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3.フェイクの奏でる音

 広げた手のひらほどの胴に、そこから生えた木製の長い棹。
 ぴんと張られた三本の弦を上から順に爪弾けば、店内に響き渡るのはどこか懐かしいメロディだ。
「何やってるのだ? 律」
 そんな調子で楽器を抱えたまま、先端のハンドルを回したり、弦の張り具合を確かめている律に声を掛けたのは、二足歩行で歩く猫である。
「楽器の調整だよ。前に似たような物を触った事があるから、見よう見まねでな」
「三竜弦ですか? 珍しいですね」
 確か、海の国でよく使われている楽器のはずだ。海の上でも奏でられるようにと作られたそれは、細身の外見に反して非常に強固な木材や皮革が使われている。
 彼の国では一般的な楽器だが、木立の国で見る事はあまりない。
「ん、ヒューゴ。お前さん、こっちの方にも興味が?」
「いえ。他の資料についでに読んだだけで、特には」
 本当に興味がないのだろう。食事を終えると、学者の青年は白衣を整え、そのまま階上の自分の部屋へと戻って行ってしまう。
「……まあ、こんなもんか」
 本来なら吟遊詩人あたりが引き受ける依頼なのだろうが、たまたまその手の旅人がいなかったのだ。街の古道具屋からの至急の依頼だったため、僅かでも経験のあった律が引き受ける事になったのである。
「りっつぁん! もっかい鳴らして欲しいのだ!」
 代わりにカウンター席に着いたのは、足元にいた二足歩行の猫だ。
 初めて見るらしき楽器が珍しいのか、しきりに律の手元を覗き込もうとしている。
「皆さん、出来ましたわ!」
 そんな事を話していると、ヒューゴと入れ替わりに二階から忍達が降りてきた。
「ありゃ誰だ?」
 当たり前だが、忍は分かる。
 けれど、彼女の手の上に載っているルードは……。
「コウに決まってるのだ」
 赤いアーマーに、赤い髪。髪型が何となく違う気もしたが、全体的なイメージは誰がどう見てもコウだった。
「……あれ、赤いけどコウじゃないぞ。失礼だろ、リント」
「ややっ! それは失礼したのだ! ごめんなさいなのだ!」
 どうやら赤いだけで判断したのは早計だったらしい。リントは忍の元に駆け寄ると、手の上に載るルードにぺこりと頭を下げてみせた。
「……失礼なのはお前らだろ。あたしの事、赤いとしか思ってないのかよ!」
 無論、忍の手の上に載っていたのはコウである。
 慌ててリントが振り返ると、教えた律はニヤニヤと笑っているではないか。
「だましたのだ! ひどいのだ!」
「俺も見間違えただけだぜ?」
 悪びれる様子もない律に、リントの怒りは収まる様子もないが……。
 そんな中で、忍だけが一同とは全く違う表情を浮かべていた。
「そうですわよね! やっぱりイメチェンなら格好も変えないと! この武装は外した方がいいですわよね!」
 武装は絶対に外せないと強硬に突っぱねられたため、仕方なく武装を付けた上でも出来るコーディネイトを考えたのだが……この一瞬で判別されては、イメチェンの意味は無い。
 やはり、武装は外すべき。
 いや、外さなければならないのだ!
「え、いやこら、そういう意味で言ったわけじゃなくって……!」
 その言葉を最後まで言い終わる事もなく、二人は階上へと消えていく。
「…………行っちゃったのだ」
 呆然としたままのリントの感想に合わせるように、律の楽器がびよよんとどこか間の抜けた音を立ててみせる。
「りっつぁん様。そういえば、前に触ってイた楽器トハ、どんな楽器なのデスカ?」
「ああ。三味線って言ってな」
 恐らくはこの三竜弦も、それを再現しようとして別の形で蘇った楽器の一つなのだろう。大まかな構造はほぼ近いが、材質や細かい部品の形は彼の記憶にあるものとはいくらか異なっている。
「本体に猫の皮を使ってな……」
 その瞬間、響き渡るのは辺りをひっくり返すガタガタという音だった。
 当然ながら、その音を立てた張本人の姿は既にない。
「おーい。これは海竜の皮を使ってるやつだから、安心しろー」
「ほ、ホントなのだ?」
 そう呼びかければ、店の入口から小さな頭がひょこりとこちらを覗き込んでくる。
「ああ。三味線は猫皮だけどなー」
 叫びと共に、小さな頭は今度こそどこかへ行ってしまった。
「……じゃ、おっちゃんもちょっと出て来るわ。アシュヴィン、これでいいか?」
「ありがとうございマス、律様。ターニャ様のお店デスカ?」
 楽器と入れ替わりに報酬の入った袋を受け取ると、中身を確認してそのまま懐へ。
「その前に、ちょいと姫さんの所にな」
 そう口にした瞬間、がたがたと響くのは階上からだ。
「ノア姫の所なら、あたしも行くっ!」
「こら! 女の子がそんな格好で出ちゃダメですわ!」
 二階の階段に現われかけた赤い影が、ひょいと伸びてきた腕に容赦なく引き戻される。
 悲鳴にも似た短い叫びと、何と言っているか分からない声がしばらく響き……やがて訪れるのは、何とも微妙な静寂だ。
「……もう一杯、飲んデ行かれマスカ? サービスなのデ、大豆のコーヒーですガ」
 アシュヴィンの申し出に律は小さく頷くと、再びカウンターに腰を下ろすのだった。


 『月の大樹』に朝食を食べに訪れるのは、冒険者や宿泊客だけではない。
「そういえばターニャ。代用海亀のスープって、どんな味がするの?」
 朝の支度もひと息ついて、『月の大樹』に朝食を食べに来たターニャ達である。
 自分達の店が料理屋である以上、そのまままかないの料理で済ませる事も多いのだが……依頼の確認を兼ねて、という事らしい。
「わたしも食べた事ないのよね……。アギは?」
「僕もありません。ヒレアルキリクガメは何回か食べた事がありますが……」
 アギの微妙な表情から、ヒレアルキリクガメという生物の基本的な味は大まかにだが見て取れた。少なくとも彼等の調理法を用いた上では、そう何度も食べたい物ではなかったらしい。
「オイラも気になる!」
「あれ? ターニャさん達はともかく、ダイチさんの地元の料理じゃないんですか?」
 代用海亀のスープは草原の国の郷土料理だと聞いていた。草原の国生まれのダイチなら、スープを飲む機会が全くなかったとは思えないのだが……。
「セリカさんとダイチさんは食べた事あるんじゃないの? 二人とも、草原の国には長くいたでしょ?」
「海亀のスープなら食べた事あるけど……」
 内陸にある王都ではあまり食べる機会はなかったが、海沿いの街で仕事をした時などにはよく食べていた。
 だが、代用海亀という名のリクガメ料理は食べた事がない。
「オイラも、代用海亀ってのは食べた事ないんだよなー。代用だったら、味が違うかもしれないだろ? だったら食べてみたいに決まってるじゃん」
 そもそも草原の国特産の海亀が手に入らないが故の、代用品なのである。草原の国に住んでいれば、逆に食べる機会がないのも不思議ではない。
「代用っていうくらいだから、同じ味にしようとするんじゃないかな?」
「そうなのか……。だったら美味しいと思うけどな」
 草原の国での海亀のスープは、紛う事なきご馳走だった。
 もっとも、草原の国の王女に食べさせようというのだから、余程栄養がない限り、美味しい物である事は間違いないだろうが。
「それよりダイチさん、もう大丈夫なんですか?」
「下でこんな良い匂いしてて、引っ込んでられるわけないだろ」
 そう言ってダイチが口にするのは、忍が作っていた試作品のお菓子である。
 例の一件があってしばらくは部屋に引っ込んでいたのだが、連日のこの匂いに耐えられなくなって、とうとう出てきたのだった。
「それに……やらなきゃいけない事も、出来たし」
「何か言った?」
 誰かの問い掛けに明るく首を振ってみせ、ダイチが話を向けたのは近くの席でくつろいでいたモモである。
「そういえば、モモは食べた事ないの? 代用海亀」
 ガディアでの生活も長いモモだ。草原の国から来た旅人がスープを作っている時に、味見に混ざっていても不思議ではない。
「ふむ。海亀を食べた事はあるが、ヒレアルキリクガメはないの」
 そもそもガディアは漁師町だ。海亀も海産物も容易に手に入るし、山の幸にも美味しい物はいくらでもある。余程の事がない限り、わざわざ山中深くに入ってリクガメなどを捕まえて来る必要はない。
「たくさん取ってきて、作ろう」
 だが、本当に草原の国の海亀のスープが食べられるなら、挑む価値はあるはずだ。
 セリカはそう呟き、ひとり思いを馳せるのだった。


「……落ち着かねえんだけどよ」
 整えられた応接間で呟くのは、赤い髪を結い上げた小さな娘だ。
「騒ぐとバレるぞ」
 仮宮に着いた時も、こうして応接間に通される間も、草原の国の騎士達は何も言ってこなかった。ここでコウが不審な態度を取れば、その態度から怪しまれてしまう。
「堂々としてろ」
 傍らの律など、素知らぬ振りで煙管などふかしている。それはそれで落ち着きすぎだろうと思ったが、面倒なので口には出さない。
「そっちじゃねえよ」
 だが、落ち着かないのはそこだけではなかった。
 妙にスカスカする足元である。
 ひらひらするスカートは、いつもの鋼のアーマーに比べて頼りなく、あまりに心許ない。当たり前だが、何か起きても高速移動も防御さえも出来ないのだ。
 予備の武装だけは律に持ってもらっているが……それでさえ、行動に対応するにはいつもよりひと呼吸もふた呼吸も遅れる事になる。
「すみません。遅くなりました」
 やがて部屋に現われたのは、草原の国の姫君……ではなく、側仕えの少年だった。
「ちぇ、タイキか。姫様にはお会い出来ないのかね?」
「あまりお加減が宜しくないので。僕も食事の時くらいしかお会い出来ないんですよ?」
 床に伏せているわけではないが、体調が良くないのも事実だ。脇に控える身とはいえ異性である以上、タイキもそう易々と部屋に立ち入る事は出来なかった。
「まあいいや。で、本題なんだけどよ。例の賞金首……ダンプティと、アスディウスの情報ってのは、こないだ言ってた奴で全部なのかね?」
 手配書に載っているのは、小太りの古代人である事と、金髪のルードである事だけ。手掛かりと言うには、あまりにも少ない。
「全部です。僕も祖父から聞いただけで、実際に見たわけではありませんし……」
 それも漠然とした話を聞いただけだ。一度、祖父の描いた二人の似顔絵を見た事もあったが……ダンプティには角が生えており、アスディウスには牙が生えていた。
 正直な所、タイキ自身もこれだけの情報で見つかるなどとは思っていない。
「まあ、でなけりゃ一人百万ゼタなんて賞金は付かんか」
 百万ゼタといえば、一生遊んで暮らせる大金だ。それだけのチャンスである以上、リスクや手間も相応と見るべきだろう。
「この話、兄からは?」
「聞いてない」
「聞いてない」
「やっぱり……」
 もっとも、ウィズワール家からは距離を取って冒険者をしているダイチである。仮にウィズワールの名を出して賞金を掛けた所で、偽物扱いされて相手にされないのがオチだったろうが……。
 そんな話をしていると、応接間に大柄な影が入ってきた。
「マッドハッターさん。今この部屋は、使用中ですよ」
 ノックも無しの男に対してタイキが小さく咎めの言葉を放てば、マッドハッターと呼ばれた小太りの男は何の反応を示す事もなく、そのまま出て行ってしまう。
「今のは?」
「……リデルの客人だと聞いています」
 開きっぱなしの扉を閉じて、タイキは小さくため息を一つ。
 その様子から、少年のマッドハッターに対する想いは容易く見て取れた。
「そうだ。そのリデルって奴の事、教えてくれよ。どんな奴なんだ?」
 だがコウのその問いにも、タイキは小さく首を振るだけだ。
「僕も良くは知りません。僕が殿下にお仕えする少し前、ナナトさんが殿下の元を去られた後で、お仕えするようになった道化だと聞いていますが……」
 タイミングとしては、今のノアがノア王女となった頃だろう。どうやらタイキも、ノアに仕えるようになってさして時間は経っていないらしい。
「その前は? どっかの一座にいたとか?」
「さあ? シャーロットさんが連れてきたらしいですが、その前の事は」
 マッドハッター並みに胡散臭い存在である事は違いないのだろう。タイキの言葉は、マッドハッターの事を語る時と変わりなく聞こえる。
「あの姉ちゃんはどんな奴なんだ? そういう道化と友達って事は、やっぱり冒険者上がりとか、そんな感じなのか?」
「あんまり仲も良くない感じですし、よく分かんないんですよね。シャーロットさんは以前は騎士団にいたそうですしが、セリカさんの方が詳しいんじゃないですか? 昔、同期だったって聞きましたよ」
 やはり詳しい事は知らないが、騎士団でもかなり信頼の置ける立場にいたらしい。
 そこでの功績から、姫の護衛を兼ねて側近として抜擢されたのだという。
「じゃあ、シャーロットは怪しい奴じゃないのか……」
「殿下の侍従長が怪しかったら、大騒ぎですよ」
 コウの言葉に、タイキはようやく苦笑してみせる。
 タイキもウィズワールの天候魔術師だからと、ノアの側近として選ばれたのだ。少なくともシャーロットは、出自からしても彼に近しい立場にあるはずだった。
「だな。忙しい所、悪かったな。……賞金首、頑張って探してくるからよ」
 煙管の灰を手持ちの容器に落とすと、律はそう言って静かに立ち上がる。


続劇

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