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9.英雄の帰還

 街路の石畳を染めるのは、沈む夕日の紅い色。
 伸びる影は長く、東の空にはうっすらと、大樹の生えた月も姿を見せている。
「マハエさん。今夜は幽霊、出て来ると思う?」
 伸びをしながらのターニャの問いに、マハエは小さく首を振る。
「どうだろうなぁ……今日は姫様が来て警備も厳しくなってるし、出ないかもなぁ」
 草原の国の姫君の来訪とあり、ガディアの警備隊を兼ねる塩田騎士団は上へ下への大騒ぎだと聞いていた。もちろん警備手伝いの依頼も酒場に貼り出されていたのだが……報酬がもう少し多ければ手伝っただろうとは、それを見た冒険者達の感想だ。
 やがて聞こえてくるのは波の音。
 ガディアに育つ者にとっては、聞き慣れた音だ。
「にしても、寂れちまってるなぁ……」
 残念ながら、南南東を向くガディアの海岸から沈む夕日はほとんど見えない。だがそれでも、この時間なら海水浴客のいくらかはいるはずだ。
「いつもなら、もっと賑わってるのにねぇ」
 今日はノア姫の来訪があったから、海水浴客が少なくても分かる。けれどこの直近は、幽霊の噂が広まったおかげでいつもこんな有様なのだった。
 幽霊騒ぎを解決すれば即座に客足が増えるわけではないだろうが……それでも、放っておく事は出来ない。
「あれ。どしたんだ、お前ら」
 そんな事を考えながら浜辺を歩いていれば、見慣れた顔が三人。
「ターニャさん。店の支度、終わりましたよ。今晩は僕がこっちの手伝いに入ります」
「ありがとー! アギさん」
 どうやらアギは、ターニャ待ちだったらしい。店を出る時に回る予定の場所は言っていたから、そこから逆算して待っていたのだろう。
「で、お前らはどうしたんだ? ディス」
 ディスとミスティの事だ。まさか二人で夕焼けに彩られたガディア海岸を見に来たわけでもないだろうが。
 そもそもワンピース姿のミスティはともかく、厚手のマントを足元まで羽織っているディスの格好は、暑苦しい事この上ない。
「まあ、見ておれ」
 言われるがままに海を見ていると、やがて聞こえてきたのは高らかな叫び。
「誰も!」
 轟くのは波濤。
「いない!」
 たなびくのは紅の腰布。
「海!」
 波を蹴散らす白いボードが、夕日を受けて真っ赤に染まる。
 乗るしかない! このビッグウェーブに!
「ヒャッホォォォォォイ!」
 高らかな爆発音と共に、夕日に染まる海に巨大な水柱が立ち上がった。
「ふむ。ミスティの爆弾の威力、なかなかのものではないか」
「自信作だしね」
 どうやら爆弾のテストをしていたらしい。小型の爆弾という話だったが、水柱の規模を見ると想像以上の爆発力があるようだ。
「え、あの……」
 水柱に巻き込まれて宙を舞う白いボードは、夕日を弾いてきらきらと輝いている。
 もちろんそれに乗っていた、青年もだ。
「……そろそろ帰るね。アギさん、幽霊探し頼むわね」
「ほほぅ。爆弾のテストも終わったし、わらわも手伝ってやろう!」
 爆弾の成果が想像以上だったのか、満足そうなディスは羽織っていたマントを翻し、アギの肩へと飛び乗った。
「だな……。俺もぼちぼち行くか」
 ぷかりと浮かぶ白いボードは見なかった事にして、一行は各々の仕事に戻っていくのだった。


 『夢見る明日』を訪れたのは、一メートルほどの直立したネコだった。力なくカメラを抱えたそいつは、力なく椅子の間を歩いて行くと……やがてカウンターに着き、ぽふりとその場に顔を乗っけてみせる。
「どしたんだ、二人とも。フラフラじゃねえか」
「あんまり語りたくないのだ……」
 リントだけではない。傍らに着いたダイチも、どこか表情が冴えない様子だ。
「まあいいや。とりあえず、これでも食え」
 だが、そんな二人の前に律が置いたのは、小さめの丼が一つずつ。
「なんなのだ?」
「良いから食え。おっちゃんのオゴリだ」
 海の国でよく食べられる、炊いた米だ。その上から、スープのような物が掛けられている。
 正直見てくれはあまり良くなかったが、立ちのぼる魚介の匂いと、何よりオゴリという言葉に釣られて、リントはスプーンを手に取った。
 恐る恐る、ひと口目を口にする。
「……うまいのだ! これはなんていう料理なのだ?」
 魚の出汁の他にも色々と調味料が入っているようだが、詳しい材料はよく分からない。ただ、美味い事だけはよく分かった。
「名前はまだない。強いて言うなら……おっちゃんスペシャル(仮)とでも言おうか」
 あまりと言えばあまりの仮名に、カウンターの奧にいたターニャが嫌そうな表情をしてみせる。
「材料集め、大変だったんだぜ?」
 海の国から来た行商から買った大豆製の醤に、米。料理の鍵を握る豆腐は結局手に入らなかったから、ガディアの製塩所からにがりを分けてもらって自作した。
 簡単に手に入ったのは、漁港でただ同然で売っていたワカメだけである。
「おっちゃんスペシャル(仮)、おかわりなのだ!」
「おうおう、やっぱ喜んでくれたか。それ、ウチで飼ってたネコも好きでなぁ……」
「やっぱりおかわり取り消しなのだ!」
 満足げにもらす律に、リントの悲鳴が重なった。
「それ、出すのは良いけど名前はちゃんと考えてよねー。その仮名はないわ」
「分かってるって、ターニャ。ホントはねこまんまって言うんだよ」
 最初から言えばリントが嫌がると思ったのだ。案の定、その名を聞いたリントは先ほどのターニャ以上に渋い顔をしているではないか。
「ねこまんまなら、まあ、アリかな……」
 毛色の違う料理だが、それはそれで新たな方向性が開拓出来るかもしれない。そんな事を考えつつ、悔しがりながらもねこまんまのおかわりを頬張っているリントを眺めていると……。
「あれ? ダイチさん、今日は何だか元気ないね。ねこまんま、美味しくない?」
 目に留まったのは、スプーンを止めているダイチである。
 いつもなら、リントの倍以上の早さで丼を空にしているはずなのに……今日は丼の中身が、まだ半分も減っていない。
「いえ、おいしいです!」
「……おいしいです?」
「う、うまいぜ!」
 そう言い直して丼を掻き込み始める。
「ダイチ、さっきノア姫のお屋敷に行ってたから、なんか変な感じになってるのだ」
「え? ダイチ、おめぇ姫さんとも知り合いなのか?」
「違うよ。弟に会いに行っただけ」
「なんだ。あのそっくりな弟か」
 先日この店にも来た、ノア姫のお付きの少年だ。身内に会いに行っただけでは、姫様に会う機会などないだろう。
「でもホントに大丈夫? なんか緊張してない? 他の料理、作ろうか?」
 サンドイッチを作っていた手を止め、ターニャは再びそう問いかける。
 明らかに表情も口調もぎこちない。草原の国の出身者にとっては王宮に等しい場所だから、緊張が抜けきらないのも分からないでもないが……。
「べ、べつにそんなことありませんですっ!」
「ターニャ、いくらダイチでも、ナイフ向けながら話しすりゃビビると思うぜ?」
「あら、ごめんなさい。……えへへ」
 精緻なドワーフ細工のナイフをカウンターに戻し、誤魔化すように軽く微笑んでみせる。
 そんな彼女の誤魔化し笑いを支援するかのように、入口の扉が静かに開く。
「ただいま」
 入ってきたのは、いつもの黒い衣装をまとったセリカである。
「おかえり。……どしたんだ?」
 だが彼女は着替えの準備されたバックヤードへは向かわず、代わりに律の元へとまっすぐに歩いてくる。
「シャーロット、やっぱり律さんの奥さんじゃなかった」
「……行ったのか?」
 頷いた首は、肯定の証。
「あそこ、写真撮ろうと思って行ったら、立ち入り禁止って言われてすげー怒られたぞ?」
 知り合いに会いに行くとは言え、場所が場所だ。
 もし自分が門番なら、この格好の女性に知り合いだから通せと言われても、門前払いするのは間違いない。
「どうって、窓から?」
 平然と答えたセリカの背後。
 激しく響き渡るのは、ダイチがカウンターから転げ落ちた音。
「どした、ダイチ」
「い、いえ、べつに……」
 慌てて誤魔化すダイチだが、自分の国の姫様の屋敷にこっそり侵入したなどと言われては、驚いて椅子から落ちるのもやむを得ない所か。
 確かにおもしろい話ではないはずだ。
「よく衛兵呼ばれなかったな……」
「私は、そこまでドジじゃない」
 呆れたような律にそう言い残し、セリカは着替えに奥の部屋へと消えていった。


 龍族の青年が『月の大樹』に戻ってきたのは、夕方の混雑が始まる少し前の事だった。
「ただいま戻りマシタ」
「お帰りなさい、アシュヴィンさん!」
 酒場の前に建てられた巨大な物体は、看板とも門ともつかぬ物体だ。アーチの部分にはでかでかと、何かを記すらしき白い部分が作られている。
「なになに? 何なのこれー」
 アシュヴィンに連れられて戻ってきたナナトも珍しいのだろう。ぱたぱたと近寄って、不思議そうにその物体を眺めている。
「明日の水着コンテストの準備ですわよ」
「水着……コンテスト……?」
 水着は分かる。
 コンテストというのも、まあ分かる。品評会とか、競技会とか、そういうニュアンスの物だったはずだ。
 だが、その二つがフードの女性の中ではどうにも結びつかない。水着の品評会なのだろうか。
「そうだ! 良かったら、アルジェントさんも出て下さいません?」
「え? ええ……っ?」
 いきなり振られたその言葉に、言葉を失ってしまう。
 忍の満面の様子を見る限り、何やら凄まじく期待されてしまっているようだが……。
「忍様、ちょっとソレハ……」
 流石に分かっていない様子の彼女に振るのはまずいと思ったのだろう。アシュヴィンは苦笑しつつ、忍を止めようとして……。
「ただいま! アシュヴィン、酒!」
 轟音と共に戻ってきた三輪からの声に、その止め時を奪われてしまう。
「あ、ハイ! ……って、コウ様?」
 コウは外装を変形させて、アシュヴィンの肩に飛び乗ってきている。恐らく酒は一滴も入っていないはずなのに、既に目が変な具合に座っていた。
「ルードが酒のんじゃ悪いか! 酒!」
 この様子では、止めても聞かないだろう。仕方なくアシュヴィンはコウを連れて店に入り、カウンターに置いてやる。
 だが、ディスのように呑む真似をして気分を楽しむだけならまだしも、ルードに酒を呑む機能があるなど聞いた事がない。
「はぁ……。シノ様」
「ルードだって自棄酒が呑みたい時くらいあるのよ。任せておいて」
 重装を解く事もなくカウンターに腰を下ろすコウに、店の白いルードも苦笑い。
「よろしくお願いシマス」
 酒場の仕事は奥が深い。
 改めてそう思いながら、アシュヴィンも自らの仕事に戻っていくのだった。


続劇

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