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12.スクイ

 喧噪に包まれたバザールをのしのしと進んでいくのは、身ほどもある巨大な機械槍を背負った男である。中央で真っ二つに折れたそれは、完全に展開すれば果たして人間が扱える物なのか、少々怪しげな程だ。
「お、ネイヴァン。どうした? そんなバカでかいもん背負って」
 そんな男に声を掛けたのは、組み立てを終えた屋台の中で作業をしていた律である。
「おう、ふんどし。何やそのでかい板。盾か?」
 屋台の中央に設えられた巨大な板は、盾にしては装飾もないし、持つための金具や取っ手も付いていない。文字通り、巨大なただの鉄の板である。
「違うよ。これでりっつぁん特製お好み焼きを焼くんだよ。楽しそうだろ」
 もう飽きたのか、ネイヴァンの呼び方に突っ込む事も無い。
「そうそう。あの帽子屋、見いひんかったか?」
「ん? マッドハッターなら、月の大樹の納屋に………」
「何やて!?」
 言いかけ、律はネイヴァンの反応に思わず言葉を止める。
「……捕まってたのは、随分前だっけ。その後逃げられたんだっけか」
 それは夏の初め、ノアがガディアにやってきた直後のことだ。まだマッドハッターが幽霊と呼ばれていた頃の出来事である。
「何や。そんな古い情報教えられても、役にも立たへんわ」
「……っつかお好み焼きの件はスルーかこの野郎!」
 鉄板の件はネイヴァンの側から振ってきた話なのに、よく考えたら総スルーではないか。既にその話は記憶の中に無いのか、首を傾げるネイヴァンに……。
「あら。ネイヴァンさん、どうかしましたの?」
 声を掛けたのは、通りの向こうからやってきた忍であった。
「帽子屋を探しとんのやけど、むちむちは見んかったか?」
「マッドハッターさんなら、お店の納屋に……」
 先ほど律から聞いたのと同じ答えに、ネイヴァンは小さくため息を一つ。
「それは昔の話やろ? 俺が欲しいのは、あれの今の居場所やで」
「ですから……」
「あ、こら、忍!」
 律の制止は、間に合わない。
「今も、あそこに……」
「なんやて!?」
 そう言った時には、既にネイヴァンは駆け出している。
 あっという間に通りの彼方に消えていった巨大な機械槍を見遣り、律はため息を一つ。
「……忍ぅ。話がややこしくなるから、アイツの居場所はネイヴァンには内緒にしとこうって前にモモ達から聞かなかったか?」
 まあ、遅かれ早かれバレる話だ。
 それにいくらネイヴァンでも、眠ったままのマッドハッターを勝手に連行することはないだろう。
 ……たぶん。


「……ったく。酷い目に遭った」
 ゆっくりと歩調を緩め、ターニャの屋台を逃げ出してきたマハエは小さく息を吐く。走ることは苦ではないが、曇り空の下、嫌な汗が額にじわりと浮かんでいるのが分かる。
「マハエ、遅いわよ」
 だがそんなマハエを迎えたのは、歓迎どころかミスティの冷ややかな言葉だった。
「そうだぜ。こっちの準備なんか、とっくに終わっちまったっつの」
「何だよ。もうオレの出番ナシか」
 既に組み立て式の小さなプールには水が張られ、中には数匹の魚が泳いでいる。水は機材の動作確認で入れただけなのだろうが、もういつでも営業を始められる状況だ。
「何この小さなプール!」
 ミスティの店を眺めていたマハエの背後から掛けられたのは、ターニャの店にいたはずの幼子の声だった。
「うわ来やがった!」
 もちろん来たのはナナトだけではない。モモやアルジェント、ノアも一緒である。
「あれ? 姫様はお忍びですか?」
「はい。内緒にしておいてくださいね」
「もちろんです! 良かったら、この辺りをエスコートしますよ!」
 まだ組み立て中の屋台がほとんどだが、既にどこで何を扱っているかは把握済みだ。本来は忍のエスコート用に準備したものだが、貴人のエスコートにも役立つというなら、使わない理由は無い。
「……何だよ。カイルが姫様を見分けるのは何も言わないのかよ」
 マハエが迷いなく見分けた時は散々言われたのに、カイルだと当たり前のようにスルーされている。
「姫様とアルジェントさんなら、見分けられるに決まってるだろ」
「まあ、カイルだし」
「なんか理不尽だ……」
 カイルの普段の態度を見れば分からないでもないのだが、それでもどこか釈然としないものが拭えない。良くも悪くも、行いの差……という事なのだろうか。
「ねえねえ。これなに? 魚が泳いでるー!」
「なにこれ。キンギョー?」
 スピラ・カナンの南部で見られる、小さな魚である。明るい赤や白の色を持つそれは、さして珍しいものでもないが……。
「これでキンギョーを掬えたら、商品が出るわよ。ナナトと姫様、試しにどう?」
 ミスティが笑顔で渡したのは、細い木枠に紙を貼って作られた掬い網らしき物体だ。
「はぁ……。では、一つ」
 ノアはおずおずと、ナナトは元気一杯に紙の網を受け取ってみせる。
「ねえねえ。アルはやらないの?」
「私のぶんも、ナナトがやっていいわよ」
 やはり初見のアルジェントもミスティから網を受け取っていたが、それをそっとナナトに差し出してやった。ナナトは嬉々としてそれを受け取り、すぐにでもキンギョー掬いに挑戦する構えだ。
「他の皆さんは良いのですか?」
「うむ。お主がやるが良い」
 ノアもモモから紙網を受け取ると、そっと紙網を小さなプールの中に差し込んでみせた。
「……あら?」
 鏡の如き済んだ水面に紙網を入れ、魚を追おうと軽く動かせば……それだけで、紙網の中央には巨大な穴が空いてしまう。
「何か、中にすごい水の流れがあるみたいでしたけど……」
 動かした時に紙網から伝わってきたのは、水の水圧だけではない。木枠を力任せに弄ぶかのような、海流の如き水のうねり。
 どうやら水の表面と下では、全く別の水の動きが起きているらしい。
「流石じゃな。一度でそれを理解するか」
 モモはそれを知っていたからこそ、紙網を初見のノアに預けたのだろう。
「全然すくえなーい!」
 水面下の水の流れすら理解していないナナトは、既にアルジェントからもらった紙網にも大きな穴を開けていた。
「このくらい難易度が高くないと、面白くないでしょ」
 誰もがその方向性はおかしいと思ったが、ミスティにそれが通じるはずもない事もまた、理解しているのであった。


続劇

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