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22.塩田の惨劇

 ガディアの塩田の朝は早い。
 作業が始まるのは日が昇る前、まだ空が薄暗い内からだ。漁港とこちら、どちらが早いか……という程である。
「どうしました、タイキ。浮かない顔ですが、何か問題でもありましたか?」
 朝日の下、陽光を弾いて砂原に撒かれていく潮水を真剣に見つめているノアの傍ら。同伴していた侍従長は、傍らにいた少年に小さくそう問いかけた。
「……何でもありません」
 見上げた空はどこまでも澄んだ青。雲一つ無い空は、今日も暑くなる事を予感させる。
 この青空を呼び寄せたのは、ウィズワールの一族の誇る魔術の業だ。干魃の対処だけではない。こうした公務に天候による差し支えがないよう、時に彼等は力を振るう。
「そうですか。ともかくこれが、我が国の塩不足解決の糸口となれば良いのですが……」
 大陸第二位の大国であるが故に、賄うべき塩の量は多い。大きな岩塩の鉱脈を持たぬ草原の国だからこそ、三方を囲む海が持つ意味は大きくなってくる。
「なりますよ、きっと」
 小さく呟き、タイキもノアの様子に視線を戻すのだった。


「こんな朝早くから作業してるのね。大変」
 ガディアに大きな塩田があるのは知っていた。だが、こんな早朝から作業をしているのを知ったのは初めてだ。
「朝メシ食う時、仕事帰りの連中がいるだろ。半分くらいは塩田の連中だぜ」
「へぇ……」
 確かにセリカが朝食を食べる時には、ひと仕事終えたらしき男達を目にする事も多かったが……漁師ばかりだと思っていた。
「うー。やっぱ、望遠レンズが欲しいな」
 カメラを覗き込みながら、律は小さくぼやいてみせる。
 はるか彼方の塩田で作業を見学しているノアは、爪先ほどの大きさしかない。さすがにこれでは写真を撮る意味がないだろう。
「……こら、リント。寝るな」
 もうひと声ぼやき、彼にもたれ掛かっている小さな頭を軽く小突く。
「むにゃ……だって、こんな時間じゃ眠くて当たり前なのだ……。それに写真なら昨日の夜にたくさん撮ったのだ」
 忍も昨日のツーショットに満足げな表情を見せていたではないか。それで依頼達成ではないのか。
「仕事してる所も見たいって言われてたんだから、そっちも撮って来るのが冒険者ってモンだろうが。つか寝たら死ぬぞ!」
「これだけ暖かけりゃ別に死なないのだ……」
 既に朝日も昇っている。空気も涼しい程度だし、暑くなって寝苦しくなるならともかく、死にはしないはずだ。
 だが。
「寝たら忍さんが抱き付きに来るよ」
「にゃーっ!」
 耳元でのセリカの囁きには、慌てて飛び上がってみせる。
「……そこは喜ぶ所じゃないの」
 本当に忍が来ないか、おっかなびっくり辺りを見回しているリントに、セリカは思わず呆れ顔。どうやら彼にとって、忍は相当なトラウマになっているようだが……。
「だよなぁ」
 たぶんカイル辺りなら、真冬でも即その場で寝てしまうだろう。ぬこたまと人間では、こうも価値観が違うものか。
「あ、律さん! セリカさん!」
 カメラを構え直し、どうにかシャッターチャンスが無いものかと狙っていると……掛けられたのは、やはり慌てた様子のアギの声だ。
「何だ二人とも。お前らも姫様の写真撮りに来たのか?」
 その割には、アギもターニャもカメラを持ってきていない。ただの見物だろうか。
「違います! 幽霊、見ませんでした?」
「幽霊? 昨日の晩捕まえたって、マハエから聞いたぞ?」
 確か納屋か何処かに放り込んであるはずだ。チーム分けして調査に回っていたようだし、連絡の行き違いでもあったのだろうか。
「こっちの隙を突いて逃げられちゃって……」
「にゃんと!」
「そりゃマズいな。手伝おう……っつか、依頼主にはもう言ってあるのか?」
 依頼主に報告をする前ならまだいい。だが、その後に逃げられたとなれば、彼等の……ひいては、『月の大樹』の冒険者達の信用にも関わってくる。
「今朝、幽霊の事情を聞いてから報告に行こうと思ってたから、そこは大丈夫なんだけど……いいの?」
 律も忍からの写真の依頼があるはずだ。暇な時ならともかく、仕事中のそれはいくら何でも気がひける。
「困った時はお互い様だよ。気にするなら、今度酒でもおごってくれや」
 ここで張り込んでいても良い写真は撮れそうにない。それでも数枚は撮ったし、忍にはこのサイズが限界だったと諦めてもらうしかないだろう。
「リント、匂いで追跡出来るだろ」
「それって犬の事じゃないのか……?」
「すまん、お前ネコだったな」
 そうそうと頷こうとして、途中で気付く。
「……ネコでもないのだ! ボクはぬこたまなのだ!」
 暴れるリントを適当にあしらいながら、律はセリカにも声を掛けようとして……。
「セリカも……どした?」
 塩田の方をじっと見つめていたエルフの娘に気付く。
「何か、起きてるみたい」


 塩浜に隣接して建てられた館を覗き込み、ノアは感心したように呟いてみせる。
「なるほど……。ここが大釜ですか」
 大きな部屋の中央に腰を据えるのは、巨大な釜だ。
 塩浜で濃縮させて塩分濃度を高めた塩水は、これを用いてさらに煮詰めていく事になる。
「魔法での乾燥は確かに一瞬ですが、術者の限界がありますから。出来るだけ効率の良い塩の取り方をするために、このような設備と併用しているのです」
 降水量の少ない地域なら塩浜で放っておいても塩になるのだろうが、程々に雨の降るガディアでは最終的な乾燥までは行えない。故に、この大釜で限界まで水分量を減らした後、魔法を使って一気に塩を結晶化させるのだ。
「姫様!」
 製塩についての話を熱心に続けていたノアの元に駆けてきたのは、側に仕える天候魔術師の少年である。
「何事ですか。タイキ」
「何者かが警備を破って侵入して来ました! お下がりください!」
 話に夢中で気が付かなかったが、言われてみれば確かに周囲が騒がしい。彼女の侍従たちだけではない、警備を務める塩田騎士団の動きも、先程までの静かなものとは明らかに質が違っている。
「……襲撃? 規模は」
「一人です!」
 答えた瞬間、突き崩れたのは塩田騎士団の一角だ。
 ふらりと姿を見せたのは……。


 小太りの体躯に、朝日に照らされた豪華な衣装。
 ふらつくように、踊るように、ゆっくりと歩を進めるそいつは……明らかに彼等の探していた者の姿だった。
「先行します!」
 三歩を助走をしたアギの四歩目からの姿は見えぬ。気力を集中させて運動力を極限まで高め、一気に距離を詰めに行く。
「つか、なんで幽霊が姫様を狙うんだ!?」
 既に写真どころの騒ぎではない。アギやセリカに僅かに遅れ、律達も走り出す。
「アシュヴィンさんの話じゃ、幽霊ってあのお屋敷の前の主らしいのよ。何とか子爵って」
「だから屋敷を買い取った姫様を狙うってのか? そりゃ恨む筋が違うだろ!」
 確かに今の屋敷の主はノア姫なのだろうが、逆恨みも良い所だ。
 もっとも、あの貴族が情念に囚われた本物の幽霊だというなら、そんな理不尽な恨み方をするのも当然なのかもしれないが……。
「これだけ遠いと魔法は届かないのだ!」
「あんな爆発魔法使うんじゃねえよ! 姫様に当たるだろうが!」
 ターニャも双剣の他にライトボウガンを背負ってはいるが、構える様子はない。まだ射程距離に入らないのか、例え撃っても近くにいるノア姫を巻き込んでしまうからか。
「……こういう時はだな!」
 叫んだ律は足を止め、素早く背中に手を伸ばす。
 停止の反動を利用してワンアクションで弓を展開、矢をつがえると同時に勢いよく弦を引き絞る。
 射程はギリギリ。
 だが、風はない。
 経験と勘で弾道と標的の動きを見通し……。
「南無三!」
 ひょうと、矢を放つ。


続劇

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