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山岳遺跡編
 1.旅立つものと、見送るものと


「行って来るね、シヲ」
 部屋の中に掛けられた言葉に、帰ってくる答えはない。
 だが反応がないことを憂うでも無く、彼女は静かに扉を閉める。
 響くのは、鍵を掛けるがちゃりという冷たい音だけだ。
「もう行くの?」
 そんな彼女を部屋の外で待っていたのは、白いワンピースに身を包んだ細身の娘である。
「シノ、シヲを頼む。それと……」
 差し出したのは、部屋の鍵だけではない。
 小さな袋と、一通の手紙だ。
 宛先の記されていない手紙の内容は、確かめるまでもない。部屋に荷物を残したまま出掛ける冒険者が残す手紙など、宿に働く者にとっては日常の事である。
 それよりも白いルードが気にしたのは、小さな袋の方だ。
「使わなかったの? 三つ揃ったんでしょ?」
 袋の中に入っているのは、握り拳大の貴石が二つ。
 前に聞いた話では、彼女の必要とする数は揃ったはずだった。それをわざわざ……それも、うちの二つだけを預ける理由が分からない。
「揃ってなんかないよ……」
 預けた二つの貴晶石は、彼女自身が手に入れ、あるいは託されたものだ。手に入れた経路をぼかした物もあるが、それだけは間違いない。
 けれど最後の一つは……。
「……奴に借りを返すまではね」
 小さく呟く彼女が浮かべるのは、どこか昏い感情を宿した笑みだ。
 そう言い残して部屋を後にする黒衣のルードを、白いルードは黙って見送ることしか出来ずにいる。


 明け放たれた窓に腰を掛け、呟いたのはたった一言。
「ごめん」
 その一言で、部屋の中にいた女性は全てを理解する。
 付き合いの長い相手だ。もともと長く話をするタイプではないし、それで言いたいことのほとんどは分かってしまう。
「急な頼みだったしね。席は空けておくから、気が向いたらいつでも声を掛けて頂戴」
 セリカが騎士を辞め、冒険者として自由な道を選んだのは……シャーロットの事があったからだと聞いていた。けれど、それ以外にも多くの理由があったのだろう。
 もちろん今のシャーロットに、セリカに頼みを強要することは出来ないし、それは何よりシャーロット自身の望む所ではなかった。
「ありがと。じゃあ、行ってくる」
「ええ。代用海亀、お願いね」
 去り際の言葉もごく短いものだ。
 そのまま腰掛けていた二階の窓から飛び降り、姿を消す。窓の外……屋敷の庭や塀の上にも、既にその姿は見当たらなかった。
 最後の言葉は果たして届いていたのかどうなのか、それすらも今の彼女に確かめる術はない。
「……正面から来てもちゃんと通すのに」
 夏の終わりで暑さの残る時期とは言え、警戒を厳重にしているこの屋敷で窓を開け放しているのは問題がある。小さく呟き、部屋の窓を閉めようとした所で……どこからともなく、姿を消したはずのセリカがひょいと顔を覗かせてきた。
「忘れてた。これ」
 閉じかけていた窓の隙間から差し込んできたのは、木箱の入った包みである。
「これは……?」
「ちょっと、頼み事。あと帰ったらスープのレシピ、教えて」
 言い終えた時には既に手は窓の外だ。
 頼み事と言う包みは、窓の桟に置かれたままになっている。
「人の頼みは断っておいてそっちの頼み事は押しつけてくるって……貴女らしいわね。まったく」
 いつも通りと言えばいつも通りの彼女の様子に小さく微笑み。
 少なくとも、こちらの無茶な頼みに気を悪くしていない事も、理解する。
 箱の中身を確かめて、ひとまず棚に片付けた所で再び人が入って来た。
 今度は窓ではない。扉から入ってきたのは、肩に十五センチの小さな道化を乗せた、小太りの男である。
「シャーロット。あの爺ぃどもの使いが来ましたよ」
 男は沈黙を守ったまま。喋るのは、彼に肩に乗る道化だけだ。
「……ノックくらいしたらどうなんですか。アリス」
「アリスじゃなくて、リデルと呼んでくださいってば。……けど、友達は窓から入ってきても通すのに、私はノックしないだけで怒られるんですね」
 先程のシャーロットの様子をどこまで見ていたのか。リデルと名乗った道化は侍従長の苛立ち紛れの言葉に動じる様子もなく、くすくすと笑っているだけだ。
「まだ、当分は一人か……」
 笑いながら部屋を出て行くリデルの背後、シャーロットは誰にも聞こえぬ声で、そう言葉を転がしてみせる。


続劇

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