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24.予感に目覚める龍

 塩浜を抜け、岩場を抜けて、草原へ。
 姫様へ叩き付けるべき怒りは、既にどこかに消えていた。
 今のそいつの頭を占めるのは、痛みと混乱の二つだけ。
 俺は誰だ。
 誰なのだ。
 ある者は『幽霊』と呼んだ。
 またある者は『旦那様』と呼んだ。
 そしてまたある者は『お師匠』と呼んだ。
 穴だらけの記憶の中には、そのどれもが……ない。
 走る。
 走る。
 市街に飛び込み、煙突を跳び越え、屋根を駆け抜けてひたすらに疾走。
 今更ながらの矢傷の痛みと、横殴りに叩き付けられたボウガンと炎の打撃が、混乱する思考に拍車を掛ける。
 俺は誰だ。
 誰なのだ。
 誰、なのだ。
 途切れた記憶、穴だらけの記憶を探っても、答えはどこからも出て来ない。
 浮かんでくるのはあの屋敷での記憶の欠片と……戦いの術、その二つだけだ。

 『月の大樹』の朝は早い。
 さすがに漁港や塩田ほどではないが、そこでの仕事を終えた男達に朝食を振る舞うのは、概ねにおいて酒場や食堂の仕事である。
 それがひと息付けば、次は階上の宿屋にいる宿泊客が降りてくる。
 そんな宿泊客よりも一足早く階上から降りてきたのは、フードをまとった女性だった。
「もうお加減は?」
 カウンターの片付けを終えて声を掛けてくる忍に、女性は小さく頷いてみせる。
「ええ。心配を掛けました、モモ、忍」
 気持ちが緩んだ事で長旅の疲れが出たのか、それとも慣れぬ騒ぎに体が付いていかなかったのか。昨日の大騒ぎの後、ノアは体調を崩し、そのまま床に就いていたのだ。
 無論、入れ替わったままのアルジェントと交代する事も出来ず……とうとう、肝心の視察まで代役の彼女に任せる事になってしまった。
「体調が戻って何よりじゃよ」
「あら。お顔を洗うなら、お湯くらいお持ちしますのに」
 そのまま外へ向かおうとするノアを、忍は笑いながら呼び止める。
 『月の大樹』には風呂担当の魔法使いがいる。さすがに風呂の用意には時間が足りないが、桶一杯の湯を準備するくらいなら一瞬だ。
「ふふっ。草原の国では、そういう事は自分でするものなのですよ」
 気分転換も兼ねているのだろう。忍の提案をやんわりと断り、ノアは裏庭に出て行こうとして……。
「そうだ。ナナトとタイキはまだ部屋で眠っていますから……起こさないであげてくださいね」
 穏やかに微笑んで、そう付け加えるのだった。


 似たような白亜の街並みでも、地域ごとに少しずつだが違いはある。
 二日目の調査地域からさらに北へ向かえば、屋敷や工場の敷地の中に、妙に大きな広場の割合が増えてくる。
「この辺はアタリですね」
 やはり大きな広場を敷地に抱える工場を覗いて、ジョージは嬉しそうな声を上げた。
「ボロボロだよ? これを運ぶの?」
 ルービィの言うように、工場の中に置かれた機械はほとんどが朽ち果て、既に形を留めていない。中には半分くらい形を残している物もあるが、それが役に立つとも思えなかった。
「これはさすがに無理ですね。ただ、似た形の物ですから、この辺りを重点的に探せば使える物が見つかるはずです」
 工場が巨大な広場を擁するのは、それだけのスペースを必要とする物を作っているからだ。
 そしてその脇には、必ず整備や組み立てを行う工場と、予備部品を管理する倉庫がある。
「これ、外装が付いてないんだ」
 二人が歩いているのは、部品を製作する工場部分らしい。
 だが、朽ち果てた大半の工作機械は外装らしきパーツが付いていない物がほとんどだ。中には半端に解体されて、内部の部品を辺りに散らばらせている物まであった。
「古代の部品は頑丈ですから、加工すれば武器や防具の良い材料になるんですよ」
 程良い大きさの天板や外装板なら、取っ手を付けてそのまま盾に出来る。変わった形の金属部品なら、取り付け位置を工夫して革鎧の補強に使われる事もあった。
 そんな利用方法がある故に、この手の機械の使えそうな部位のみを剥がして持っていく冒険者は少なくない。
「へぇぇ……。ヒューゴさんが見たら、泣いちゃうね。きっと」
「そうですね。あ、ここにある物は使えそうですね」
 予備の部品や工作材料を置いておく倉庫らしきスペースを覗き込み、ジョージは嬉しそうな声を上げる。
「じゃ、これ運ぶの?」
「とりあえず二人じゃ無理ですから、誰か人を呼んで……」
「ふぇ?」
 変な声を上げたルービィに振り返れば、彼女が持ち上げているのは彼女よりも大きな工作機械だった。重量に至っては、ルービィの何倍あることか……。
「え、ええっと、他にも運ぶものありますから、いま持たなくても大丈夫ですよ?」
 こちらから運ぶより、馬車を連れてきた方が早いだろう。
「はーい」
 その言葉と共に下ろされた工作機械が、落下と同時に辺りに轟音を響かせるのだった。


 細い指先が汲み上げるのは、地下深くから汲み上げられた冷たい井戸水だ。
 ぱしゃぱしゃと顔に打ち付ければ、僅かに紗の掛かったようだった意識が澄み渡り、全身に活力が戻ってくる。
「ナナトとタイキにも持って行ってあげようかしら」
 手拭いで顔を拭きながら、そんな事を考えるが……ナナトはともかく、タイキは自分が水を汲んで行ったらどんな顔をする事か。
 くすりと微笑んだ娘の穏やかな顔は、背後でがさりと鳴る音に途端に王女のそれへと変わる。
「……誰ですか」
 店の客なら、こんな所からは現われないだろう。
 ならば……。
「………?」
 現われたのは、小太りの男。
 丁寧に整えられた髪と衣装から、木立の国でも相応の地位にありそうな者に見えるが……今はそのいずれにも木の枝や葉が絡みつき、惨憺たる有様となっている。
「ノ…………ア……ッ……?」
 茫洋としていた男の瞳に再び燃え上がるのは、強く昏い炎。怒りとも、怨みとも感じ取れるそれは……ノアが驚く暇もなく、男の全身を包み込んでいく。
「刺客か!」
 ノアとて複製の身とはいえ一国の王女。剣の訓練は、以前の体の頃から身に付いている。
 だが、伸ばした腰に、武器がない。
 普段の装いなら、腰に寸鉄を帯びるのは習慣となっていた。けれど今の服装はアルジェントのそれ。庭先までという油断もあり、ついそれを忘れてしまったのだ。
「ノ…………アァアァァァァア……ッ!」
 引き裂くような絶叫と共に、襲撃者は両の爪を構えて跳躍し。
 横殴りに、吹き飛ばされた。
「………っ!?」


 現在のスピラ・カナンで見つかる古代の遺産のほぼ全てには、経年劣化を防ぐ特殊なコーティングが施されている。それが故に、一万年近い時を隔ててなお、レガシィは新品同様の輝きと性能を保ち続けているのだ。
 しかしそのコーティングも万能ではない。長年の使用による摩耗や深い傷でコーティング層が失われれば、そこから腐食や劣化が始まり、やがて古代の超技術も刻の流れに呑み込まれていく。
「この辺りはハズレだな……」
 カイルが覗き込んだ倉庫にあったのは、外装を引き剥がされ、劣化し腐食した、古代遺産だったものばかり。
「ですね。こんな乱暴な扱いをしなければ、恐らくはまだ無事だったと思うのですが……」
 外装を丁寧に剥がせば、残された機構の劣化は起きない。ここまで原形を留めていないのは、乱暴な作業をして部品に傷を付けたからだ。
 そこから腐食が始まり、数百年、数千年の刻をかけて、古代の遺産は鉄くずの山に変わっていったのだろう。
「……ヒューゴは、犯人がいると思うか?」
 そんな作業の中、カイルがぽつりと問うたのは、そんな言葉だ。
 それが何を指すかは、改めて問うまでもない。
「情報が少なすぎます。今の段階で、推論で物を言うのは危険ですよ」
「……せめて、ルービィちゃんのいない所でやって欲しかったな」
 カイルやヒューゴはまだいい。冒険者としての長い暮らしの中、そんな光景を目にした事も一度や二度ではないからだ。
「酷な話にならなければいいのですが」
 だがルービィは、まだ冒険者になったばかり。いずれそんな目に遭う事もあるだろうが、最初の経験にしては少々ハードすぎるだろう。
「推論で物を言うのは危険なんじゃなかったのか?」
「個人的な感想ですよ」
 そんな話をしながらも、二人が作業の手を止める事はない。
 倉庫を出て、次の建物に向かおうとした所で……カイルはふと、足を止めた。
「何か見つかりましたか?」
 何の変哲もない中庭だ。工場の広場にしては少し手狭な気もするが、取り立てて変わった所はない。
「これ、どう思う?」
 カイルが指したのは、ほんの少し変色した白亜の石畳である。
「焚き火の跡……ですね」
 背中の荷物から虫眼鏡を取り出してよく確かめれば、石畳の隙間に小さな黒い欠片が挟まっていた。
「ただのきれい好きってワケじゃ、ないよな」
 国の管理下にある遺跡に忍び込んで盗掘するなら、理解出来る。だが、山岳遺跡のような開かれた遺跡で、これだけの隠蔽工作を行う必要はないはずだ。
「ごく最近の跡のようですね」
 つまみ上げた黒い欠片……炭の欠片は、まだ新しいもの。恐らく、半月も経ってはいないだろう。
「……一度ガディアに戻った方が良さそうですね。いま見つけてある分だけでも、ある程度は何とかなるはずです」
 昨日の調査で、いくつかの工場と部品が見つかっていた。全ての部品が揃ったわけではないが、当面の修復作業は出来るだろう。


 ノアの眼前を過ぎるのは、爆炎の如き紅い嵐。
 長い頸、巨大な翼、長大な尾。
「…………竜……?」
 そいつの瞳と、襲撃者の瞳がほんの一瞬交錯する。
 同時、そいつの口が引き裂かれたかの如く大きく開き。内から放たれるのは本物の爆炎だ。
 轟という音と共に、熱というより圧力が、ノアの細身の身体を強く揺らす。
「驚かせてしもうたかの」
 その炎からノアを護るように、ゆっくりと巨大な翼を寄せ。
 紅い竜は、穏やかに人の言葉を紡いだ。
「……モモさん、ですか」
 竜ではない。龍だ。
「左様。『人の姿』では届きそうになかったのでな」
 巡らせるのは長い頸。よく見ればその鱗は、炎に照らされて紅く見えるだけで、本来の色は桃色に近いものであるらしい。
「それより……退がっておれ」
 龍の言葉が、硬さを帯びる。
 放たれたドラゴンブレスの向こう。立ち上がるのは、小太りの影だ。そいつはこちらを一瞥すると、燃え上がり始めた木々の間へと姿を消す。
 全てを灼き尽くす龍の炎に、服は無残な有様となっていたが……跳躍するそいつの様子は、さして大きなダメージを受けていないように見えた。
「モモ! 姫様!」
「マハエ、アシュヴィン! 捕まえた幽霊は偽物じゃったのか!」
 龍炎の衝撃や燃える炎を見て異変に気付いたのだろう。駆けつけてきたマハエに、龍……モモは、龍の勢いそのままに大声を放つ。
「すまん。色々あって逃げられた!」
 どうやらマハエは彼女の正体を知っていたのだろう。龍の姿や声に驚く事もなく、平然と言葉を返してみせる。
 その態度は、いつもの幼子の姿をしたモモに対するそれと全く同じ物だ。
「……油断しておるからじゃ。それよりあ奴、ノア姫を狙っておったぞ。何ぞ因縁でもあるのか?」
 龍は小さくため息を吐き、その姿を大きく揺らす。
 気付けばそこには、いつも酒場で見る小柄な娘が立っているだけだ。
「姫様の屋敷の前の主なんだと。アルジェントも狙われたけど、追い払って今ここだ」
「っ!」
 一瞬息を呑むノアだが、追い返したというマハエの言葉に止めていた息を吐き出した。
 一国の王女という立場上、覚えのない相手から恨みを買う事はそう珍しくないが……関わった誰かが傷付く事には、いつまで立っても慣れる気がしない。
「マハエ様。追跡はワタシがしますカラ、マハエ様はモモ様と一緒に姫様の警護と……」
 アシュヴィンは翼を拡げ、言いにくそうに言葉を付け足しだ。
「あと……消火を」
「………手伝えよ、モモ」
 ブレスの威力を絞りはしたのだろう。だがそれでも、まだ辺りには小さな炎がちらちらと残っている。
「分かっておるわ。それよりアシュヴィン」
 いままさに飛び立たんとするアシュヴィンに掛けられたのは、龍から姿を転じた少女の声だ。
「あ奴には気を付けよ。竜狩りではなく、別の性質で竜をねじ伏せる技を持っておる」
 幽霊と視線を交わした一瞬、モモの背筋を抜けた薄ら寒い感覚。それが無ければ、いくらモモでもブレスを放つような事はしなかっただろう。
 けれど竜狩りの技の通じぬモモが感じたそれが確かだとすれば……近しい性質を持つアシュヴィンにとっても、あの男は厄介な相手となるはずだ。
「……マサカ」
 相手は幽霊である以前に、彼の仕えた貴族である。
 変わり者だった事は間違いないが……彼に武具や格闘技、ましてや竜退治の経験などあるはずが……。
(……本当に、ないのだろうか)
 アシュヴィンが仕える以前から、そこそこに領地の経営をして、年のほとんどは領地でもないガディアで悠々自適な生活をしていた男だ。
 しかし、本当にそれだけの男だったのだろうか。
 例えば、アシュヴィンには最期まで告げなかった一面があったのではないか。
 ……アシュヴィンが、最期まで主に告げなかったように。
「……気をツケマス」
 ともあれ、警戒するに越した事はない。
 小さくモモに一礼すると、アシュヴィンは幽霊が逃げた方へと飛翔を開始する。


続劇

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