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3.見据える、その先

 山と積まれた竜鱗を前に、大柄の男が弾くのは海の国製の算盤だ。
「この量だと、この位になるが……いいか? リント」
 幾つかの珠を手慣れた様子でぱちぱちと弾き、目の前の客に向けて提示してみせた。
 だが、それを目にした二足歩行の猫は、明らかに不満そうな表情を浮かべている。
「もうちょっとオマケして欲しいのだ。貴重な暗殺竜の鱗なのだ」
 ガディア近辺で暗殺竜が現われる事など、ほとんどないと聞いていた。ならば、もう少し希少価値があっても良いはずだ。
「そりゃ分かってるけどよ……じゃあこのくらいでどうだ」
「ついでに、このくらい」
 ひょいと上げられた算盤珠に、今度は男の目が吊り上がった。
「ばっ……! それじゃこっちの儲けがなくなっちまうだろ。ここが精一杯だよ」
「ケチなのだ! このくらいにするのだ!」
「……………だーっ! 仕方ねえ。じゃあこれでどうだ。これ以上は無理だぞ」
 再び上げられた珠を戻し、ため息と共に別の珠を動かしてみせる。
「ふふん。初めからそうすればいいのだ」
「ったく、足元見やがって。全部銅貨でいいか?」
 ぶちぶちと文句を言いながら、黒く鈍い輝きを放つ竜鱗を袋に入れ、奧の工房へと運んでいく。
「そんなの重くて運べないのだ。だったら宝石のほうがいいのだ」
「……そういう事か。じゃあ、この位かね」
 奧から戻ってきた男が持っているのは、金の縁取りがされた宝石付きのブローチだ。
「にゃ? だいぶ高そうだけど、いいのだ?」
「餞別も出せないほど落ちちゃいねえぞ」
 小さく呟き、差し出した手にひょいと落としてやる。
「………ありがとうなのだ」
 先程くらいの額なら、竜鱗と同じように宿屋で預かってくれるはずだった。そこをあえて換金前提の金品に変えるというのは……自身も冒険者として活動し、また鍛冶屋の一員として冒険者を支えてきた男にとっては、それなりに慣れた光景である。
「ごめんください。マハエさん、あれ、出来てますか?」
 そんなしんみりした店の中に入ってきたのは、白衣の青年だ。
 部屋の空気を読んだのか、リントに向けて小さく頭を下げてみせる。
「後は仕上げだけだな。ひとまず、見てもらえるか?」
 やがてヒューゴのもとにマハエが持ってきたのは、黒く沈んだ輝きを見せるひと組の籠手だった。その輝きは、先ほどリントがマハエに売ったそれと同じ性質の物だ。
「ヒューゴは防具にしたのだ?」
「ええ。リントさんは換金ですか」
「そうなのだ。おまけしてもらったのだ!」
 嬉しそうにブローチを見せてくるリントに穏やかに微笑みながら、白衣を脱いだ青年は手際よく籠手を身に付けていく。
「どうだ? 具合の悪い所は調整するが」
「調整料は払えませんよ。……十分です。注文通りの出来ですね」
 腕を曲げたり、指の調子を確かめたりと、ヒューゴはしばらく籠手の様子を見ていたが、やがて満足そうに微笑んで腕から籠手を引き抜いた。
「マハエいるー?」
 そんな店に顔を覗かせてきたのは、小柄な娘である。中にいた二人と目が合い、やはり小さく頭を下げてみせる。
「おう、もうそんな時間か、ターニャ。じゃ、後は奧にお袋が居るから、仕上げの打ち合わせは直接やってくれ」
「了解です」
 不思議そうな顔をしているリントとは対照的に、ヒューゴは慣れた様子で頷くと、店を出て行くマハエを見送ってみせるのだった。


 昼前の『月の大樹』に、客は少ない。
 働く者は昼前の追い込みで仕事に余念がないし、大きな依頼を受けていない冒険者達の多くも、日銭稼ぎの小さな依頼をこなしている事がほとんどだ。
 あともう少し、太陽が天の頂まで辿り着けば、酒場は途端に忙しくなるのだが……。
「で、肝心の賞金首はまだ目覚めんのか?」
 狭間の時間にあってなお、酒場のカウンターでゆっくりとくつろいでいる少女は、龍族の青年に向けてそんな問いをしてみせた。
 周囲に見知った顔しかいないこんな時間だからこそ出来る問いである。
「ハイ。少量のスープくらいは飲み込むのデスガ……」
 口に流し込めば飲み込む動きは見せるから、体そのものは回復しているはずだった。
 先日の火傷も、既に回復魔法で跡形もなく治っている。回復魔法の効果の薄い打撃系の攻撃も受けてはいたが、そちらはごく軽いものだ。
「だったら、お腹が空いたら目が覚めるんじゃないのか? 忍のお菓子とか」
 少量のスープだけで栄養が足りているとは、ダイチの基準ではとても思えなかったが……それでも目覚めないなら、体がそれを必要としていないという事なのだろうか。
「お菓子でしたら、いくらでもお作りしますわよ?」
「ワシやおぬしではないのじゃから……。ああ、菓子を作ってくれるというなら、いくらでも食うぞ。……で、どうなのじゃ?」
 ダイチに名前を出されたからだろう。返事を寄越してきた忍にそんな適当な答えを返しておいて、モモは脱線しかけた話を本筋に戻す。
「怪我は回復していますノデ、他の原因があるのデは? と、アルジェント様はおっしゃってイマシタ」
「精神的なものという事か……」
 それこそ、今のアシュヴィン達にはどうしようもない。
 マッドハッター自身の精神力で、打ち勝つしかないのであった。


 ガディアの秋祭りは、街道から中央広場までを繋ぐ市場の通りで行われる。
 街道を祭りで占拠すれば交通に差し支えるし、そもそも祭り自体が収穫を祝う祭で、街道の有無とは関係のないものだからだ。
「これで全部? ミスティ」
 そんな通りの一角にマハエ達が運んできたのは、大量の箱である。さして重いものでもないのか、大きさの割には軽そうに扱っているが……。
「ええ。ウチの倉庫に置いてあったのはね」
「で、こっちの薬や包帯を入れて置いて回れば良いわけか」
 律の傍らには、傷薬や包帯の入った箱が置かれていた。こちらは近所の薬師の所から、アルジェントと律が運んできたものだ。
「賑わうのは良いけど、ケンカなんかの騒ぎも多いからねー。こういうのをあちこちに仕込んでおいて、必要になったら使うようにするのよ」
 数年前から、ターニャの発案で行われているのだという。ケンカ程度に治癒魔法の使い手を駆り出すわけにも行かず、かといっていちいち救護所に運んでいては手も時間も足りないという事で、こういった方法が取られるようになったらしい。
「けど、こんなものあちこちに置いといて、勝手に使われたりしねえ……」
 言いかける律だが、言葉を途中で止めたのはミスティと目が合ったからだ。
「……分かった。そういうことか」
 それで、全てを理解した。
「中にはちゃんと解毒剤も入れておくから大丈夫よ」
「解毒剤がいるような物なの!?」
「冗談よ。冗談」
 ミスティはおかしそうに笑っているが、その場にいた誰もがそれを冗談とは思っていない。トラップを働かせずに箱を開ける方法は、どうやらしっかり覚えておいた方が良いらしい。
「ナナもおてつだいするー!」
「おう、頼むぜ」
 ナナトが持ってきてくれた薬と包帯を箱に入れ、マハエは手際よく作業を開始する。
 この人数がいればそう時間は掛からないだろうが、決して少ないわけではない。手際よく進めないと、設置までは終わらないだろう。
「そうそう。遊んでないでやりなさいよ。あたしは設置場所の確認してくるから」
 そんな中でただ一人、ミスティだけはそう言い残してふらりとどこかへ去って行く。
「……サボった」
「……サボったわね」
 下見そのものは必要だから、別にサボったわけではないのだろうが……明らかに楽なポジションである事は違いない。
 とはいえ、ミスティのそれはいつもの事だ。
 作業を始めたマハエとナナトに従い、他の面々も機材の箱詰めを始めるのだった。


続劇

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