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4.変化と、還元

 仮宮を出て少し歩いた所で、コウが漏らしたのは小さなひと言だ。
「収穫なしか……」
 ダンプティの件は予想通りとして、マッドハッターやアリスについても、目新しい情報を手に入らなかった。これがノア姫であれば、少しは違っていたのかもしれないが……。
 もう一度、見つかるのを覚悟で屋敷に潜入してみるべきか。
 少なくとも王女とは前回の件で面識がある。彼女の部屋まで辿り着ければ、後はどうにでもなるはずだ。
 既に折り畳み式の槍も律から返してもらっているから、武器に関しては問題ない。
「そうでもないぜ」
 しかし、律はコウとは違う感想を抱いていた。
「シャーロットに……リデルだっけ? その道化を引き入れるように紹介した黒幕が、別にいるっぽい事は分かっただろ」
 特に仲も良くないリデルを、シャーロットがわざわざ道化として推薦するはずがない。リデルの正体がアリスというお尋ね者である事を考えれば、なおさらだ。
「じゃあ、誰なんだよそれ」
「そこまではおっちゃんもわかんねえなぁ、ワトソンくん」
「誰だよワトソンって……」
 一瞬見直し掛けたのに、そのひと言で台無しである。
 へらりと笑う横顔を蹴っ飛ばしてやろうかと思ったその時だ。
「お、いたいた! 律ー!」
 こちらに向かって手を振る、大柄な姿がある。
「げ! ワトソン!」
 さらにいえば、ワトソンの脇には小柄な男の子も一緒だった。
「ワトソンって、マハエの事か……?」
「誰だよワトソンって」
 マハエ自身も首を傾げている辺り、どうやら彼もワトソンではないらしい。
「弓の代金はちゃんと払ってるだろ! ……分割だけどよ」
「そっちじゃねえよ。人を借金取りみたいに言うんじゃねえ」
 彼自身、借金取りには良い思い出がないのだろうか。彼にしては珍しく、律の言葉に露骨に顔をしかめてみせる。
「じゃあ利子か! 十日で一割とかか! ようやく稼いだ今日の昼飯代も持って行く気か! おに! あくま!」
 胸元を引き寄せ、律は半歩下がってみせた。
 そこには先刻の三竜弦の調整で稼いだ報酬が入っているのだが、そんな事をマハエが知るはずもない。
「あくま? マハエ、あくまなの?」
「違うってば。……ナナの前でそんな景気の悪い話するなよ、律」
 どうにも、先日の弓の件が後を引いているらしい。
 金離れの良い律でさえこうなるほどの金額に、コウも興味は無いでもなかったが……やはり、重要なのは目の前の怨敵の事だ。
「どうでもいい話なら、あたしは行くからな。……………」
 そう言い残し、律の肩から飛び降りようとして……。
「どした」
「行かないのか?」
 その場で動きを止めているコウに、周囲から首を捻るような問いが掛けられる。
「行くよ! 行けば良いんだろ!」
 普段なら飛び出して三輪で去る所だが、今日の装備ではそれが出来ない事に気付いたのだろう。当たり散らすようにそう叫び、律の肩から壁の上へと飛び移る。
「で、何だっけ? 利息は勘弁してくれるんだっけ?」
 ポニーテールを揺らす小さな背中が角を曲がっていくのを見届けて、律はマハエへ向き直った。冗談のような口調だが、瞳は全く笑っていない。
「さしむき、勘弁してやってもいいぜ……ちょっと手伝ってくれればな」


 ガディアの商店街の一角に、高い煙突と、モクモクと煙を立ち上らせる一角があった。
 鍋の修繕から蹄鉄の調整、果ては武器の打ち直しまで。ガディアにおける金属加工の多くを司る、鍛冶屋である。
「ごめんくださーい」
 その店の扉を叩いたのは細身の青年だ。
 しかし彼を出迎えたのは、店の従業員ではなく……もっと、見知った顔だった。
「ジョージじゃない」
「あれ。ミスティさんこそ、なんでここに?」
 ミスティの店は、鍛冶屋からだいぶ離れた所にあるはずだ。昼間のこんな時間にいるなど……と一瞬思ったが、相手がミスティならそう不思議な話ではない。
「修理の頼まれ物があったのをすっかり忘れてたのよ。それより、マハエならいないわよ?」
 鍛冶屋は、マハエの実家でもある。依頼などで行動を共にする事も多いジョージだから、ミスティは彼を呼びに来たのだと思ったらしいが……。
「いえ、マハエさんに用じゃなくて……。すいません、このお店で一番高い武器って、どれですか?」
「それならあそこに掛かってるランスだけど、ジョージが使うの?」
 ジョージの武器は、その細身から放たれる拳の一撃だ。一撃必殺と身軽な動きが持ち味の彼が、高い防御に物を言わせた重突撃武器を構える姿は、少々想像しがたい物がある。
「いえ、そういうワケじゃないんですが。マハエさんの借金返済の、手助けにならないかなと思いまして……」
 一番分かりやすいのは、現金を渡す事なのだろうが……それはあまりに即物的すぎた。
 故に、彼の実家兼店で買物をすることで、手助けの一環になればと思ったのだ。
「でも、使わない武器買っても仕方ないでしょ?」
「そうなんですよね……」
 大して面白くもなさそうに呟くミスティの言葉を遮るように、ジョージの後ろから長身の男が入ってきた。
「ババア! ランスくげふぁっ!」
 その言葉と同時に奧の作業場から飛んできたハンマーが男の眉間に突き刺さり、男の体は二転、三転して店の外へ吹っ飛ばされる。
「だ、大丈夫ですかネイヴァンさんっ!」
 その場に転がったままピクリとも動かないネイヴァンだったが、やがてむくりと身を起こし、緩慢な動作でジョージのほうへと向き直った。
「あれ。ジョージさんじゃないですか。どうかなさったんですか?」
「……もう一回、ハンマーで叩いてもらった方が良くない?」
 どうやら打ち所が悪かったらしい。爽やかな白い歯を見せて微笑むネイヴァンを気味悪そうに眺めながら、ミスティは落ちていたハンマーを拾い上げてみせる。
「いえ、ちょっとランスを……」
「あの壁に掛かっているランスですか! なんという……僕もそれを買ってレッツヒャッホイしようと思っていた所なのでぺぎゃっ!」
 今度の一撃は、ミスティのものだった。
 脳天から遠慮なく縦に一撃である。
「ミ、ミスティさんっ!?」
「だって、あんな喋り方してるネイヴァンとか気持ち悪いし……」
「だからってもうちょっと手加減とかしてくださいよ……」
 先程の眉間に加えて、今度は脳天から。頑丈と評判のネイヴァンも、さすがに無事では済まないはずだ。
 ジョージとミスティが見守る中、やがてネイヴァンはゆっくりと身を起こし……。
「え、ええっと……」
 それはいつものネイヴァンなのか、先ほどのままが続いているのか、はたまたさらに新たな展開を迎えてしまうのか。
 息を呑む一同に向けて。
「ゆずってくれ! たのむ!」
 ネイヴァンが口にしたのは、いつもの直球のひと言だった。


 男の前。
「マハエ……今日も、頼むわね」
 紡がれた唇は、いつもよりも僅かに赤く。
「お……おう」
 そこから漏れる声は、普段にはない、どこか恥ずかしげな艶を帯びたもの。
 男の前、しゅるりと鳴るのは、マントを留める細紐が解かれた音。
 そして陽光の中に響くのは、白いマントが足元に落ちる、衣擦れの音だ。
「………ええっと」
 その下から姿を見せたのは、今までの彼女とは別人だった。
「その格好は、ナンデスカ? アルジェントさん」
 裾の短いスカートに、細身のブーツ。上半身も肩を出したベストに手袋。
 今まで全てローブに覆われ隠されていた素肌とボディラインが、露わになる……どころか、強調されるような装いである。
「忍にコーディネートしてもらったんだけど……」
 運動性を重視した、盗賊が好んでまとうような格好がベースになっている事は、理解出来る。
 理解は出来るが……。
「………似合わない?」
 やはり慣れない格好は恥ずかしいのだろう。僅かに頬を赤らめ、こちらを見上げてくるアルジェントに……。
「いや、似合わないっつーか、なんつーか……だな」
 男は慌てて視線を逸らし、誤魔化すような大声で叫ぶことしか出来ずにいる。
「やっぱり似合わないんだ……この格好、恥ずかしいのに……」
「違っ!」
 目尻にじわりと浮かぶ大粒の涙に、マハエは慌てて手を振りながら、訂正の言葉を紡ぐだけだ。
「よく似合ってるぜ。なあナナ」
 大の大人が少女一人に慌てている様が楽しいのだろう。それを見てニヤニヤと笑っているのは、手伝いで呼び出された律である。
「アル、かわいい!」
「……ありがと! それじゃ、今日も頼むわね」
 律の傍らにいるナナトの声に、ようやく機嫌を直したのか……アルジェントは涙を拭うと、腰の短剣を引き抜いてみせた。


続劇

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