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山岳遺跡編
 5.ロック・ブロック


「ヒューゴ!」
 掛けられた声に身を起こしたのは、白衣の青年である。
「ああ、死ぬかと思いました」
「いや、普通はあれで死んでるのだ……。ホントに大丈夫なのか?」
 暗殺竜の奇襲の一撃を受けて、壁の向こうまで吹き飛ばされたのだ。最初に噛み砕かれなかっただけでも運が良いのに、こうして無事に返事が寄こせる状態でいるなど、まさに奇跡に等しい。
「大丈夫なんかじゃありませんよ。次の学会で報告しようと思っていた書類、どうやって書きましょうか」
 困った表情で折れた片腕を上げてみせるが……むしろ、それだけでダメージが済んでいる事の方が驚きだった。
「腕が折れたのなら、ボクに任せるのだ!」
 だが、病気はともかく、怪我はリントの魔法の効果範囲内だ。杖を構えて呪文を口にすれば、穏やかに輝く光がヒューゴの腕を包み込む。
「……ぬこたまの治癒魔法も、人間に効果あるんですね」
 感覚を確かめるように腕を動かしてみるが、既に痛みも違和感もない。軽く振り回してみても、いつもと何ら変わりの無い感覚が伝わってくるだけだ。
「ヒューゴはボクのことを何だと思ってたのだ……」
「ありがとうございます。これなら、本のページもめくれますし……」
 立ち上がって白衣の埃を払えば、いつもと何ら変わり無い。
 故に、ヒューゴは一歩を踏み出した。
「ヒューゴ? 戦うのだ?」
 ヒューゴは学者で、戦場における学者は戦闘職のサポートをすると聞いていた。
 そんな彼が戦う術を持っているなど、リントは聞いたことがなかったし……ましてや他の勇敢な冒険者達でさえ苦戦する相手に、武器も持たずに立ち向かえる事などあるはずもない。
「戦う? 僕は学者ですよ?」
 不安そうなリントの言葉を、ヒューゴはやんわりと否定する。
「学者なら、研究するに決まってるじゃありませんか」
 否定しておいてなお、彼は前へと踏み出すのだ。


「早よ逃げ!」
 大盾を構えたネイヴァンの声を背に受けて。
 背中に背負ったサブアームを駆使し、ディスは路地の奥にそびえる白亜の壁を垂直に駆け上がった。追ってきた眼下の竜が壁にぶつかった衝撃で、建屋の屋上から一瞬足を踏み外しかけるが……伸ばされた腕を掴み返す事で、何とか体勢を整える。
「ふぅ。何とか分断出来たようじゃな」
「いいからディス、早く上がって! 重い!」
 フィーヱに引き上げてもらいながら、足元で暴れている暗殺竜の様子を確かめる。
「壁にめりこんどるやないの! ヒャッホォォォォォイ!」
 見れば、ネイヴァンが大盾で竜の攻撃を受け流しながら、構えたランスで果敢に攻め立てている所だった。
 ディスを追って狭い路地に飛び込んだために身動きが取れなくなった相手でも、容赦なしである。むしろ、いつもより調子に乗っているようですらあった。
「ネイヴァンが壊れ……いや、いつも通りか」
 狭い中で無理矢理に方向を変え、ようやく路地を抜け出せたかと思えば……。
「ここで残念! ヒャッホォォォォォイ!」
 目の前で炸裂するのは、視界を白く染める閃光玉である。もちろん回避するスペースを持たない竜がその一撃を避けられるはずもない。
「……いや、あれは容赦なさ過ぎだろ」
 視界を奪われ、動きも取れずに咆えるだけの竜にも容赦なくランスを突き立てる様子に、さすがにフィーヱも竜への同情を禁じ得なかった。
「まあ、らしいといえば、らしいがの」
 戦い方に言いたいことは山ほどあるにせよ、戦力不足のメンバーで挑む以上、勝てる策を駆使するに越した事はない。竜には、運と相手が悪かったと諦めてもらうほか無いだろう。
「ちっ! もう逃げられたか!」
 ようやく一方的な蹂躙から抜け出す事に成功した暗殺竜は、大きく跳躍して広い道路へ着地する。
「男女!」
「男女言わないでください!」
 だが、そこでも響き渡るのは暗殺竜の絶叫だった。
 アギがネイヴァンから受け取り、仕掛けていた巨大な網……帯電性の網に、電気を放つ虫を仕込んだ麻痺式の罠である……の上に飛び降りたのだ。
「ヒャッホォォォォォォィ!」
 もちろん動きを止めた相手に遠慮などするネイヴァンではない。ランスを構え、動きを止めた暗殺竜に突撃する。
「ダメ押しもあるのか……敵でなくて良かった」
 今までは、味方にしても大して役に立った印象はなかったが……正直な所、絶対に敵にはしたくない相手だった。強い弱いではなく、あんな戦い方を仕掛けられては、体力の前に精神が保たないだろう。
「ともかく助かったぞ、ネイヴァン!」
 言いたくは無いが、助かったことは間違いない。塀の上まで降りてきた二人の言葉に、ネイヴァンは竜にガスガスとランスを突き込みながら言葉を返す。
「気にせんでええ! この力と盾はみんなを護るためにあるんやない! 俺がヒャッホイするためにあるんや!」
 爽やかではあったが、内容は最低だった。
「………ルービィ辺りには絶対に聞かせられん台詞じゃな」
「全く」
 ともあれ、戦闘が優位に進んでいることは間違いない。このままの流れを保つにはどうすればいいか……フィーヱは思考をその一点に絞り、塀の上を走り出す。


 戦場に響き渡るのは、甲高い咆哮に似た叫び声。
「!!!!!!!」
 続けざまにそれを叫んだのは竜ではない。
 竜と対峙していた、黒服の執事である。
「アシュヴィンが壊れた……」
「別に壊れてはいませんヨ。ちょっと龍族の言葉デ呼びかけてみたのデスガ……」
 連携や戦術を取る暗殺竜も、さすがに細かな言葉までは使いこなす様子はなかった。こちらが敵ではないことを伝えようとしたのだが……先程までの攻撃を糾弾してくる様子もなく、単純に言葉が通じていないらしい。
 これが動物と意思の疎通の出来るスキルの持ち主なら、状況は変わってきたのかもしれないが……良く考えれば、その彼女も暗殺竜の撃破経験を持っている。話の通じない相手と思う方が、無難だろう。
「通じましたか?」
「無理デスネ」
 やってきたヒューゴに、小さく首を振ってみせる。
「ヒューゴ。大丈夫?」
「おかげさまで。現状は?」
 とりあえず二匹の分断は出来たらしい。が、敵を分断したという事は、こちらも分断されたという事の裏返しでもある。
「ネイヴァン様達が、一匹引き受ケテくれてイマス」
 そう言いながらのアシュヴィンの前。迫り来る暗殺竜の目の前に立ち上がるのは炎の壁だ。
 唐突に現われたそれに竜が怯んだ隙を逃がさず、アシュヴィン達は巧みに自分達の立ち位置を入れ替える。
「さすがセリカさんですね。戦い慣れている」
 不利になる前に、こちらの状況を良い方へ良い方へと導いている。こればかりは一朝一夕で身につくものではない。
「でも、それだけ」
 どこからともなく取り出したナイフを投げ付けてはいるが、暗殺竜の鱗には通じる様子がなかった。アシュヴィンが何か切り札を隠し持っている事は想像に難くなかったが、それもまだ出すべきタイミングではないのだろう。
「なら、僕も出来ることをしましょうか」
 会議中に襲われたこともあり、背中の荷物は既に無い。
「そういえばヒューゴの研究って、何なのだ?」
「……もちろん、秘密ですよ」
 リントの言葉を笑って誤魔化し、ヒューゴは掛けていた眼鏡をそっと外してみせた。


「これで……しまいや!」
 飛びかかってきた一撃を大盾で受け止め、カウンターにランスの一撃を叩き込む。怯んだ瞬間、眼前に閃光玉を叩き付ければ、視界を潰された暗殺竜が上げるのは絶叫である。
 無論そこから叩き込まれるのは、ネイヴァンの容赦ないランスの追撃だ。
「こんな所にいた!」
 そんな容赦の無いネイヴァンの攻撃オンパレードに掛けられたのは、この場には居ないはずの声であった。
「アルジェント。どうした?」
 余程急いで来たのか、徒歩ではなく馬に乗っている。
 こちらの調査に加わるには馬を使っても遅すぎる登場だが……そこまでして依頼に参加したかったのか、あるいは何か別の目的があるのか。
「アリスは?」
 ネイヴァンが何かしくじれば、フォローに入ろうと身構えていたフィーヱだが、アルジェントの言葉に思わず耳を疑ってしまう。
「いるわけ無いだろ。……って、来るのか!?」
 神出鬼没のアリスの動きは、誰も掴めていないはずだった。貴晶石を集めているという彼女達の目的から、現われる可能性は高いという予想はされていたが……。
「違う」
 そんなフィーヱの言葉を、馬上のアルジェントは即座に否定する。
「来てるのよ!」
 その言葉にフィーヱは慌てて空を仰ぐ。
 はるか上方より差す、フィーヱ達に掛かる影。
 そこにあるのは……!


続劇

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