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5.小閑の出発

 重なるのは、唇と唇。
 透き通った頬を細い指がついと触れ、細い首と鎖骨を過ぎて、整った胸元へ。
 小さな喘ぎと共に僅かにそこに力を込めれば、露わになった胸は音もなく表層ごとスライドし……。その内から姿を見せたのは、拳大の三つの穴が穿たれた、鋼の基盤である。
 十五センチの小さな少女達の、最奥とも言える大切な処。そこを無遠慮にさらけ出した指は、その感触を失うのを惜しむかのように、何度も何度も穴のエッジを指の先で擦り滑らせる。
 やがて唇の立てる水音が止むのに合わせ、指先も名残惜しげにその縁から離れていった。
「あと二つ……何があっても、手に入れてくるからね」
 胸部カバーとはだけた衣装を整えて、そっと布団を直してやる。
 その間も、ベッドに横たわる十五センチの愛しい相棒は、身じろぎひとつする事はない。
 当たり前だ。
 穿たれた胸の穴に納まるべきは、彼女達の魂たる三つの貴晶石。それ無くして活動出来るルードなど、いるはずもない。
「それじゃ、シヲ。行ってくるよ」
 いつもの薄汚れた黒いマントの下。最低限の荷物を手にし、彼女は自らの部屋を後にするのだった。


 南北の街道と、東西の街道。
 二つの道が交差するガディアの街での旅立ちは、概ねにおいてその交差点となる停車場から始まる。
「遅くなった」
 余程急いで来たのだろう。街道ではなく屋根の上から飛び降りてきた十五センチの姿に、ジョージは思わず苦笑してみせる。
「大丈夫ですよ。まだ半分くらいしか揃ってませんし」
「これでか。大人数だな……」
 夜明け前の屋根の上からも目にしたが、多くの荷物が積まれた馬車が数台と、冒険者も十人近く。これで半分というなら、最終的には先日のツナミマネキ討伐に近い規模になるはずだ。
「今回は人海戦術になりますしね。報酬も良かったから、結構集まってますよ」
 今度の依頼はただの調査ではなく、巨大な古代兵の部品探しが目的だ。それも当初から探すだけでなく、運ぶ事まで考えられている大規模なものだ。
 確かにこの程度の人手と機材がないと、依頼を果たす事などとても出来ないだろう。
(単独行動はしにくくなるか……。それとも、個々に目が届かなくなる分、動きやすいと思うべきか)
 いまだ数を増やしつつある一行を眺めながらフィーヱが思うのは、そんな事だ。
 ルードは彼女一人のようだから、そういう意味では動きやすい状況と言えるだろう。
 それに。
(これだけ多いなら、行方不明が出る可能性だって……)
 屋根の上からではなく、今度は馬車の荷物の上から、一行を見渡してみた。大半は顔見知りのようだったが、行きずりで参加したらしき様子の者も幾人かいる。
 もし彼等が姿を消しても、果たして誰か気付くだろうか。
「なあなあ。やっぱり、姫様が来てから行かねえか?」
 やがて道の向こうから、賑やかな一行がやってきた。
「まだ言ってるー」
 一行の先頭を歩いていたカイルは、ジョージを見つけるなり元気よく手を振り、こちらへ向かってくる。
「だってなぁ。草原の国のノア姫さまって言やあ、すげえ美人で有名だし……それがガディアに来るなんて、たぶん一生に一度あるかないかだぜ! ヒューゴ……は聞かなくてもいいけど、ジョージは見たいだろ!」
「自分は別にどっちでも……」
 苦笑しつつ答えるジョージに、カイルは何とも言えない表情をしてみせた。そこには驚きとも、悲しみとも、怒りともつかぬ複雑な感情が入り交じっている。
「ありえねえ……。お前、ホントに男か……?」
「あぅぅ……そう言われると、見てみたくなってきた……」
「だよなー! ルービィのほうが正常な反応だぜ!」
 ノア姫の到着は、今日の昼過ぎだと言われていた。何も一日ずらすわけではない。ほんの数時間、出発の時間を遅らせれば良いだけの話なのだ。
 だがそんなカイルの言葉を、ヒューゴは小さなため息と共に両断した。
「姫様が来たら、また街が混雑するでしょう。屋敷の準備が終わって落ち着いている今が、一番動きやすいタイミングなんですよ」
 昨日までは、屋敷に運ぶ機材や食料、見物に来た人の行き来で、街道は混雑の極みにあった。夜明け前の今を過ぎれば、今度は姫様を見に来る近隣の客達のせいで街道はごった返すだろう。
 数名での行動ならどうにでもなるが、この規模の移動でそんな混雑に巻き込まれれば、途端に動きが取れなくなってしまう。
 旅立つなら、今しかないのだ。
「というわけで、揃いました。出発しますよ」
 カイルのブーイングなど気にする事もなく、一行は北へと向かって移動を開始するのだった。


 カメラを構えて叫ぶ言葉は、今も昔も変わらない。
「はい、チーズ!」
 だが、それが相手に通じるかどうかは、相手がその常識を知っているかどうかに関わってくるわけで……。
「……? チーズも悪いとは言わんが、ワタツミの酒にチーズはちょっと微妙ではないかの?」
「違う。写真を撮る時の掛け声だよ」
 真顔でそう返してきたモモに、律は小さく首を振ってみせる。
 とはいえ、古代人の常識がそのまま現代人に通じるとは限らない。殊にモモは、カメラを見るのは今回が初めてなのだ。
「何故にチーズ……」
「そういえば、何でだろ……」
 言われてみれば、確かに由来が分からない。小さな頃から慣れ親しんではいたものの、チーズと写真がどう関わってくるかは、律にも見当が付かなかった。
「……撮るのも撮られるのも難しいものなのじゃな、写真というものは」
 杯を置いたモモは、カウンターに置かれたカメラを軽く突いてみる。
 薄い木片を組み合わせて作られたそれは、力加減を間違えればあっさりと潰してしまいそうで、とてもそれ以上触る気にはなれない。
「じゃあリント、構図チェックだ! 練習台になれ!」
「ふふん。仕方ないのだ」
 これ以上モモを撮るのは難しいと思ったのだろう。カメラを構えた律は、次の被写体をタキシードを着込んだぬこたまに定める。
「………元気じゃの。若い者は」
 ポーズを決めたリントにカメラを構え始めた律を眺めながら、モモは酒杯に手酌で注いで、軽くひと口。
「で、おぬしはさっきから何を遊んでおるのじゃ。ディス」
 杯を干した所で声を掛けたのは、やはりカウンターにいた十五センチの娘である。
「遊んでなどおらぬ。本じゃよ、本」
 彼女が開いているのは、人間用の本だった。明らかに彼女よりも大きなそのページをめくり進む様子は、確かに本を遊んでいるように見えなくもない。
「今日は草原の国の姫君が来る日であろ。雨が降っては困るぞ?」
「失敬な奴じゃな。わらわが本を読むのがそんなに珍しいか」
 ディスがこの街に来てもう何年も経つが、彼女が本を読んでいる所を見るのは今日が初めてだった。
 恐らくは、モモが見ていない所でも読んではいないだろう。
「それで、タイトルは……?」
「ああ、読みかけの本をひっくり返すでない!」
「『龍と姫君』……か」
 モモも何度か読んだ事がある。
 巨大な龍と心を通わせたさる国の姫君の、数奇な運命を辿った物語だ。
「ミスティの所で一番読み易そうな本だったのでな……。お主には少々、面白くない本であったかの?」
 吟遊詩人の語りでも聴いたのだろう。どうやらディスも、物語の結末は知っているらしい。
「誰が何を読もうと、構いはせぬ。咎め立てするほどこちらも子供ではないわ」
 穏やかに笑い、新たな酒を注文しようと手を上げる。何を呑もうかとも思ったが……相変わらず練習がてらに写真を撮り続けている律を見て、チーズとワインを頼む事にした。
 が、手を上げて呼んでも、給仕の娘がやってこない。
「……どうした、忍」
「別に、大丈夫ですわ」
 小さくため息を吐く忍は、明らかに元気がない。
「チーズとワインを頼みたいのじゃが、構わんか?」
「焼酎とパインですわね。あったかしら……?」
 よく分からない事を呟きながらふらりと立ち上がった忍に、傍らにいた店員のルードが慌てて肩に飛び乗り、その方向を訂正する。恐らくは酒庫に入った後も訂正が必要になるに違いない。
「姫様を見に行きたいと言うておったからな。仕事で見に行けんのが寂しいのであろ」
 店を見回せば、自分を含めて確かにそれなりの客がいる。仕事である以上、こればかりはどうにもならない……のだろう。
 働くと言う事は大変じゃな……と小さく呟けば。
「姫様が来たぞー!」
 入口から飛び込んできたダイチの声に、店にいた客のほとんどが外へと駆け出していく。
「お、行くぞお前ら!」
「わかったのだ!」
 無論、その中にはタキシードを着たリントや、カメラ片手の律の姿もある。
「……あら。皆さん、どこに……?」
 酒庫からチーズとワインを取ってきた忍が戻ってきた頃には、もちろん店内の客のほとんどは姿を消していた。
 外の賑わいから、恐らく姫君が来たのだろうと見当を付けて、ため息をさらにもう一つ。
「ちょっと忍。お願いがあるんだけど」
「なんですの?」
 そんな忍に掛けられたのは、店の店主代理の声だった。
「料理用のラム酒が切れちゃってね。ちょっと買ってきて欲しいんだけど」
 その言葉に、忍は小さく首を傾げる。
 昼間のメニューで、大量にラム酒を使う料理などないはずだ。さらに言えば、料理用かどうかはともかく、ラム酒なら酒庫に大量に……。
 そこまで考えた所で、気が付いた。
「わかりましたわ! すぐ買って参りますわね!」
「……別にゆっくりでいいわよ」
「すぐにゆっくり買って参りますわ!」
 表情を輝かせた忍は意味の分からない言葉を残し、ぱたぱたと店の外へと駆けていく。
「良いのデスカ? カナン様」
 ウェイターの言葉は店長代理を咎めるそれだが、口調と表情は穏やかに微笑んでいる。
「この時間は、みんな姫様見物で忙しいでしょ。姫様が見たいなら、アシュヴィンも行ってきていいわよ」
 どうやら彼女自身は姫君にもさして興味がないらしい。苦笑するカナンに、アシュヴィンも軽く首を振ってみせるだけだ。


続劇

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