 だが、マハエの問いにもセリカは沈黙を守ったまま。
 彼女の沈黙の意味が理解できる者。
 理解できず、苛立ちの表情を見せる者。
 そんな一同のぶつかり合いが起きるより早く、鳴り響いたのは軽やかな鈴の音。
「ただいま」
 騎士団の詰め所に出かけていた、この店の代理主人である。
「カナン。どうだった?」
「王都の騎士団と魔術師団が、転移魔法でこっちに展開を始めてるわ」
「そうか」
 魔術師団は、木立の国の最高戦力だ。さすがに夜空の国の魔術軍団ほどの力はないだろうが、巨竜相手に重要な戦力となる事は想像に難くない。
 だが、安堵した様子のマハエとは対照的に、カナンの表情はどこか晴れないまま。
「依頼もこの街の全ての酒場に出されたわ。あたし達の仕事は……」
 そう言って卓に置いたのは、走り書きの羊皮紙だ。
 複写魔法によって記された、インクも乾ききらぬそれに記されているのは……。
「事前調査と足止め…………」
 要は、主力が到着するまでのサポートである。
 そこまでは、誰もが予想の出来た依頼だった。
 だが、残る一つは……。
「…………ガディアでの防衛戦の構築? どういう事だ?」
 その意味を一瞬で理解できたのは、場の半数ほど。
「森は大部隊の展開が難しいから、ガディアに砦を作ってそこで決着を付けるんですって」
「……ふむ」
 理解できた者達は、その説明にもどこか諦めや苛立ちの混じった表情を浮かべるだけ。
「それって、どういう事ですの?」
 そして理解できない者達は、その言葉から生まれるイメージが信じられないのだろう。ある者は首を傾げ、またある者はこうして店主に問いかける。
「ガディアを戦場にして、竜を倒すってこと」
「だってそれじゃ、この街は……」
 言いかけ、気付く。
「街一つであれだけの大物が倒せるなら、と踏んだのであろ」
 理解できていた者達の浮かべた、諦めの表情の意味を。
「むちゃくちゃなのだ……」
「騎士団の考え方っていうのは、そういうもの」
 そして、苛立ちの表情の意味を。
「…………」
「受ける? この依頼」
 酒場の主に与えられた役割は、回ってきた仕事を冒険者達に提示し、仕事が出来るように取りはからう事だけだ。
 だが冒険者達には、提示された依頼を受ける権利と、断る権利の二つが与えられているのだった。


 会議が終わり、散っていく一同の中。
「ディス、グリフォン」
 黒いルードと龍族の男を呼び止めたのは、二足歩行で歩く猫だった。
「何じゃ。明日も早いぞ、早よう寝い」
 ただでさえ、巨大竜からの撤退にその後の準備、そして作戦会議と慌ただしい一日だったのだ。明日は今日以上の激戦となるだろうし、一秒でも長く身体を休めるのは今の彼らにとって不可欠な事だった。
 だが。
「ちょっと……話があるのだ」
 リントの言葉に秘められた意思に。
「それは……明日では、遅いようじゃな」
 頷く彼にディスは小さく肩をすくめ、グリフォンの肩からテーブルの上へと舞い戻る。




続劇

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