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6.姫君、来る

 穏やかに降り注ぐ陽光の下、そいつの瞳に映るのは、革鎧に身を固めた男達の行進だ。
 男達が誰かは分からない。
 男達が何をしに来たのかも、分からない。
 分かるのは、沿道を囲む住人達がその行軍をひと目見ようと集まっていること。そして、男達に住人達の悪意が向けられていないこと。
 やがて、沿道の歓声がひときわ強くなる。
 淀み、ぼやけかけた視線で、そいつも視た。
 列の中央。そこにあるのは、北方の衣装に身を包む一人の娘。手を振る住人達に応えるように、馬上からやはり小さく手を振っている。
 娘が誰かは分からない。
 娘が何をしに来たのかも、分からない。
 沿道の歓声を聞きながら。
 そいつは屋根の上から、音もなく姿を消した。


 ガディアを東西に抜けるイザニア街道は、木立の国の王都を出発し、はるか東の果て、夜空の国まで至る道である。
 その街道を西からやってきたのは、騎馬の群れ。
 ガディアの属する木立の国の騎士団ではない。スピラ・カナンの北東部にある大国、草原の国の紋章を持つ一団だ。
「あれが騎士? なんか、イメージ違うな」
 粛々とガディアの街へと入ってきた草原の国の騎士達を見て、ぽつりと呟くのは律である。
 ガディアで騎士と言えば、金属鎧をまとった塩田騎士のイメージがあるのだが……。草原の国の彼等は揃いの革鎧をまとっているだけだ。律の感覚では、騎士と言うより冒険者の装いに近い。
「草原の国は騎馬の国だから。長距離に乗る時に鉄鎧は着けない」
 彼の問いの答えが来たのは、木の上からだった。
 カメラを片手に騎士達の行列を眺めていた、セリカである。
「そうそう。乗ってる時に邪魔だし、重いと馬が疲れちゃうだろ?」
 故に草原の国の騎士達の正装も、馬上で行動出来る事が前提となる。木立の国のような華麗な装飾が施される事もあるにはあるが、機能性を損なわれる程の華美な物は好まれない。
「色々あるんだなぁ……」
 そういえば、かつて立ち寄った海の国でも、派手な礼服は慎まれる事が多いと言っていたのを思い出す。
「そんな事より、これで上手く撮れてるの?」
 行列の様子を一枚写真に納め、セリカは不思議そうにレンズを覗き込んだ。
 ひと通りカメラの使い方は習ったが、数枚の練習ではどうにも感覚が掴めない。そんな不確かな状態で姫様の撮影に挑むのは、正直なんとも微妙な所だった。
「現像してみないと、こればっかりはな。望遠レンズとかありゃもうちっと違うんだろうが」
 とはいえ騎士達の警備は厳しいし、相手は騎馬だ。これ以上近付くわけにもいかない。
 そもそもカメラがあるだけでも奇跡と言って良いほどなのだ。望遠レンズなど、望むだけ贅沢という物だろう。
「まあ、今回だけじゃないから、いいか」
 最初の視察は、二日後だと聞いていた。警備はともかく、馬上ではない分、少しは撮りやすい状況になるだろう。
 やがて騎士達の間に、明らかに違う装いが交じるようになってきた。屋敷の仕事を司る彼等も、もちろん馬車ではなく騎馬である。
「おお……ホントにタイキもいる。おーい! タイキー!」
 その中に知った顔を見つけ、ダイチは思わずその名を口にする。元気よく手を振ってみせるが、さすがに気付かれた様子はない。
「……なんか、疲れてるみたいだな。あいつ」
 まだ若い身での宮廷暮し、苦労が多いのはダイチでも容易に想像が付く。旅立った時の表情よりも硬く、やつれて見えるそれに、ダイチは小さく唸りを上げる。
「……シャーロット」
 そして、タイキのすぐ近くにかつての戦友の姿を見つけ、セリカは静かにカメラを構えた。
「こうやって見ると、やっぱり秋姫にそっくりだなぁ」
 今日のシャーロットは、さすがにいつもの海の国風の装いではない。他の侍従たちと同じ、草原の国の騎馬服である。
 だがそれでも、顔だけ見れば律の知る彼女にそっくりな事は違いない。
「揺らいだ?」
 写真を撮り終えたセリカの言葉に律が浮かべるのは、苦笑いだ。
「流石に別人だって分かってると、ねえな。それより、そっちのが気になってるんじゃねえのか?」
 セリカがシャーロットと話が出来たのは、『夢見る明日』でのほんの僅かな間だけ。シャーロットとゆっくり話をしたいのは、律よりむしろ彼女のはずだ。
「…………内緒」
 小さく呟き、セリカはカメラを構える。
 写真の本命は、これからなのだ。


 草原の国は、騎馬の民の国である。
 それは国の長たる王族であろうとも、そして女性であろうとも、変わる事はない。
「あれが……ノア姫様なのですわね」
 柔らかくも凜とした表情に、すいと伸びた背中。手綱に添えられた細い手は、呼吸に等しい自然さで馬の歩みを導いている。
 侍従や近衛の騎士達に囲まれてなお、そこに彼女がいると理解出来るのは……生まれながらの王家の証と言うべきか。
「誰かに似てる気がするのだ……」
「お前、前に人の見分け付かないとか言ってなかっ……」
 傍らで騎馬の列を眺めていたリントに、コウは呆れたような言葉を紡ぎかけ……。
 その瞳に見たのは、あり得ない存在。
「……っ!」
 ノア姫の肩に腰を下ろす、十五センチの小さな姿。派手な道化服をまとったそいつも、姫に仕えるルードの一人なのだろう。
 それ自体は別にどうでもいい。王族の肩に腰掛けている事をどうこう言うのも、コウの仕事ではない。
 だが、見物人を愉しそうに見回している、金髪のその道化は……。
 彼女の記憶に刻みつけられた、金色の髪と表情は!
「……アリス!」
 全身が総毛立ち、次の瞬間には体の動きが思考の速さを超えた。
 腰に手挟んであった折り畳み式の槍を引き抜き、展開の反動で放り込んだ魔晶石を噛み砕く。その場を飛び出すコウを、解放された魔晶石の力が包み込み。
「にゃっ!?」
 爆発する強大な力に圧され、吹き飛ばされたリントが悲鳴を上げるのと、無造作に伸びた手が飛び出したコウを掴み取るのは、ほぼ同時だった。
「ッ!」
 魔晶石から解放された力は、余波だけでぬこたまを吹き飛ばすほどだ。しかし彼女を掴む手は、その力の源泉を掴んでなお、小揺るぎもしない。
「こんな所で暴れてどうする気じゃ」
「放せッ! あそこに、アイツが……ッ!」
 叫びと共に、解放された力を全開に。
 けれど彼女を掴む手は、僅かに力を込めるだけでその力を完全に押さえ込む。
「暴れるのは止めんが、場所は弁えい。……ガディアの全ての民の安全と秤に掛けるというなら、ワシは迷いはせぬぞ?」
 モモが紡ぐのは、激昂するコウとは対照な、淡々とした言葉。
 だが淡々と語るが故に、それはコウの乱れた心にも突き刺さる。
 彼女の言葉には一切の嘘も誇張もない。
 事実、軽く握っただけで彼女はコウの力を完璧に押さえ込んでいるのだ。彼女が迷わぬと言うのなら、本当に一片の迷いもなく、握る手に力を込めるだろう。
「…………すまん」
 小さく呟き、解放させた魔晶石の力を解除する。
 昇っていた血が降りた事を理解してくれたらしい。モモは軽く頷くと、コウを拘束していた手をそっと緩めてやる。
「どうかしましたの?」
「……何でもない」
 何やら騒がしい様子に気付いたのだろう。近くで行列を眺めていた忍の言葉に、コウは小さく首を振ってみせる。
 その様子に、彼女を掌に載せているモモも軽く苦笑し、やはり何もないと答えるだけだ。
「暴走なんてよくないのだ!」
 吹き飛ばされた先からようやく戻ってきたリントに、コウはあからさまに嫌な顔をしてみせる。
 リントの暴走の件は、街にいた面々から聞くとも無しに聞いていた。救援に来た古代兵の一撃で何とかなったものの、それがなければ今頃どうなっていたか……という暴れようだったらしい。
「どうかしたのだ? ボクは暴れたりなんて、はしたない事はしないのだ。少しは見習うと良いのだ!」
 どうやら暴れていた時の記憶はすっぽり抜け落ちているのだろう。いけしゃしゃあと言ってのける二足歩行するネコを、じろりと一瞥しておいて。
「……悪かったな、モモ」
 掌の上でぺこりと頭を下げ、近くの木へと飛び移る。
 騒ぎの間にノア姫と肩に乗る金髪のルードの姿は、既に見えなくなっていた。
「なに。おぬしも大事なガディアの友人じゃ。秤に掛けるような事が無くて、安心したぞ」


「あれが……ノア姫」
 騎馬兵達に囲まれて進むのは、草原の国の貴族服に身を包んだ、細身の女性。肩にルードを乗せ、呼吸をするように馬を操る姿は、まさしく草原の国の王族に相応しい姿だ。
 もちろん草原の姫の噂は、旅の途中で幾度も聞いていた。だが、それを目の当たりにするのはアルジェントも初めてだ。
「ナナ、間違いない?」
「うん。げぼく、ホントに元気になったんだぁ」
 傍らの幼子の嬉しそうな言葉に、アルジェントは複雑な表情をしてみせる。
 彼と一緒に居たい意思を伝えたものの、ナナトからの返事は来ないまま。こうして一緒に居てくれるからには、ナナトにもその意思がないわけではないのだろうが……。
「……会いたい?」
 だがあえて、アルジェントは彼にそう問うた。
 答えがないのは、ナナトにも何か思う所があるからなのだろう。まさか、忘れ去っているわけではあるまい。……ない、はずだ。
 …………たぶん。
「……うん」
 小さく頷いてみせるナナトを確かめ、アルジェントはゆっくりとその場を立ち上がった。懐にそっと手をやれば、そこには一枚の紙の感触がある。
 それを確かめ、アルジェントはナナトを連れて、静かにその場を後にする。
 向かう先は……。


続劇

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