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エクストラミッション
 1.止まない雨が止んだ日に


 始まりは、いつもの通り壁に貼られた依頼からだった。
「忍、王都にいくのだ!?」
 掲示板に貼り出された新たなそれを確かめるなり、カナンに問うたのは二本足で歩く猫。
「ええ。なんか王都に買物に行くって行ってたから、店のお使いも色々頼んだのよ」
 王都には、ここ数年姿も見せない月の大樹のオーナーが滞在しているのだという。本当なら雇われマスターのカナンが直に行くのが良いのだろうが、なかなかそうも言っていられない。
 そこに降って湧いたのが、忍の王都行きの話だったというわけだ。
「忍がいないなら、久しぶりにゆっくりできるのだ……!」
 カナンの言葉に、ぬこたまはきらきらと顔を輝かせている。
 この街の居心地は決して悪くはないのだが、何かにつけて猫扱いされる事だけが問題だった。その筆頭がしばらく留守にするというなら……それこそ、パラダイスではないか。
「使いなら魔術師の娘がおろう。……用こそついでで、護衛がメインか」
 そんなぬこたまの近くでやはり掲示板を見上げていたディスの言葉に、カナンは僅かに苦笑。
 月の大樹には、この手の店には珍しく専属の魔法使いがいる。人見知りな性格の所為であまり表には出て来ないが、転移魔法も使えるはずだし、本当に急ぎなら彼女に頼めば半日もかからずに用件を済ませてくれるはずだ。
「……まあね。街道は大丈夫だろうけど……こないだは遺跡に暗殺竜も出たし、何があるか分かんないからね」
 特にここ最近は魔物退治の依頼も多い。まだ街道にまで出るという話は聞かないが、警戒するに越した事はないのであった。
「なあなあ! それって飯代も込みなのか?」
「……そこまでは勘弁してよ」
 月の大樹の経営状態は悪いという程ではないが、決して儲かっているわけでもない。他の依頼と同じように、経費は依頼料の中に込みである。
 特に、明らかに食事代の掛かるダイチを相手に、そんな恐ろしい事が言えるはずもない。
「それに、忍の護衛なら行きたい奴がいるだろ。邪魔してやるなよ」
 残念そうに呟くダイチの肩を叩くのは、たまたま酒場に降りてきていた黒衣のルードだ。
「ほぅ……フィーヱがそんな事言うなど、珍しい事もあるものじゃな」
 誰かの茶々にフィーヱはちらりと視線を向けて……それがモモの言葉である事を確かめると、小さく肩をすくめ、そのまま階上へと戻ってしまう。
「あ奴、何ぞ良い事でもあったのかの?」
 普段なら噛み付いてくるか、もう少し敵意の籠もった視線くらい向けてきたものだが……。ともあれ、余裕のある態度は悪い事ではないはずだ。
「さあ? 特にいい話は聞かないけど……」
「カナン様。ソレ、ワタシも行っても構いませんカ?」
 モモの言葉に首を傾げつつ。カウンターに戻ってきたカナンに掛けられたのは、コーヒーの支度をしていた龍族の青年であった。
「珍しいわね。シノもフェムトもいるし、行ってくれるなら助かるけど」
 もともと忍の護衛がメインとなる依頼なのだ。彼なら報告のフォローも出来るだろうし、何かあった時にも心強い。
 彼が留守の間、この店で騒ぎを起こそうとするような者は……まあ、いないだろう。
「お主、平気なのか?」
 そんなアシュヴィンの申し出に疑問符を浮かべたのは、むしろ店の代理マスターではなく、カウンターにいたディスだった。
 言いたい事はよく分かるのだろう。アシュヴィンは穏やかに微笑みを浮かべ。
「あのお方が目覚めた時、好物でもアレバと思いまシテ。……それでディス様。出来れば」
「引き受けよう。あれの事は、そう他人事でも無いしの」
 マッドハッターと呼ばれていた男は、いまだ目覚める気配がない。
 アルジェントたち医術師の話では、肉体的なダメージは回復しているはずだったから……恐らくは精神的な物なのだろう。そんな彼が目覚めた時、果たしてどうなるかは分からなかったが、まあ、これまでも何とかなってきたのだ。これからも何とかなるはずだった。
「あと、問題なのは……この天気か」
 窓の外は雨。
 空の果てまで黒く覆う雨雲は、しばらくの間はガディアから離れてくれそうにない。


 掲示が出てから、数日が過ぎた。
「それにしても、止まぬの……」
 空は相変わらず黒く染まり、雨が止む気配は微塵も無い。
 木立の国は草原の国のように乾季と雨季が別れている地域ではないから、ここまでの長雨は珍しい。
「タイキさん。どうにかなりませんの?」
 忍が問うたのは、ゼーランディア仮宮から昼食を食べに来ていた天候魔術師の少年だ。
「僕たちはあまり、勝手に天気を変えるわけにはいかないんですが……」
 もともと天気というものは、非常にデリケートな物。強引に変え続ければどこかでその反動が来る。彼等はその名の通り天候を操る魔術師ではあるが、それだけの力を持つからこそ、容易にその力を使うべきでもないとされていた。
 さらに言えば、広い範囲に効果を及ぼす天候魔法は消耗も大きい。先日のお菓子コンテストの時にその力を使った彼は、その時の消耗もまだ回復しきってはいないのだ。
 堤防が決壊しそうだとか、街が水浸しになったとかの非常事態ならば無理もするが、さすがに知り合いの旅行対策でその力を振るう気にはなれなかった。
「そうですか……」
 だが、忍の言いたい事も分からないでもない。
 故にタイキは、向こうのテーブルで昼食を食べていた兄の所へ足を運んだ。
「兄さん。王都には行かないんですか?」
「んー。特に用事も無いしなぁ……」
 食事代が出るなら程度の興味はあったが、特に行っても用があるわけではない。先日フィーヱが言っていたように忍の護衛なら、候補者には事欠かないだろう。
 だが。
「……こないだ行きましたけど、色々美味しそうな食べ物がありましたよ。気分転換に、お友達と行ってきたらどうです?」
 その言葉に、思わず席を立つ。
 よく考えれば、木立の国の料理は軒並み美味い。地方都市であるガディアでさえこれなら、中央にある王都の料理はどれほど美味いのか。
「なあ、ルービィ、モモ、二人とも行かないか? タイキから聞いたんだけど、色々美味しい物があるんだってよ!」
「行ってみたい!」
 卓を囲んでいたルービィは、即答だ。
 彼女も王都には行った事がない。どんな美味しい物があるかも、もちろん見た事も聞いた事もなかった。
「ワシは用事がある故、遠慮しておこう。じゃが、土産は期待しておるぞ?」
 そして同じく卓を囲んでいたモモは、そう言って穏やかに微笑むだけだ。
「分かった! なんかすげえ美味そうなもの、たくさん買ってくるな! タイキにもちゃんと買ってきてやるからな!」
 空前の盛り上がりを見せるテーブルを後に、タイキはいつもの調子で戻ってくる。
「これで……何とかなりますの?」
「多分、大丈夫だと思います」
 小さく呟き、天候魔術師の少年は静かに食事を再開した。

 見上げれば、そこにあるのは澄み渡った空。
 朝の太陽が輝くそこには、雲一つ無い。
 完璧なまでの快晴であった。
「え、ええっと…………」
 そんな明けの空をぼんやりと見上げ、リントは呆然と呟くだけだ。
 ガディアからの旅の出発地点である、交差点。
 気が付けば、彼は乗合馬車や各地の隊商で混雑するそこにいた。
「荷物がこれで、こっちは……?」
「ペットですわ」
 彼を抱きかかえていた女性の言葉に、リントの意識が覚醒する。
「にゃにー!」
 忍の腕の中。じたばたと暴れて抗議するリントを見て、乗合馬車の御者は苦笑いするしかない。
「ペット……ね」
「ペットですわ」
 やはり、忍は即答。迷いがない。
「……じゃあペットの持ち込み料金、戴きますよ。馬車の中は狭いんだから、暴れさせないようにね」
「ボクはぬこたまなのだ! ペットなんかじゃないのだー! 失礼なのだ、訂正するのだー!」
 忍の申告を一度だけ確かめると、御者の男はリントの抗議を聞いていないかのように料金を受け取り、馬車への道を空けてみせる。
「なあ……確か、ペットの持ち込み料と獣人の運賃って……」
 そんな様子を眺めていたコウに、アシュヴィンは小さく頷くだけだ。
「……持ち込み料の方が高いデス」
 まあ、お金を払った忍が満足しているならそれでいいだろう。あえて二人が口を挟む所ではない。
 リントの抗議は、やっぱり聞かなかった事にした。
「それからアシュヴィン。お前ちゃんと、あたしの武器持ってるんだろうな」
「ハイ。お任せクダサイ」
 いつものように穏やかに返してくるアシュヴィンに、コウは小さくため息を一つ。
 明らかに怪しいが、彼女の話術で彼のそれを突破出来るとはとても思えない。諦めて、その場の流れに任せるしかないようだった。
「お。なんか可愛いカッコしてるじゃねえか、コウ」
 そんな事を考えていると、掛けられたのは律の声だ。
「うるさいな……」
 今日のコウの装いも、忍が全力でコーディネイトした結果である。
 もちろん武装は全て没収された上、非常用に預かっているのは目の前の龍族の青年だった。さらに言えば、今回の提案者も前回と同じくディスとシノ。勝ち目など、あるわけがない。
「似合ってますよ。そんな怖い顔してたら、台無しじゃないですか」
 律と一緒にやってきたターニャにまでそう言われ、コウはそれきり黙ってしまう。
「それよりアシュヴィン、おめぇ……普通の服も持ってたんだな」
 今日のアシュヴィンは、いつもの執事服ではない。律の基準で言えば、ゆったりとした南国風の衣装をまとっている。恐らくは彼の故郷の服装なのだろうが……。
 特徴的な龍族の角と翼がなければ、彼とは気付かなかっただろう。
「……ワタシ、どう思われていたのデスカ?」
「いや、あの執事服しか持ってないのかと……」
「わたしもそう思ってた……」
 アシュヴィンがどう返すべきか困っていると、背後から掛けられたのは大柄な男の声である。
「ターニャ、律。お前らも荷物乗せないと、馬車出ちまうぞ」
「自分が持っていきますから、二人とも早くチケット買って下さい!」
 見れば、馬車の横に掛けられた時計は、その下に記された出発の時間直前となっていた。
 やはり見送りに来たジョージの言葉に慌てて荷物を預けると、二人は車掌兼御者のもとへと走っていく。
「ちょっと待って!」
 その言葉に通りを振り返れば、こちらに勢いよく駆けてくるフード姿の女性の姿があった。
「何だ。お前らも王都観光かよ、アルジェント」
「仕事よ。……それより、これで全部なの?」
 到着したアルジェントの荷物は、肩に乗ったナナトを含めてもごくわずか。荷台に積む必要はないと判断し、マハエは御者を呼び止めるだけに留めておく。
「じゃねえの? 俺は見送りだけどよ」
 マハエはカナンに頼まれて、見送りに来ただけだ。他にここまで王都に向かうメンバーがいたのは意外だったが、まあ、たまには静かなガディアも悪くない。
「そうなんだ………へぇ………」
 辺りや馬車の中を見回して、人に戻ったナナトを連れたアルジェントは、どこか残念そうにそう呟いている。


「タイキー! おみやげ、楽しみにしてろよー!」
 走り出した馬車の窓から手を振るのは、ダイチである。
「なんか、バタバタだったな……」
 そんな少年に控えめに手を振り返すタイキを眺めながら、小さくため息を吐くのはマハエだ。
「けど、何とかなって良かったです」
 マハエと同じく見送りに来たジョージも、軽く息を吐いている。見送りに来ただけだったのに、なぜか荷物の積み込みの手伝いに巻き込まれてしまっていた。
「そういやタイキ。今日のこの天気は、お前の仕業か?」
 昨日までは長い雨が降っていたのに、今日は冗談かと思うほどの快晴だ。
 彼が草原の国の優秀な天候魔術師と知っていれば、兄の出立のためにその力を振るったと考えるのはごく普通の事だろう。
「いえ。いい加減、本人も気付けばいいと思うんですが……」
 小さく呟き、タイキは静かにため息を吐いた。
 多分、いや、間違いなく、彼は気付いていないと分かっていたから。


続劇

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