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11.一方的な二つの……

 ぱちぱちと音を立てるのは、燃えさかる炎。
 遺跡に至る道沿いに作られた広場の四隅を護るように、細い煙を夜空に昇らせている。
 そんな炎を、膝を抱いてうずくまったルービィは、静かに見つめるだけ。視線をちらりと動かせば、向かいのヒューゴは分厚い本を無言で読み進めている。
「どうしました? ルービィさん」
 やがてルービィの視線に気付いたか、ヒューゴは視線を上げて、向かいの少女に穏やかに微笑みかけた。
「え、あ……なんでもないよ?」
 慌てて視線を否定するが、眼鏡の奥の柔らかな視線は、彼女の嘘を優しく否定する。
 続くのは、どこか居心地の悪い沈黙。
 先程までの静かな空気とは明らかに違うそれに……ルービィは小さく息を吐き。
「………あのね。この辺って、ルードの集落が近いんだよ」
「ええ。僕も行った事がありますが……静かで良い所ですよね」
 『月の大樹』に逗留するルードの荷物持ちを兼ねて、何度か足を運んだ事がある。集落の性質と同伴者がいる身、あまり多くを見聞きする事は出来なかったが、それでも貴重な体験だった。
「なぁんだ……行った事、あるんだ」
 どうやら、ヒューゴはルードの集落に行った事がないと思っていたらしい。明らかに落胆した様子のルービィに、ヒューゴは小さく微笑んでみせる。
「……とはいえ、琥珀さんが運ばれた時の事はほとんど聞いてないんですよ。良かったら、教えてもらえませんか?」
 その言葉に沈んでいたルービィの表情はぱっと輝き、すぐに元気よくその時の話が始まった。
「辺りの偵察、終わったぞ。……どうしたんだ?」
 そんな焚き火のもとに姿を見せたのは、一行ただ一人のルードである。
「これからルービィさんに、この間の琥珀さんの顛末を教えてもらうんですよ。フィーヱさんもいかがですか?」
「……やめとくよ。もう一度、その辺回ってくる」
 ヒューゴの言葉に、腰を下ろそうとしていた切り株からひょいと飛び降り、フィーヱは再び森の奥へと跳び去っていく。
「人によっては、聞くのが辛い話の時もありますからね。僕は大丈夫ですから、教えてもらえますか?」
 表情を曇らせたルービィにそんなフォローをしておいて、ヒューゴは彼女の話の続きを促してみせる。


 金属を叩く音、木板を蹴りつける音、様々な音が高速なテンポで連なり響く。
 彼女たちが駆けるのはガディアの街路を覆う石畳ではない。そのはるか上、屋根の上だ。
「……迅いの」
 ディスの前を駆けるのは、月光を弾いてたなびく金の髪。
 それはかつて見た事のある姿。春先にツナミマネキと戦った時、わずかに話をした相手だと、走りながら思い出す。
 あの時から一度も見た覚えがなかったから、行きずりの冒険者だったのだろうと思っていたが……。
「おや。待ってくれたのかの?」
 歩みを緩め、ゆっくりと足を止める金髪の影に、ディスは声を投げかける。
 振り向いた顔を確かめれば、やはりあの時のルードだった。
「こちらを追い掛けてくるのが見えましたから、何か用なのかなと思いまして。……何か用ですか?」
「以前会うた時に、名前を聞いておらなんだと思うてな」
 その問い掛けは金髪のルードの想定の範囲外だったのだろう。一瞬鼻白んだ表情を浮かべるが、やがて小さく肩をすくめてみせる。
「名前は名乗らない主義なので」
 小馬鹿にするような返答に鼻白むのは、今度はディスの方だ。
「……わらわはアスディウスという」
「名前は聞かない主義なので」
 その言葉がふざけているのか、本気なのかは分からない。
 だが、対峙すれば相手の力量は分かる。
 走っている間から、ある程度の予想はしていた。そして眼前の立ち姿から、確信する。
 強い。
 それも、ディスの予想を遥かに上回る程に。
「名乗らぬ、聞かぬでは友人も出来ぬであろ?」
 けれど、ディスは向ける軽口を緩める事はない。
 力量で負けていても、負けない戦い方はいくらでも出来る。それが彼女の今までに得た経験の一つ。
「別に欲しくもありませんしねぇ……」
「そうつれない事を言うでない。『千年の』」
 呼んだその名に、金髪のルードは僅かに黙り。
「……名乗らない主義なのに、有名なんですよね。私の名前」
 名乗らない主義だが、否定はしない主義らしい。
 潔いのか、圧倒的な自信があるのか。あるいは、その両方か。
「おぬしの要らんと言うた、友人からの情報を照らし合わせての。なかなかにありがたいものであろ?」
「情報源としては優秀かもしれませんけど……」
 アリスは追加装備らしき物を何一つ身に付けていない。ただ先日の平服ではなく、今日は道化の着るような派手な衣装をまとっていたが。
「知りませんでした? 私がルードの貴晶石を奪って回っているって」
 ちゃりと響くのは、彼女が唯一の武装、腰に提げたショートソードに手を掛けた音。
「ふん。わらわの残り少ない貴晶石も、奪う価値があるのかの?」
「精製すれば、貴晶石一つ分くらいにはなりますから」
 放たれた抜き打ちの一撃は、聞き慣れぬ言葉を問い返すよりもはるかに迅い。


 夜の街に響き渡るのは、悲鳴ではなく奇声であった。
「ヒャッホォォォォォイ!」
 追い掛けるのは片手剣を振り回す長身の男。
「ぎゃーっ!」
 逃げ惑うのは、巨大な白いシーツをまとった奇っ怪な影。
「アッヒャッッヒャッッヒャッヒャ!」
「ギャー!」
 高らかな叫びと共に幽霊を追い回すのは、もちろん我らがネイヴァン・アスラーム・ジュニアである。
「幽霊とか何とか言って、物理有効で狩り放題やないの! ヒャッハァァァ!」
 初撃は幽霊の側が先だった。
 だが、反撃の一撃を打ち込んで以来、以降はずっとネイヴァンのターンである。
「ネイヴァン。ボチボチその辺にしといてやれー」
 明らかに本物ではない。当然ながら、貸してやると約束した聖水も、いまだマハエのザックの中だ。
「ヒャッホォォォォォォォォォォォイ!」
「ギャーーーーーーー!」
 当たり前と言うべきか、仕方ないと言うべきか、マハエの制止の声はテンションの上がりきったネイヴァンには届かない。
「さて、どうしようか……」
 力押しで止めるか、先に幽霊の側を止めてしまうか。どちらが面倒が少ないか……男が小さく呟いた瞬間だ。
 何やら黒い塊がひょいと宙を舞い。
「ヒャッホォォォォ…………ん?」
 続いて巻き起こるのは、爆発だった。
「……ミスティ」
 爆発の加減を満足げに眺めている傍らの女性に、盛大にため息を吐く。
「……ん? 幽霊には当ててないわよ?」
 確かに幽霊には当たっていない。
 爆発の衝撃と轟音に驚いて、その場で目を回していたけれど。
「まあ、それなら……いいけどな」
 よくはないだろう。
 マハエに出来るのは、内心でそんなひとりボケツッコミをする事だけだった。


 突き込まれたショートソードが一直線に狙ったのは、ルードの真正面。三つの貴晶石が嵌め込まれた、胸部部分だ。
 マントの間から覗く胸部は、追加武装などは付けていないように見えた。そして相手の両手は、武器を持たぬ素手の状態だ。
 故にルードの急所と言えるその場所に、最短の距離から最速の一撃を打ち込んだ。こちらの迅さをもってすれば、回避よりも、受け止める剣を抜くよりも速く相手の胸を貫ける……はずだったから。
 だが。
 相手は、その攻撃を避ける事も、受ける剣を抜く事もしなかった。
「隠し武器っ!?」
 マントの裾を引き裂いて。
 内から現われアリスの刃を受け止めたのは、腕から展開する形に組み付けられた鋼の刃だ。
「それだけではないぞ!」
 受け止めた瞬間に生まれる一瞬の隙を見逃すディスでは、もちろん無い。
 展開し終えた両腕の刃に雷をまとわせ、そのまま力任せに叩き付けてくる。
「そんなもの………ッ!」
 アリスからすれば、今の状態でも回避する事も、受け止める事も余裕だった。
 だからこそ、避けきれなかった。
 斬撃そのものではない。
 二つの刃がかち合わされた事で生まれる、電光の炸裂を。
「…………ちっ!」
 小爆発を振り払い、前へと踏み込めば……既にその場に黒いルードの姿は無い。彼女いわくの『友人』と共に、彼方の街路に消えていく背中が見えるだけだ。
「……意外と迅いじゃありませんか」
 武装をショートさせる事で起こした小爆発は、恐らく彼女自身や装備にも相応のダメージがあったはず。けれど、その判断行うに要した時間は、限りなくゼロに近い。……いや、本当にゼロだったのかもしれない。
 戦闘時の判断力。
 生き残るための決断力。
 そして、彼女の一撃を受け止めた精神力。
 貴晶石が尽きる寸前まで貯めた経験値は、伊達ではないということか。
「名前くらい、聞いておけば良かったですかね」
 先ほど名乗られた気もするが、覚える気がなかったから頭の中には残っていない。
 まあいいやと小さく呟き、金髪のルードもその場から音もなく姿を消す。


「よう我慢したの。見事じゃ」
 全速力で石畳を駆け抜ける赤い機体の上。ウイングを掴むディスが声を掛けたのは、機体を操るコウである。
「……ディス姉をやらせるわけにはいかなかったからな」
 相変わらずアリスを捜して街中を彷徨っていたのが幸いした。
「うむ。お主のおかげで、もう少しだけ生き延びられそうじゃ」
 両腕の仕込み刃は、無理な使い方のおかげで継ぎ目から時折火花が走っている。武装の修理にはしばらく掛かるだろうが……命に比べれば何ほどのものでもない。
「それに、あ奴から一本取ったわけじゃ。悪い気分ではあるまい?」
 後ろを向いても、アリスが追ってくる様子はなかった。
 いつでも倒せると思っているのか、それとも倒すほどの相手とも思っていないのか。ディスとしても決して面白い気分ではないが……今はその余裕が、こちらの命を救っているのも確かだ。
「……けど、次は倒す」
「その意気じゃ。向こうの通りにアギがおる、良ければ合流してくれ」
 いつかはその余裕が、敗北の原因となるだろう。
 ゆっくりと通りを曲がる紅の流星の上で、ディスはそう思わずにはいられないのだった。


続劇

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