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 鋼の棺からゆっくりと身を起こすのは、細身の裸身。
 濡れそぼった長い髪を痩けた頬に貼り付かせたまま、彼女は言葉を放つ事も無く……ただ、静かに辺りを見回すだけだ。
 目の前に広がる光景に覚えはない。
 鋼の棺も。
 石の壁も。
 そして、壁に設えられた、別の棺も。
「……目覚めたかの」
 そんな中。掛けられたのは小さな声だ。
 辺りをゆるりと見回しても、声の主は見当たらない。
 困っているだろうに表情の一つも変える様子のない娘に向け、ここだという主張の声がして。ようやくそちらを向けば、手のひらに乗るほどの小さな娘が鋼の棺の縁に立っている。
「あなた……は?」
 唇から漏れ出たのは、自身でも驚くほどにひび割れた、老女の如き声。開いた棺の蓋に映る自身の顔は、少女と言っても差し支えない、幼ささえ残る顔なのに。
「そう無理に喋るでない。落ち着いてから、一つずつ説明してやろうぞ」
 ぼんやりと鏡面加工された蓋を眺めている少女に、十五センチの小さな娘は金色の長い髪をゆらりと揺らし、穏やかに微笑んでみせる。
「そうよの……まずは己の名前を決めるが良い。あの二人、お主の名前を決めるのを忘れて眠りに就きおったでな」
 そう言ってちらりと視線を向けるのは、壁に設えられた二つの棺だ。
 呆れたような娘の言葉に、ぼんやりと紗の掛かっていた記憶に少しずつ輪郭が現われてくる。
 誰かを探すこと。
 この棺によって創り出されたこと。
 それが、鏡に映る彼女という存在の目的と……正体だ。
 そして十五センチの娘の言葉を信じるならば、壁の人工冬眠装置の内にある影こそが……彼女を『創り出した』者達なのだろう。
「…………ミラ」
 一糸まとわぬままで棺の中から立ち上がり。一歩、二歩と壁の装置に歩み寄れば……その内で眠る女性は、先刻鏡に映った自身の顔に繋がる面影を持っている。
 恐らくは、この女性が彼女の『オリジナル』なのだろう。
「……私は、ミラ」
 もう一度口の中で転がした名前に、十五センチの娘は満足したような笑みを浮かべてみせた。
「そうか。わらわも彼女達によって起動させられた……お主の姉のようなものじゃ」
 裸のミラの肩に乗り、金髪の娘も棺の中で眠る女性をじっと見つめている。
 彼女達が求めるのは、この女性の伴侶だった存在。
 そして、傍らの棺に眠る女性の伴侶と、その愛娘を探すこと。
 それが、彼女の内に築かれた人工の記憶が教えてくれた、彼女達の目的だ。
「……よろしくの、ミラ」
 ミラはその言葉に、小さく頷いて。

 それが、二人の旅の始まりとなった。



ボクらは世界をわない

第5話 『別れの季節が』来る前に


1.北からの帰還者

 街道を南に進むのは、一頭立ての小さな馬車だ。
 朝早くに山中の集落を出発し、ようやく道の整った街道へと出たばかり。
 乗っているのは御者席に座る大柄な男と、荷台にちょこんと腰掛けた小柄な少女の二人だけ……ではない。
「フィーヱ。それ、直って良かったね」
 荷台の少女が声を掛けたのは、御者席の男ではなかった。彼女の傍らに腰を下ろす、十五センチの小さな姿に向けてである。
「……ビークは直せないから、交換だったけどな」
 フィーヱと呼ばれた黒マントの小さな少女は、少女の言葉に片腕に嵌めた腕甲を軽く掲げ、ぽつりと呟くだけだ。
 木々の間から差し込む陽光を弾いて鈍く輝く彼女のビークは、以前使っていた物とは形こそ同じものの、細かな意匠は大きく異なっていた。彼女としては同じ使い勝手なら文句はないが……。
「そうなの?」
 ビークはレガシィと呼ばれる……いわゆる、古代技術の遺産だ。部品交換や整備ならともかく、大きな損傷を受けた部品を修復・再生させる技術は、いかにルードと言えど持ち合わせては居ない。
「まあ、集落の倉庫に似たような物があって良かったよ」
 ビークは普通、槍に似た形状を持つ。剣程度なら柄の交換で強引に使い勝手を合わせる手もあるが、彼女のそれは腕に嵌め込む腕甲型だ。小さな集落であれば、似た形の物すら見つからなかった可能性が高い。
「それよりルービィ、何でわざわざ集落まで行ったんだ? ルードを修理する方法があるかどうかなんて、コウにでも聞きゃ済むことだろ」
 フィーヱがルードの集落まで行った目的は、そこにしかない物を求めたからだ。
 しかしルービィの目的は、それこそ目の前のフィーヱに聞いても解決する問題だった。特に彼女は、街に腰を据える赤い髪のルードと仲が良かったはず。
「まあそうなんだけど……ほら、長達にも会いたかったしさ」
「ふぅん。ま、いいけどさ」
 そういえば半年ほど前の依頼で、ルービィがルードの集落に出掛けていた事を思い出す。今回集落を訪れた時も住人達と仲良くしていたし、質問の答えはむしろ集落に出掛ける口実だったのだろうか。
 ともあれ、深く問うような話題でもない。
「あ! ごめん、ここで降りる!」
 そんな呑気な話を続けていると、辺りの様子に気付いたルービィは御者の男に慌てて声を掛けた。
「こんな所でいいのかい? ガディアまで送るよ?」
 ここからガディアまでは、まだしばらくの距離がある。太陽の位置から考えても、徒歩では昼までには着かないはずだ。
「大丈夫! ここまで送ってくれてありがとう!」
「じゃ、俺も着いて行こう。面白そうだ」
 身ほどもある大きな盾を軽く担いでひょいと馬車を飛び降りたルービィの肩に、フィーヱも身軽に飛び乗ってみせる。
 ルービィは一瞬驚いた顔をしたが、それでも小さく頷き返す。
「それじゃ二人とも、気を付けてな」
「ありがとう! 長やみんなにもよろしく!」
 御者の男に大きく手を振り返し、ルービィが目指すのは街道から別れた脇道だ。
 その先にあるものが何か……彼女の肩に乗ったフィーヱもよく知っていた。


続劇

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