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29.雨、降り止まず

 雨は、静かに降り続いている。
「全く。ルードは繊細なんですから、空ももうちょっと空気読んで欲しいですねー」
 澱んだ空を迷惑そうに見上げながら、呟いたのは十五センチの小さな姿。結い上げた金髪に派手な衣装は、戦士ではなく道化のそれだ。
「……龍まで警護役として居るなんて。運が良すぎるというのも、確かに考え物ですね」
 はるか北方の山岳遺跡まで、たった一日で往復したというのに、道化は疲れた素振りもない。
「老人たちが排除を考えるのも、やむなしという事か……」
「では、どうします? そりゃ精製しても構いませんけど、勝手に重晶石に育ってくれるなら、そっちの方が楽なんですよねー。ぬこたまも、カーバンクルも……」
 言いかけた所で、部屋の扉が静かに開く。
 入ってきたのは、服を着替えた小太りの男である。
「それがマッドハッター?」
 かつて読んだ報告書では、クローン装置を坑道から運び出した時、廃棄したとあったが……。
「捨てたんですけど、半端に色々覚えてて、良い具合に育ってたので使えるかなーと。これで貴女の駒を借りる事も少なくなると思いますよ。……ちょっとは」
 おどけるようなその物言いに、シャーロットは表情を硬くする。
「それで、放浪竜は? 貴晶石は回収出来たのでしょうね」
「ちょっと色々ありまして。倒す事は倒したんですけど、貴晶石は人にあげちゃいました」
「あれだけ私の部下を犠牲にしておいて!?」
 強ばらせた表情から、一気に激昂へ。
 放浪竜の調査や追跡には、彼女の部下が使われていた。無論、音もなく標的に忍び寄る暗殺竜を相手に、払った犠牲も少なくはないのだ。
「そのぶんマッドハッターが使えるって分かったんだからいいじゃないですか。それとも、食われた部下はその前に貴晶石にした方が良かったですか?」
 その口調は、冗談でもおどけているわけでも……ましてや、本気なわけでもない。ただ、呼吸をするように自然に、他人を駒扱いしているのだ。
 くすくすと笑う道化に、侍従長はもはや言葉もない。
「……あまり好き勝手にしていると、処分されても文句は言えないわよ」
「わたしは貴女たち量産品とは違いますから。わたしの力はまだ必要でしょう?」
 ようやく口にしたそんなひと言にも、道化は笑顔を絶やさぬままだ。
 黙ってその場に立っているマッドハッターの肩に飛び乗ると、そのまま部屋を後にする。
「………同じ働き蟻が、何を偉そうに」
 彼等の前では、出自がどうであろうが関係ない。
 いかに存在自体に価値があろうが、彼等にとっての価値がなくなれば……消されるだけなのだ。


 雨は、静かに降り続いている。
「シヲ……。やっと、揃ったよ……」
 その音を聞きながら、黒衣のルードは傍らで眠り続けるパートナーにそう呼びかけた。
 ゴーレム。
 赤髭。
 そして、アリスから渡された暗殺竜のそれ。
 ゆっくりと撫でさするのは、ぽっかりと開いた三つの穴。
 そこに三つの貴晶石を嵌め込めば、ルードは再び起動する。それが以前と同じシヲかどうかは、分からないが……少なくとも、同じ顔・同じ姿で目覚める事だけは、間違いない。
 けれど、シヲがためらうのはそれだけではなかった。
 あの時、アリスが囁いた言葉。
『機会があったら、ルードとビークの正しい使い方……教えてあげられるかもしれませんしね』
「正しい使い方って……何だ……?」
 ルードやビークのマニュアルなど、彼女達自身の記憶の中にもあるはずがない。
 だが彼女のしている行いが『正しい使い方』に沿うものだというなら……彼女がルードの貴晶石を奪って回る事にも、何らかの意味があるというのか。
「……千年の、アリスか」
 三つの貴晶石を、取り上げる。
 それは手の中で転がすだけ。二つの事が引っかかって、それ以上の事は出来ずにいる。
 シヲの胸には、ぽっかりと三つの穴が開いている。
 外から聞こえてくるのは、陰鬱な雨の音だけだ。


 酒場に入ってきた女性の姿に、中にいた一同は思わず身構えていた。
「……そんなに警戒しないで下さい。殿下はどちらに?」
 雨よけの外套をカナンへと預けながら、シャーロットは小さくため息を一つ。
「……案内させるわ。忍!」
 その声に、二階から降りてきた忍だが……侍従長の姿を見て、やはり表情を強ばらせる。
「案内してあげて」
 それだけで分かったのだろう。カナンの言葉に小さく頷きはする忍だが、表情は先ほどと変わらないままだ。
「あの……ひとつ、お伺いしても構いません?」
「殿下と入れ替わったあの医者の事なら、不問と伝えていますよ。各所から嘆願も来ましたし……」
 結果的にとは言え、件の凶漢からノアの身を守る事にも繋がった。それにシャーロットとしても、これ以上大きくしたい問題ではないのだ。
「嘆願? 私以外に?」
「ええ。ヤーマのレディ・ミラからも頼まれましたから」
 セリカのものは直接だったが、この『月の大樹』の主人からの遣いは、転移魔法まで併用した特急便だった。流石にそこまでされては、要求を呑まざるを得ない。
「ミラさん、王都にいるんですか!?」
「……知らなかったのですか?」
 てっきり『月の大樹』にも何かの書状を送っている物だと思っていたのだが……。書状が送られたのは、本当にアルジェントの件だけだったらしい。
「今度はいつ帰ってくるんだろ、あの人」
 木立の国の王都からガディアまで、馬車を使えばせいぜい二日。歩いても、七日はかからないはずだ。
 その距離にいながらにして戻ってこないなら、まだしばらくは戻る気がない……という事なのだろう。
「ともかく、その件は不問にしてありますから、この空気を何とかしていただけませんか? これでは、依頼も受けてもらえそうにありませんし」
「幽霊の調査ですか?」
 ノア姫を襲った悪漢に関しては、既に有志が独自に調査を始めているとも聞いていた。正式な依頼となれば、動く者はさらに増えるだろう。
「それは塩田騎士団に任せてあります。それより……もっと、冒険者向きの仕事です」


 入ってきた姿に、ミスティはため息を一つ吐いた。
「何や、用事て」
「何ややないでしょ。何よこれは」
 ミスティが取り出したのは、一枚の紙切れだ。
「何て、報告書やないの」
 表題には確かに、乱暴な筆跡で『報告書』とある。ミスティはもう一つため息を吐いて、その先を読み始めた。
「『ドーンときて、グッと来ずにズガーン……で、ヒャッホォォォイやなあて、ヒャッホォイな感じやった。せめてグッと来んとあかん』………これが?」
 今ひとつというのは何となく理解出来るが、そこまでだ。
 だが、ネイヴァンはその音読に満足そうに頷いてみせるだけ。
「まんまやないか。これ以外にどう書けっちゅうねん」
「せめて、人間の言葉で書いてちょうだい。やりなおし」
 ミスティとしては、それほど詳細な報告書を求めているわけではないのだ。大まかなニュアンスが分かれば、再提出など面倒な事を要求するつもりもなかったのだが……。
 流石にこれは、理解の幅を超えている。
「何や。『火薬の量やサイズに比べて、爆発の規模が今ひとつ。原因は内部構造にあると思われる。起爆部分の配置変更等で爆発力が大幅に改善される可能性が高いが、位置変更は発火部分の構造……ひいてはトータルの扱いやすさにも影響するので慎重に調整されたし』……とか、そういうの書けっちゅうんか!」
「…………出来るじゃない」
 それどころか、今回受け取った報告書の中で、一番マシな物と言っても良いくらいだろう。
「そんなつまらん報告書なんざ、よう書かんわ! そんなん脳みそ詰まったグルグルメガネのする事やないか!」
「脳みそ詰まってるならいいじゃない……」
 本日三度目のため息を吐き、ミスティはネイヴァンに依頼の報酬を手渡すのだった。


続劇

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