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 18.不吉、訪る

 青い空を背に直線の鋼の翼を拡げるのは、十五センチの小柄な影だ。
「今日は出遅れちゃいましたか。やっぱり、探し物は人手がないとダメですね」
 呟きながら僅かに身を屈め……次の瞬間にその場に残されたのは、無言で宙に浮かぶ小太りの姿だけだ。
 代わりに響き渡るのは、黒い竜の絶叫である。
「あーっ! おま、何しとんっ!」
 小太りの男は動く気配は無いらしい。ネイヴァンの声に竜の様子を確かめれば、暗殺竜の首筋にショートソードを突き立てているアリスの姿があった。
「程々に弱ってるなら、貴晶石にするに決まってるじゃありませんか」
「ああ、せっかくの素材が……!」
 断末魔の叫びと共に、ネイヴァンの攻撃で弱り切った竜はぐらりとその身を傾がせて……白亜の石畳に力なく崩れ落ちる。
 結晶化を終えた段階で既に組織の大半は崩壊していたのだろう。倒れ、石畳に叩き付けられた衝撃で、大きな傷を負っていた各所は砕け、そのまま崩れ去っていく。
「……割り込みは嫌いなんじゃなかったのかよ」
「されるのは嫌いですけど、するのは別にどうでもいいです」
 突き立てたショートソードを無遠慮に引き抜けば、その中央に収まっているのは拳大の貴石……暗殺竜の残りの生命力全てを結晶化した、貴晶石だ。
「とりあえずこれで一つ……と。もう一匹も結晶化しておきましょうか。マッドハッター!」
 アリスのその声に、上空で待機していたマッドハッターもようやく動き出す。
「ディス。アリスは俺に任せてもらって、いいか?」
 次の目的は、アシュヴィン達が戦っている暗殺竜の結晶化だろう。
 もちろん、それを易々と見過ごすようなフィーヱではない。
「……やれるのか? ならばわらわは、マッドハッターに行くが」
「この前の借りも返してないしな。……大丈夫。死ぬ気とかじゃないから」
 目的も達することなく、死ぬわけにはいかないのだ。
 その言葉にそれ以上言う事は無いと悟ったのだろう。ディスはフィーヱの肩を軽く叩くと、ゆっくりと上空から降りてきた小太りの男の元へと駆け出していく。


 飛びかかってきた竜の動きを回避したアシュヴィンは、反対側に跳び去った白衣の青年に静かに声を投げかけた。
「ヒューゴ様。お願いがあるのデスガ」
「マッドハッターですか? どうぞ」
 どうやらヒューゴも向こうの異変に気付いていたらしい。
 アシュヴィンとマッドハッターの因縁を知っている者なら、この場面で彼が言いたい事など容易に想像が付く。
「ありがとうゴザイマス」
 次の攻撃を回避した所で、アシュヴィンは黒い翼を拡げ、その場を一気に離脱する。
 暗殺竜がアシュヴィンを狙って飛翔する可能性だけが気がかりだったが……幸か不幸か、暗殺竜が飛び立つ様子はない。
「大丈夫なんですか? ヒューゴさん」
「何とかしてみせますよ」
 ネイヴァン達の戦いが安定しているからとこちらに応援に来ていたアギの言葉に、ヒューゴは鷹揚に頷いてみせる。
「ぎにゃあああああああっ!」
 だが、ヒューゴは迫り来る暗殺竜の攻撃をアシュヴィンのように流すどころか、あっさりと回避してみせた。
 無論、その背後にいたリントも大騒ぎで竜の攻撃から逃げ回る事になる。
「ヒューゴ! アシュヴィンの代わりに壁役をやるんじゃなかったのだ!?」
 前衛の役割は、近接武器でダメージを与えることと、後衛に敵の攻撃が行かないようにガードすることだ。そういう意味では、アシュヴィンは敵の攻撃を上手く受け流して別の所に誘導していたし、ネイヴァンでさえあの大盾で敵の攻撃を受け止めていたのだが……。
「ぶっつけ本番で無理言わないでください。それに僕のこの格好で、あれの攻撃なんか受け止められると思いますか?」
「思わないけど! っていうかあれだけ自信満々に言っててぶっつけ本番なのだ!?」
 確かに白衣のヒューゴに、ネイヴァン達並みの防御力を求めるのは無茶な話だろう。しかし、この圧倒的不利な局面で迷うことなくぶっつけ本番に挑めるというのは……ある意味、凄まじいものがあった。
「それより、あれの左腹に傷がありますよね。まずはあそこを集中的に狙ってください! 敵の誘導は次から上手いことやります……多分」
「わかったのだ!」
 何やら言葉尻に不安なひと言が付いていた気もしたが、今は気にしないことにする。リント達後衛の役割は前衛の支援と、前衛を信じて攻撃の手を休めないことだ。
「また来ました!」
 暗殺竜が飛びかかった先にいたのは、アギである。
 だが、普段なら一瞬の加速で距離を取るアギが……今日は回避を行う様子がない。
(しまった!)
 アギの超加速は、自身の力を一瞬だけ高めて行う技である。しかし今日の彼の気力では、大きな消耗を伴うそれを使う事が出来ないのだ。
「アギさん!」
「アギ!」
 そんな彼に掛けられたのは、二人の声。
 目の前に立つのは、二つの影。
 次の瞬間、彼等の後方に轟くのは……巨大な物体が転倒した、轟音だ。
「兄……さん?」
 一人は、大柄な影。
 大剣を構えたまま、目の前で起こった異変に口をつぐんだまま。
「お前、今の……どうやった?」
 一人は、白衣の影。
 傍らの巨漢からの言葉に、穏やかに微笑んでみせるだけ。
「無我夢中で突っ込んだら、竜がビックリして転んでくれたんじゃないんですか?」
 背後で転倒している竜に一撃を加えたのは、巨漢の大剣ではない。
 無論、背後で動けなかったアギのハズもないし、そのさらに後ろにいた魔法使い達の仕業でもない。
 ならば、竜を『投げ飛ばした』のは、この白衣の男しかいないはずなのだが……。
「それより、このタイミングで来ていただけたって事は……お手伝いを期待していいんですかね?」
 細い瞳の奥に、それ以上の答えを伺うことは出来そうになかった。
 もともと話し上手ではない巨漢である。白衣の男をどれだけ問い詰めても、はぐらかされるだけで終わるだろう。
「倒した後、竜の肝を譲ってもらえるならな」
 ならば、今後の戦いで相手の実力を推し量るしかない。
「交渉成立ですね。では前衛、よろしくお願いします」
 故に男は、白衣の男の傍らで大剣を構えてみせた。
 自らの興味と、実益の双方を満たすために。


 ゆっくりと舞い降りてきたアリスが浮かべているのは、穏やかな笑み。
 それは優しさや楽しさから浮かべる笑みとは全くの対照にあるもの。
 侮蔑の……そして、嘲りの笑みだ。
「任せる? この間は言い返すので精一杯だったあなたが?」
 どうやらつい先日のことは、流石に覚えていたらしい。背中の翼を畳み、退屈そうに一歩を踏み出せば……。
 既に、その姿はフィーヱの視界の内に無い。
「こっちも、対策もなく戦えるなんて……言わない」
 意識が追いつくよりも迅く、空へと大きく跳躍。ちかちかと赤く点滅する左目で見下ろせば、一瞬で背後に回り込んだアリスのショートソードが、彼女の居た場所を抜けていくのが見えた。
 着地と同時にステップを踏み、体勢を整える。
 三歩目を踏む瞬間に身を屈め、今度は地面スレスレ、一直線に跳躍。
 その頭上を抜けていくのは、アリスのショートソードの二撃目だ。
「面白い仕掛けですね。けど、一人で逃げ回るばかりじゃどうにもなりませんよ!」
 どうやらアリスには、フィーヱの回避力の仕掛けは分かっているらしい。分かっていても手を打つ雰囲気がないのは、対策がないからなのか、ねじ伏せられる自信があるのか……それとも、遊んでいるのか。
「一人やないで!」
 そんなアリスに襲いかかるのは、横殴りのランスの一撃だった。
「人間なんか、なおのこと戦力にはなりませんよ」
「せっかく気分ようヒャッホイしよった所に水差しよって。尻尾も鱗も剥ぎ取らん内にあないな事されて、黙ってられるかい!」
 大振りの一撃をあっさりと避けて、アリスはネイヴァンの元へと一足飛びに跳躍する。
 竜など大型獣には有効なランスだが、間合の広さは懐に飛び込まれた時の弱さとのトレードオフだ。殊にルードなど小さな敵を相手取るには、相性は最悪と言って良い。
「ま、貴晶石になりたいっていうなら止めませんけどね!」
 そのセオリー通りに、アリスはネイヴァンの懐へあっさりと飛び込んだ。
 ネイヴァンは構えた大盾を使って、アリスを弾き飛ばそうとするが……。
「ネイヴァン! ダメだ!」
 巨大生物の突撃には有効な大盾も、ルードにとっては大きめの障害物でしかない。
 鋼の翼で軌道を変えて、直滑降。地面と大盾の間に生まれた隙間から飛び込めば、その先にある守りは鎧だけ。無論、大盾以上に隙間だらけな人間用の鎧など、彼女にとっては障害にもならない。
「これで……」
 まずは、一人。
 ショートソードのビークを構え。
「残念やったな」
 そんなアリスの眼前に降ってきたのは。人間の手持ちサイズの樽であった。
 ご丁寧に、どこかの店のロゴまで記されている。
「別に盾やらランスやら持っとるからって、道具が使えへんわけやないんやで! エルフっ!」
 叫んだ時には既にネイヴァンは飛び離れている。
 樽が何か恐るべき物体だとアリスが理解した時には、もう遅い。
 周囲を土壁に遮断された空間の中。火薬多めに詰め込まれたミスティの爆弾が、容赦の無い大爆発を巻き起こす。


 アシュヴィンが辿り着いた時、マッドハッターと呼ばれた小太りの男と対峙していたのは、ディスである。
「マーチヘア卿」
 呼ばれた名前に、マッドハッターは言葉を返さない。
「へんじがない。ただのしかばねのようだ」
「あまり趣味の良い茶々デハありませんヨ。ディス様」
 とはいえ、ここまで相手に反応がないなら……その比喩もあながち冗談とも言い切れないと思えてしまう。
 彼の知るマーチヘアは、決して有能ではなかったし、変わり者ではあったが……明るく気の良い男だった。少なくとも、こうして誰かの問いに沈黙でしか返さないような男ではなかったはずだ。
「定型句じゃ、気にするな。……それより、行くならお主からで構わんぞ。わらわは少々、あれの動きを見定めたいでな」
 ディスが今までマッドハッターと戦っていなかったのは、その見定めもあったからなのだろう。アシュヴィンが先行し、仮に戦闘が始まれば、ディスもより深い見定めが出来るようになるはずだ。
「では、遠慮ナク。……マーチヘア卿!」
 呼ばれた名前に、マッドハッターはやはり答えない。
 けれどアシュヴィンは彼の反応を気にする事も無く、続く言葉を紡いでみせる。
「貴方はこのアシュヴィンがお仕えシタ、マーチヘア卿なのデスよね?」
「ア…シュ………?」
 その名前には覚えがあるのか、マッドハッターはたどたどしい言葉で、その名を口にしようとしてみせた。
「だとしタラ、帰りマショウ。アリスの所にイテも、利用されるダケデス」
 宿に連れ帰れば連れ帰ったで、また何か騒ぎにはなるだろう。けれどそれでも、アリスの元で利用されているだけの今よりはマシなはずだ。
 だが。
「アシュ…………裏切………った……!」
 口にしたのは、そんな言葉。
「知ってはおるようじゃが、随分と印象が悪くなっておるの」
「……そのようデスね」
 彼の記憶に、アシュヴィンがどの程度まで記されていたのかは分からない。だが、彼がアリスの元に連れ去られた後、その裏付けや拠り所をアリスに求めたのであれば……彼女にどんな教育を施されたのかは、想像が付いた。
「ぉぉぉおぉぉぉぉぉっ!」
 咆哮と共に叩き付けられてきたのは、いつかと同じノーモーションからの拳の一撃だ。
 当たればアシュヴィンでも無事では済まないことは分かっているから、受け止めよりも受け流しに集中する。
「アシュヴィン。次はわらわに協力してもらうぞ! そ奴の正体、見定めてくれる!」
 次の拳を受け流しながら、アシュヴィンはディスの言葉に小さく頷いてみせた。


 閉鎖空間での爆弾は、発生した衝撃を周囲の壁に反射させて内に留める事で、その威力を乗数的に増やす。
「……やったか?」
 それは、ミスティからもらった爆弾とセリカの土のドームの組み合わせでも同じ事だ。
「……あれで終わりとは思えないけど」
 たなびく土煙を切り裂いて。
 空からくるくると回りながら落ちてきたのは、巨大な鉄の塊だ。
 轟音と共に地面に叩き付けられたそれは、爆破の衝撃を受け、ひしゃげ、歪んだネイヴァンの大盾である。
「爆弾の威力でこうなった……のか?」
 だとしたら爆弾の威力は、セリカの補助で相当なレベルに引き上げられている事になる。そして同じく爆心地にいたアリスも、けっして無事では済まないはずだ。
「……いるよ、中」
 セリカの言葉に響くのは、ひゅうんという甲高い音。
 空気を切り裂くその音は、やがてその間隔を徐々に狭めていき。
 ひゅうん、ひゅうん。
「来る!」
 立ち籠める黒煙が内から膨らみ。
 爆ぜた。
 怒濤のように現われ出でたのは、無数の光鞭の奔流だ。
「やってくれるじゃありませんか。この服、結構気に入ってたんですけど……ッ!」
 放たれた光鞭の衝撃に、黒煙は掻き消された後。
 ショートソードの穴に生まれた魔晶石が砕け散り、次の光鞭を作り出す。
「そんな盾、使えるの?」
「ないよりはマシや! ってちょっ!」
 ひしゃげた盾を構えるネイヴァンだが、自在にしなる光の鞭が来るのは正面からだけではなかった。左右、背後からも襲い来るそれに、正面からだけの防御など何の役にも立ちはしない。
「ちぃっ! 芸がない!」
 吹き飛ばされるネイヴァン達を尻目に、フィーヱも自動回避の対象を光鞭にセットして駆け抜けるが……放たれた光の鞭の数は、十や二十というわけではない。
 全方位から襲い来る打撃に対し、ダメージが最も低くなる一点を見据えて飛び込むのが精一杯だ。


 迫り来る竜を迎え撃つ炎の弾丸は黒く輝く竜鱗に弾かれ、その奥にまでダメージを通すことはない。
 だが次に竜の眼前で炸裂した爆炎は、さすがの竜もバランスを崩すに十分なもの。
「にゃっ!? 今の、ボクじゃないのだ!」
「私だって、攻撃魔法の一つくらいは使えるのよ」
 リントの背後、同じく杖を構えていたのはアルジェントだ。もともと護身用に身に付けていたもので常用の技ではないが、今この瞬間に使うのは……護身の延長と言っても良いはずだ。
「ぐぬぬ……負けないのだ!」
 けれど、竜がバランスを崩していたのは一瞬のこと。瞬きする間に体勢を整え、再びアルジェント達の元へと襲い来る。
「負けてても良いからちゃんと避けてくだ……言うまでもありませんね」
 ヒューゴがそう言った時には、既にリントはその場から姿を消した後だ。
 恐らくは最初に暗殺竜の気配を感じ取って逃げた時もそうだったのだろう。暗殺竜が体勢を整えるよりもさらに速く、杖を咥えて四本の足で安全な位置まで逃げ下がっている。
「ああ、やっぱり逃げる時は四本足なんだ」
「き……気のせいなのだ! ぬこたまはそんな猫みたいなはしたないことしないのだ!」
 杖を咥えたままで器用に喋っても、説得力はどこにもない。
「……すみません。僕がもっと兄をフォロー出来ていれば」
 竜と互角に戦えているのは、この中ではアギの兄だけだ。しかしそれも、ヒューゴや後衛のフォローを受けて何とか……というレベルでしかない。
 だが、完調なアギの支援があれば、彼はもっと戦えるはずだった。恐らくは、目の前の竜種くらいなら圧倒出来る程度には。
「私も、マハエから落とし穴の作り方も教わっておけば良かったかしらね」
 とはいえそれも、一朝一夕に出来る技ではない。特に穴掘りは体力勝負だから、護身で剣技を習うのとはわけが違う。
「こうなったら……」
 いま自身の技を使って、体力がもつかどうかは微妙な所だった。
 しかし、ここで勝負に出ずして負けてしまっては、何の意味も無い。
「アギ!」
 周囲の声を振り切って前線へと駆け出すアギだが……。
「っ!?」
 その瞬間、振り返った暗殺竜と……目が、合った。


続劇

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