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猫探し編
 3.猫ふりやまず


 屋敷の窓から雨音の響く外を眺め、アシュヴィンは傍らの女性に静かに問いかける。
「それにシテモ、ノア殿下はガディアへ何をシニ?」
 ガディアには大きな港もないし、保養地というわけでもない。二つの街道の交差点ではあるが、ここよりも戦略的価値の高い街は木立の国には山ほどある。
「レディ・ミラの紹介で、塩田の見学が出来る事になったのですよ」
 言われ、ガディアの塩田が、古代人の技術を使った木立の国でも屈指の設備であった事を思い出す。
「我が草原の国には、山岳の国のような岩塩鉱山も、木立の国のような塩田技術も不足していますから」
 塩は水や食料と同じく、生命活動の根本に関わるものだ。故に、不足するなら他国から輸入してでも手に入れるしかない。
「ソレデ、塩田技術の研究ニ……」
 王族を代表に仕立てるという事は、国としてもかなりウェイトの高い研究なのだろう。そんな仲介を『月の大樹』の本当の主が取り持ったというのはにわかには信じがたいが、まあそれはどうでも良いことだ。
「雨ですか……」
 呟くうちに、雨足はさらに強く。
「もう少シ、風を通しておきたかったデスネ」
「それは明日しておきましょう。今日は屋敷の補修と片付け、ありがとうございました」
「しかし、コノ雨はしばらく止みそうにありませんヨ?」
 この空の具合なら、二、三日は止まないだろう。辺りにいる漁家の婦人達もアシュヴィンの意見に賛成の表情だが……。
「大丈夫です。明日は晴れますから」
 それでも、シャーロットは静かにそう断言してみせる。
 まるで、明日の天気が分かっているかのように。
「皆さんもご苦労様でした。今日の報酬はレディ・ミラの酒場に預けてありますから、そちらで受け取って下さい」
 王女の侍女は穏やかにそう言い、屋敷の奥へと下がっていくのだった。


「そうですの。ネコさん、見つかりませんでしたの」
 雨足を強める外を眺め、忍はどこか寂しそうに呟いてみせる。
 くたりとしたままのリントを抱きかかえ、ほうとため息を一つ。
「まあ、今まで見つからなんだものがほんの一日で見つかるなど、そうそうないしの。また晴れたら探してみるわい」
 雨の日はネコも出歩きはしないだろう。そんな時に探しても、徒労というものだ。
「にしても、よー降るなぁ」
「しばらくは止まないだろ」
 空は地平線の彼方まで黒く染まり、この地方全域で雨が降っている事を教えてくれる。この雨の様子だと長く降り続くことになりそうだから、しばらくは猫探しも足止めだ。
「ダイチ様。今日はこちらデ?」
「うん。広場も水浸しだしさー。後でテントだけ片付けて来なきゃ」
 草原の国出身のダイチはガディアでも街の広場の隅にテントを張って暮らしているが、こう雨が降ってしまえば、さすがに宿に泊まらざるを得ない。
「それにしてもネコさん、起きませんねぇ」
 店に響くのは、静かな雨の音。
 忍は眠ったままのリントの背中を撫でながら、小さく呟いてみせる。
「なあ、姉ちゃん」
 そんな様子がふと気になって、ネイヴァンはメイドの名を呼んだ。
「探しとるネコの名前って、何やったっけ?」
 そういえば、ネコを探しているとは聞いていたが、呼び名を聞いていない事を思い出したのだ。手がかりは子猫で、尻尾にリボンが巻いてある……という事だけだ。
「ネコさんのことですか?」
「せや、そいつの名前」
 忍はその問い掛けの意味が分からなかったのか、少し考えていたが、やがて不思議そうに口を開く。
「ネコさんですけど?」
 店に響くのは、静かな雨の音。
「………そやつの名前は?」
 次にモモが指したのは、忍の膝の上で眠っているリントの事だった。
「ネコさんのことですか?」
「うむ」
「ネコさん……ですけど……?」
 店に響くのは、静かな雨の音。
「……なあ、ピンク」
 ネイヴァンの言葉に、モモは答えない。
 ただ無言で、言葉の続きを促してみせる。
「もしかしてこの姉ちゃん、ネコは全部ネコさんなんちゃうん?」
「お主にだけは言われとうないと思うぞ」
 まともに人の名前も覚えないネイヴァンに、桃色の髪を小さく揺らし。
 モモは、小さくため息を吐いてみせる。


 ガディアの街の片隅にある空き地。
「うわぁ……」
 そこで珍しく困り顔を浮かべているのは、ダイチだった。
 夕方からの雨で、目の前の空き地は水浸しどころか水たまりになっている。
 そこまではまあ、予想通りなのだが……問題は、その水たまりの上に浮かんでいる物体だ。
「あれが問題のテントか」
 そう。水たまりの上に浮かぶのは、ひと張りのテント。
 ダイチの家である。
 もともと草原の国出身で、遊牧民として育ってきたダイチだ。 宿屋に泊まるよりも落ち着くのと、何より安上がりという点で、今までと同じようにテント暮しを続けているのだが……ガディアは草原の国よりも雨が多いという点だけが、頭の痛い所だった。
「で、あれをぶった切ってヒャッホイすりゃええんか?」
「ぶった切られたらヒャッホイなんか出来ないってば!」
 水たまりにぷかぷかと浮かぶテントを槍で引き寄せようとしているダイチに、付いてきたネイヴァンは片手剣を引き抜いてみせる。
「引き寄せるとか、めんどくさいやないの。あーあ、怪物なら、石でも投げ付けて挑発すりゃ一発なのに」
 いくら手が足りないからといっても、何でこんな人に手伝いを頼んだんだろう……とダイチは思うが、誰も居なかったのだから仕方ない。
 アシュヴィン達は仕事があるし、リントはマタタビでダウンして復活の気配もない。結局消去法で、ネイヴァンしかいないのだった。
「あーあ。マハエさんとかいりゃ助かったのに……あれ?」
 都合良く歩いてないかなと辺りを見回した所で、ダイチは思わず視線を止める。
「どないしたん? はよ片付けんと」
「なんか、変な人が歩いてるんだよ。おーい! そんな格好で歩いてたら、風邪ひくぜー!」
 目に入ったのは、薄闇の中、奇妙な歩調で歩く太った男。
 雨の中だというのに雨具も持たず、熱に浮かされたようにふらふらと歩いている。貴族のような整った服を着ているものの、それも雨に濡れて見る影もない。
「誰が歩いとるって?」
 だが、ネイヴァンがそちらを見た時には、既に人影などいない。
「え? さっきはちゃんと歩いてたのに……」
 確かに、今はもう謎の影は姿を消している。
 ただ、その場まで近寄ってみれば……。
「………ボタン?」
 男のいた辺りに落ちていたのは、金のボタンがひとつ。中央には、歌う鳥をモチーフとした紋章が描かれている。
「それより、はよテント片付けんと、沈んでまうで?」
「あーっ!」
 ネイヴァンの声にダイチは水たまりへと駆け戻り、慌てて作業を再開するのだった。


 店に響くのは、静かな雨の音。
「それにしても今日は、お客さんが少ないわねぇ……」
 やけに雨の音が響くのは、雨が強いからだけではない。いつもなら店にいる冒険者の多くが、今日は見当たらないのだ。
「皆、調査やらザルツやらで出払っておるからの。この雨で、厄介に巻き込まれておらねば良いが……」
 夜と同じように、雨の森はいつもとはまた違う顔を見せる。その程度で後れを取るような者はこの店にはいないはずだが……何が起こるか分からないのが、この稼業の恐ろしい所だ。
「そういえば、ナナもまだ帰っておらぬのか?」
 気付けば、最近いつも店の隅にいる幼子もいない。今朝は見た覚えがあるのだが……。
「アルジェントさんが一緒のはずですから、大丈夫だとは思いますけど……」
 ただの魔物調査だし、アルジェントも子供連れでそこまで危険な事はしないはずだ。おおかた、雨で足止めでも食らっているのだろう。
「……まあ、あれでもカーバンクルじゃからの」
 モモの言葉に、小さく頷いてみせる。
 ガディアの近くで琥珀達に拾われるまで、ナナトもずっと旅を続けていたのだ。そういう意味では、そこまで心配するものではないはずだった。
「忍様。良けレバ、明日にでも様子ヲ見てきましょうカ?」
「いいんですか? 雨、降ってますよ?」
 アシュヴィンが空を飛べるのは知っているが、鳥の獣人達と同様、雨の中を飛ぶのは楽ではないだろう。執事の仕事は万能でも、さすがに雨除けの魔法を使えるという話は聞いた事がない。
「聞いた話デスト、明日には止むそうデ……。カナン様、構いませんカ?」
「……止んだらね」
 疑うようなカナンの物言いも無理もない。何しろ、言ったアシュヴィン自身も当てにしてはいないのだから。
 雨は降り続いている。
 この街に長く暮らす者の勘と経験を信じるなら、まだ数日は止む事はないはずだった。


続劇

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