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「莫迦な……」
 少女の口から紡がれた言葉は、彼らの想像を絶するものだった。
「あり得ぬ……」
 語りに要した時間はほんの数分ほど。
 しかしその数分は、数百年、数千年の時を掛けて紡ぎ上げ、築き上げたあらゆる希望を打ち砕き、奈落の底へと突き落とすのに十分なものであった。
「君達がどんな期待をしていたのかは……」
 少女が浮かべるのは、その幼い容貌に似合わぬシニカルな笑み。
 嘲笑ではない。
 自嘲でもない。
 自虐である。
「……まあ、想像が付くけれどね」
 かつて自分たちがそうだったように。
「けれど、それが真実さ」
 寝台の上からゆっくりと身を起こして立ち上がった少女は、老人達ではなく……自らをあざ笑いながら、周囲に描かれた魔方陣を裸足の足でぺたぺたと踏んで数歩外へ。
「待て!」
 背後から掛けられた老人達のその声に、少女の足はぴたりと止まる。
「どこへ行く」
「僕が戻る方法は分からないんだろう? なら、勝手に調べるさ」
 部屋の構造、辺りの調度、少女を囲む老人達の装い。
 そのいずれも、『彼』の知る世界のそれとさして変わりのないものだ。
 ならば、扉の先に広がる世界でも、『彼』の知識を生かす事は出来るだろう。
「ああそうだ。さすがにこの格好で出歩くのは恥ずかしいから、もうちょっと目立たない服を用意してくれないか? ……この身体の主にも悪い」
 これも『彼』の常識に照らし合わせるなら、恐らく少女が着ているのは寝間着かそれに類する物のはず。
 そんな格好で幼い娘が市井を歩き回れば、どうなるかなど目に見えている。
「そうはいかぬ………」
「この話……秘中の秘としておかねば……」
 そして、おどけた様子の少女の言葉に帰ってきた対応も、『彼』の予想通り。
「別に話しやしないよ。スピラ・カナンの真の姿なんて、こんな小娘が言った所で誰も信じやしないさ」
 故に、ゆっくりと周囲を取り囲む老人達にも小さく肩をすくめるだけだ。
「そうじゃ……我々は、間違った存在を呼び出してしまったのやも……」
「うむ……そうに違いない……」
「勝手に呼び出しておいて、都合の悪い話を聞いたらすぐそれか。……緑の後継者どもも、赤や青とそう変わらないな」
 やはり、自嘲。
 尤も、大元を辿ればどれも同じ種族なのだ。いかに姿形や能力、特性を変えていったとしても、その根本に流れるモノは千年や万年で変わるようなものではない……そういうことなのだろう。
 『彼』の種族が。そして彼らと相対した者達がそうであったように。
「大丈夫。すぐに済む」
 心の中。
 怯え、身を縮こまらせる幼い『彼女』に小さく呟き、『彼』はそっと右手を掲げる。
「さて」
 生まれるのは炎。
 約束の地に辿り着いた箱船の長たる『彼』の魂に与えられた、偉大なる力。
 約束の地に至るための鍵として始まりの地に遺された、至高の力のひとかけら。
「君達は、僕がどのくらいの力を示せば、本物と理解するのかね」

 そして、彼の示した力は……。



ボクらは世界をわない

第6話 『ボクらが救う』世界


1.泰山再臨

 響くのは、声。
 天を仰ぎ、大きく裂けた口を広げ放たれたそれは、確かに声であった。
「……くっ!?」
 周囲の木々を、提げられた盾を、人造の身体をびりびりと震わせるそれは、声といってももはや衝撃波に等しい。
「大丈夫か、ルービィ!」
「う、うん……コウは?」
 声の源である鉱山跡からある程度距離を置いたここですら、これだけの威力を持っているのだ。より近くに寄れば、咆哮はどれだけの破壊力を持つものか。
「大丈夫だ! それより……」
 十五センチの小さな身体が睨み付けるのは、巨竜を目覚めさせた元凶たる……同じく、十五センチの二人組。
「鉱山がなくなってしまったけど、いいのか?」
 静かに呟く黒衣のルードと。
「はい。泰山竜が目覚めた以上、あそこにもう用はありませんし」
 恐るべき答えを快活に返す、栗色の髪のルード。
 そのいずれも、コウの視線を気に留めた様子はない。
「……ちっ」
 ぎりと奥歯を噛みしめて、コウが握るのは身ほどもある大剣の柄だ。
 相手にされていないのは、分かる。
 そして目の前の二人との間に横たわる、物理的な距離以上に離れた実力の差も。
「ああ、そういえば、コウさんもいたんですね。どうします? これから」
 栗色のルードの口調は、かつてのそれと何ら変わりない。
 けれどその内に秘められた意思は、傍らに立つ黒衣のルードや、経験の浅いルービィですら背筋を震わせるほどに冷たく、闇を秘めたもの。
「…………」
 ここで怒りに任せ、飛びかかる事は容易い。
 けれど……。
 けれど…………!
「戦うというなら、俺が行こう」
「ボクの楽しみ、取らないでくださいよ。フィーヱさん」
 半歩踏み出した黒衣のルードを軽く制し、栗色の髪のルードは提げていた槍をくるりと回してみせた。
 回し終えた時、その先端に挟み込まれているのは赤く輝くルードの拳大の輝石である。それはコウが飛びかかった瞬間、槍の穂先に噛み砕かれて、彼女の力となるだろうものだ。
 その力は、既に竜が目覚める前の一戦で証明済み。
「…………ふむ」
 そして軽く制された側の黒衣のルードの実力も、コウはその身で幾度となく思い知らされていた。
 そんな相手を二人、前にして。
「…………」
 コウは、大剣の柄を握り締め……。


 響くのは、声。
「な、なんですか、これ……っ!」
 距離を置いてなお全身をビリビリと震わせるそれに、細身の青年は耳を押さえて叫びを上げるしかない。
「竜の咆哮だな。聞くのは初めてか? ジョージ」
 褐色の肌の美丈夫もその眉をわずかにしかめ、山の彼方に覗く竜の首を見つめている。
「こんな大きいのは初めてですよ……」
 異変の源を調べるため、山側に移動していたのまでは良かったのだが……まさか、これだけの距離を隔ててなお威力が衰えぬのは、予想のはるか外だった。
「咆哮なんてもんじゃないのだ、アシュヴィン! 耳がおかしくなりそうなのだ!」
「アシュヴィンではなく、グリフォンと呼んでもらおう」
 耳を押さえてのたうち回る二足歩行のネコに、グリフォンと名乗った男は別の意味で表情を曇らせてみせる。
 そんな一行の中、一人だけ表情を変えない男がいた。
「…………ふむ。まさか泰山竜とは」
 巨大な竜を静かに見据える、白衣の男である。
「おぬしは平気なのか? ヒューゴ」
 学者たる彼の事だ。伝説の存在を目の当たりにした喜びと驚きで、巨竜の咆哮を感じていない可能性は大いにあるが……。
「ああ。ディスさんも、耳栓使います?」
 平然とその耳から取り出したのは、小さな海綿の欠片だった。
「……不要じゃ。ルードの耳は、聞きとうない音は絞れるでの」
「便利ですねぇ」
 次の咆哮が来る前に、再び耳栓を戻そうとして……。
「使うのだ! 耳栓ほしいのだ!」
 その腕にかじりついてきたのは、一匹のネコだ。
「リントさんのぶんですか。猫用の耳栓はありましたかね……?」
「ボクはネコじゃないのだーーーーーーーー!」
 ガシガシとかじりつくリントをぶら下げたまま、ヒューゴは背負っていた荷物の山をゴソゴソとあさり始める。
「いつも思ってたんですけど、その中って何が入ってるんですか?」
「色々です。はい、ジョージさんもどうぞ。グリフォンさんとジャバウォックさんにも渡してあげてください」
「色々ですか……ありがとうございます」
 ジョージは海綿の欠片を受け取ると、傍らにいたグリフォンや無言のままの男にもそのうちの幾つかを回していく。
「中に何が入ってるのか、分かんなくなってるんじゃないのだ?」
 荷物の口を覗き込んだリントからすれば、中はぎっしりと詰まっていて、とても把握できるようなレベルではない。常に身軽に動けるよう、必要最小限の荷物で行動するのは冒険者の基本中の基本だが、明らかにヒューゴはその真逆を歩んでいると言えた。
「ちゃんと把握していますよ。……猫用の耳栓、どこに入れましたかね」
「……分かっておらんではないか」
 ディスのツッコミを聞こえないふりをして、ヒューゴはようやく目当てのモノを見つけ出す。
「それより、どうします? 一旦戻りますか?」
 耳栓をはめ終えたジョージが口にしたのは、これからの事だった。
 現れたのは、山の大きさをはるかに超える巨竜である。これだけ距離を隔てた咆哮でも、ヒューゴの機転無くして対応出来ない相手を前にして……何の策も装備も無く立ち向かうのは、無謀の極みと言えた。
「何だ?」
 だが、ジョージの言葉に首を傾げたのは、グリフォンである。
「ああ。耳栓をすると、会話もままなりませんねぇ……」
 音の遮断を意思一つで出来るディスはともかく、耳栓を詰めた他のメンバーは周囲の音も聞こえていない。
「だったら身振りで話すのだ! い、っ、た、ん、か、え、り、た、い、の、だ!」
「祭の踊りの練習か? リント」
「かわいいですね」
「じゃが、せっかくシリアスな場面なのじゃから少々自重せい」
「なんか明らかに通じてない気がするのだ!」
 しかもよく考えれば、十五センチのディスは耳栓をしていないはずだ。
「では、行きましょう」
 そんなリントを放っておいて、ヒューゴは軽く手を振り、一行に前進を促してみせる。
「そうですね」
「了解」
「え、あ、ちょっと待つのだーーーっ!」
 ぞろぞろと動き始める一行を、二足歩行のぬこたまは慌てて追いかけていくのだった。


 響くのは、声。
「だあぁぁぁっ! なんだったんだ、今のグラッと来たのは……」
 一瞬ぼやけかけた視界を頭を振る事で振り払い、男はあえての大声で自らの意識を取り戻す。
 傍らの細身の娘も軽く頭を振っているあたり、同様の『何か』を受けたのだろう。
「竜の……叫び」
 目の前にそびえる巨大な塔の先端を辿れば、その先に見えるのは頭である。
 竜種の特徴を備えたそれは……塔でも、人工の構造物ですらなく、ただひたすらに巨大な竜のそれだった。
「……吠えただけであれかよ。平気か、セリカちゃん」
 先ほどの意識を失うほどの咆哮も、巨竜にとっては攻撃や威嚇ですらなく、単に声を上げただけなのだろう。
「……なんとか。カイルさんは」
「こっちも何とかだよ。サイズもだけど無茶苦茶だな、ありゃ」
 先刻の爆破による生き埋めも、あの竜にとってどれだけの痛手……いや、攻撃と認識しているかどうかも怪しい所だった。
「ンなことより、落とし穴にハマっとる今がチャンスや! ボコるで!」
 そんな中、身ほどもある機械槍を構え、走り出す姿が一人。
 どうやら咆哮の影響さえ受けていない、彼の名は……。
「無茶言うな! ネイヴァン!」
 ボコれと言われても、カイルもセリカもネイヴァンのような高威力の打撃武器は持ち合わせていない。射撃武器や魔法ならあるにはあるが、これだけ体格差のある相手にどこまでダメージを与えられるのかは微妙な所だった。
「爆弾も……全部、使った」
 そもそも地面に半身を埋めている今の状況も、落とし穴に落ちたわけではなく、ただ地下深くから這い出す途中でしかないのだ。ゆっくりと鎌首をもたげ、大地を踏みしめる前脚に力を込めようとしている所からも、地面から現れきるのは時間の問題だろう。
「撤退するぞ、撤退!」
「……馬車、取ってくる」
 馬車の元に駆け出すセリカについて走ろうとして、ネイヴァンだけがやはり逆方向に走り出す。
「じゃあ馬車が来るまで!」
「ああもう……っ! やっぱりあいつ連れてこない方が良かったんじゃねえか!?」
 ネイヴァンの事だから大丈夫な気はするが、万が一ということもある。
 見捨てて退却するわけにも行かず、カイルは舌打ちを一つして男の背中を追いかけ始めるのだった。

続劇

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