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7.長い一日の終わり

 夜の賑わいを見せる『月の大樹』に戻ってきたのは、カイルとヒューゴの二人だった。
「お帰りなさいマセ!」
「ただいまー。とりあえずエールと何か食い物くれー」
「忍に聞いたけど、大変だったみたいね。ミスティの手伝いだったんでしょ?」
 店主の言葉を受けながら、青年は力なくカウンターに着いてみせる。
 心なしかやつれた顔で、ため息を一つ。
「あそこの倉庫、あんなに広いなんて思わなかった……。あとミスティが、例の依頼、今年も貼っといてくれって」
 カナンは店の主らしく、そのひと言で全てを理解したらしい。
 そしてその言葉に、周囲の常連客の間にもざわめきが広がっていく。
「……何かあるの? カナン」
「まあ、そのうち分かるわよ」
 アルジェントはガディアに寄るようになってしばらく経つが、秋祭りへの参加は初めてだ。カイルのひと言が何を意味するのかはよく分からないままだった。
「そういえば忍ちゃん。漫才の相方って決まったの?」
 受け取ったエールを早々に空にして、カイルが話題にするのは既にミスティの件ではない。
「まだですの。どなたか、いいかたいらっしゃいませんか……?」
「じゃあオ……」
「モモとかどうなの?」
 カナンの言葉に答えたのは、忍よりも先に当の本人である。
「遠慮させてもらおう。つっこむにせよ、調子に乗って加減を忘れては忍にケガをさせてしまうでな」
 普段の生活でも、彼女なりに力加減には気を使っているのだ。頑丈な冒険者が相手ならともかく、忍を相手に本気で突っ込んでしまっては、一体どうなるか分からない。
「じゃあオ……」
「え? でも募集してるのってボケでしょ?」
「そうなのか? てっきり、忍がボケでツッコミ募集なのかと思うておったが」
 首を傾げるモモに、忍は元気一杯に答えてみせる。
「私が突っ込みますわ!」
 どこから取り出したのか、その手には大きなハリセンが握られていた。軽くぱしぱしとカウンターを叩けば、店内に張りのある良い音が響き渡る。
「まあ、やめておこう。忍であっても、殴られるのは性に合わぬ」
 殴られて逆上するほど子供ではないつもりだが、何かの拍子に自制が途切れれば、ツッコミ返しで目も当てられない事態を招く可能性は……正直な所、否定できない。
「だからオレオ……」
「まんざいってなあに? ナナ、おてつだいするよ?」
 次の名乗りを上げたのは、隅の席に着いていた幼子である。
「あら、ナナちゃんですの?」
「じゃあオレとトリオ……」
 だが、次にナナトが口にしたのは、傍らにいた者にとってはあまりに予想外の言葉だった。
「アルもやるよね?」
「え、いや、ちょ!? ナナトまんざいって何か知ってるの!?」
 パスタを食べていたフォークを取り落とした事さえ気にする様子もなく、アルジェントはナナトに慌てて問いかける。
「ナナちゃんとできるよ! なんでやねーん!」
 分かっているのか、いないのか。微妙に判断しづらい答えに、アルジェントはそれ以上の言葉を掛けられずにいる。
「でしたら、アルジェントさんと一緒に出てみてはいかがですの?」
「ちょっと忍!?」
「だから……俺…………」
 相方候補がいなくなるのは寂しいが、ナナトが相方にアルジェントを望んでいるなら、本人の意思を尊重するのが一番というものだ。無理に忍が相手役に収まる必要はないだろう。
「じゃあ、漫才大会はナナとアルジェント組も出場?」
「…………マハエ」
「いや、そんな目でこっち見られても……」
 アルジェントから向けられた視線に、近くの席で酒を呑んでいたマハエも困った顔を浮かべるしかなかった。剣技や冒険者としての立ち回り辺りまでは何とか分かるが、流石にお笑いまではフォローしていない。
「ふむ、おぬしらはトリオ漫才か」
「何でそうなる!?」
 モモの言葉を慌てて否定するが、それに対するアルジェントの視線に、それ以上の言葉を続けられない。
 ナナトを説得するべきか、それともアルジェントと共に絶望的な戦いに挑むべきか。
 正直な所、暗殺竜とでも戦う羽目に陥った方が楽な場面であった。
「あの……だから、な。俺……」
 そして、力なく呟く男が一人。
 既に最初の頃の元気もない。力なく、ただそれでも意地と根性で名乗りを口にするだけだ。
「はいはい分かってるわよアンタは忍と一緒に出るんでしょ」
「カイルさん、よろしくお願いしますわ」
「お……………おう!」


「火薬を使いたい?」
 閉店時間を大幅に過ぎたミスティの店。
 訪れた律の言葉に、店の主は形の良い眉を僅かにひそめてみせる。
「おう。ちょっと、作りたい物があってな。作業場を貸して欲しいんだけどよ」
「それはいいけど……安くないわよ?」
 その言葉に、律は苦笑するしかない。先ほどカイル達が作業をしている所も目にしていたが、尋常な作業量ではなかった。
 何の代価かは分からないが、確かに安くはないだろう。律のそれに至っては、作業場だけでなく貴重な火薬も分けてもらう事になるのだし……果たしてどの程度の仕事を任せられるのか。
 彼も表向きは笑ってはいるが、内心はそれどころではない。
「……カラダでも何でもいいけどよ。おっちゃんあんまり金持ってねえぞ」
 そもそもマハエの店で作ってもらった弓の支払いも支払い終わっていないのだ。それを含めれば、金がないどころかマイナスである。
「別に仕事はあれだけじゃないもの。……ああ、そうだ」
 そんな律に、ミスティは意味ありげに微笑んでみせる。
「律。あなた、写真の焼き増しって出来たわよね?」


 次に『月の大樹』の扉をくぐったのは、黒衣のルードを肩に乗せた小柄な少女だった。
「お帰りなさい、二人とも。心配してましたのよ?」
 昼前に来たルード集落の使いから、途中で二人と別れた話は聞いていたが……それでも、もう少し早く帰ってくるかと思っていたのだ。
「何か食べる物ある? お腹減っちゃった!」
「すぐお作りいたしマスね」
「ディスは?」
 上機嫌でカウンターに着いたルービィの肩から飛び降りるなり。黒衣のルードが口にするのは、やはり『月の大樹』を拠点とするルードの名だ。
「自分達と一緒に帰ってきてますから、部屋にいると思いますよ?」
 ジョージは帰ってからずっと酒場に居たが、その間にディスが降りてきた所は見ていない。窓から出掛けたのでなければ、そのまま部屋にいるはずだった。
「そっか。ならルービィ、お疲れ様」
 ルードは食事を取る必要がない。今回の集落への旅は依頼というわけでもないから、報告の義務もなかった。
 旅の土産話はルービィが十分以上にしてくれるだろうから、これ以上ここに留まっておく必要はない。
「うん。今日はありがとねー!」
 出されたプレート料理に早速手を伸ばしながら答えるルービィを一瞥し、フィーヱはそのまま階上へと消えていった。
「ルードの集落はどうでしたの?」
「うん。相変わらず良い所だったよー! いろんな所を案内してもらっちゃった!」
 以前の集落への旅では、用件を片付けるので精一杯で、あまり集落の中の見物は出来なかったと聞いていた。そのぶんまで今回は楽しんできたのだろう。
 そんなルービィの楽しそうな様子を眺めながら。
「ねえ。カナンは、あの『月の大樹』に乗ってたのよね?」
 カウンターに席を移したアルジェントが問うのは、店の主に向けてである。
 カナンが古代人……それも、夜空に浮かぶ『月の大樹』に乗っていた時代の生き残りなのは、この店に出入りする誰もが知っている事だ。彼女も小さく頷くだけで、別段驚いた様子もない。
「あの船に乗ってた古代人って、特殊な力とか持ってたの?」
「魔法使いだとか異種族の割合が多かった船もあったみたいだけど、少なくとも『月の大樹』は普通の人がほとんどだったわよ」
 カナンもそうだし、古い時代の生まれらしきカイルもそうだ。
 今のスピラ・カナンで暮らす異種族の大半は、この星に現われ消えた多くの文明の盛衰の間に生まれたものだ。
「ジョージは『月の大樹』生まれなんだっけ?」
「いや、自分は……たぶん、スピラ・カナン生まれだと思いますが」
 相変わらず、かつての記憶は紗が掛かったようにぼんやりとしたもの。以前よりははっきりと分かった所もあるが、幼い頃の記憶の中にドーム都市の光景はあっても『月の大樹』らしきそれはない。
 まだ思い出していないだけかもしれないが、恐らくジョージは、『月の大樹』生まれの世代の少し後、スピラ・カナンで生まれた初期の世代なのだろうと言われていた。
「そっか。他の船には、特殊な力の持ち主もいたんだ……」
「詳しいことは知らないけどね。何かあったの?」
「ちょっと気になってね」
 アルジェントの内にある『神』は、本物の約束の地に住まう何者かだと聞いていた。
 ならば、それらの異能の持ち主であった可能性も高くなる。それがどこまで彼女の体を通して発現されるのかは分からないが……不完全な状態であれだけの力を持つなら、本来はどれほどの力の持ち主であったのだろうか。
「そんな特別なヤツなら、ここにもいるのだ!」
「いや、私はそういうのじゃないから」
 カナンは年を取らないが、不老の種族はこのスピラ・カナンではそう珍しいものではない。むしろこの幼い外見で成長が止まっているため、不便ではないかと問われることの方が多かった。
「カナンじゃないのだ」
「じゃあオイラか?」
「魔法使いなんて全然珍しくないのだ!」
 確かに魔力の使い手そのものはそう珍しい存在ではないが……即答するリントに、ダイチはその身を凍らせる。これでも、魔法の力に目覚めるまでには紆余曲折があったというのに……!
「……なら誰よ」
「ネイヴァンなのだ!」
 いきなり出てきた名前に、カナンとアルジェントは思わず顔を見合わせる。
「よく考えてみるのだ! ネイヴァンは人間離れし過ぎてるのだ!」
 この街に来てから、ずっと気になっていたのだ。
 あのバイタリティ。
 あの精神力。
 そして何より、あの耐久力。
「何や。俺の話……」
「たぶん人間じゃないのだ!」
 力一杯断言したリントの言葉に、周囲の視線が一斉にネイヴァンに注がれる。
「な、何や。そないにじろじろ見てからに」
 リントの言い分に、思い当たる所は多々あった。
 むしろ、人間じゃ無いと言われても違和感が全くなかった。
「なんでやねん! ちょっぴりヒャッホイが好きなだけの脳筋ナイスガイやっちゅねん!」
「良いツッコミだなオイ!」
「ツッコミの反応速度も人間じゃないのだ!」
「そこも普通と変わらへんわ!」
 断言するリントに、ネイヴァンは明らかに常人よりも鋭くキレのあるツッコミを叩き付けるのだった。


 夜の街道を駆け抜けていくのは、四頭立ての大型の馬車だ。
「何だ? こんな時間に」
 既に夜も遅い。獣や野盗の増える夜の間は、余程急ぎの用事でもない限り、ガディアを通る大きな街道でも歩く者は皆無に等しい。
 もちろんそれだけ急ぎの用事があるなら、昼夜関係なく走り抜ける者や馬車もいないわけではないが……。
 野盗に襲われないように、と心の中で祈っておいて、マハエは自分の家の扉をくぐる。
「漫才……ねぇ」
 小さく呟き、羽織っていた上着を部屋の隅へと放り投げた。
「こっちは訓練までで手一杯で、それどころじゃないっつの」
 祭の手伝いに、剣の稽古。もちろん合間の家の手伝いや、冒険者としての仕事もある。
 今度の剣の相手はダイチに頼もうと思ったが、忙しいと断られてしまった。ネイヴァンは規格外過ぎるし、ターニャも忙しいだろう。同じ相手になるが、律かジョージに頼むべきか……。
 視線をやれば、棚に並んでいるのは上等の酒瓶達だ。勿体ないと取り置いているのか、はたまた他の理由があるのか、まだ開けた瓶は一本もない。
 いつまで増えるのか。
 いつまで増やす事が出来るのか。
「…………とりあえず、寝るか」
 マハエは小さくため息を吐き、そのまま寝台に身を投げ出すのだった。


続劇

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