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猫探し編
 2.猫おおさわぎ


 街のご婦人達と共に屋敷のホールを片付けながら、黒服の青年が呟いたのは、久しく聞いたことのない言葉だった。
「……幽霊、デスカ?」
 屋敷の元主が取り潰しにあった後、どこに行ったのかという話題を振ったつもりだったのだが……気が付けば、何故か話の主役は貴族ではなく幽霊に入れ替わっている。
「そうなのよー。もうすぐ海開きだっていうのに、夜な夜な歩き回る変なのがいるって言うじゃない」
「噂じゃ、幽霊って人の命を吸い取るって言うでしょ。怖いわぁ」
 何やら他の魔物の話題も混じっている気がするが、噂というのはそんなものだ。細かいディテールは気にしないでおくことにする。
「そういうのハ、騎士団や魔法使いが退治するのではないのデスカ?」
 実体を持たない相手なら、塩田騎士団には少々荷の重い相手だろうが……並のゴースト程度なら、魔法使いや退魔の経験を持つ冒険者であればさして強敵というわけでもない。
「塩田騎士団の連中も探し回ってるみたいなんだけどねー。幽霊も賢いのか、そういう時には現われないみたいなのよ」
「ナルホド……」
「で、ここの貴族の人も、その幽霊に取り憑かれたんじゃないかって噂があってねー」
 ようやく話が繋がった。
 とうに忘れているだろうと思った所で不意打ち的に話が繋がるものだから、御婦人方のお話は気を抜いていられない。
 これを恒常的に続けている御婦人方は恐ろしいと、アシュヴィンは心の中で舌を巻く。
「アシュヴィンさんは、貴族の人がどこに行ったのか知らないの?」
「領地に戻ったとも聞いていまセンし、独り身のお方ですノデ、ヤハリ気になりまして……」
 そもそも貴族の座を失った今、戻るべき領地もないのだ。ガディアの屋敷以外にも幾つか私有地の権利を持っていたはずだが、今は人手に渡ったり、遠い親族の手で管理されていたりという話だった。
 そしてそのどこにも、彼の姿だけがない。
「皆さん。お喋りも結構ですが、片付けは終わりましたか?」
 そんな彼等の元に姿を見せたのは、今回の件の依頼主だった。
 艶やかな長い黒髪に、どこか海の国辺りの意匠を感じさせる服装をまとう、細身の女性である。
「ハイ、ミス・シャーロット。漁師町の御婦人方の特技は、口と同じだけ手を動かすことデスカラ」
 アシュヴィンの言う通り、ホールは見事に片付けられていた。磨き抜かれた手すりも、吊り下がるシャンデリアも、この屋敷が久しく空き屋だったなどとは誰も信じないだろう。
「では次は手分けして、二階の片付けをお願いします。ええと……ミスタ・アシュヴィン。貴方はこの館で執事をしていたと聞きましたが」
 シャーロットの問いに、アシュヴィンは小さく頷いてみせる。
「注意した方が良い箇所や、修繕の必要な場所があれば教えて下さい。殿下がいらっしゃる前に、全て直してしまいますから」
 彼女の主がこの街を訪れるまでには、いま暫くの猶予がある。その余裕があれば、この屋敷を草原の国の姫君の屋敷として、完璧に仕上げてしまえるはずだった。
「アア。それなら全て確認して、先程補修してオキマシタ」
「……全て?」
 まだ作業を始めて、半日ほどしか経っていない。業者の手配をするだけでもそのくらいの時間は掛かるはずだが……それをこの男は、実作業まで済ませたというのか。
「全てデス」
 重ねて問うた姫君の侍女の言葉に、貴族の元執事は事も無げに頷いてみせた。
「では……見ておきたいので、案内していただけますか?」
 アシュヴィンは恭しく頷き、作業を終えたホールを悠然と後にする。


「……ネコの行動パターンが分からへん?」
 そのひと言に、さすがのネイヴァンも自身の耳を疑った。
「そうなのだ。ボク達ぬこたまはネコじゃないから、ネコが何を考えて動いてるかわかんないのだ」
 ぬこたまがネコのように振る舞うことは、一族の中で最も恥ずべき行為とされている。故に立ち居振る舞いに関しては、幼い頃からしっかりと叩き込まれるのだが……。
 それが故に、ネコがどう考えて動くのか、分からないのだ。
「そんなん簡単やろ」
 だが、相変わらず手元のリボンに視線を泳がせるリントに、ネイヴァンはあっさりと言い放つ。
「ホントなのだ!?」
「よう考えてみい。俺らはヒャッホイするやろ?」
 どこからともなくねこじゃらしを取り出すと、リントの手がひょいと伸びてきた。
「………ヒャッホイ?」
 目の前でゆらゆらと揺れるねこじゃらしに次々とぱんちを叩き付けながら、リントは首を傾げてみせる。
「まあ最期まで聞き。俺らはヒャッホイするやろ?」
 ヒャッホイが何かさっぱり分からなかったが、とりあえず頷いておく事にした。
「ネコもヒャッホイするやろ?」
 今度は毛糸玉を取り出すと、リントの視線がそれを鋭く捕捉する。
「………ヒャッホイ?」
 そのまま石畳の上、ころりと転がせば……リントはそれを追い掛けて全力ダッシュ。続けざまのフックを繰り出して、ころころ転がる毛糸玉を牽制する。
「だから最期まで聞きやって。ネコもヒャッホイするやろ?」
 ヒャッホイが何かやっぱり分からなかったが、とりあえず頷いておく事にした。
「ほれ繋がった」
「どこが繋がったかわかんないのだ!」
 満足げな表情を浮かべているネイヴァンに速攻で言い返し、リントが毛糸玉を牽制する手を止める事はない。
「分からんやっちゃなぁ……。ネコも俺らもヒャッホイするんやから、それで十分やろ」
 どうしても納得する様子のないリントの喉に手を伸ばし、ごろごろといじり回してやれば、ぬこたまは眼を細めて喉を鳴らすだけ。


 辺りに漂うのは、マタタビの香り。
 転がるのは、無数の猫たちだ。そのいずれも恍惚の表情を浮かべており、それが場の混沌を深めるのに余計な一役を買っていた。
「うぅ……死ぬかと思った」
 そしてその中央で大の字になって倒れ込んでいるのは、ダイチである。
「なあなあ。この転がってるネコに、忍のネコっていたりしないかなー?」
「確認せずに今まで走り回っておったのか」
 呆れ声のモモに、ダイチは悪びれた様子もない。
「昨日ミスティに聞いたら、あれが効くって教えてくれたんだよ。オイラ、それ持って歩いてただけだし……」
 街のどこかに放り投げたマタタビの枝のネックレスを指しているのだろう。
「まあ、間違ってはおらんな」
 あれが落ちている辺りでは、ここに負けず劣らずの阿鼻叫喚が繰り広げられている気がしないでもないが……それは考えない事にする。
「で、これからどうするのじゃ? 他に何か策でもあるかの?」
「なあ。お前ら、忍のネコ知らないかー」
 モモの問いを聞いているのかいないのか。ダイチは辺りに転がっているネコに、そんな声を掛けているだけだ。
「やれやれ。ターニャでもあるまいし」
 エサでも置いて待ち伏せするか、貼り紙でも貼って地道に待つか……。まずはその辺りから始めるかと思いつつ、モモは小さくあくびを一つ。
「そっかー。知らないかー」
 事も無げなダイチの言葉に、モモのあくびが止まる。
 そしてそんなダイチを見ていたのが、もう二人。
「ダイチ……」
 呆然とするぬこたまと、その傍らにいる長身の青年である。
「お! ネコが転がりまくっとるやん! これ、全部ぶったぎってええの?」
「やめておけ。後で忍に殺されても知らんぞ」
 ネイヴァンを軽く制しておいて、モモは苦笑い。片手剣を手にした青年は不満そうな表情を浮かべていたが、当然のように見なかったことにしておく。
「つか、子猫探しにマタタビはないやろ」
 やがてネイヴァンがぽそりと呟いたのは、そんなひと言だ。
「……そうなの?」
「子猫にマタタビは効きにくいからなぁ」
 効果が強いのは大人の猫だ。確かに彼の言う通り、周囲に転がっている猫たちも大人の猫ばかりで、子猫の姿は見当たらない。
「……相変わらず、変わった事ばかり知っておるの」
「ヒャッホイするにはどうでもええ知識やねんけどな」
 もう少しその知識を生かせば、優秀な冒険者にもなれるのだろうが……そういった方向性に行かないのが、残念ながらネイヴァンという男なのだった。
「そんなことよりダイチ。もしかして、ネコと話が出来るのだ……?」
「何となくだけどなー。ウチじゃ馬とか飼ってたし」
 もちろん会話が出来るわけでない。ただ、雰囲気やニュアンスといったものなら、ある程度分かるというだけだ。
「にゃんろ……………」
 リントは愕然とした表情でそう呟くと、その場でふらりとバランスを崩し、そのままぽふりと倒れ込む。
「お? ネコ、おいネコ」
 ぬこたまの表情は分からないが、酒に酔っているような様子である。少なくとも、体調が悪いわけではないらしい。
「マタタビにあてられたのであろうな」
 周囲にはまだ、マタタビの残り香が強く残っている。ダイチが捨て忘れたらしいマタタビの袋が転がっている辺り、この場に紛れ込んだネコは軒並み同じ目に遭ってしまうはずだ。
「何や。やっぱりネコやないの」
「やれやれ。とりあえずそやつを連れて、『月の大樹』に戻ろうぞ」
 ぽつぽつと雨粒の落ちだした曇り空を見上げ、モモは冒険者達にそう声を掛けた。


続劇

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