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4.汝等、欲望のままに

 店の前まで戻ってきたミスティを待っていたのは、見慣れた細身の青年だ。
 カイルである。
「ミスティ。こないだのアレなんだけどよ……やっぱ、頼んで良いか?」」
 カイルとの接点を辿っていけば、思い浮かぶのはたった一つしかない。
「いいけど、安くないわよ」
 この時期はミスティも忙しいのだ。カイルの依頼そのものは大した仕事ではないが、並み居る仕事の合間に押し込むとなると、それなりに負担というものが掛かってくる。
「………ぐぐぐ、忍ちゃんのためだ、仕方ない。いくらだ?」
 だがその問いにミスティが浮かべるのは、呆れたようなそれだった。
「あたしがお金なんか欲しがるわけないでしょ」
 ガディアに居を構えてから、カイルとの付き合いもそれなりに長くなっているはずだが……。
「体よ。か、ら、だ」
「何だよ。ミスティも意外と欲求不まげはぁっ!」
 カイルが言葉を最後まで口に出来なかったのは、巨大な拳で容赦なく張り倒されたからだ。
 無論、ミスティは指一つ動かしてはいない。その傍らにあるのは、玄関脇に置いてあった水瓶から伸びた、巨大な水製の拳である。
「倉庫から出さなきゃいけない物がたくさんあるから、出しといて欲しいって言ってるの。律やアギからも頼まれてるし」
 倉庫の中から出す必要があるのは、今日の箱だけではない。大きな倉庫を持っているからと、知り合いの物を預かったり、貸し出したりと色々引き受けているのだ。
 その作業は、まだ半分も終わっていない。
 だがその言葉に、カイルは水の拳に潰されたままの姿で思わず表情を変えていた。
「出すって……まさか、あれもか?」
 去年も、その前の年も。
 ミスティの出した露店の事を思い出す。
「ええ。恒例だしね」
 ようやく彼女を理解したらしき男の言葉に、ミスティは楽しげに微笑んでみせる。


 その光景を、誰もが沈黙をもって見守っていた。
 猫が、箱に入っている。
 それ自体はさほど珍しい光景ではない。猫自体はこのスピラ・カナンでもありふれた生き物だし、箱に猫が入っている姿も、やはり珍しいものではなかった。
 それが、人間の腰ほどもある、普段は二本足で歩く猫でなければ。
「…………」
 満足そうな表情を浮かべているリントに、誰もが掛ける言葉を見つけられずにいる。
「!」
 だが、箱の中のそいつと、眺めていた一同の視線が……ぶつかり合う。
(どうするのよ!)
(どうするって知るかよ!)
(ここはほら、年長者が!)
(年長者って……オレか!?)
 一瞬で互いに視線をやり取りし。
 どうしようという表情で遠慮がちに箱から出て来るぬこたまに、さも今気付いたといった様子で声を掛けたのは……。
「ド……ドウシタンダ? リント」
 マハエのあまりの棒読みっぷりに、誰もが嘆息を禁じ得ない。
「い、いや、これは……何となく、入ったら気持ち良さそうだなあ……じゃなくって!」
「箱って入ったらきもちいいよねー」
「そうなのだ! 入った事のあるナナトはやっぱり違いが分かるのだ!」
 思わぬ所からの助け船に、マハエは胸をなで下ろし、リントは味方の出現に表情をわずかに柔らかくしてみせる。
 だが。
「ナナ、箱に入ったことなんかないよ? いつもネコさんがきもちよさそうにしてるの、見てるだけだよ?」
 ナナトの次の言葉に、やはり誰もがため息を吐いた。吐くしかなかった。
 確かに小動物の姿をしている時のナナトが箱に入っている所は、見た事がない。どちらかといえばアルジェントや忍の膝の上やカウンターの椅子の上で丸まっている所のイメージの方が強かった。
「ボクは猫じゃないのだー! こんな箱が置いてある方が悪いのだ!」
 泣きながら去って行くリントの後ろ姿をぼんやりと眺めながら、律はリントの入っていた箱を拾い上げた。
「………箱があったらとりあえず入るって、どう考えても猫だろ」
 明らかにリントの体格よりも小さな箱だ。そんな所に無理して体を押し込む辺り、なおのこと猫ではないか。
「ねえねえ。この箱置いといたら、また入らないかな?」
「はははそんなバカな」
 ターニャの言葉に苦笑しつつ、一同は箱詰めの作業を再開する。


 馬車から降りて森の奥へと進んでいけば、やがて辿り着くのは小さな滝である。
「へぇ……こんな所に滝があったのか」
 位置関係から推測するに、魔晶石農場の近くだろう。以前の調査で来た時、周辺の調査はしていたはずだが……その時は気付きもしなかった。
「うん……」
 フィーヱの言葉に頷きつつ、ルービィは辺りを見回している。
(やっぱりなくなってる……)
 コウが倒したアリスの体は、戦いの後もこの場に残っていたはずだ。あれだけの深手を受けて動けるとも思えないし……それだけの一撃を与えたと分かっているからこそ、コウもショックを受けてあの場から姿を消してしまったのだろう。
「何か探し物だったのか?」
「ち、違うよっ! ええっと……この滝が、ちょっと見たくなっただけ!」
「ふぅん」
 嘘なのは間違いないが、何を隠しているのかまでは流石に情報が少なすぎる。
 どうやら彼女には珍しく黙っておくべきと判断した事のようだし、そんな彼女だからこそ、直接聞き出すのは難しいだろう。
 もっともこの段階での想像は、情報が集まった後の推測を鈍らせるだけだ。ここではその事実を記憶に留めておくだけにする。
「あれ? どうしたんですか? お二人とも」
 そんな事を考えていると、二人の背後から掛けられたのは、元気の良い声だった。
 栗色の髪のルード……近くの魔晶石農場の管理人である。
「ええっと……ちょっと散歩に来たの!」
「へぇ、そうなんですか」
 さっきは滝が見たくなったと言ったのだから、それをそのまま使えば良いのに……とも思うが、流石にそんな助言をする気はない。話はルービィが受け取ってくれたのだし、そのまま二人のやり取りを見ておく事にする。
「そうだ! イーディス、この辺りで何か見なかった?」
「何かって、何ですか?」
「ええっと……その…………死体とか?」
 直球だった。
(質問ベタにも程があるだろ……)
 この手の事が不得手なのは理解していたが、それもフィーヱの想像を超えていた。
「狼なんかに食べられた動物の死体とかなら、たまに見ますけど……。ああ、後はロックベアもたまに下りてきてるみたいですね」
「あはは……だよねぇ……」
 誤魔化すように笑うルービィに後でどう突っ込むべきかを考えながら、フィーヱも力なく笑ってみせるだけだ。


 その光景を、誰もが沈黙をもって見守っていた。
 猫が、箱に入っている。
 それ自体はさほど珍しい光景ではない。猫自体はこのスピラ・カナンでもありふれた生き物だし、箱に猫が入っている姿も、やはり珍しいものではなかった。
 それが、人間の腰ほどもある、普段は二本足で歩く猫でなければ。
「…………」
 そしてそれが、先ほど見た光景そのままでなければ!
「…………また入ってるわね」
 先ほどの所から少し離れた所に置かれた、例の箱。
 その中に、リントが再び満足そうな表情を浮かべて詰まっているのだ。
「しっ! 気付かれるでしょ!」
「別に気付かれてもいいじゃねえか。あの箱がないと、非常用箱が足りないんだぜ?」
 結局、箱詰めの作業と並行で配置も行っていたおかげで、作業はほとんど終わっていた。あと残っているのは、今リントが入っている一つぶんだけだ。
「そのくらい何とかするわよ」
 そんなマハエのぼやきに真顔で答えたのは、ミスティである。
「うお。いつの間に帰ってきたんだ」
「面白そうな事があるならサボってないで帰ってくるわよ」
「……いやそこ、サボった事は認めんなよ」
 配置の場所はどこも問題なかったから、下見は済ませてサボっていたのだろうとは思うが……ともあれ、一同は箱に入ったままのリントから目が離せない。
「あ。鎧のおにいさんだ」
「ネイヴァンじゃない」
 そんなリントの入った箱に。
 ネイヴァンは音も無く歩み寄り、蓋をパタンと閉じるとそのまま抱えて去って行った。
「……なんか、誘拐されたんだけど」
「まあ、大丈夫じゃない? ネイヴァンだし」
 箱の中でリントが暴れていたような気もするが、ネイヴァンも知らない相手ではない。恐らくは、大丈夫だろう。
 たぶん。
 きっと。
「それより箱がなくなっちまったんだが」
「後でもう一つ作って置いとくってば。細かいわね……」
 モテないわよ、と小さく付け加え、ミスティは静かに立ち上がる。
「それじゃ、終わったなら私は帰るわね」
 それに続くのはアルジェントだ。
 最後の一つがなくなったのなら箱詰めはもう出来ないし、他の箱の配置も終わっていた。薬の準備で呼ばれた彼女としては、さしむきする事がない。
「じゃ、送ってくわ。今は仮宮に世話になってるんだったよな?」
「別にいいわよ、子供じゃないんだし」
 立ち上がったマハエの言葉に軽くそう返し、アルジェントはフードを羽織りなおす。
「それより、他の手伝いもあるんじゃないの?」
 マハエの事だから、どうせ他の所の手伝いも二つ返事で引き受けているのだろう。忙しい身で、アルジェントを送るような暇などないはずだ。
「別に大丈夫よ。マハエの手を借りるほど忙しい所はまだないし」
 ターニャの非常箱は、彼女がもうすぐお祭のお菓子の指導と店の準備のため、手が回らなくなるからと早めに行っただけだ。今のところ、彼女ほど急ぎの作業が必要な所はほとんどない。
 本格的な人手が必要になればマハエが駆り出される事もあるだろうが、今の所はアルジェントを送って行くくらいの余裕はあるはずだった。
「そう? だったらむぐぐー」
「ミスティもないよね!」
 何か言いかけたミスティの口を塞ぎ、ターニャは愛想の良い笑みを浮かべてみせる。
「ああそうだミスティ。後でちょっと、相談があるんだが」
「だって。手伝いは律にしてもらったら?」
 ターニャの言葉に疲れたように頷き、ミスティはようやく彼女の魔の手から解放されるのだった。
「……別にいいわ。ナナトもいるし」
 だが、ターニャの言葉にもアルジェントは軽く肩をすくめ、ナナトを連れて雑踏の中へと消えていく。
「青春じゃねえか」
 そんな背中を見送る大きな背中を、律は軽く叩いてみせて。
「そんな年でもねえだろ。こっちはよ」
 ぽつりと呟く男の背中を、もう一度力を込めて叩くのだった。


 雑踏の中を歩きながら。
「…………はぁ」
 人混みの中に消えていくのは、小さなため息が一つ。
 それは、素直になれない自分に対する想いが半分。
 そして、食い下がってこない男に対する想いが半分といったところか。
「どしたの? アル」
「……何でもないわ。それより、帰りに何か食べて帰りましょうか、ナナト」
 力なくそう問いかければ、繋がった小さな手から返ってくるのは元気一杯の返答だ。
 小さなその手をそっと握り返し、フードの娘は雑踏の中を再び歩き出す。


続劇

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