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4.あなたのみている わたし

 ガディアの街からほど近い森に木霊するのは、青年の鋭い掛け声だ。続くのは、鋼の刃が風を切る音と、鋼同士がぶつかり合う硬い音。
「右、左! 右、左! 次は左!」
 だが刃の音はその鋭さをどんどんと減じ、刃のぶつかる硬音も、そのテンポを少しずつ狂わせていく。
「くっ!」
 やがて響き渡るのは、より強く刃のぶつかる打音と、鋼の跳ね飛ぶ甲高い音。
 これが街の広場なら、石畳に落ちた刃が続く音を立てるのだろうが……。森の中では刃は地面に突き刺ったまま、さらなる音を立てる事はない。
「遅いですよ、アルジェントさん!」
 息も絶え絶えのアルジェントとは対照的に、ジョージは息一つ乱す様子もない。確かこの訓練が始まった時、ショートソードは慣れていないと言っていたはずなのに……。
「ちょっと! 少しは……」
「……やるからには手加減はするなって言ったの、アルジェントさんですよね?」
 確かにそうは言った。
 そうは言ったが……まさかジョージがここまで剣を使いこなせるなど、想定外に程がある。
 基礎体力や運動神経のレベルの差ではない。明らかにジョージの動きは、基礎的な剣技の訓練を受けたもののそれだった。
「……マハエ!」
 そしてアルジェントが呼んだのは、近くの木陰でごろりと転がっている男の名。
「女だからって手加減するヤツを相手にしてても、強くなれんだろー」
 寝ているのかとも思ったが、どうやら起きてはいるらしい。しかし生あくびを噛み殺すその様子は、お世辞にも稽古を真面目に見ているとは言い難い。
「そうじゃなくって、何であなたが稽古つけてくれないのよ!」
「ちゃんと見てるだろ。悪い所があったら指摘してやるから」
 ジョージの性格からして、もう少し女性に対して無意識な加減をしてしまうだろうと思っていたのだが……意外な事に、それがない。
 慣れていないと言いながらも、型も十分様になっている。単なる謙遜だったのか、武術を教えた噂の『お師匠』の目指す領域が余りにも高すぎたのか。
 いずれにしても、嬉しい誤算なのは間違いなかった。
「……俺ぁ今日も徹夜だったから、辛いんだよ」
 片手でナナトの相手をしてやりながら、転がったままのマハエが起き上がる様子はない。
「がんばってー!」
 その上、ナナトに応援されては……。
「ほら行きますよ、アルジェントさん! 次は突き込み百本!」
「この……鬼教官!」
 アルジェントはそう言って渋々刃を構えるしか、ないのであった。


 開いたのはドアではない。
 裏庭に面した、窓の一枚だ。
「終わったぞ、ミスティ」
 滑り込んできたのは身長十五センチの小柄な姿……ディスである。律達が帰った後も試射を続け、ようやく満足したらしい。
「的を片付けておらんのじゃが、どうすればよい? マハエにやらせれば良いか?」
「ほっといていいわよ。どうせ後で吹っ飛ばすから」
 物騒な答えを投げ返すだけで、当のミスティはこちらを気にする様子もない。
「……あちこちに開いておった穴は、爆発の跡か」
 試射の途中も気になっていたが、あちこちにあった穴や焦げ跡は、彼女の火薬実験の副産物だったらしい。
「なー、青髪ー。ここにあった酒は?」
 物騒な話をしていると、乱雑に積まれた戸棚の向こうから長身の男が顔を覗かせてきた。
「さっきアルジェントが買ってったけど。……あれ? 内緒だっけ?」
 だっけと問われても、ディスもネイヴァンも呆れたように首を振ってみせるしかない。もっとも、アルジェントがわざわざ内緒で酒を買う理由も、よく分からないのだが。
「まあいいわ。とにかく無かったら売り切れよ」
 どうやら売れたら売れっぱなしで、補充する気はないらしい。
「ていうかネイヴァン。その青髪ってどうにかならないの」
「青髪で通じるからええやろ」
 確かにミスティの髪の色は青いが……。
「せめてもうちょっと捻りなさいよ」
「……名前で呼ばせれば良かろう」
 捻ればいいワケでもあるまいと思うが、彼女には彼女なりのこだわり所があるのだろう。
 だが。
「そりゃ、『      』は言いにくいだろうけど、ミスティは難しくないでしょ」
 彼女の紡いだ言葉に、ディスは耳を疑った。
「……いまおぬし、なんと言うた?」
「『      』のこと?」
 確かに先ほどと同じ音だ。
「……何語や」
 しかしその音をどう表現すれば良いのか……それに必要な言葉を、ディスもネイヴァンも口に出来ずにいる。
「あたしの種族の言葉よ。あんまり有名じゃないから、知らなくても別にいいけど」
「そういえばおぬしも魔族であったな」
 魔族とは、異則の力や異形の姿を持った雑多な種族の総称である。その中には、独自の言語や会話法を持つものも珍しくない。
 ミスティの一族も、そんな言葉を伝える種族の一つなのだろう。
「まあ、酒は無うてもええわ。それよりホニャララ、爆弾の依頼、引き受けに来たんやけど」
「ホニャララって何よ!」
「なんかよう分からん名前やったからホニャララでええやろ」
 ひねったぞ、と言わんばかりにネイヴァンは胸を張っている。だが、当然ながらミスティの表情は先ほど以上に厳しさを増していた。
「そういう補足説明が必要な呼び方はやめなさいよ! 説明が面倒なんだから!」
 もし補足説明が要らないならホニャララでも問題ないのだろうか……とディスはぼんやり思ったが、さすがに問う気にはなれない。
「じゃあ青髪。爆弾くれ」
 どうやら青髪で諦めたらしい。ミスティは小さくため息を吐くと、彼等のいる反対側の棚を指差してみせる。
「……その辺の足元にあるから、適当に持って行って。後でレポートお願いね」
「わらわもその依頼、引き受けよう。爆弾など、触った事も無かったしの」
 ネイヴァンに続き、ディスも棚の側へと跳んでいく。
「まだ残ってるわよね? さっき遺跡調査に行くって連中がいくつか持ってったはずだけど……」
「あと数人ぶんで終わりじゃの。あまり残っておらぬ」
「なら補充も作っとくか……」
 棚の下にごろごろと転がっている小さな樽を一瞥し、ミスティは細い指を折り始める。折った指が二度目の往復を始めた辺り、一体どれだけの補充を作る気なのかは分からなかったけれど。
「そうじゃ、ミスティ。何か本があれば貸して欲しいのじゃが」
「その辺にヒューゴが注文したのが山になってるけど……」
 どうやら予算以上の注文をしてしまったらしく、そのまま取り置き状態になっているものだ。彼以外にこの街でこんな本を買う輩はいないから、邪魔な事この上ない。
「……もう少し分かりやすいのを勧めようとは思わんのか」
 ヒューゴの注文だから、古代史だの何だののよく分からない理論や推論が書き連ねてある書物なのだろう。少なくとも、ディスの好みではない。
「後は火薬か魔法の専門書くらいしかないわね。前は剣術の指南書とかもあったはずなんだけど……何かの台に使うなら、もっといいのがあるわよ?」
「ちゃんと読むわ!」
「「誰が?」」
 即座に返された言葉は、完全な真顔だった。
 それもミスティとネイヴァン、同時である。
「わらわに決まっておろうが。失礼な奴らじゃの。……これは?」
 無礼な二人に腹を立てながら戸棚の間を飛び回っていれば、やがて一冊の革張りの本が目に留まる。
 表題は……。
「ああ、そういうのもあったわね。……なんで仕入れたんだっけ?」
「わらわが知るものか。ではネイヴァン、『月の大樹』まで運んでくれ」
 爆弾も革張りの本も、ディス自身よりはるかに大きいのだ。本だけならサブアームなどを駆使すれば何とかなるだろうが、爆弾とまとめてとなると、文字通り手が足りない。
「嫌や。そんなん明らかにヒャッホイできひんやろ」
 自分のぶんの爆弾を片手でひょいと抱え、ネイヴァンはふんと鼻を鳴らしてみせる。
「ほれ。ものは試しと言うではないか。意外とヒャッホイ出来るやもしれんぞ?」


「お疲れ様です。大丈夫ですか?」
 地面に座り込んだアルジェントに差し出されたのは、大きめの手拭いだった。
「……見て………分かる…でしょ……」
 近くの小川で濡らしてきたのか、触れればひやりと心地よい。首筋に当てて体の火照りを取りながら、アルジェントは目の前の青年を恨めしげに見上げてみせる。
「だいぶシゴかれたみたいだな」
「……誰のせいだと」
 そして恨めしげに見上げる相手が、もう一人。
 ナナトを連れて布バケツを提げている様子からして、水を汲んできたのは彼らしいが……。
「ジョージも悪かったな、手伝わせて。まあ美人の相手が出来たと思って勘弁してくれや」
 正直な所、若い女性と二人というシチュエーションに耐えられなかったから連れてきただけだったのだが……ここまでしっかりした訓練が出来るなら、アルジェントにとってもマハエに教わるより良かったはずだ。
「ははは……」
「ちょっと。なにその愛想笑い」
 マハエの言葉に乾いた笑い声を上げるジョージに、アルジェントはさらに表情を険しくしてみせる。美人という自覚はないが、それでも良い気分ではない。
「いえ、別にそういうワケじゃないんですけど……。そうだナナ、向こうにジュースを買いに行きませんか?」
「いくー! ナナ、桃のジュースがいい」
「………もぅ」
 ナナトを連れてその場を後にするジョージに、小さくため息を一つ吐いて……。
「ちっとは気が晴れたか」
 掛けられた言葉に、僅かに身を固くする。
 アルジェントが塞いでいたのは酒場の様子を見れば一目瞭然だっただろうが……果たして目の前の男は、どの辺りまでを見抜いているのか。
「……ねえ、マハエ」
 僅かな沈黙の後、アルジェントは男の名前を呼んでみせる。
「もし、あなたとそっくりな別人がこの世のどこかで生きてるとしたら……どう思う?」
「何の話だ?」
 いきなりの問いは、本当にいきなり過ぎた。
「どうする?」
 重ねての問い掛けで、アルジェントにとっては重要な問題なのだろうとは想像が付いたが……マハエとて万能ではない。推し量れるのはそこまでだ。
「どうするって……どうもしねえだろ」
 故に、想像したままの答えを口にした。
「消えたほうが良いとか……思わない?」
「そりゃ、賞金首とか借金があるとかで俺に迷惑が掛かるなら勘弁して欲しいけどよ……。そうでなけりゃ、別に困らねえしなぁ」
 海の国で漁師をしたり、夜空の国で魔法の研究をしていた所で、マハエに迷惑が掛かるわけではない。会えばもちろん驚くだろうが、せいぜいその程度だ。
 むしろ、顔が違っても借金を残すような奴の方が、彼にとっては余程迷惑だった。
「例えば私が、別の誰かとそっくりな別人だったとしても……?」
「その誰かってのを知らねえしな。お前じゃないなら、どうでもいいんじゃね?」
 マハエの知るアルジェントは、目の前にいる彼女一人だ。仮に血を分けた双子か何かがいた所で、そいつがアルジェントの代わりになるはずもない。
「………そう」
 そう呟いてアルジェントは、その場をゆっくりと立ち上がる。荷物の入った小さな袋を取り上げれば、後に残されているのは小さな酒瓶が一つ。
「何だ? 随分良い酒だな」
「貰い物だけど、お酒は当分呑む気はないから……授業料代わりよ。今日はありがとね」
 それだけを言い残し、アルジェントはその場を後にする。ジョージ達の向かった先に歩いているから、途中でナナトを拾うつもりなのだろう。
「授業料……ねえ」
 どうにも釣り合わない額の豪奢なラベルを眺めながら、残されたマハエは酒瓶を持て余し気味に拾い上げるのだった。


続劇

< Before Story / Select Story >

→遺跡調査へ出掛ける
→ノア姫を見物に行く
→幽霊の調査に向かう


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