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16.明かされた正体

 夜の闇の中。
 灯る炎は、昏く、緋い。
「………。……………ッ!」
 混濁する意識の中。虫食いだらけの記憶にまみれてゆっくりと身をもたげるのは、己は何かと問う意思だ。
 どこへ征くべきか。
 何を成すべきか。
 己は、何か。
 だが。
 縋り付いた幽かな手掛かりから示されたのは、拒絶の二文字であった。
 どこへ征くべきかも導かれず。
 何を成すべきかも示されず。
 己は何かも教えられずに。
 ただ拒絶。
 ただ拒絶。
 ただ拒絶。
 その先には至れぬ。至ろうとする事も、許されぬ。
 ならば己は、どうすればいい。
 どうすれば。
「………。……………ッ!」
 己が誰かも分からぬままに。
 言葉にならぬ声を上げ。
 そいつは街を、彷徨い続けるのだ。


 叫びと共に空を裂くのは、鋼の刃が振り抜かれた音だ。
「でえええええいっ!」
 続けざまのそれは、周囲に現われた人の気配によって止まり……。
「何や。えらい声が聞こえるから幽霊かと思うたら……真っ赤かいな」
「……何だよ。邪魔する気か?」
 覗き込んできたネイヴァンに刃の先を向けたまま、コウは静かに呟いた。口調の中に籠もるのは、苛立ちと軽い敵意。
「そんなんせえへん。ご苦労さんや思うてな」
 コウの冷たい視線に構うことなく森の中に入ってくると、その続きにもう一人いた。
「何? 片手剣?」
「そうだよ。悪いか、ミスティ」
 今日のコウが提げているのは、いつもの大剣ではなく片手剣だ。先日ルードの集落で引き取った、対ルード用の装備である。
「別に悪いなんて言うてへんやろ。片手剣の使い方、教えたろか」
「……ホントか?」
 気が付いたら得物が変わっている彼だが、確かにここしばらくは片手剣を持ち歩いているようだった。基本的に戦っている相手と相性の良い武器を使う彼だから、確かに効率の良い扱い方は知っているに違いない。
「片手剣は小回りが効くから、相手の弱点をガンガン突いていけるで! まずは装甲の薄い急所を狙うんや」
「ルードの急所って?」
 ミスティに問われ、即席の師匠は言葉を止める。
「…………」
 問うたミスティは黙ったまま。
「…………」
 もちろん、答えを聞きたいコウも黙ったままだ。
「…………人間の急所は、正中線に沿ってやな」
「……ルードの急所を教えてくれよ」
 ルードの中では中途半端なサイズの武器で、竜や人間と戦おうとは思わない。片手剣で狙うのは、同じ大きさのルードだけだ。
「ルードなんかちまちましたもん、狙うた事もないわ!」
 そもそも人間サイズでルードを狙うなら、もっと小回りの効く武器を使うに決まっていた。
「役に立たねー!」


 その名の意味を即座に理解出来た者は、この場ではナナトとアシュヴィンの二人だけだった。
「ええっと……なんて言った? 今」
 残る誰もが、自分一人の聞き間違いだと思った。どうやらそうでないと気付くや、今度はアルジェントの偽物が間違えたのだと思った。
「ですから、ノア・エイン・ゼーランディアだと……」
 だが、再び紡がれた名は、明らかに間違いではない事を示している。
「いやいやいや。それって……なぁ?」
 まさか。
 まさか、だ。
 その名を持つ者がこんな場末の酒場に居るなど……いくら冒険者が突拍子もない事態に慣れていると言っても、限度を大きく超えている。
「本物デスヨ。ワタシがお連れしマシタ」
 けれどざわめく一同に、アシュヴィンが静かに念を押す。
「じゃ、ホントに……姫様ぁ!?」
 最初に叫んだのは、ダイチだった。
「どうしてこんな所に!?」
 慌てて駆け寄り膝を折るその姿に、今度はアルジェント……いや、ノアが驚いてみせる。
「どうしたのじゃ、ダイチ」
 明らかにダイチの振る舞いではなかった。確かに草原の国出身のダイチなら、他国の者以上に驚くのは当たり前だろうが……即座に膝を折って礼を尽くすなど、出来ようはずがない。
「皆さん、申し訳ありません。私の名はタイキ・ウィズワール。皆さんにお世話になっている、ダイチ・ウィズワールの弟です」
 そこに、いつものダイチの姿は既に無い。すいと背を伸ばして凜と立つ、少年貴族の姿があるだけだ。
「実は、兄からしばらく休めという話をいただきまして、こうしてこっそり入れ替わっていたのですが……」
「言っちゃったのだ!」
 先日王女の屋敷を訪れた時の事だ。
 その真実を、この場では同行したリントだけが知っていた。
 新たに告げられた事実に、酒場の一同は……。
「いやそれは気付いてたからいい」
「あんなに食べないダイチとか、考えられないしな」
「ああ、おかしいおかしいとは思ってましたけれど、やっぱり別のかたでしたのね」
 あっさりと受け入れられた真実に、むしろ堂々と告白したタイキの方が呆然としている。
 冒険者にとってこの程度の入れ替わりは、そう珍しい事でもない。
「で、ダイチ弟の件はいいとして、何でノア姫様がこんな所に……?」
 だが、一国の王女と入れ替わっているなら話は別だ。それは吟遊詩人の物語の中で語られるものであって、こんな場末の酒場で本当に起こる事件ではない。
 そして。
「つか、ここに姫様がいるって事は、いまの屋敷には……」
 誰もが想像したがらなかったもう一つの事実を、誰かが呆然と口にするのだった。


続劇

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