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 2.追われるものと、千億の罠

 窓から注ぎ込むのは、穏やかな朝の陽光だ。
 薄手のカーテンを引き、窓を開ければ、爽やかな風が部屋の中へと滑り込んでくる。
 夏の終わりの、少し肌寒さを感じさせるそれに小さく目を細め。
「……起きて、セリカさん」
 声を掛けるのは、背後のベッドの上にある布団の小山だ。
 返事の戻ってこないそれに肩を落とし、ゆさゆさと揺すってみれば。
「にぇむい……ターニャ、あともうひょっと……」
 何度目かの攻撃で、ようやく言葉になっているか怪しい声が返ってきた。
「朝の支度もあるんだから、起きてってばー!」
 ターニャの店はモーニングの営業はないが、昼の準備や仕込みは必要だ。食材の買い出しもあるし、朝からそうゆっくり出来るわけではない。
 さらに揺すってみるものの、小山はそれ以上動く気配がない。まさに山そのものの有様であった。
「……ったくもぅ」
 呑気な同居人兼従業員に小さくため息を吐いた所で、小山から返ってくるのは笑い声。
「……ふふっ」
「どしたの」
 それと同時、崩れる事はないかと思われた小山の中から姿を見せたのは、細身のエルフの娘だった。先程までぐずっていたのが嘘のように、あくび一つする様子もない。
「何か、楽しい」
 冒険者になる前は、規律の厳しい騎士団に居た事もあるセリカだ。もともと寝起きの悪い方でもないし、単身で行動する冒険者ともなれば、なおさら寝坊など出来る環境ではなくなってくる。
 故に同居人という『誰かに起こしてもらえる』環境を、彼女なりに満喫してみたかったのだろう。
「まあね。明日はわたしが起こされる係だからね!」
 セリカの言葉にくすりと微笑むと、ターニャは朝の支度を始めるべく、寝間着に元気よく手を掛けるのだった。


 朝食の客の波が引いても、『月の大樹』の一階から全ての客が消えるわけではない。
 階上から降りてくる朝の遅い冒険者や……何となく居座っている常連客もいる。
「……変装? コウ、おぬしもいよいよ……」
 そんな居座り組の娘が声を上げたのは、机の上に立つ十五センチの少女に向けてだった。
「違う! ディス姉じゃあるまいし……」
 桃色の髪の娘にそんな反論をしかけて、コウは慌てて口をつぐんでみせる。
 そっと周囲を見回すが……幸いな事に、百万ゼタの賞金首は酒場のどこにも居ないようだった。
「……とにかく、外で変ないちゃもん付けられても面白くないし、そういうのをやり過ごせる格好とか、モモが知らないかって思ったんだよ!」
 それを一般に、『おぬしもいよいよ』と言うのだが……さすがの娘も、それ以上話題を混ぜ返すような事はしない。
 代わりに、口に運んでいた酒杯をテーブルに置き、カウンターに向けて軽く声を放つ。
「そんなものワシが知るわけなかろう。忍!」
 やがて奧の作業場から姿を見せたのは、メイド服の娘であった。
 手招きするモモを目にするなり、こちらにぱたぱたと駆け寄ってくる。
「何ですの? モモさん」
「コウが、他の誰にも正体を気取られんような格好をしたいそうじゃ。相談に乗ってやってくれんか?」
「イメチェンですわね! アルジェントさんみたいに!」
 ぱっと顔を輝かせる忍の様子に、コウの頭をよぎるのは不穏の二文字。
 変装に関しては、目の前の彼女に相談するのが一番である事は分かっていた。そしてついでに言えば、何か間違った展開になるのも容易に予想が付いていた。
 故に、酒場に居た別の人物に話を持って行ったのだが……。
「アシュヴィンさん!」
「ハイ。朝のお客サマも引きマシタし、カナン様には休憩に入ったと伝えておきマス」
 忍の跳ね上がったテンションに、彼女の言いたい事を理解したのだろう。カウンターで洗い物をしていた青年は穏やかに微笑み、軽く頷いてみせるだけだ。
「ありがとうございます! シノさん。服、お借りしますわね!」
 そして掲示板の整理をしていた白いルードが頷くよりも早く、忍はテーブルの上にいたコウをそっと抱え上げ。
「いや、だからあたしは頼むとも何とも……ッ!」
 その言葉を最後まで言い終わる間もなく、二人は階上へと消えていく。
「そういえば、その賞金首は?」
 いつものこの時間なら、酒場のどこかにいるはずだ。何かの依頼を引き受けたとは聞いていないが……。
「ルービィを連れて、ミスティの家に行くとか言うておったぞ。あとシノ。何か適当に頼む」


 カウンターの上に置かれたのは、分厚い装丁の書物であった。
「ディス、感想はどうだった?」
 それを奧の棚に適当に戻しながらのミスティの問いに、カウンターに立つ十五センチのヒトガタは軽く肩をすくめるだけだ。
「さして面白いものでもなかったの。何より、読むのが面倒じゃった」
「そんなに面倒なの……?」
 ちらりと見ただけだが、勉強はあまり得意ではないドワーフの娘でも、難なく読める程度の文章で書いてある本だった。難しい依頼書もさらりと読むディスからすれば、そう面倒とも思えないのだが……。
「その大きさじゃねぇ。……それより、大変そうじゃない」
 さして大きくもないガディアの街では、噂が広まるのなどあっという間だ。
 その割に百万ゼタの賞金を狙う命知らずが居ないのは、それ以前に浸透しきっている件のルードの傍若無人さと……手配書にあった金の髪とは違う、水色の髪のおかげだろう。
「いつもの事じゃ。面倒になったらまた流れるだけよ」
 だが、ディス自身としてはそう珍しい事でもないらしい。ミスティの問いにも不敵に微笑み、軽く背など伸ばしてみせるだけだ。
 手配書に慌てるどころか、楽しんでいるようにさえ見える。
「ディス、どっか行っちゃうの?」
「……出来る事なら、行きたくはないがの」
 その言葉は、ガディアという街が気に入っているからなのか、ドワーフ娘のルービィ達と会えなくなるのが嫌なのか、それとももっと別の意味があるのか……。ディスの言葉に素直に喜ぶルービィは、まだ言外の意味までは推し量れずにいる。
「カナンに迷惑を掛けたくないのなら、ウチに来ても良いわよ」
「賞金首なんぞ匿っても、賞金は出んぞ?」
 匿った上での密告というなら分からないでもないが、目の前の女性は賞金ほしさにディスを家に閉じこめるような性分ではない。賞金無視でトラブルを抱え込もうとする、その目的は……。
 店の隅にある小さな山に目をやって、何となくだが理解する。
「……そやつらが端から掛かってくれたのではないのか? のう、カイル」
 全体的に黒焦げの山だ。
「ぐぬぬ……」
 ついでに言えば、ロープでグルグル巻きにされた上にネットが幾重にも掛かり、あちこちには引っ掻いたり破れたりした跡まである。掛けられた水は乾いたようだが、謎の粘液らしきものや溶けたような痕も見て取れた。
「チャラチャラ……後で、殺す……」
 ひと言で簡潔にまとめるとすれば、酷い有様であった。
「あれで……二割くらいかな」
 家の中に仕掛けられた罠は、まだ山ほどある。使い終わった罠を考案中の物に差し替えるとすれば、口にした割合はもっと下がるだろう。
「あれで二割かよ! ネイヴァンでなかったら七回は死んでるぞ!」
 カイルとしては、ネイヴァンが端から罠を突破した後に、目的の部屋まで悠々侵入する……という筋書きだったのだ。
 そして予想通り、ネイヴァンは圧倒的なパワーで端から罠を突破してくれた。
「そんなにすごい罠だったの?」
「……思い出したくないくらいな」
 ただ想定外だったのは、遅延で発動する罠や、あらかじめ二人目を予期してある罠が一人目用以上に用意されており……なおかつ、ネイヴァンの突破力以上に罠が用意されていた事だった。
 結局それに端から掛かり、最後はネイヴァンと十把一絡げでこの格好である。
「それより、夜這いか強盗にでも来たのかと思ったら、写真? そんなもの頼めばいくらでも焼き増ししてあげるわよ」
 依頼主の忍は既にいくらか焼き増しを頼んで来ていた。特に商売にする気もないが、かといって頼まれて拒むようなものでもない。
「分かってねえなあ。コソコソやるのがいいんじゃねえか……」
「コソコソなんぞ性に合わへん! やっぱり正面からヒャッホイが一番や!」
「まあ、いつでも入ってきて良いから、また罠に掛かって頂戴。……ね?」
 わめく山に、ミスティは穏やかに微笑みかけてみせるが……。
「ね、じゃねーよ……」
 罠に嵌められた側からすれば、悪魔の微笑みにしか見えないのだった。


「何? これ」
 そんな店の中に入ってきた小柄な影は、山を見るなり呆れたようにそう呟いた。
「あら、いらっしゃい」
「フィーヱ。おぬしも百万ゼタの賞金首を探しに来た口か?」
 どうやら山は話題にしない方が良い物体らしい。
 颯爽と話題を切り替えてきたディスに、フィーヱは軽く肩をすくめてみせるだけだ。
「そんな割に合わない事しないって。街の連中で、あんたを敵に回したい物好きなんかいるもんか」
 情報提供だけや生死問わずならまだしも、生け捕りである。
 ディスほどの実力者を相手に百万ゼタでは、明らかに割が合わない。
「……珍しい本だね。ルービィが読むの?」
 その話は面倒と、テーブルの上に置いてあった本に話題を振ってみる。
「違うよ。フィーヱも読んだ事あるの? 『龍と姫君』」
「昔ね。龍と人間の姫様が仲良くなったけど、誤解だか何だかで結局、龍が殺されちゃうって話だろ? ……あんまり良い気分じゃなかったな」
 かつて、パートナーと一緒に読んだ覚えがあった。
 それをよくある悲恋の物語として受け止めるか、古くからある種族の壁が邪魔をした物語と取るかで、言い争った思い出もあるのだが……さすがにそんな事まで語ろうとは思わない。
「それより、ディスとカイルもいるならちょうど良い。探し物があるんだけど、いい?」
「覚えてればな」
 山の中からどこか拗ねたような声がするが、聞かなかった事にして。
「ルードの取扱説明書って、聞き覚えない? 施療院の院長は知らないって言ってたんだけど……」
 先日のアリスとの戦いで言われた言葉だ。ルードとビークの本当の使い方……今のそれは正しくない、間違った使い方をしているのだと。
「ルードの……」
「……取説?」
 古代人であるカイルも、ガディアのルードでは古参の部類に入るディスも、首を傾げてみせるだけ。
 だが。
「ええっと、確かこの辺に……」
 ミスティは棚の向こうに姿を消して、しばらくがさがさと何かを漁り……。
「あるのかよ!」
 やがて、一冊の薄い本を持って戻ってくる。
「これのこと? 写本だから、完全版じゃないけど」
 以前、ヒューゴが注文した大量の本の中に混じっていたものだ。興味はあるが今の研究には必要ないと、主に予算の都合から彼女の店に取り残されていた物である。
「……それってドロイドの取説だろ?」
 けれど、その表紙に見覚えがあったのだろう。カイルは幾重にも重なったネットの中から、ぽつりとそう呟いてみせる。
「うむ。ドロイドとルードでは、別物じゃな」
 同じように表紙を確かめたディスも、軽く首を振るだけだ。
「ドロイドって?」
「古代に使われてた、ルードみたいなちっちゃいヒトガタだよ。俺達の生活をサポートしてくれたり、細かい所の作業をしたり……」
「ルードとどう違うの?」
 ルービィの素朴な問いに、カイルは言葉を失ってしまう。
 ドロイドもルードほどではないが、ある程度の感情は持っていたし、外見だけなら見分けは付かないだろう。強いて言えば市民権がなかった事と……。
「……魔晶石が作れないくらいか」
 無論、現在のルードなら誰でも持っているはずの、ビークもなかった。
「へぇ……。じゃあ、カイルがいた頃にはルードはいなかったんだ?」
「その後の文明で、ドロイドをベースに誰かが作ったんだろ」
 遺跡から発掘されるドロイドの部品がルードに流用できる事からも、ルードがドロイドを改良して作られているのは間違いない。古代文明崩壊直後の復興文明は、ほぼ同レベルの科学技術を持っていたとも伝えられるし、その頃のいずれかの時代に作られたのだろう。
「じゃあ、取説は誰も分かんないのか。ディスも知らないんだろ?」
 ディスが知らないなら、それ以外に知っていそうなのは『月の大樹』の白いルードくらいか。
「そんなものに縛られてどうする。やりたいようにやれば良かろう」
「……まったくもって」
 やりたい放題の見本のようなルードにそう言われ、フィーヱは呆れたようにそう呟くしかない。


続劇

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