-Back-

遺跡調査編
 4.闇に潜む竜


 本部に戻ってきたヒューゴ達に届いたのは、彼方から聞こえた爆発音だった。
「何だ? 爆弾か!?」
 今回のメンバーに魔法の使い手はいなかったはずだ。ミスティの爆弾のテストを引き受けたという輩は何人かいたから、恐らくはそれだろうが……。
 このタイミングで、一体何を爆破したというのか。
「ヒューゴ、カイル!」
 そんな事を考えていると、広い街路の向こうから数人が走ってくる。
「ルービィ、どした!」
「暗殺竜が出たって!」
 慌てるルービィを訝しむ間もない。彼女のいきなりの報告に、カイルは耳を疑った。
「はぁぁ!? もっと北方の生きもんだろ!」
 竜種にしては珍しく特定の縄張りを持たず、広い範囲を放浪して過ごすその竜は、音もなく獲物に忍び寄るその様子から暗殺竜の名を与えられている。
 だが、その生息範囲の大半は、スピラ・カナンの北部……草原の国や平野の国だと言われていたはずだ。
「そんなの知らないけど、とにかく出たの!」
「状況はどうなってます!」
 今の問題は、目撃例があったかどうかではない。
 今この瞬間を、どう対処するかだ。
「フィーヱとジョージと、ミスティの爆弾を持った人達が足止めしてる! こっちは早く逃げてって!」
 確か、小型爆弾を使った実地試験だったはず。先日の遺跡を吹き飛ばした大型爆弾ならともかく、そのサイズの火力では竜種相手に時間稼ぎにしかならないだろう。
「荷物は後で構いません! ひとまず皆さん、遺跡から離れましょう!」
 暗殺竜の恐ろしさは、巨体に似合わぬ敏捷性と、音もなく忍び寄る隠密性にある。何故こんな場所に現われたのかは分からないが、死角の多いこんな市街地で戦うには、間違いなく最悪の相手だ。
「僕はちょっと様子を見てきます! 後の指揮は任せます!」
「ああもうっ! 勝手な事ばっかり言いやがって! 死んだら置いてくからな!」
 爆発の起きた戦場に駆け出していくヒューゴの背中に、カイルはそんな言葉を叩き付ける。


「お前ら! 早く逃げろ!」
「ジョージさん、フィーヱさん! 状況は!」
 撤退する冒険者達と入れ替わりにやってきたヒューゴは、撤退指示を出している十五センチの少女に声を投げかけた。
「二人やられた。赤髭の爺さんの遺言で、奴を遺跡の南に誘導しようとしたんだが……上手く行かなかった。悪い」
 そう言ってフィーヱが取り出したのは、一つの貴晶石だった。わずかにくすんだ赤い色は、ヒューゴの記憶にある老爺の髭と同じ色だ。
「……ご老体は身寄りがいませんでしたから。フィーヱさんが看取ってくれて、良かったのかもしれません」
 単身で警戒に出ていた時からの追跡だったため、報告にも戻れなかったのだろう。誘導して今まで時間を稼いだ事が正しかったのか、見失うのを前提で報告に戻った方が良かったのかは、依頼の報告を終えた時になってみなければ分からない。
 少なくともフィーヱは、その時は前者が最良の判断だと思ったはずだ。
「今は……」
 暗殺竜と戦っているのは、フィーヱ達と共に来た冒険者ではない。
 鋭角のウイングを展開し、長い金髪を揺らして宙を翔ける十五センチの少女と、焼け焦げてボロボロの服をまとった小太りの男の二人組である。
「……二人?」
 それは、ヒューゴが幼い頃に見た光景に重なるものだ。
 小さな彼の眼前。たった二人で襲いかかってきた巨竜を迎え撃った、古き時代の記憶を伝える男と、金の髪を持つ小さな娘の……。
「ああ。どっちも相当な使い手だよ」
 ギリギリの機動で無数の逆棘に覆われた暗殺竜の体表を翔け抜け、短剣から放たれる無数の光鞭で竜の全身を容赦なく打ち据える。
「ですね。あの男の人も……」
 続けざまの打撃に怯んだ巨竜の懐に、体格に似合わぬ俊敏さで飛び込み。
 放たれたのは、ごく普通のストレートの一撃だ。
「……えっ?」
 だが、竜の巨体を揺らすのは、砲撃のような打撃音。十メートルにも及ぶ竜の巨体が一瞬浮き上がり、暗殺竜の顎からは苦悶の叫びがあふれ出る。
(たったあれだけの動作で……まさか………っ!?)
 その一撃は、ジョージも良く知る物だった。
 けれど、あれだけの威力の拳を何の溜めも必要とせずに放つなど……そんな芸当が出来る使い手を、ジョージは一人しか知らない。
「ルードって……あんな戦い方が出来るんですか……?」
 金髪のルードが振り上げた短剣から現われたのは、黒く輝く光の刃だ。悶絶する竜の懐から男が飛び離れるのを確かめる様子もなく、力任せに振り下ろした。
 ルードの身の丈の十倍はある巨大な刃が黒い鱗を容赦なく引き裂き、断ち切られた尻尾が白亜の石畳を跳ね回る。
 光の刃も先ほどの鞭も、恐らくビークの解放技だろう。
 だがそのルードは、エネルギー源となる魔晶石を装填している様子がない。ビークは短剣型だから、魔晶石を外付けするスペースもないはずだ。
「……絶技だろう」
 心当たりがあるのだろう。傍らのフィーヱは、苦々しげにその技を口にしてみせる。
「命を削る、禁じ手だよ」
 自身の貴晶石から取り出したエネルギーをビークに伝え、魔晶石として結晶化させる技。文字通り命そのものを力とするそれは、ルードの中でも特に禁じられた技の一つだ。
「そんな技を乱発して……あのルードは大丈夫なんです?」
 次に現われたのは、光の槍だ。暗殺竜の両腕部を覆う刃の如き大爪を、力任せに貫いている。
「……平気なんだろうさ。あれだけ乱発出来るって事はね」
 瞳をちかちかと点滅させながら答えるフィーヱの声は、どこまでも苦い。
 並のルードなら絶対の禁じ手とされるその技をノーリスクで使える存在を、たった一人だけ知っていたからだ。
 金の髪に、蒼い瞳。
 そして、無数の光鞭を放つ……かつて琥珀が使ったものと同じ、解放技。
 恐らくは、目の前のそいつが……。
 ぎり、と奥歯を噛んだ瞬間、響き渡るのは絶叫だ。
 片目を潰された暗殺竜の眉間に突き立つ、短剣型のビーク。強い光を放つそれは、暗殺竜の生命を吸い尽くす光だ。
「味方……なんですか? あのルードと人間は」
 状況的にこちらの支援になっている事は間違いない。だが、敵の敵が味方とは、限らない。
「……ちょっと偵察してくる。みんなは先に戻って」
 崩れ落ちる暗殺竜に向けて駆け出す小さな姿に、ヒューゴは慌てて手を伸ばす。
「大丈夫。俺だけなら、一人でも逃げ切れる!」
「ちゃんと報告してくださいよ!」
 飛翔翼まで持つルードやあの男相手に、常人が逃げ切る事は不可能だろう。戦いを見届けたヒューゴとジョージに出来るのは、フィーヱの帰還を信じてこの場を立ち去る事だけだ。


 全力で駆ける事、ほんの十メートルほど。
「これは……」
 崩れ落ちた暗殺竜は、生命力を吸い尽くされて、見るも無惨な有様となっていた。
 冒険者の刃を弾き返した鱗はフィーヱの蹴り一つでボロボロと崩れ落ち、一瞬で彼我の間合を詰める強力な手足も既に崩壊が始まっている。
 口元にべったりとこびり付いた鮮血は、最初の犠牲者である新米か、それとも赤髭のものか。
 気配を殺したままさらに進めば……。
「あら。お昼に暗殺竜から逃げ回ってたルードじゃありませんか?」
 掛けられた声は、背後から。
 それも、限りなく密着に近い距離だ。
「……あんたがアリスか」
 気配はおろか、空気の動きさえ感じなかった。あれだけ大きな飛翔翼を背負っているはずなのに、だ。
「有名になりましたね、私も。名前は名乗らない主義なんですけど」
「ああ、有名だぜ。俺達の命を吸い取って千年生きても、まだ生き足りない欲張りだって」
 背中に短剣の切っ先を感じながら、務めて冷静に言葉を紡ぐ。
 実力の差が圧倒的なのは、戦いを見守っていた時から理解している。故に言葉で負けを認めないのは、彼女に残された意地であった。
 だがそんなフィーヱの強がりを、アリスは鼻で笑うだけ。
「そんな事を言うようだから、いつまで経ってもダメなんですよ。取扱説明書、読みましたか?」
「……何?」
「ルードとビークの正しい使い方……ですよ」
 ゆっくりと伸ばされた手が、フィーヱを背後から抱きすくめてくる。背中に当たる短剣は無く、隙だらけのハズなのだが……その状態でもなお、フィーヱは彼女に対しての勝機を見いだせずにいる。
「間違ってるのは、俺達とでも?」
「使い方なんてその時代で変わるものではありますけど。変わるだけならともかく、本来の使い方を忘れちゃねぇ……」
 這い回る両手は胸元から腹を過ぎ、腰へ。
「あら。こんな所に貴晶石が二つ……」
「……触るなッ!」
 反射的に身をよじり、アリスの束縛を振りほどいた。ワンステップで間合を取って、右腕のビークを構え直す。
(振りほどけた……いや、振りほどかせてもらえたのか……?)
 けれど、そんな思考もアリスの次の言葉の前には、一瞬で吹き飛んでいた。
「ああ、もしかして、あの時の」
「覚えてるのか! シヲのことッ!」
 この瞬間にアリスに飛びかからなかったのは、自制ではなく本能が動きを止めたが故だ。
「ええと、いつの事でしたっけ?」
「……なに?」
 先ほどの物言いは、明らかにこちらの事を知っているような言い方だったはず。
「便利なんですよ。仇討ちに来たルードかどうか、だいたいこれで分かりますから。……名前は聞かない主義なので、名乗られても知らないんですけどね」
「貴様ぁ……ッ!」
 くすくすと笑う金髪のルードに、フィーヱは必死で拳を握りしめ、奥歯を噛み締める。
 ここで戦っても、絶対に勝てない。ここでフィーヱが死ねば、無駄死になだけではなく、シヲとの再会も果たせなくなってしまう。
「そっか……そうね、なるほどね……」
 自らを全力で押し留めるフィーヱの様子をくすくすと笑いながら眺めていたアリスだが、やがて懐から何かを取り出すと、フィーヱに向けてひょいと放り投げた。
「っ!」
 反射的に受け取ったそれは、ルードの握り拳大の貴石である。暗闇に光条を残す、暗殺竜の瞳色のそれは……。
「じゃあ、竜を引き付けてくれてたお駄賃に、それは差し上げましょう。機会があったら、ルードとビークの正しい使い方……教えてあげられるかもしれませんしね」
 そう言い終えた時には金髪のルードはその場にはいない。
 一瞬で視界の果てまで上昇し、そのまま雲を曳いて南へと駆け抜けて行く。
「…………馬鹿にしてっ!」
 フィーヱが忌々しげに吐き捨てられたのは、体の緊張が抜けて、しばらくしてからの事だった。


 山岳遺跡を見下ろす丘の上。
「戻ってきませんね」
 玩具のような白亜の街並みを眺めながら、ヒューゴは小さく言葉を紡ぐ。
「フィーヱさん……大丈夫ですかね……」
 街の北部から何かが急上昇し、南に向かって翔んでいったのはしばらく前の事。それを最後に、山岳遺跡の動きは何もない。
 それからさらに時間が過ぎて、偵察を出そうと決めたその時だ。
「……戻ったぞ」
 現われたのは、血だらけの黒いマントの少女。
「フィーヱ、心配したぞ!」
「どうだった? 大丈夫?」
「暗殺竜はあのルードと人間が仕留めた。奴らもどこかに行ったし、荷物を取りに戻るなら、今しかないと……」
 紡ぐ言葉は最低限だ。細かな報告をするには、まだ頭が回っていなさすぎる。
「思………う………」
 そして、舞い降りたルービィの手の上。
 十五センチの小さな体が、糸が切れたように崩れ落ちる。
「フィーヱ?」
「……眠ってますね」
 圧倒的な強敵との対峙を終えて、緊張が途切れたのだろう。ルービィの手の中、フィーヱは小さく寝息を立てている。
 遠征中は夜も周辺の警戒でまともに休んでいなかったようだし、今日は一日暗殺竜の誘導で走り回っていた。その上最後にアリスとの対決となれば、倒れない方が不思議なほどだ。
「では、我々も急いで荷物を取りに戻りましょう。念のため、打ち合わせ通りに警戒班が先行してください」
 余裕があれば赤髭の老爺も連れ帰りたい所だが、さすがにそれだけの余裕は無いだろう。
 フィーヱに看取られた事と持ち帰られた貴晶石で、その代わりとするしかない。
「もう帰るの?」
 既に太陽は中天を過ぎている。例の中継点に向かうにも、ガディアまで戻るにも中途半端な時間だ。
「暗殺竜はつがいで動く事も多いですから。今は一秒でも早く、この場を離れた方が良い」
 さらに言えば、夜の暗殺竜の危険度は昼間のそれとは比べものにならない。アリスもどこかに行ってしまった今、彼等の最善の選択肢は、撤退の一手なのだった。


続劇

< Before Story / Select Story >

→ノア姫を見物に行く
→幽霊の調査に向かう

→『月の大樹』に戻る


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai