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2.今そこにある脅威

 森の中へと消えていった背中をつまらなそうに見送りながら、栗色の髪のルードが口にしたのは、ため息が一つ。
「帰られちゃいましたねー」
「追わないのか? 女王」
 薄汚れたマントの下、いまだ武器の構えを解かないフィーヱとは対照に。
 彼女は既に槍を傍らに置き、退屈そうにあくびを一つ。
「まあ、それほどのモノでもないですし」
 彼方で咆哮を上げる巨竜に向ける視線にすら、退屈の色を隠さない。
「それより、彼女が命拾いして安心してるんじゃないですか? フィーヱさん」
 軽く伸びをする様は、戦う意思どころか、街一つ滅ぼす一手を打った事すら忘れているように見える。
「先に自分がやれば、ボクに壊されなくて済みましたしねー」
「……さあ。どうかな」
 女王の問いに軽くそう返しながら。
 リラックスした彼女は、完璧なメンタルコントロールを身につけているのか。
 それとも……巨竜の存在すら、彼女にとってはあくびの片手間で済んでしまう事なのか。
 フィーヱは、女王の真意を未だ測れずにいる。


 空を舞うのは、黒い翼。
「……なあ」
 その翼を羽ばたかせながら、翼の主は小さく言葉を漏らしてみせる。
「何じゃ」
「やはりこれは、少々定員オーバーの気がするのだが……」
 偵察という名目は分かる。
 そして、陸路を行くよりも、グリフォンの翼を使って空から接近した方がより早く近寄れるという事も。
「失敬な。レディを捕まえてそんな事を言うか」
 肩に腰掛けた十五センチのディスは、そう重くない。
「ボクだってそんなに重くないのだ!」
 背中に乗ったリントも、振り回しているカメラ込みでそれほどの重さではなかった。
「一応、荷物はジョージさん達に預けてきたんですが……」
 両腕でつり下げる形になっている白衣のヒューゴも、身長ほどの重さはない。
 それぞれ、単独であれば。
「……見えてきたな」
 重さの事はひとまず忘れ、翼をもうひと打ち。一気に高度を下げていく。
「やはりあれは、泰山竜ですね。この大きさなら二百メートルはいっていない……百五十メートルといったところですかね」
 どうやら穴の中から出てこようとしている所らしい。地面から露わになっているのは上半身だけだが、ヒューゴの見積りはおそらく間違っていないだろう。
「それって、まだおっきくなるって事なのか?」
 上半身だけでも、リントにとっては桁外れの大きさだ。無論、今までの旅の途中で目にした魔物や怪物の類と比べても、最大級の部類に入るだろう。
 これ以上近づけば、構えたカメラのフレームにも収まらなくなってしまう。
「文献では、最大の個体は二百メートルとも、五百メートルとも。……まあ、五百メートルは信憑性の薄い資料なので、あまり信用できませんけど」
「ともあれ、まだ五十メートルは成長の余地があると言う事じゃな……」
 百五十メートルでも二百メートルでも、厄介な大きさである事に変わりない。リントもそうだが、十五センチのディスにとっては、五十メートルの違いなど『とにかく巨大』というだけで、もはや誤差と言い切れるものだった。
「足元に降りれば良いのだな」
「はい。もう少し詳細を観察したいですから」


 連なる火薬の炸裂音に重なるのは、高らかな叫び声。
「ヒャッホォォォォォォォォォィッ!」
 さらに引き金を引き絞れば、機械槍の先端から放たれるのは破壊の閃光だ。
 その全ては家ほどもある巨大な竜の前脚に吸い込まれ……。
「効いてるのか、それ!」
「分からへん! けど、もいっぱつ!」
 踏みしめた脚を進める動きに合わせ、半歩後退。次に脚が降りてくる前に、第二撃の用意を済ませる構えだ。
「もう一発って、あれ一発撃ったらしばらく使えないだろ!」
 カイルの言葉など聞く様子もなく、流れるような操作で排莢を行い、次弾装填。さらに必殺の一撃を放つためのもう一つのレバーに指を掛ければ。
 レバーは何かが引っかかったように、落ち切らぬ。
「あれ、動かへんで。また壊れたか?」
「だーかーらー!」
 機械槍の最大の一撃たる閃光は、本体の放熱が終わるまで次弾が放てないという特性がある。先日それは散々説明したはずなのに、どうやらネイヴァンの頭の中にはこれっぽっちも残っていなかったらしい。
「なあなあチャラチャラ」
「だーかーらー!」
 そんな二人の上に掛かるのは、黒い影。
 それが巨竜の脚だと理解した瞬間…………。
「…………あ」
 鉱山跡に響くのは、巨竜が脚を下ろした鈍い振動だ。


 彼方の空を見上げ、ジョージは小さくため息を一つ。
「皆さん、大丈夫ですかね……」
 彼方に見えていた竜の首は、今は山の陰に隠れて見えなくなっている。グリフォンの黒い翼も見えなくなって久しいが、果たして彼らは無事なのだろうか。
「…………」
 今日のメンバーで空を飛べるのは、グリフォンただ一人。そのため、偵察に同行したのは知識の豊富なヒューゴと、体重の軽いリントとディスの三人だった。 ジョージ達は、荷物番と非常時の連絡役として、こうして後方に残っているのだが。
「ジャバウォックさんは、竜と戦った事は?」
「…………」
 ジョージのその問いに、はるか彼方の空を眺めている男は黙ったまま。
 ちらりとこちらを見たあたり、聞こえていないわけではないのだろうが……。
「…………」
 もともとジョージも、それほど話が得意なタイプではない。向こうも黙っている方が過ごし易いなら、こちらも黙っていても問題ないが……。
「そうだ。荷物を動かしましょうか」
 街道沿いに置いてあるグリフォン達の荷物だが、もし街道を誰かが来れば邪魔になってしまうだろう。巨竜の元から逃げてくる馬車でもあれば、なおさらだ。
 ジョージはひとまず、ヒューゴの置いていった荷物を抱えようとして……。
「…………重っ!?」
 込めた力では微動だにしない巨大な荷物に、思わず腰を落としてしまう。
 重いのはある程度想像が付いていたが……それを踏まえて込めた力ですらぴくりとも動かないとは、一体どれだけの重さがあるのか。
「……こんなモノ背負ってずっと動いてるんですか、ヒューゴさん」
 ただの学者が背負える重さではない。
 そして恐るべき事に、彼の歩く速度はジョージ達と何ら変わりないのだ。


「大丈夫ですか、二人とも」
 掛けられた声は、男のそれだった。
(お迎えなら、綺麗な姉ちゃんのほうが良かったな……)
 目の前にはためくのは、長い白衣。
 その細身の背中は、お迎えどころかカイルにとってそれなりに覚えのあるものだ。
「あ………れ?」
 そいつは、『月の大樹』に居を構える研究者。
 相応に長い付き合いのはずなのに、その白衣の背中に違和感を感じてしまうのは……いつもは背負われている巨大な荷物が、今日は姿を消しているからだった。
 ヒューゴである。
「俺ら、いま踏まれてなかったか?」
 そう。
 確かに、ネイヴァンに注意を向けている間に、踏み出した巨大竜の脚が降ってきたと思ったのだが……。
「運が良かったですよ。あと少しずれていれば、危ない所でした」
 巨大な脚は彼らのほんのわずか横に埋まっている。
「そう……か?」
 確かに一瞬前までは、脚底の中心部がカイル達の頭上に来ていたはず。だからこそ、さしものカイルも死を覚悟したのだ。
(さすがに凄まじい重量ですね。ずらすのが精一杯とは……)
 手に残る痺れを確かめながら、白衣の青年が見上げるのは巨大な前脚。
 圧倒的な大きさと重量を併せ持つそいつは、まさしく伝説の存在にふさわしい風格と偉容を持つものだ。
 これが全身を地上に現した時、一体どれだけの強さを持つのだろうか。
 いや、そもそも強さを示すだけの相手が、目の前に現れる事があるのだろうか。
「まあいいや。撤退するぞ、ネイヴァン!」
「えー。まだ行けるで」
「えーじゃない! さっきのだって、ほとんど効いてないだろ!」
 さらに言えば、機械槍の放熱も終わっていない。これだけの大きさの相手に通常の攻撃など通じないだろうし、ネイヴァンだけでどうにかなる相手ではないはずだ。
 それに、もう少しすれば馬車を拾いに行ったセリカも戻ってくるだろう。
 そんな一行の元に掛けられたのは、予想通りの馬車の音と……。
「おーい! カイル! ネイヴァン!」
 馬車の荷台で元気よく手を振る、ドワーフの娘の声。
「…………あれ? ルービィちゃんが何でこんな所に?」
「……拾った」
 手綱を握るセリカの傍らには、赤い装備をまとう十五センチの小さな姿も腰掛けている。
「コウもいるのか。二人とも、こいつの事って何か知らないか?」
「帰りに話す。まずは……」
「だな。ヒューゴ達も早く!」
 幸い、爆弾を下ろした馬車の定員にはかなりの余裕がある。ヒューゴやグリフォン達を乗せても、十分にこの戦場から逃げ切れるはずだった。
「何じゃ。わらわ達の出番はなしか!」
「写真は撮ったのだ! 任務完了なのだ!」
「仕方ないの!」
 ディスもリントの言葉につまらなそうに答え、馬車へと飛び乗ってくる。


 街道の向こうからゆっくりと向かう馬車に大きく手を振るのは、細身の青年だ。
「あ。おーい、おーい! 止まってくださーい!」
 ジョージの様子に気が付いたのか、荷馬車はゆっくりとスピードを落とし、青年の目の前で穏やかに止まってみせる。
「どした、ジョージ。ヒッチハイクか?」
「この先は危ないですよ、マハエさん」
 御者台や荷台に乗っている男達は、どれもジョージの知った顔だ。連れだって遊びに行くタイプの男達ではないから、酒場で何かしらの依頼でも受けたのだろう。
「やっぱりか……。で、何が出たんだ?」
「とんでもなく巨大な竜です。……って、何でやっぱりなんです?」
 竜が現れたのは、ほんの少し前の事。もちろん出現の情報は、まだガディアまでは伝わっていないはずだった。
 それとも、転移の魔法や、グリフォンのように飛行の力を持つ者がジョージ達とは別に竜の姿を確かめて、既にガディアに報告してくれたのだろうか。……だが、その割にはマハエ達に慌てている様子がない。
「『月の大樹』でナナトやダイチがイヤが予感がするって騒いでてな。どうも気になるから、律とダイチの三人で偵察に来てみたんだが……」
「当たってたんだからいいだろ。……他のみんなは?」
 御者台のダイチの言葉に、ジョージは小さく首を振ってみせる。
「今、グリフォンさんとヒューゴさんが空から調査に行ってます。自分たちは定員オーバーだったので、後方待機とこっちから来る人への警戒をしてたんですが」
 幸い、ガディアからの旅人はマハエ達が初めてだ。人通りの多いはずの街道にしては珍しい事だが、今はその幸運に感謝すべき所だろう。
「で、その竜ってのは、どのくらいでかいんだ? こないだの暗殺竜の倍くらいか?」
「ええっと……」
 やはり荷台から問うてくる律に、ジョージはジャバウォックの顔をちらりと見てみせる。しかし、無言を貫く男は、言葉なき問いかけにもわずかに首を傾げるだけでしかない。
「倍じゃダメなら、三倍くらいか……?」
 困ったように山の端を見れば……。
 ちょうど、首をもたげた巨竜がその陰から顔を出した所だった。
「…………あれくらい、です」
 マハエは地元の冒険者だし、律もダイチもこの数ヶ月で大まかな土地勘は身につけている。
 その知識を持ってすれば、山の陰から顔を出した竜の大きさを推し量る事は造作もない。……はずなのだが。
「…………」
 さしもの男達も、互いに顔を見合わせるだけ。
 経験と距離から、大まかなサイズは見当が付く。しかしそこから導き出された数字は、彼らの想像とは大幅に違うモノだったのだ。
「……何百メートルあんだ?」
 律の言葉に、ジョージも首を振ってみせるしかない。
 その辺りの細かな情報は、調査に向かったヒューゴ達が持ち帰ってくれるだろう。
 無事に帰れれば、だが。
「ダイチ。とりあえず先に戻ってカナンに報告しとけ。ありゃ、騎士団にも連絡しとかないとマズい」
「分かった!」
 二頭立ての馬車から手慣れた様子で一頭を切り離すと、御者台から馬上へと飛び移ったダイチはそのままガディアに引き返していく。
「律。ダイチの代わり、頼むわ」
 さすがに片腕を吊ったままでは御者をするのは無理があるらしい。空になった御者席を律に任せながら、マハエは山の端から顔を覗かせる巨竜の姿をもう一度確かめる。
「魔晶石農場の辺りだな……。ミスティがセリカ達も鉱山に向かってるって言ってたが、大丈夫かね」


続劇

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