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11.その瞳の見抜くものは

 月の大樹の納屋の隅。ロープでベッドに縛り付けられたまま眠る男を見て、アギは小さく息を呑む。
「相変わらず大きいですね……」
「これでも、だいぶ痩せたんだぜ。……多分」
 まとう服装はアシュヴィンの手で整えられているから、それは変化の基準にはならないが……。骨と皮とまではいかなくとも、目の前の男は最初に運び込まれた時よりもいくらか痩せているはずだった。
「で、どうにかなりそうなのか?」
 昼食の時間も過ぎ、アシュヴィン達は午後の休憩を取っている。先ほど昼食を運んできたアシュヴィンがすぐに戻ってくる可能性は低いが……それでも可能性はゼロではない。作業を急ぐに越した事はなかった。
「ちょっと待って下さい」
 乾いた額に手を当て、アギは精神を集中させる。
 ゆっくりとマッドハッターの気の流れに自らの意識を同調させ、その先へと遡っていく。長く眠っているからだろうか、痩せて弱まった流れの中程に……。
「……なるほど。気の流れが滞ってる所がありますね。この辺りを正しくすれば、恐らくは目を覚ますかと」
 滞った場所を解消させるのは気を操る術の初歩の初歩で、さして難しい事ではない。
 しかし、アギはマッドハッターの額から手を放し、ダイチの方へと向き直る。
「けど、大丈夫ですか?」
 彼が言いたいのは、マッドハッターを目覚めさせることそのものだ。
 犯した罪は償うべきだという彼の考えは分かる。それが故に、こうして手伝っているのだが……同じように、抑えられない相手を解き放っても良いのかという、モモ達の言い分も理解できるのだ。
「大丈夫だ。お腹も減ってるだろうし、それならオイラでも何とかなるさ。……何とか、してみせる」
 先日の戦いではダイチの技はマッドハッターを相手に通じていた。ならば、長い眠りで体力の落ちた相手であれば、なおのこと戦えるはず。
「……分かりました」
 ダイチの覚悟は決まっているのだろう。
 ならば、アギも出来る事をするだけだ。
 精神を集中させ、再び眠ったままの男の額に手を触れさせる。


 曇り空の下。組み立ての終わった屋台に顔を出した娘に、ターニャは思わず自分の目を疑っていた。
「アルジェントさんが二人……?」
 ローブ姿の彼女と、その傍らに立つ最近の装いの彼女。ダイチはともかく、アルジェントが双子だったという話は聞いた覚えがないが……。
「ああ、こっちは姫様よ。内緒ね」
「そういうことか……びっくりした」
 草原の国の王女でも本当なら驚くべき所なのだが、何度も顔を合わせていればそんな感覚もいつしか麻痺してしまう。慣れたことが良いことなのか悪いことなのかと内心苦笑しつつ、ターニャが作業の手を止めることはない。
「ほほぅ。今年は串焼きなのか」
「串揚げもやるよ!」
 油などの用意が必要な揚げ物の準備は直前になるが、既に焼き台の設置は終わっている。
「お客さんもこういうのが一番食べやすいしね。今年の炭の具合も見たいから、少し焼いてあげましょうか?」
 既に炭の準備も出来ているらしい。手際よく焼き台の一角に炭を仕込み、火を起こし始める。
「さすがターニャ、気が利くの。後で色々手伝おうぞ」
「ありがと。あ、悪いけどお酒はないわよ」
「そちらは案ずるな。持ってきておる」
 そう言うと、どこからともなくモモは小さな瓶を取り出してみせる。小さな杯も人数分用意してある辺り、明らかにターニャのこれを目当てにやってきたのだろう。
「ナナ、これがいいー!」
 そんな中、ターニャが取り出した食材の中からナナトが指差したのは、他よりも少し小ぶりな串だった。
「あ、それは…………アギさんの準備したやつだから、あんまりオススメしないかも」
「美味しくないのですか?」
 いくらアギの用意した品とは言え、ターニャが美味しくない品を出すとは考えづらい。まさか単価が異常に高いから、というワケでもないだろうが。
「そうじゃないけど……アヴィマソルタとか、イクマレーセンって、知ってる?」
 僅かに間を置き、どう説明すべきか迷っていた様子だったが……やがて良い案が見つかったのか、ターニャはようやく口を開く。
 だが、彼女の口にした名前に、その場にいた誰もが首を傾げるだけだった。
「それって……もしかして、森の民の言葉?」
 ただ一人、様々な地を歩いてきたアルジェントだけが覚えがあるらしい。頷くターニャを見て、やはり何とも言い難い表情を浮かべてみせた。
「……こっちの、普通の串にした方がいいかも」
「そうそう。向こうじゃりっつぁんがお好み焼き? っていうのの店を準備してるわよ」
 とりあえず謎の食材のことは置いておいて。普通の串を人数分用意し始めるターニャが口にしたのは、少し離れた所で屋台を組み立てているはずの律の事だった。
「また聞いた事のない料理じゃな」
 今度はアルジェントも知らない料理らしい。草原の国の料理でもないらしく、ノアやナナトも不思議そうな顔をしているだけだ。
「千切りの野菜を小麦粉で混ぜて焼いて、変わった味のソースを掛けて食べる、古代の料理なんだって。試しに食べた時は結構美味しかったけど……」
 レシピを想像すれば、確かに先ほどのアギの串焼きほど危ない料理ではない雰囲気だったが……行程はともかく、完成品がどんな姿をしているのかは想像も付かない。
「なら、後で様子を見に行ってみようか」
「まだ焼いてないと思うけどねー」
 随分と大きな鉄板をミスティに用意してもらっていたし、串焼きほど手軽に作れる料理ではない雰囲気だった。恐らく焼けるようになるのは、前日かそれこそ当日になってからだろう。
「おーい。律んとこの設営、終わったぞー。って、アルジェント達も来てたのか」
 そんなことを話していると、ちょうど律の屋台の準備を手伝っていたマハエがやってきた。
「さすがにマハエはアルジェントが二人おっても驚かぬの」
「二人って、そっちは姫様だろ。お忍びは良いけど、あの侍女の姉ちゃんは大丈夫なのか」
 一同の表情に、恐らく王女が周囲に内緒で来ているらしき事を察し、渋い顔をしてみせる。マッドハッターがおらず、またモモやナナトが護衛に付いているとは言え……祭の準備の混乱で、何が起こるかは分からないのだ。
「あら、一発で見分けるんだ?」
「……愛じゃな」
「ちちちちゃうわ! 見慣れてるだけだって! ……ミ、ミスティんとこの設営手伝ってくる!」
 変な混ぜっ返され方をされて慌ててその場から去って行くマハエに、ターニャは小さく舌打ちを一つ。
「ミスティもお店出すんだ……?」
「焼けるまで、先に見に行ってくれば?」
 まだ炭に火を点けたばかりで、料理に使えるようになるにはもう少し時間が掛かる。ミスティの露店も近くだし、そこを覗いてくれば、おそらくはちょうど良い時間になるはずだった。


続劇

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