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 8.再び、イザニアへ

 昼食時を過ぎても、ダイチのお菓子特訓は続いていた。
 さすがにナナトは木の実剥きにも飽きて二階で昼寝をしていたが……生地を練る手は、止まる気配も見せないままだ。
「そういえば、忍はどんなお菓子にするんだ? これじゃないんだろ?」
 まさかダイチのお菓子に被せてくることはないだろう。
「ふふっ。それは当日のお楽しみですわ」
「まあ、ターニャもおるしの。言えるはずもなかろう」
 ちょうど店には、遅い昼食を食べに来たターニャの姿もあった。
 毎年忍と並び、優勝候補の一角と目されている彼女の前で……わざわざ手の内を明かすことはない。
「じゃあターニャは何作るの?」
 そんなダイチの質問は、驚くほどにシンプルなものだった。
「それはナイショだよ。ねぇ」
「ですわ」
 既にそれぞれの戦いは始まっているのだ。それはお菓子作りを習い始めたばかりのダイチも、その頂で秘儀を尽くし合う二人も、程度の差はあれ何ら変わる所はない。
「みんな大変ねぇ」
 そんな激しい戦いを横目に、静かにコーヒーを口にする姿が一人いた。
「そういうミスティさんも出るんでしょ? 今年も」
「出るわよ。審査員やりたいし」
 ミスティの目的は、勝利を目指す他の一同とは少し違う。
 大会の参加者は、同時に一般審査員の資格……即ち、試食する権利も与えられる。大会参加者の中には、勝利を目的とするわけではなく、この試食を目的に参加する者も少なからずいるのだ。
「ミスティ。今年も手伝わせてくれ」
 それは、モモも同じだった。
 去年はミスティの手伝いとして、多くの新たなお菓子を楽しんだのだ。今年も同じように、試食だけする気まんまんである。
「手伝いはまあ歓迎だけど……知らないの?」
「何がじゃ」
「今年は一チームに一つしか、試食用のお菓子出ないのよ?」
 去年までは、参加チームのメンバー全員に試食用のお菓子が配られていたのだ。しかし回を重ねるごとに参加チーム……ひいては、モモのように試食目的でのみチームに参加する者達も増え、一部で製作量が多すぎると問題になっていたのである。
 それを解決する方法として、今回は実験的に新たなルールが導入されたわけなのだが……。
「だから、手伝ってくれるだけなら歓迎するけど……お菓子はあたしが食べるからね」
「それでは手伝い損ではないか。ワシはお菓子を食べるためだけに参加するのじゃぞ?」
「言い切った……」
「言い切りましたわね」
 ミスティがお菓子のために参加すると言っている以上、ミスティのチームに参加しても意味は無い。もちろん、この場にいる他の参加者を頼っても状況は同じだろう。
「で、ミスティは何作るんだ?」
「内緒」
 呆然としているモモ以外は、さらりとミスティが口にしたその言葉に、沈黙だけしか返せない。
「……ミスティの内緒は怖いな」
 やがて誰かが口にしたのは、そんな感想だ。
「まさか、火薬を入れた火薬ご飯とか……」
「そもそもそれってお菓子じゃないじゃない」
「火薬を使うとこを否定してよ……」
 普段やっている事がやっている事だけに、他にも罠だの魔法薬だの爆弾だの、物騒な『内緒』しか思い浮かんでこなかった。
 そんな嫌な沈黙の流れた店に、響き渡るのは扉を開ける音だ。
「……ミスティ」
 入ってきたのは、見上げるばかりの巨漢である。大剣を背負ったその男は、ダイチにはあまり見覚えのない顔だ。
「あら。どうしたの? こんな所に」
 どうやらミスティの知り合いらしい。忍たちガディアが長い面々も慣れた様子である所を見ると、彼女達も知っている相手なのだろう。
「薬を受け取りに行ったら、ここだと貼り紙があった」
「ああそうか。来る頃だろうと思って持ってきてあるんだった。はいこれ」
 そう言ってミスティが取り出したのは、小さな袋だった。貴重な物なのか、巨漢はそれを受け取ると、背負っていた袋の中に大事そうに納めてみせる。
「けど最近、量が増えてない? あたしが心配する所じゃないんだろうけどさ」
「大丈夫だ。問題ない」
 女性の言葉にも、男は短くそう答えるだけだ。
「……あの人は?」
「アギのお兄さん。ダイチは会うの、初めてだっけ?」
 小柄で細身の、女の子にしか見えないアギとは、共通点がどこにもない。
 強いて言えば髪の毛の色は似ていたが……せいぜい、その程度だ。
「全然似てないなぁ……」
「まあ、色々あってね……」
 あまりに正直すぎる感想に、ミスティも思わず苦笑いしてみせるしかないのだった。

 山の麓にある廃坑までは、冒険者の足であれば歩いて半日ほどしかかからない。
「うわぁーっ! すごくキレイになってる!」
 かつては廃坑として閉鎖されていたそこは、ある程度だが手が入り、人が滞在出来る環境も十分に整えられていた。一度は大きく崩れて形を変えた入口も、今は綺麗に片付けられ、荷運び用の台車も出入り出来るようになっている。
「ん? ルービィちゃん、ここに来たことあるのか?」
 春頃のイーディスの依頼で行動調査をした時、ルービィはいなかったはずだ。その後、イーディスからこの坑道に関係した依頼が来ていた覚えはないし……個人的な興味でここまで様子を見に来たのだろうか。
「ルードの集落に行った帰りに、イーディス達の様子を見に寄ったんだよ。……あれ? その時ってカイルはいたっけ?」
 ルービィの方も、その時の調査でカイルを見た覚えがなかった。
「……俺が古代兵と一緒に埋まった後か」
 あの時の調査で、坑道入口が崩落した後の事をカイルは知らない。古代のゴーレムが入口を崩しながら現われたり、古代兵がゴーレムを一瞬で倒したりと大騒ぎだったらしいが、当のカイルは古代兵の中で生き埋めになりかけていたのだ。
 さらにその後、カイルは古代兵の起動に巻き込まれてガディアに一足先に戻ってしまったため、坑道入口の顛末を聞いたのは、『月の大樹』に戻ってからのことだった。
 そんな事を話しながら歩いていると、坑道の奧から小さな影が飛び出てくる。
「いらっしゃい、お待ちしてました! これからよろしくお願いします!」
「ここがあの洞窟か? ゴーレムの跡や崩れた所も、全部やり直したんだな」
 ぺこりと元気よく頭を下げた栗色の髪のルードだが、律の労いの言葉に表情をぱっと明るくしてみせる。
「大変だったんですよ。あの時は、もうここで魔晶石農場をやるのはダメかと思いましたし……」
 当時は本当に大騒ぎで、絶望的な状況だったのだろう。思わず暗い表情を浮かべてしまった依頼主を元気付けるように、カイルは作業台……今回の依頼の指揮所として準備されたものだろう……に広げてあった地図を覗き込む。
「じゃ、早速作業に掛かろうぜ。この人数がいりゃ、百匹くらいすぐだろ」
 もともとロックワームは大して強力な敵ではない。しかも弱らせるだけとなれば、さして時間も掛からないだろう。
 そんなカイルに向けられたのは、依頼主の先ほどとはやや違う種類の苦笑い。
「ええっと……実はあの後、王都の技術局からも依頼が入りまして」
「……それは、どのくらい?」
 嫌な予感が、一同の頭をよぎる。
「……二百ほど」
 合計三百。予定の三倍は時間が掛かる事になるらしい。
「それは足りるのか?」
 手間の方はまあ問題ないだろう。問題なのは、そこまでロックワームがいるかである。
「とりあえずワームはたくさんいるので、数は大丈夫なはずです。洞窟がこういう構造になってますから、手始めにこの辺りからやってもらっていいですか?」
 作業台の上に戻ってきたイーディスが指したのは、坑道として整えられた二層目の中程辺りだった。
「そんなにいるの? ロックワーム」
 ルービィはこの廃坑に入った事はないが、鉱山育ちのドワーフ族だ。地図を見ればある程度の構造の見当は付く。それだけに、ロックワームが多いのは天然洞窟のような構造になっているもっと深い場所かと思ったのだが……。
「ヒューゴさんにロックワームの繁殖に適した場所の作り方を教えてもらったんですが、何だか想像以上に増えちゃって……」
「そんな事やってたのか、ヒューゴのやつ」
「まあ、ああ見えても学者先生だしなぁ」
 冒険に出ていない時は『月の大樹』の自分の部屋で本を読んでいるか、施療院に入り浸っているくらいのイメージしかなかったが、色々と細かい小遣い稼ぎもやっているらしい。
「明かりはこちらでも準備していますから、必要なかたは使ってください。それでは、よろしくお願いします!」


続劇

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